第117話 疾走



 センは街中を歩きながら周囲に目線を向ける。


(……失敗したな。かなり注目されている)


 軽くため息をついたセンは、纏わりつく様な視線から逃れる様に少し足を速める。

 今センがいるのはシアレンの街ではなくハルキアの王都、しかもその姿は普段のセンとは違い変装中……アルクと名乗っている覆面姿だった。

 注目されても仕方ない恰好だろう。

 ライオネル商会の一室を借りたハルカとの打ち合わせを終え、センは馬車に乗るハルカを見送った後そのまま一人街にでたのだ。


(うっかり店からこのまま出て来てしまった……マスクがぴったりフィットしているから違和感が無かったんだよな。ハルカや店の従業員も突っ込んでくれれば……いや従業員は無理か。変装だとは知らない筈だからな)


 センにしては珍しくうっかりしていた感じだが、言い訳をするのであれば色々と考え事をしていたせいといった所だろう。

 そんな怪しい恰好で、微妙な注目を集めつつセンが王都を歩いているのは、ハルカに教えて貰ったお菓子を子供たちの土産に買おうと考えたからだ。


(ここがシアレンだったら、そこまで注目されないのだが……探索者は奇抜な格好をしている者も少なくないしな。逆に傭兵は堅実な格好をしている者が多いよな……王都でもストリクでも衛兵みたいな革鎧を着ている奴がほとんどだ)


 探索者の装備が一風変わったものになりがちなのは、ダンジョンで獲得した素材を使い装備を仕立てているからだ。

 逆に傭兵は市場に出回っている素材で作られ、動きやすさを重視した革鎧となるのだろう。

 とは言え、探索者でも傭兵でもないセンにとってはあまり関係ない話ではあるが……。


(流石に入店拒否はされないと思うが……別の変装を考えた方がいいか?変装したまま外を歩くことも今後あるだろうしな……)


 そんなことを考えながらセンが歩いていると、通りの向こうから険しい表情をした衛兵らしき二人がセンの方に近づいてくる。


(……参ったな、これは職務質問される流れか?マスクを着けている程度で勘弁して貰いたい所だが……一応身元はライオネル商会の方で保証してもらえるから問題ない筈……迷惑をかけてしまうが、自分のミスだからしっかりと謝っておくか)


 センが観念して近づいてくる二人の話を聞こうとした時、近づいてくる二人が腰に差した武器に手を掛けたのを見てぎょっとする。


(……いきなり斬りかかられたりしないよな?)


 後ろに重心を傾けたセンを見て、一人が声を上げる。


「おい貴様!ライオネル商会のアルク……」


 次の瞬間、センは踵を返し全力で走り出した。


「待て!」


 話の途中で躊躇なく逃げ出したセンを見て、一瞬出遅れた二人だったがすぐに駆け出しセンを追いかける。

 身体能力の差は歴然だが人通りの多い通りという事もあり、双方あまり速度を上げることが出来ず、最初に開いた距離はなかなか縮まらない。


(通りを走って逃げるのは無理だ。俺の怪しい格好もさることながら、相手も衛兵風……誰かに邪魔をされる可能性は否めない!)


 そう考えたセンは人気のない路地に飛び込む。

 幸いセンは安全確保に余念がなく逃げることだけを重視している為、付近の地図は相当細かい道まで把握している。

 身体能力の差を覆して逃げ切れるほどではないが、それでも易々と捕まる事は無い。


(追ってくる二人から、ただ逃げるだけなら容易い。送還一発で俺はシアレンの街に飛べるからな。だがそれでは追ってきている奴等の狙いが分からない……何よりアルクの名前を知っている事が問題だ)


 センが妖しい変装を始めたのはナツキを発見し、彼女と接触するためだ。

 ライオネル商会の一室を借りる時は変装をしたまま使っているし、ナツキ達からライオネル商会を通して連絡をする時はアルク宛に連絡して貰っている。

 つまり、ナツキ達を除けばライオネル商会の人間以外でアルクの名前を知っている者はいない筈なのだ。


(学府に行った時はライオネル殿の護衛として言ったから俺の名前は……確認の為に一度口に出したくらいだ。記録が残っているとしたらそこくらいだろうな。ライオネル商会から漏れたと考えるよりはそちらの線を疑いたいが……いや、そろそろ限界だ……走りながらじゃ考え事が出来る程、脳に酸素が行き渡らない)


 若返った肉体とは言え、若干運動不足気味のセンの身体は既に悲鳴を上げ始めている。


(ニコルと一緒にジョギングをした方がいいかもしれん……少し油断していたか)


