第11話 ラーニャの困惑



「じゃぁ、すまんがここで待っていてくれ。そう長くはならないはずだ。」


 薬屋の店先でセンは三人にそう告げると店の奥へと入っていく。

 自分達が不潔と言われ、店で働く様な大人から蛇蝎の如く嫌われている事を理解している三人は店から離れて路地に引っ込み、センが出て来るのを待つことにした。

 ラーニャは路地から店先をじっと見つめ、センが出て来たらすぐに分かるように待ち構えていたのだが、横にいたトリスに話しかけられ少しだけ店先から視線を外した。


「……おねえちゃん、ぼーっとしてどうしたの?」


「え!?ぼ、ぼーっとなんかしてないよ?」


「……そう」


 あまり信じてなさそうな様子のトリスに言葉を続けようとしたラーニャだったが、今はそれよりも大事なことがあるといった感じで店先の監視に戻る。

 その様子を見ていたトリスだったが、結局本人も姉と同じように無言で店先を見つめることにしたようだ。

 そんな二人の様子を苦笑しながら見つつ、ニコルは店先ではなく辺りの様子に注意を向けていた。自分達を害する可能性のある相手にいち早く気付く為に。

 それはニコルたちの様な浮浪児であれば当然の備えであったが、今のラーニャとトリスはそんなことまで気が回っていない。だからこそニコルは気を引き締めて周囲を警戒していた。

 そんな感じで暫く三人が過ごしていると、ラーニャのお腹がくぅと鳴った。


(あんなに沢山食べたのに、もうお腹が空くなんて不思議だな)


 昨日の夜、そして今朝食べた食事の事をラーニャは思い出す。

 ラーニャにとって食事とは一日一食、しかも少量の食事を取ることが出来ればその日は食べることが出来たと安堵するものだ。一日や二日食事を取ることが出来ないのは珍しくなく、食事を取れたとしても満腹には程遠い。そう言った世界で過ごしてきた。

 食べられる物を食べられる時に食べる。食事とは最低限の飢えを誤魔化す為だけのものであり、味を気にした事は無く、安堵こそあれ喜びなどは感じたことが無かった。

 だから昨夜の様な美味しい食事は……満腹になるという経験は生まれて初めての事で、まるで夢のような時間とさえ感じていた。

 しかも、その対価として要求されたのは、浮浪児である自分達でさえ知っているような当たり前の情報が殆ど。勿論答えることが出来ない様な質問もあったが……それはこの街以外に関することであったり、魔法等、専門的な知識を必要とする物だったのでセンもあまり期待はしていなかった。

 全く釣り合っていない対価を要求してきた青年は安全な寝床を提供して、あろうことか、買ったばかりの食糧を自分達の前に放置して別の部屋に行ってしまった。しかも、好きに食べて良いという言葉を残してだ。

 驚くを通り越して、もはやラーニャには理解不能な人物にしか見えなかった。

 そもそも、自分達の様な者を助けてくれるような大人がいること自体信じられない。


(本当によく分からない、変な人)


 心の中で呟きながらも薬屋の店先から目を離さないラーニャ。

 自分達にきつく当たる他の大人とは何もかもが違う。それは今も傍らにいるトリスの様子を見れば明らかだった。

 トリスは三人の中で一番他人の悪意に敏感で、特に大人には絶対に話しかける事は無かった。トリスのその性質にはラーニャもニコルも大いに助けられていて、三人が極貧ながらも今日まで無事に生き延びることが出来たのは、トリスの能力のお陰と言っても過言ではない。

 そのトリスが自ら名前を名乗り、更には初めて会った他人の前で眠りについたのだ。

 ラーニャは信じられないという思いと共に、何よりも信じられるという矛盾した感情を抱いた。

 信じられるのは三人だけ。他の人間はどんなに優しかろうと、その裏でこちらを利用しようと考えている。センだってそうに違いない。そうでなければおかしい。

 ラーニャのそんな思いとは裏腹に、センからは悪意のかけらも感じられず、要求されたのは簡単なおしゃべりだけ……それどころかさらに施しをしてくれると言う。


(分からない……けど、悪い人じゃない。不思議な人)


