第47話 ザクロの生る神社

 その晩、慎也と沙織は尾張賀茂神社に泊まった。

 優子は帰り、他の慎也の妻たちも亜希子の車で自宅の方へ戻った。


 慎也は一晩中、考え込んでいた。

 ヒントになるのは「石」「麻」という文字。

 天の岩戸隠れの事を指すのなら、その神話に答えがあるのかもしれない。

 真奈美から社務所にあった古事記・日本書紀を借りて、何度も何度も読み返した。


 翌日も、慎也と沙織は奈来早神社に戻らない。

 本来なら宮司の慎也がいなければ神社が回らなくて困るところであるが、実は美雪が学生だった内に講習を受けて神職の資格を取っていた。一番格下の資格であるが、祈祷をする分には問題無い。


 神社の業務は舞衣と美雪に完全に預けた状態だが、この二人は恵美に対しての怒りを隠さない。その恵美を連れ戻すために必死になっている慎也に、あまり面白くない様子で、帰った後が非常に怖い…。

 祥子と早紀が何とかなだめてくれていると、杏奈・環奈から沙織を通じての電話報告だった。


 慎也は、岩戸隠れの話からヒントを得て、取り敢えず、太陽光で試してみた。が、やはり無理。

 太陽電池の様に、日の光に当てておいてはどうかとの沙織の意見で試してみたが、夜になってそれで試してみても無理…。

 翌日の十八夜も、色々試してみたが、やはり…。


 異界の門が開けるのは、満月とその前後三日の七日間だ。一旦諦め、その翌朝早く、沙織と赤ちゃん美月と共に自宅に戻った。


 帰宅すると、やはり、舞衣と美雪の視線が痛い…。祥子と早紀が、それを横目で見ながら苦い顔をしていた。賢い杏奈と環奈は、早々に学校へ逃亡していた。

 これは、今晩は、大変な夜になりそうだ…。

 そして、次に異界の門が開ける来月までに、恵美のことも何とかしなければならない…。


 もはや慎也は、溜息も出ない……。




 昨晩の夜の営みで、必死になって何とか舞衣と美雪の御機嫌を回復させるのに成功した慎也…。翌日からも、尾張賀茂神社から借り受けた古文書を前に考え込んでいた。

 だが、舞衣の前では、その姿を絶対に見せないように気を使った。また機嫌が悪くなると大変だからだ。


 美雪に関しても同じようにすべきかもしれないが、彼女には、そうも行かない。なぜなら、彼女の持つ特殊能力に期待したから。

 …透視の力で、何とか黒くなった部分に書いてあることが読めないかと。


 ブツブツ言いながらも見てくれた結果は、残念ながら…。ただ、判明している「麻」という文字のすぐ下に、続いて何か記されているように見えるとのこと。

 よくよく見てみると「石」と「麻」の字は、微妙に麻のほうが小さい。これはつまり、麻で単独の字ではなく、文字の一部かもしれないということだ。

 だとすると、麿とか魔とかいう候補が出て来る。


 石と、麿…。思い浮かんだのが、石上麿足いそのかみのまろたり。…竹取物語の登場人物だ。

 となると、月と関係が出てくる。竹取物語には石作皇子いしつくりのみこという名前も登場する。こちらも「石」。


 これは!と思い、竹取物語を読み返してみたが…。

 帝が不老不死の薬を焼いた最も高い山を不死山と呼ぶようになった。つまり富士山の名前の由来で、鏡に関してのヒントは得られない。

 富士山は異界の結界の一つであり、古文書の人魚が不老不死とのことで話のつながりが無くはないが、異界に行く方法が得られなければ意味が無いのだ。

 元々、この黒い部分にそんなことは書かれていないのかもしれない…。



 赤ちゃん美月の方は、元気に育っている。

 妻たちは、誰の産んだ子であっても分け隔てしない。美雪と早紀は別だが、他は一緒に神子かんこを産み育てた仲なのだ。

 家事担当であり、一番小さい子の母親でもある沙織が美月の面倒を見ることが多いが、他の妻たちも決して邪険にはしない。

 そして、これは、子供好きの美雪も同じ。また、子供好きでは無いが何故か子供に好かれる早紀も同様だ。




 十一月十二日。

 陰で頭を抱えながら過ごした、暗い一ヶ月弱。今日は旧暦十五日。夜には満月が上がる…。

 慎也は、朝から沙織と一緒に尾張賀茂神社に来ていた。

 しかし、何か分かったわけでは無い…。


 舞衣も嫌な顔をせずに送り出してくれ、美雪も神社祈祷番を引き受けてくれた。

 ただ、二人とも「喜んで」ではない。「呆れ顔で」、である。

 まあ、元々舞衣に隠し事など出来ない。彼女は心が読めるのだ。慎也が何をしているか、何を考えているか、全てオミトオシ…。その上で許してくれるのだから、慎也は頭が上がらない。