 いざという時は召喚魔法を使って逃げれば良いと考えていたセンは、相手を釣る為に自らを囮にしなければいけない事もあるという事を失念していた。というよりも、囮なんかできるわけがないと考えていた。

 つまりこの状況は、センにとっては非常に不本意な状況ではあるが、襲ってきた相手の事は調べなければならない状況でもある。


(まぁ、存在そのものが隠されているアルクを襲うことが出来る奴、襲う理由がある奴は一人しか思い当たらないが……)


 結局色々考えながら走るセンは、徐々に距離を詰めて来ている相手の気配を感じ召喚魔法を起動する。そして追いかけて来る相手から見えない様に、曲がり角を曲がった瞬間召喚魔法を発動、ここまで逃げて来る途中で見つけた、道に置いてある木箱を二つほど曲がる前からは見えない位置に重ねて設置、そのまま走り去る。

 更に次の召喚魔法を準備して走る事数秒、激しい音と悲鳴、そして罵声が背後から聞こえて来たのを確認してから曲がり角で召喚魔法を発動。


「にゃ!?」


「すまん!ニャル!助けてくれ!」


 召喚魔法によって呼び出されたニャルサーナルが、突然変わった視界に目を白黒させているもセンは構わずに助けを求める。


「誰にゃ、お前!ニャルを愛称で呼ぶなんて、ぶっ飛ばされたいにゃ!?」


 にらみつけて来るニャルサーナルに対し、目元を覆っているマスクをむしり取りつつセンは早口で喋る。


「俺だ!いきなり呼んですまんが時間がない!説明するからとりあえず走ってくれ!」


「お?おぉ、センかにゃ?よく分からんけど了解にゃ」


 ニャルを説得する一瞬を稼ぐために木箱を相手にぶつけたのだが、思いのほか木箱の中身は詰まっていたらしく、出合頭に激突した二人はまだ足元がふらついているようで、走る速度が一気に落ちている。


「あそこでふらついている二人に追われている。背後関係を洗いたいから生け捕りにしたいがいけるか?」


「あの二人は……衛兵かにゃ?セン……悪い事をした時は早くごめんなさいした方がいいにゃ?着いて行ってやるから一緒にごめんなさいするにゃ?」


「捕まるようなことはしてねぇよ。本物の衛兵の可能性もあるが……それでも情報を探る必要がある。手を貸してくれないか?」


「うーん、衛兵相手に立ち回ったらニャルも捕まらないかにゃぁ」


「……相手に姿を見られない様に制圧出来ないか?」


「後ろを取ればなんとかなるけどにゃぁ……土地勘がないから難しいにゃ。ここはどこにゃ?」


 走りつつ、辺りを見回しながらニャルサーナルが言う。


「ここはハルキアの王都だ、人目につくのはマズいからさっさと仕掛けてここから離れたい。合図を出して相手の後ろに飛ばすから、一気に制圧して欲しい」


「了解にゃ」


 センは召喚魔法を発動してからニャルに指示を出す。


「次の曲がり角の先で待っていてくれ。合図を出したらまた視界が変わる、すぐに処理してくれると助かるな」


 ニャルサーナルを少しだけ先行させたセンは、もう走ることが出来ないと言った様子で膝に手を置きつつ、荒い呼吸を繰り返しながらゆっくりと路地の先へと移動していく。

 この動き……三割くらいは演技だったが、残りの七割は本気である。

 人目につかないところに移動するだけで、センはほぼすべての体力を使い切っていたが……その上走りながらニャルサーナルへ説明をしたことで、最後の一滴まで振り絞ったという感じだ。

 そうまでして人気のない所まで逃げてきたのは、召喚魔法を隠す為でもあったが、それ以上に人族至上主義であるハルキアの王都に、半獣人であるニャルサーナルを真昼間に呼び出すことへの配慮だった。


「もう逃げられんぞ!」


 激突のダメージは回復したのか、しっかりとした足取りで近づいてくる二人を確認しながらセンはタイミングを計る。


(後三歩ってところだな)


 ニャルサーナルに見える様に指でカウントしていく。


(三、二、一、今!)


 指をゼロにするのと同時にセンはニャルサーナルを送還して、迫って来る二人の後ろへと送る。その位置は、つい先ほどニャルサーナルを召喚し直した場所だ。


「センの魔法は便利だにゃ」


 一瞬で二人の意識を刈り取ったニャルサーナルが若干自慢げな表情をしながら言うのを見て、センは深く深呼吸をする。


「でもあんまり突然呼び出さないで欲しいにゃ……あと少し早く呼ばれていたらトイレタイムだったにゃ……」


 続き聞こえたニャルサーナルの台詞に、センは限界ギリギリまで走って良かったと心の底から思った。


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