第59話 狙われた月影村1
治太夫は走った。
…リナと河童たちに、自分の所業が知られてしまった。すぐに大規模な追っ手が掛かるはずだ。
とにかく、神島から脱出する。
漆黒の海を泳いで童島に渡り、自分の屋敷の門を潜ると、灯りのついている主殿の中から怒声が聞こえてきた。父の声だ。
「な、何というトンデモナイことを、あのバカ息子め!
奴に村主職を継がせるのは撤回だ。すぐに捕らえよ。抵抗するなら殺しても構わん!
各部落に、至急の通達を出せ!」
これはマズイことになってしまった。
まさか、殺しても構わないとまで言われるとは……。
現在の村主は父親。治太夫は、まだ就任していない。
その父親の命令となれば、全河童が従う。治太夫には、まだ何の権限も無いのだ。
河童の社会を救うどころか、河童の敵とされてしまった…。
神島の方は既に警戒されているから人魚を襲うのは不可能だ。
となると、残される道はただ一つ。当初の計画通りに、やはり鬼の神鏡を奪うしかない。
異界出入りの力さえ手に入れば、治太夫は不死の身だ。後は何とでもなるのだ。
各部落への緊急通達は、港のあるこの部落から二人の伝令が、それぞれ左回り、右回りで順次伝えて行くことになっている。集落は全て島の海岸沿いにあるからだ。
伝令が出るのは、これから。今なら、島の正反対側の部落へ直行すれば間に合う。
その部落は、村第二の勢力で屈強な男が揃っている所。鬼ヶ島から逃げ戻ってきた三太の居る部落でもある。
通達が届く前に男たちを招集し、鬼ヶ島へ渡るしかない。
治太夫は見つからないように屋敷を出て、暗闇の中、真っ直ぐ島の反対側に向かって駆けだした。
森を抜け、内陸を通る最短の道をひた走った。
目的の島東北端の部落に着くと、夜ということもあり、ひっそりしている。
治太夫は村役屋敷に駆け込んで、男たちの緊急招集を命じた。
村主の御曹司直々の緊急命令だ。事情をまだ知らない村役は慌てて従った。
だが、急がせても、既に寝床に入らんとする夜の事…。集まってくるのには時間が掛かる。
伝令が到達する前に、島を出てしまわなければならないが、焦りながらも治太夫は、通された座敷で待つしかなかった。
案内された座敷…。
治太夫は、床の間前に置かれた座布団にドカッと坐った。
その床の間には、珍しい物が飾ってあった。…古い
昔のヒトが使用していた物だろう。おそらく、人界で誰かが拾ってきて村役に献上したのだろうが、屈強な者が多いこの部落には、ふさわしい飾り物と言えた。
治太夫は、昔のヒトの武将が使っていた武具にも興味を持って、詳しく調べたことがある。しかし、実物を見るのは初めてだった。
目の前の甲冑は良い素材で丁寧に作られており、上級の武将が使用した物と思われる。
だが、その割には飾りの少ないシンプルな造りだ。
ヒトの武将は、己の武功を誇示する為に派手な物を好んだと聞いていたが、こんな地味な物もあったのかと、触りながら観察する。
顔面を守る
こんなものを着けて戦っていたとは…。
これでは重くて自由に動けず、不利では無いかとも思う。河童の甲冑は亀の甲羅で作られていて、軽量で動きやすいのだ。
しかし、相手も同様のモノを身に付けて居れば、お互い様なのか…。
そうこうしていると、三太が招集に応じて、いの一番に出て来た。
彼は一度鬼ヶ島に行って、逃げ帰ってきている。だから、これから治太夫が何をしようとしているか、おおよそ見当がついていた。
他にも次々と集まって来るが、それらの連中は訳が分からない状態。夜中の突然の招集で、眠い目を擦り擦りの二十七河童…。
そして、もうそろそろ、伝令が到達してもおかしくない頃合いとなった。
時間の限界を感じた治太夫は、村役とその配下三河童も入れての合計三十二河童を引き連れ、島東北端の海岸に向かった。
詳しい事情は話さない。ただ、「河童族の未来のために働いてもらう。恩賞は弾むぞ」とだけ告げた。
海に入り、三太に案内させて鬼ヶ島に向かい、進軍を開始した。
伝令が部落に到着したのは、その五分ほど後の事だった。
右回りの伝令と左回りの伝令が、ほぼ同時に到着した。
二人の伝令は頷き合い、一緒に村役の屋敷に駆け込んだ。
だが、既に屋敷にも、また、部落にも、女子供と老河童しかいなかった。
そして…。
村役屋敷の床の間に飾られていた甲冑から、
―― リナの御殿 ――
奥の部屋から、恵美が歩いて出て来た。
切り裂かれて血みどろになった着物の代わりに、空色のミニドレスを着ている。
…リナのロングドレスと同じ色。リナの物を借りたのだろう。
着慣れない衣裳に恥ずかしそうだが、それなりに似合っている。
「恵美母様!」
恵美の姿を認めるや、すぐに
「いや~、面目ない、面目ない~。
鬼にも内臓掴みだされたけど~、河童にもやられちゃいました~」
「バカ~!! ふえええ~ん!!」
恵美が死んでしまったらと思うと、気が気でなかったのだ。
「
