第53話 神島

 舟が完成した。夕刻近いが、直ぐに出港する。

 恵美の千里眼をもってすれば、夜であっても問題無い。敵に見つかる確率も低くなるので、返って都合良い。

 風はかなり強くなってきたので、海は荒れるかもしれないが、タケの作った舟だ。大丈夫であろう。

 それに、あいの状態が、かなり悪そうだ。青白い顔をして、腹部を押さえている。

 一刻を争う状況だった。


 海に出ると、島近くはそれほどでもなかったが、外海は、やはりかなり荒れていた。

 だが、二艘の舟を繋いだ構造で安定していた為、転覆はしなかった。

 そして強い追い風に上手く乗り、かなりの距離があったにもかかわらず、五時間ほどで到着してしまった。

 恵美は一〇時間以上かかると踏んでいたのだが、その半分の超スピードだった。


 神島に近づくと、波は穏やかになって来る…。

 ただ、このまま港に入れば、警護の河童に見つかってしまうことになる。

 銀之丞は人魚リナの料理人であり、上級村役人の息子だ。通常であれば問題無いのであるが、敵は、まもなく統治者村主すぐりに就任する人物…。既に手を回している恐れがある。


 一行は、見つかるのを避けるために、港から少し離れた海岸の方に向かうことにした。

 音を立てない様に気を付け、手ごろな岩に舟を着けるが、直ぐに警護河童がバタバタと駆けつけてきた。どうやら、網を張られていたようだ…。

 走り寄ってくるのは、屈強そうな六名の河童。上半身裸だが大きな亀の甲羅を着け、腰蓑姿。それぞれ、手には二メートル程の棒を持ち構えている。


 恵美は大小の刀を腰に差し、更に舟に積んでいた木刀を取って、真っ先に跳び降りた。そして、素早く駆け出し、警護河童たちから次々繰り出される剛棒をかいくぐって、たちどころに全てを叩き伏せた。


 しかし、わらわらと、次の警護の者が集まって来る。

 銀之丞によると、彼の主であるリナの御殿へ行けば、何とかなるとのこと。その御殿は、小高い丘の上の洋館だ。

 かなりの距離があるが、月明かりと御殿の灯りでハッキリ見える。


「タケ、お願い!」


 新たな敵と戦いながら、恵美がタケに一言、号令を発した。

 まだ舟から降りたばかりのタケは、グッタリしているあいを銀之丞に背負わせ、声を掛ける。


「行きますよ。ふたりとも、息を大きく吸って…。ハイ止める」


 その瞬間! 銀之丞とあいは消えた。





 銀之丞は驚愕した。

 息を止めたと同時に、一瞬で居場所が変わったのだ。


 目の前には、リナの御殿…。タケの瞬間移動だった。


 キョロキョロ見渡すが、恵美とタケは居ない。送られたのは自分たちだけ。

 異種族である自分を信用してくれたというのは嬉しいが、あいを完全に任されてしまった状態だ。


 背負って居るあいは、彼が愛したナナセによく似ていた。

 ナナセを若くした様な容貌…。

 人魚は皆同じ顔なのだが、髪・目・肌の色が違う。あいは顔つきも似ている上に、亜麻色の髪と、その長さもナナセと同じ。栗色の目と白い肌もよく似ていて、ナナセの生まれ変わりじゃないかと勘違いしそうなのだ。


 そんな子が苦しんでいる…。ナナセは助けられなかったが、この子は絶対助けなければと、銀之丞は急いで御殿へ入った。


 通常、御殿内には警備の河童は居ない。御殿内に入れるのは、料理人と身の回りの世話の者だけだ。

 いつも通り静かで、やはり内部に警備の者は居なかった。が、ロビーは無人では無かった。

 そして、居たのは、御殿の主、リナでもなかった。

 銀之丞に背負われて、目の前に立ちはだかった者を見たあいが、力なく声を発する。


「か、母様……」


 黒く真っ直ぐなロングヘアー。黒い瞳に抜けるような白い肌。薄紫のミニドレスを着て立ちはだかっている女性は、愛の母親、舞衣に、何から何まで瓜二つだったのだ。


「母様ですって? 私に子供なんか居ないわ!」


 冷たい視線で睨みつけてくる美女に、銀之丞が頭を下げた。


「ナナミ様! リナ様は、どちらにおいでですか?」


 問いかけられた美女、ナナミは、ナナセの姉。そのまま、銀之丞をキッと睨みつけていた。


「おだまりなさい!

 治太夫から知らせてきたわ。貴方がナナセを殺して食べたって!

 妹の仇め!」


 ナナミは、持っていた剣を銀色の鞘からスーッと引き抜いた。そして、それを構えながら銀之丞に走り寄り、ズバッと袈裟懸けに斬りつけた!


「グアア~!!」


 銀之丞は崩れ落ちそうになりながらも、あいを落とさないように踏ん張って堪えた。

 左肩から右脇腹のほうへ、ザックリと斬られて真っ赤に染まり、その血は床に滴った。が、傷口から白い靄が出て、みるみる治ってゆく。


 奥の扉が開き、もう一人、女性が入ってきた。

 銀色の軽くカーブした長髪と、青い目。スカイブルーのロングドレスを着た人魚。顔はナナミとソックリだ。


「母様、見て! これが証拠よ。これを見たら分かるわよね。こいつはナナセの仇よ!」


 数時間前に次期村主である治太夫からの知らせが入っていた。銀之丞が童島にナナセを呼び出し、殺して喰ったと…。

 遺体は後程移送するとのことだった。


 リナは信じなかった。

 銀之丞は彼女お気に入りの料理人だ。腕もよく、礼儀正しい。特に目を掛けていた河童なのだ。

 それが、よりによって主の娘を殺して食べるなど、何かの間違いだと言い張った。


 ナナセの御殿に行ってみると、確かに彼女は居ない。

 だが、人魚は自己治癒の能力を持っている。脳を潰されない限り、死なないのだ。


 なのに、殺され喰われたということは、脳を喰われたということか?