 美雪は、最初から恵美に対して怒っているのであり、慎也に怒りをぶつけるのは筋違いだと考えていた。慎也はお人好しが過ぎると呆れていたのだ。



 尾張賀茂神社の社務所。

 借りている部屋で、慎也は只管ひたすら古文書と神鏡を見詰めていた。


 今夜は満月。あれから一ヶ月経ってしまった。どうすれば恵美を異界から連れ戻せるのか…。


 一ヶ月間つきまくっている溜息を、またつき乍ら庭を見る。

 庭にはザクロの木が、重そうに実を着けていた。


 この神社は何故かザクロの木がたくさん植えられている。

 ザクロは、実の中に種がぎっしり詰まっていることから、子孫繁栄や子宝の象徴ともされる。神子かんこに関わる神社なので、「子宝」ということで植えられているのだろう。

 奈来早神社にもザクロの木があるが、恐らくこれも同じ意味合いからだ。


「慎也さん、休憩しませんか?」


 時刻は午後三時。沙織が、コップに入れた赤い飲み物を持ってきた。


「この神社、ザクロの木がいっぱいあるでしょう。その実でジュースを作ってみました。

 知ってます?ザクロって女性ホルモンが含まれていて、肌が綺麗になるんですって!」


「え~。じゃあ、俺が飲んじゃったら、女の人みたいになって、夜のアレが出来なくなっちゃうかもよ~」


「嫌だ~。それは困る~!」


 沙織は笑った。

 慎也も、ホルモン云々の話は知っていた。そして、実際にはそんな成分はごく僅かで、効果はあまり期待できないということも…。

 まあ、女性は期待を込めて飲んでいるのだから、それを否定してしまうのも無粋というものだ。沙織もジュースを引っ込めないということは、効果を完全に信じているということでも無いのか…。


 目の前に置かれた赤いジュース。まるで、血を薄めた様だ。

 考えてみると、パックリ割れるザクロの実は不吉にも感じられる。子宝の意味合いもあるとはいえ、こんな木をこの神社は何故こうもたくさん植えているのか…。


 ジュースをこぼして古文書を汚すと大変なので、慎也は鏡と古文書を別の机に置いた。

 血の混じったような色の液体を、喉に流し込む。


 酸っぱい!


 顔をしかめた慎也を見て、沙織が再度笑った。


「目が覚めるでしょ~!」


 彼女も味見済みらしい。

 ゴクゴクッと飲み干して、コップを置く。


 ふと、隣の机に置いた古文書を見る。

 開いている部分は黒く変色したところ…。まるで、何かの汁を誤ってこぼしてしまったようだ…。

 酸味の強いザクロの汁がついても、長い年月が経てば、こうなってしまうかもしれない。


 ザクロの汁…。

 石…。麻…。鏡…。


 慎也の頭の中で、バラバラのパーツが組み合わさり始める気がした。


 ザクロ…。石…。磨…。鏡…。


 ザクロは漢字表記で石榴……。

 石榴ざくろ…。磨く…。鏡…。


 慎也はハッとして、鏡を取った。


 今まで、鏡の模様の部分しか見ていなかった。しかし、これは鏡の裏だ。鏡の表は反対側。何もないツルツルの方。

 慎也は、その表側を凝視した。


「分かった!!」


 行き成り上げられた慎也の大声に驚き、コップを片付けようとしていた沙織は、思わずそれを取り落としそうになった。


「分かった、分かったよ!! 沙織さん、有難う! ザクロだよ!

 だから、この神社には、こんなにもザクロが植えられていたんだ!」


 沙織は訳が分からず、ただ目を丸くしていた…。





 夜。皆が尾張賀茂神社に集められていた。


 社務所前の庭。空には煌々と満月が輝いている。

 これから、慎也による謎解きの開始だ。ぶっつけ本番だが、彼は自信があった。


 尾張賀茂神社御神体の神鏡を持ち、皆の前に差し出す。


「はい、皆さんの目の前にある、これは何でしょう」


「鏡じゃな」と、祥子。


「その通り。鏡です。天の岩戸隠れの際、天照大御神は鏡に映った自分の姿に驚いて扉を開けました。つまり、鏡とは、姿を映す為の物です」


「まあ、当然よね…」と、舞衣。


「そう、当然です。しかし、俺たちは、この鏡の裏の方しか見ていなかった。鏡の表はこちらなのです」


 慎也は模様のない平面側を向ける。

 博物館などでも、銅鏡というと、三角縁神獣鏡とか何とか言って、この模様側で展示してあるから、どうしても裏側を見ていた。


「どうです。これは鏡です。が、映りますか?」


 舞衣が鏡面を覗き込む。


「い、いや……」


 曇ってしまっていて、何も映らない…。


「そう、銅鏡は、定期的に磨かないと映らないのです。古文書の中の麻という文字は、『磨』。そして、石はザクロの漢字表記、『石榴』。あの黒く変色した古文書は、恐らく石榴ざくろの汁が付いたもの。銅鏡は石榴の汁で磨くものなのです」


 江戸期の銭湯の入口はザクロ口と呼ばれた。これは熱気が逃げないように小さく作られていて、かがんで入らなければならなかったことから…。

 「屈んで入る」と、鏡を磨くのに必要、つまり、鏡に必要「鏡要かがみいる」を掛けて、ザクロ口と呼んだのだ。

 ザクロで鏡を磨くということは、銅鏡を使用していた頃には、よく知られた事実だった。

 しかし現代ではガラスの鏡で、頻繁に磨く必要は無い。多少曇ったって綺麗に映るからそんなことに考えが及ばなかった。

 祥子がいた仙界も、何故か銅鏡でなくガラスの現代のモノに似た鏡が使われていて、平安時代人の祥子も知らなかった。まあ、仙界にはザクロが無かったから、銅鏡が有っても、そもそも磨けなかったかもしれないが…。


 慎也は祥子に頼んで、ザクロの実を一つ、念力で採って貰った。

 ザクロの実から果肉部分を出して白い布にくるみ、潰して汁を出させて、鏡の表面を入念に擦ってゆく。

 やがて表面の曇りが取れて、鏡面が綺麗に輝きだした。


「ほら!」


 慎也が差し出す鏡。確かに映る!


 早速、慎也は月光を反射させて五芒星を描いた。

 即座に白い光の壁が現れる…。


 異界の門の、出現だ!!

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