② Blue and Sky
<This text>
<blue and sky>
彼女のささやかな息遣いで僕は正気に戻り顔をそむけた。つやめいた水が僕の義手を照らしている。水底にそよぐ黒い髪が義手に絡んだので払いよけようとしたが、彼女の髪から香る匂いがそうはさせない。無味無臭の中で彼女の甘い花の匂いが僕の鼻をくすぐる。きっとこの花の色は桃色だ。記憶の奥底で警鐘が鳴っているのに無視をし、色合いを確かめた。黒一色の彼女の姿をよそに僕の脳内は桃色に仕立て上げられる。ふっと口から息を吐いて桃色を吐き出した。
「ごめん、僕はカミサマだからこのハコの住人を助けなくてはならないんだ。だから、きみが死のうとするなら僕は止めるし、死なないように管理する」
僕は彼女から身を離して機械仕掛けの体を一つ一つ作動させる。手の関節を回し空の頭の横に手をついて体を起こし、足裏を水底の人工砂浜に埋もらせて、両足で立つ。自立した体で、次に浅瀬に浸った彼女に手を差し出す。
黒い瞳はぱちぱちと瞬いて、零れそうな涙をひっこめた。たははと笑みを再び僕へと無理やり与えられる。ぐっと僕の何かを押しとどめて何度か念じた。
全てはシステムのため。ハコの均衡を保つため。僕の脳に直接干渉をしないが、システムからは絶対順守の規律がカミサマに言いわたされている。
──住人を生かせ。
──ハコに均衡を。
どちらも破ってはいけないカミサマとシステムの約束事だった。
カミサマになったときから決まっている。僕らは、システムに逆らうことを禁止されていた。もし破った場合は──
空は一向に僕の手を取らず骨壺だけを抱きしめる。その中身は空っぽのはずだ。ハコの内部はシステム管理により、ハコに墓を建てる場を省略するため遺体は液体化される。液体化された遺体は専用の墓を用意されていた。時とともに遺体はハコの養分となり循環する。身体から残されるのは見た目だけの骨壺と遺族へ向けた小さな骨一つだけだ。しかし、それでも空っぽの置物を大事にする人間もいる。彼女のように。
カミサマの僕にはわからない。それほどまでに大事にするものがあるということを。
紫、あんたがしたいことも僕にはわからない。
僕は空が動かないのを見て、彼女の腰に手を回し持ち上げた。あまりの軽さに思わず左腕の義手が思った以上に持ち上がる。黒いベールが再び顔にかけられて、彼女の表情が見えなくなった。涙で濡れた唇だけ覗かれる。ふんわりと微笑みをたたえていた。彼女の頭を胸によりかからせて見えないようにした。
浅瀬から砂浜に歩みを進めると、指令書と鞄を持った白が待ち構えていた。
僕は空についての指令書に念頭を置きつつ、
「ごめん。彼女が海に入っていくのが見えて」
彼女がその人だと悟らせないようにする。
「カミサマとして当然なことをしたんだから謝る必要はない。むしろ、私が見えていなかったからこのハコのカミサマとして失格だ」
「まさにきみはカミサマ失格だな」
「そこは上司として励ましてくれないのか」
そういえば僕は立場的に白の上司にあたるのだった。僕よりも背が高く、年齢も数年上であるはずの同僚が。細身で前髪が長い。肩まで切りそろえられた黒髪の端先をさらりと揺らした。システムから振り渡された『白』という名とは正反対の恰好と、僕が上司ということもあいまってじろじろと見てしまう。
なんだ、と青白い鼻先が不服そうに僕を見下げる。
皮肉気に嘲笑。
「それで今日はどうしますか、青サマ。このハコの案内でもしようかと思っていたんだけど」
本来、そのハコのカミサマに案内を頼むが。
僕は抱えた少女の重みを確かめる。じんわりと胸にあてられた少女の頭の重みに温もりを得る。少女の黒百合のコサージュが衣服越しにかさついた。
指令書に書かれていた少女がこの手に抱かれている。
これを逃すのは賢くはない。
「いいや、この子に案内させるよ」
視線を空へと移すと彼女は僕の方を見上げて頭を傾げる。傾けた拍子にベールが揺らぎ、片目が僕を見上げている。目と鼻の先に空の顔がある。彼女の頬に灯が宿った。するとすぐに瞼を閉じ、睫毛が瞳を遮った。体を丸めて骨壺に顔をうずめる。バランスが崩れる。とっさに対応して一歩前に行き、空の桃色に染まった顔をしっかりと見つめた。
「きみの家を教えてくれないか」
ゆっくりと、
「家まで送るよ」
そうでなくとも僕は彼女が死なないように見張っていなければならないのだから。彼女の言葉を待たずに「いいって」と白に笑いかけた。空は腕の中で骨壺だけを抱き寄せていて、僕のことを一切見ていなかった。