ナナミが抱き合っている二人に近づき、恵美に対して丁寧に頭を下げた。
「私からも、改めて御礼を申し上げます。娘を救って下さり、有難うございました」
遅れて出て来たリナも、頭を下げた。
「いやいや、私の方こそ、治してもらったんだから~。それに、
照れながら、
傷が癒え、ひとまずホッとすると、気になるのは大怪我を負わせてくれた相手の事…。
「逃げたアイツどうしてるかな……」
恵美は目を閉じて、暫くそのまま黙る。いつもの能力での探索開始だ。
「おやおや、これは~、人手…じゃなくて、河童手を集めようとしてるのかな~? こっちに攻め込む気かしら~?」
恵美が千里眼の能力で見たのは、治太夫が門を潜って屋敷に入るところ。そして、その屋敷は物々しい雰囲気で、兵が集められようとしていた。
実は、出兵準備を命じたのは父親の
しかし、治太夫には勝手知ったる我が家。既に自分を捕らえる準備が開始されようとしていたとは知らず、また、たまたま家人にも兵にも見つからなかっただけだが、堂々と門を潜っていて、傍目には隠れているようには見えなかった。これは、夜ということもあっての事だ。
この為、恵美は、治太夫が兵を集めていると勘違いしてしまった。
まあ、実際、治太夫は協力者を集めるつもりでいたのであるから、同じ様な事ではあったのだが…。
この発言者の恵美を、リナが身を乗り出すようにマジマジと見て、首を傾げた。
恵美に向かい、不審気に尋ねる。
「先ほども不思議に思ったのですが、貴女には、なぜ分かるのですか?」
「いや~、私の持つ特種能力っていうか、千里眼なんですけどね~」
「せ、千里眼……。貴女はヒトではないのですか?」
驚愕の目で恵美を見詰めるリナ…。ナナミも同様だ。
千里眼は、五百歳を超えるリナでも有していない能力だった。
「だから~、何でみんなバケモノ見るような目で見るかな~。ヒトです、ヒト。ちょっと事情があって、普通じゃない能力を持っているだけです~。
私だけじゃないわよ~。
「え? では、そのお嬢さんの治療も、旦那様にしてもらえばよかったのでは?」
「それがね~。異界の門が開かなくなっちゃって~、人界に帰れなくなって……。
あ……」
そこまで言って、恵美は気付いた。
「恵美母様! 人魚さんに送ってもらえば、人界に帰れるんじゃない?」
「人界ですか? お送り出来ますよ。お安い御用です。貴女は娘の命の恩人ですし」
二人からの視線を受け、リナは簡単な事だと、頷いた。実際、彼女にとっては何でもないことなのだ。
「よ、よかった~。もう、一生帰れないかと思ってたのよ~」
恵美は体の力を抜き、垂れた眉をさらに下げた。
「すぐに帰られますか?」
「いや~。この件が全て片付いてからね~。そうしないと、帰っても心配だから~」
「そうですか。いつでもお送りします。
それから、先ほどの、治太夫がこちらへ攻め込むという話ですけど、それは恐らく無いと思います。
既に
通達が行き渡る前に治太夫が河童を集めているのであれば、狙いは鬼の住む島ではないでしょうか…」
「また神鏡を狙ってくるってこと~? あの神鏡、効力失っているのにね~」
「恵美母様!村が危ない……」
村には大切な家族・姉妹たちがいるのだ。河童に襲われ、自分や恵美がされたようなことになったらと思うと、冷静ではいられない。
「奴が島を出る前に討ち取らなきゃね~。タケ!出番よ~。また転送お願い!」
遅れてふらふらになって走ってきたタケが到着したところだった。
彼は自分自身を転送できない。自分は走るしか無いのだ。そして…。
「め、恵美様…。いくら何でも、鬼使いが荒すぎます。
只でさえ、生きた者を転送するのは気を使うのです。今日、私はそれを、どれだけしてきたとお思いですか…。
もうこれ以上は無理です……」
確かに、タケは今日、恵美たちだけでなく、警備の河童も多数、能力で転送していた。まさに、大活躍だ。
そして、どんな能力も無限では無い…。
「だ、ダメなの? ……。
舟で向こうの島へ渡って、港から走っていたんでは、気付かれて逃げられるし、それ以前に間に合わないかも…。
月影村に帰って迎え撃つにしても、向かい風で帆が使えない。これはヤバい…」
「お母様! お婆様、セーラ様の力なら……」
頭を抱えて
「そうね…。こんな時間に行くと怒られそうですが、仕方ありませんね」
「? ナニ?」
疑問符を浮かべる恵美たちに向かってリナが説明する。
「私の母セーラは、瞬間移動能力を持っています。貴女と同じ、千里眼も。童島でも、行ったことの無い鬼の島でも、送ってもらうことが可能です。
たいへん気難しい人ですので、あまり頼りたくないのですが、仕方ありません。すぐに行きましょう」
リナは、月の輝く屋外へ出た。ナナミも続く。
恵美・
タケは歩くのも辛そうだったので、銀之丞が背負って後に続いた。
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