 今まで見た事もないような大人の男。その存在からどうしても目を逸らすことが出来ないラーニャだった。




「店主殿、遅くなりましたが、朝方約束をしていた物です」


「あぁ、緑白石の買い取りを聞いてきた方でしたね。少しは集まりましたか?」


 柔和な笑みを浮かべる老店主にセンも笑顔で応じ、持ってきた袋をカウンターの上に乗せる。


「えぇ、確認して頂けますか?」


「預かりましょう」


 そう言って老店主は袋から緑白石を取り出し、カウンターに広げる。


「む……」


 カウンターの上に広がった緑白石を確認していく老店主の表情が変わり、それを見たセンは不安が胸中を過った。


(何か問題か?それとも緑白石じゃなかったとか?現物は朝この店に来た時に確認したつもりだったが、同じ物では無かったのか?)


 朝と同じ位置に置かれている緑白石とテーブルの上に乗せられた石を見比べるが、センの目には同じ物の様に映った。

 センが内心冷や汗をだらだら流していると、テーブルの上の石を丁寧に調べていた老店主が顔を上げて微笑む。


「驚きました。もしや貴方は薬学か錬金術の心得がおありで?」


 相手の様子から問題は無さそうだと判断したセンは安心しつつかぶりを振る。


「いえ、無学なものでそういったことは。何か問題でもありましたでしょうか?」


「そうでしたか。いえ、問題は何もありませんよ。実に見事な緑白石です。しかもここにある物全てが緑白石なので驚いた次第です」


 老店主の優しげな声にセンは首を傾げる。


「……どういう事でしょうか?」


「実はこうした素材の持ち込みがあった場合、別の素材が混ざっている事が多々あるのですよ。緑白石の場合、混ざってくるのは緑石ですね」


「なるほど、そういうことでしたか」


「緑白石は緑石と見た目が似ているので、採取依頼を出してもあまり数が揃わないことが多く、在庫がいつも不足しているのでとても助かります。こちらは全て買い取らせていただきたいのですが……」


 そういいながらカウンターの上に置かれた緑白石を秤の上に乗せていき重さを量る老店主。


「……大体250グラムといったところですね。では金貨四枚と銀貨二十枚でどうでしょうか?」


 この国では銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚となる。

 老店主が提示した金額を聞きセンの顔が訝しげに変わった。


「朝にお聞きしていた金額よりもかなり多いのですが、どういう事でしょうか?」


 朝に提示されていた金額は百グラムで金貨一枚、多少の色付けどころではない金額だ。

 センの質問を聞き小さく声を出して老店主が笑う。


「その件については申し訳ありません。先ほども申し上げたように緑白石は緑石と間違えられることが多く、最初から四割程は緑石が混ざっていると仮定した金額を提示していたのですよ。採取をしてくれるような傭兵達は荒っぽい者が多いので、緑白石じゃないと言ったところで話が通じないことが多く、初めから提示している金額は少なめなのです。」


「なるほど……」


(依頼の品じゃないにも拘らず報酬を要求してくるってことか?予想以上に暴力が物を言う世界みたいだな)


 やはり危険な世界だとセンが気持ちを引き締めていると、老店主はカウンターの裏から先程提示した分の金を取り出した。


「こちらが代金になります。もしまた緑白石を集めることが出来たら買い取らせていただきたいのですがお願い出来ますか?」


「えぇ、勿論です。それと緑白石以外にもご入用な物はありませんか?もしそういった物があるようでしたら、それらの一覧と採取地と大まかな金額、それと現物のサンプルを見せて頂ければ持ち込ませていただきますが」


 センの提案を聞き一瞬目を丸くした老店主だったが、柔和な笑みを浮かべるとセンに向かって頷く。


「そうですね……では、明日また店に来てもらえますか?その時までに欲しい素材を纏めておきましょう。詳しい話はその時に、ということでどうでしょうか?」


「えぇ、それで構いません。それでは……」


「すまん!じーさん!薬を出してくれ!」


 これからよろしくと続けようとしたセンの言葉を、突然店に飛び込んできた革鎧姿の男が遮った。


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