白には後ほど荷物を僕が言ったところに送り届けてもらうよう言い渡し駅舎で別れた。そうして僕は空の家へと歩みを進めた。駅舎の向こう側は白い積み木のような家々が立ち並んでいた。道は赤の石畳が敷かれていて、それぞれの家まで続いている。どの家も同じ顔をしているから、方向がわからなくなる。唯一指令書に載っていた空の家は知っていた。しかし、彼女を通さずその家へ行ってしまえば、このハコに僕がシステムから派遣された理由を彼女に知られてしまう。ハコには均衡が必要だ。体よく見繕わなければはならない。
歩きながら、彼女に僕の口を見せる。
「歩けるか」
彼女はうなづいているかわからないくらいの小さな首肯をした。
僕は彼女を赤い石畳へと下す。ぺたっと彼女の裸足が地についた。白さが石畳の赤に生えていた。
「靴」と僕が声を上げると、「う」と大きく声が出され「ぅううぅん」と不調子の音が空の口から吐きだされる。
「捨てたのか」
ベールの下から覗かされる口がまた笑うものだから、先ほどよりもいっそう胸が苦しくなる。そこまでして彼女から何かを奪う世界に対し、腹立たしくなる。理由なんてわからない。感情が揺らいでならない。
自身がカミサマということを思い出し、
「僕の靴をあげる」
寒そうな白足に僕の革靴を履かせた。
彼女の足と僕の足とではサイズが大いに違うらしく、僕の靴を履いた彼女は歩くたびにかっぽ、かっぽ、と踵を鳴らした。僕は赤い道に義足を這わせた。がりがりと削るような音。機械を作動させて一歩一歩、こん、こんと歩ませる。白いハコだらけの、閑静な住宅街に奇妙な音が鳴り響く。
かっぽ、かっぽ。
こん、こん。
「きみの家まで送るよ」
かっぽ、かっぽ。
空は僕の声なんか気にせずに、骨壺とともに歩みだす。僕は彼女の横に並んだ。ベールの中の彼女の瞳は見えない。僕が何かを言うたびに笑いはするが、どこか寂しそうで僕のことを見ていない。
かっぽ、かっ。
と、そこで空は足を止めて、物珍しそうに僕の足を見下げた。
「義足が気になる?」
僕が顔を上げると、彼女は興味があったことがまるでなかったように素知らぬふりをして再び歩きだした。
「これは僕のシステムとの『契約』なんだ」といっても聞こえてないだろう。ただ閑静過ぎて何も聞こえない住宅街と彼女の間を埋める言葉がほしくなったのだ。
「それにしても、このハコの住宅街は静かだな」
彼女の返事がほしくてしかたない。飢えて干上がるくらいなら、自身を痛めつけて構わない。返事がないまま、僕はとつとつと「綺麗なハコだ」とか適当な言葉を上げる。彼女の耳に届かないのに。じりじりとにじりよる自身の言葉の限界に達しようとしたとき、彼女の歩みが止まった。
白い壁に斑のような赤レンガが腰あたりまでまぶしてある箱型の家があった。白いポストには大量の封筒や新聞紙が突っ込んである。玄関は木製で、近づくにつれて白い壁に埃で黒ずんでいるのが見えた。彼女がかっぽ、と靴を鳴らし、その家の戸を開けた。
彼女の断りを得ずに、僕は後ろについて中に入る。
部屋の中心に机が置き去りにされているだけで、他は何もなかった。僕の中の時が一瞬立ち止まる。彼女の物寂しさが鳴っていた。椅子が床をひきずる音がして、抜けた時が再び戻った。彼女は机の前の椅子を引いて座っていた。
「骨壺はおろさないのか」
もどかしくてならなかった。彼女は骨壺に顔を埋めて離さない。まだ海の向こう側に彼女はいた。遠くの方へ。彼女の母親を離さず、僕のことすら見ない。彼岸に片足をつっこんでいいる状態であるこれは死んでいるも同然ではないか。
「おろせよ」
ふと口をついてでた言葉に僕は驚いた。僕にこんな感情があったなんて思いもしなくて、口をふさぎ行動を隠す。彼女が気づいていないことをいいことに何か他にないかあたりを見回した。
『カミサマは、なんで私を助けたんですか』
と、彼女が僕へ小さなメモとペンを差し出していた。
白い紙に丸まった小さな文字が羅列されていた。紙から顔を上げると、彼女は一心不乱に僕を見つめている。ベール越しにうっすらと見え隠れしている水晶玉の瞳の光は消えている。
僕はメモとペンを受け取る。
『カミサマだから』
彼女はペンを僕から奪い取り、
『理由になっていません』
「それ以上の理由なんて、僕にはないんだよ」
僕は静かにだが苛立ちを込めて、言い募っていた。あくまで冷静に口を大きく見せて。
