第44話 帰れない!1

 ―― 童島での残酷な事件より、一カ月ほど前のこと ――


 鬼ヶ島の月影村には、少し寂しい雰囲気が漂っていた。

 それは、三年近く村の改善指導にあたっていた恵美が「帰る」と言い出したからだ。


 村は、目を見張るように豊かになっていた。恵美は十分に務めを果たしたし、三年掛かりで出産もした。

 産まれたのは女の子。恵美にとって第二子であり、慎也との間の「普通のヒト」としての子。    

 そして女の子ということは、女系で家を継いでいる尾賀家の後継者となる大切な子だ。

 このまま、この子を妖界に留め置くことは出来ないし、出生届をして、戸籍も作らなければならない。

 既に生まれて一ヶ月経過しようとしているが、こちらの世界の成長速度は人界の三分の一。だから、まだ生まれて十日分くらいしか成長していないことになる。

 亜希子に頼めば届けに必要な書類操作など、どうにでもなるし、問題は無い。


 宣言から三日後の、十月十四日。満月。

 夜にも拘らず、村人全員が神社に集まった。恵美と、その子「美月」の旅立ちなのだ。


 「美月」。そう、舞衣の後輩の名前……。

 身籠った神子かんこが流れて、クイに惨殺されてしまった細田美月。

 彼女の霊は、流れた神子の霊と共に、この月影村「一の神子館かんこのたち」に封印されている。

 恵美は我が子に、彼女の名前を貰って付けていた。


 その赤子の美月は、恵美の隣でトヨが抱いている。

 居並ぶ鬼たちも神子たちも、泣き出しそうな顔をしていた。


「なによ~、みんな! ここには、異界を繋ぐ神鏡があるのよ~。私の方から来ることは出来なくても、あなたたちは人界に来れるんだから~、たまに遊びに来れば良いことじゃない~」


「行って、よろしいのですか?」


 アマがいぶかし気に問う。


「今更、何言ってるのよ~。あの時は、散々私たちを襲いに来たくせに~。他の人間に見つかるとヤバいけど、慎也さんの所ならオッケーよ~。いつでも、いらっしゃ~い。

 あ、でも、あなたたちはダメよ~。元々寿命が短いのだから~、人界に来ると更に早死にしちゃう~。会いたくなったら、迎えをよこしなさ~い。会いに来てあげるから~」


 途中から娘の神子かんこたちに向きを変えて言うと、神子たちも嬉しそうにうなずいた。


「じゃあ、そろそろお願い~。遅くなると~、あっちは夜の営みの時間になっちゃうからね~」


 軽く握った左手に右人差し指を突っ込む怪しいジェスチャーをしながら笑う恵美に、苦笑しながらアマがうなずいた。

 恵美は、トヨから美月を受け取って抱いた。


「では、恵美殿、開きます」


 アマが神鏡をかざす。月光を受け、五芒星を描いた。


 白く光る壁状の入口、門が…。

 いや…。小窓? ……小さい。


「ちょ、ちょっとアマちゃん、これじゃあ、美月しか通れないじゃないの!もっと、大きいの出してよ~!」


 アマはあわてた。

 何も変なことはしていないはず。今まで通りの作法だ。これで、人が十分通れる大きさの白光の門が出現するはずなのだ。

 なのに、何故こんなに小さいのか…。


 今日は満月だ。月の光は十分に満ちている。かつて、こんなことは一度も無かった。大きく開かない原因が分からない。

 それに、この小さな異界の門は、ちゃんと人界につながっているのか?


 アマが、白い小窓に右手を入れてみる。反対側を恵美が確認すると、アマの手は出ていない。

 突っ込んでいるアマの手には、木の葉が触れた。それを、プチッと千切って手を抜いて見ると、手の中にあったのはアジサイの葉。妖界には生えていない物で、確か慎也の家の庭にあった物…。


「繋がっているようですね…。でも、これは…」


 そうこうしている内に、その白い小窓はスーッと消えてなくなってしまった。


「ちょっと、ちょっと~! 何の冗談よ。どういうこと、これ~!」


「わ、分かりません。鏡を変えてやってみます」


 さっき使ったのは、大婆の鏡だ。村長むらおさの鏡を借りてやってみると、今度は全く開かない。

 ならばと、本来使ってはいけないことになっている神殿安置の鏡を試しても開かなかった。


「大婆様の鏡で、もう一度やってみます」


 アマは、再度月光で五芒星を描く。

 直ぐに白い小窓…。先ほどと同じ大きさだ。


「な、何よこれ~! 帰れないじゃない、これじゃあ! なんとかしてよ~」


「な、なんとかと言われましても……」


 そうこうしている内に、また消えてしまう。そして、消えた時間は、さっきより明らかに短い。一度目が三分ほど。二度目は二分弱か…。


「も、もう一度!」


 再度、アマは神鏡を翳した。


「待った!」


 恵美が止めた。

 二度目は一度目より明らかに早く消えた。恐らく三度目は更に早くなる。そして、もう開かなくなってしまうかもしれない…。


 帰れない。もう、人界には帰れない…。

 自分は仕方ない。しかし、この子は…。

 美月だけでも…。


 恵美は紙と筆を持ってこさせた。紙に、走り書きする。


………

 恵美です。この子の名前は美月。私の産んだ子です。尾賀家の後継者となる子です。亜希子さんに頼んで、戸籍を作って下さい。私の私生児として、父親名は空欄で結構です。

 神鏡の力が弱まり、異界の門が小さくしか開かなくなりました。たぶん、開けるのは後一度くらい。私は、もう帰れません。この子をよろしく。

 ………


 恵美は書いた紙を我が子に握らせた。


「アマちゃん、お願い!」


 アマは頷いて、月光で五芒星を描く。

 開いた白い小さな異界の門。恵美はそこへ、わが子をスッと入れた。そして、恵美が手を抜いた瞬間、門、いや小窓が消失した……。

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