 脳を喰われれば、人魚は特殊能力を奪われる。その証拠となり得る光景を、リナは目の当たりにしてしまった。


「よ、よくも我が娘ナナセを…。銀之丞!許しません!」


 裏切られたというショック……。

 愛しい娘を殺し喰われた怒り……。


 頂点に達した怒気で、リナは顔を赤くし、目を釣り上がらせる。


 そのリナに、銀之丞はあいを背負ったままひざまずいた。


「違いますリナ様! 私ではありません。

 ナナセ様を殺害して喰ったのは治太夫です。私では無いのです!」


「何を言うの! では、その自己治癒の力は何?

 その力は人魚特有のモノ。人魚の力を奪わなければ得られないモノ。何よりの証拠よ!」


 ナナミが横から鋭く問い詰めた。

 リナは口を開かず、怒り顔で、じっと銀之丞を見据えている。


「こ、これは……」


 銀之丞は口籠ってしまった。

 月影村では正直に全て話したが、ナナセとの関係を人魚たちに知られたくないのだ。

 自分のことは良いが、愛するナナセの恥となることを公表するのは避けたかった。


 下僕であるはずの自分が、ナナセと肉体関係を持っていた……。

 そして、ナナセの産んだ卵を食べさせてもらっていた……。


 とても、そんなことは言えない…。


「どうしたの!反論出来ないでしょうに!」


 ナナミの激高に、銀之丞は項垂うなだれた。…が、すぐにリナに向かってすがるような表情で顔を上げた。


「お待ちください。私はどのように処分されても結構です。八つ裂きなり頭を潰すなり、なんなりしてください。

 ですが、この人。このヒトだけは救ってほしいのです。

 他の河童に尻子玉を抜かれました。すぐに薬を塗ってハラワタを中に戻しましたが、薬が足りなかったようで上手く繋がっていないとのことです。このままでは死んでしまいます。

 この方は、鬼の大切な家族なのです。鬼との争いにならないようにするためにも、このヒトだけは御救い頂けませんでしょうか!」


「何を、いけしゃあしゃあと! 母様がナナセの仇の言うことなんか聞くもんですか!」


 ナナミは冷たく言い放つ。

 だが、リナは睨み付け乍らも少し考えた。


 人魚は、殺害されたというナナセを含めて十二人。皆、かなり自由気ままに暮らしている。

 河童の世話を受けながら、面倒な交渉はごめんだという我儘勝手な者ばかりで、比較的若手(五百歳を超えているが…)であるリナに、河童との交渉・管理役が押し付けられていた。

 つまり、リナは河童を監督する責任者だ。

 河童が問題を起こしたとなると、それの後始末をするのも彼女の役目ともいえる。


 それに……。


 銀之丞が背負っているヒトは、容貌がナナセによく似ていた。

 他人の空似ではあるが、殺されたはずの愛しい我が子が苦しんでいるようにも見えた……。


「良いでしょう。そのヒトの子は助けてあげます。

 ただし、貴方は私の手で死刑に処します。ナナセの遺体が届き次第、その前で!

 裏切者が楽に死ねるとは思わないことね。単に頭を潰すだけでは済ましません。

 太いクイに尻から口まで串刺しにした上で縛り付けて放置してあげます。

 治癒能力の限界まで、何日もそのまま、地獄の苦しみをジックリと味わうことになるわ。

 能力を得たことを存分に後悔するがよい」


 言うと同時に、リナの目が赤く光った。

 それを見た銀之丞は動けなくなった。テルにされたのと同じ、金縛りだ。


「さあ、ナナミ。もう遅いわ。貴女は帰りなさい。処刑は私がします。貴女は関わらなくてよろしい」


 ナナミは表情を歪めた。

 承服しかねるというような、憮然とした態度…。しかし、プイッと出ていってしまった。


 リナも、あいを背負って奥の部屋に行ってしまう。


 銀之丞は金縛り状態で、一人取り残された。



 ………

 ナナセの遺体が届いた後、その前で処刑される…。

 太いクイで串刺しにされて、治癒の力が尽きるまで、何日も、そのまま放置される…。

 仕方のないこと…。ナナセを守れなかった自分の責任だ。

 いや、そもそも、ナナセとの関係を持ってしまった事がいけなかったのだ。

 声をかけて来たのはナナセの方から。しかし、主の娘と肉体関係を持つなど、どう考えても許されることで無い。

 悪いのは自分の方だ。


 治太夫の企みは、まだ終わっていない。それは気がかりだが、自分にはもう、どうすることも出来ない。

 連れてきたヒトの子だけは救ってもらえる。ナナセに似たあの子は助かる…。ならばもう、この身はどうなっても良いではないか。

 ナナセの遺体の前で処刑されるというのも、有難いかもしれない。


 ナナセだけは、分かってくれている…。

 ナナセと一緒に、あの世へ行こう…。

 ………


 銀之丞は、穏やかに笑った……。

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