『このハコのカミサマもそういって先のことなんて何もいってくれませんでした。父親のことだって』
「いないのか」
知っていたことだけど。
思った通り彼女は頭を振る。
母が亡くなり、父も失踪している。指令書通りなら空の身の上は天涯孤独だった。ハコの中に血縁もいない。ハコ同士の関係も希薄で、なによりこのハコはどのハコよりも孤立していた。
だからこそ、僕は彼女が空だと悟ったときに罪悪感めいたものを感じていたのかもしれない。指令書に載っていた僕がこのハコに赴任してきた指令に胸をかきむしりたくなるほど拒絶を覚えている。
なにより、この子は、空は、紫の──
「なあ、僕はしばらくこのハコに滞在するんだけど」ゆっくりと口を開いて彼女に提案する。「泊まる家は決まっていないんだ」嘘だ。もう既に荷物の手配も済んでいる。
「しばらく一緒に住ませてくれないか」
次から次へ僕は上っ面の言葉を並べ立てる。
「今空は一人だろ。しかも、自殺しようとしていたんだ。僕はカミサマとして心配なんだ。それだったら理由になるか。住む場所もないし。困っているんだ」
空にはわからない口の速さで。
そうしたら、空はくすりと音を立てて笑って、
『いいですよ。わたしには何もないから今さら』
書きかけて空は顔を上げた。膝の上に変わらず骨壺があって、やわらかく彼女は母を撫でた。こぢんまりとしてしまったそれにコサージュがしわくちゃになることにかまわず額を当てた。祈るように目を閉じている。システムに祈りでもしているのだろうか。祈りを捧げる神など、もうすでにハコの中にはいないというのに。
僕は頭を下げた空の頭に手を置いた。
「ありがとう」
すると空は顔をあげるので置いた手がベールを払いのけられて、顔があらわになる。なんど見ても、彼女はやはりあの人の娘なのだとわかる。目元がそっくりそのままであったし、笑った時の口に開け方も同じで思い出してしまう。
──紫。
僕たちカミサマは、システムに願い事をかなえてもらう代わりにカミサマとしてシステムの手足に成る。証として体の一部を献上し、機械の臓器をもらう。それは手であったり、腕であったり、白のような指であったり。僕の四肢は冷たい鉛となってカミサマと昇華した。その過程で、カミサマは本来の記憶を失う。
僕は、システムの申し子だ。それを違えてはならない。
だが、システムから離反したカミサマはどうなる。
禁忌を犯した、カミサマは。
指令書に書かれていた抹殺命令は遂行しなければならない。
空の父は、『紫』だった。カミサマだったのだ。そいつが離反した。
紫が僕に最後に告げた言葉が脳裏にたたきつけられている。夜のハコだった。システムが常に消灯し、住民の電気をシステムが一部贖い、住民で全面的に電力を作っているハコだった。風力を回す人力が、夜風を作りだし、紫の髪を揺らした。星屑を散りばめられたような景色を前に紫は僕に問いかけた。
「お前は過去の記憶に興味はないのか」
それは禁忌に触れる行為だ。
「紫、もしかして記憶が」
「あの子に会いたい。戻らないと」
たははと笑い、彼は最後に愛おしそうに娘の名を口にした。
──空。
しばらくして彼はシステムの管理から外れて姿を消した。以後記録はない。未だに逃亡中だ。そこでやりだまにあがったのは、彼の娘だった。娘を囮に彼を釣りあげ、抹消する。
これが僕の今回のこのハコでするべき最優先事項。
ほかにもいくつか指令はでているがこまごまとしたものだ。
紫はカミサマとして出会った初めての同僚だった。それに目の前の彼女の父で。母が亡くなった今、この上僕はシステムから紫を殺すことを命じられている。カミサマは、感情などいらない。だからこそ記憶も体も根こそぎすべて取られるのに。
義手に残った温度を、まだ機械になっていない頬にあてる。温度が体全体に浸透していく。温度が感情に溶け合い、どっちが本物かわからなくなる。僕の体はほとんどが機械だというのに、まだ体の中心に彼女の温度が残っていた。
口を義手で覆い、
「僕はきみの父親を殺すためにここに来たんだと言ったらどうなるんだろうな」
つぶやくが空は頭を傾げるばかりだった。
<blue and sky>
<end>
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<kamisama system in <white_91>>
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