第40話 人魚のナナセ1

 河童の住む童島の、直ぐ隣。距離にして一キロメートル程離れた位置に、人魚が住む「神島」がある。

 面積は童島と、ほぼ同じ。

 ここに、十二人の人魚が住んでいた。


 人魚がどこで生まれた種族なのか、不明だ。

 この妖界で生まれたのか、あるいは河童や鬼と同じように人界で生まれて移り住んで来たのか。はたまた、更に別の異界から来たのか…。これは誰も知らない。

 ただ人魚は、人界と妖界を道具も使わずに行き来できる特殊能力を有していた。

 もっとも、この能力を全ての人魚が持っているというのでも無い。五百歳を超えた人魚のみが持つ能力だった。


 五百歳…。


 そう、人魚は超長生きだ。その寿命は個体差があるが、優に千年を超える。

 現在、一番年長の人魚は千八百三歳。最年少でも百一歳だ。

 決して不死なのでは無く寿命はあるのだが、長過ぎる為に、人魚を知る他の生物からは不死の存在と思われている。


 そして、傷を負っても、その傷は見る間に治癒してしまうというトンデモナイ能力も併せ持つ。たとえ首を切断されても、『人魚の急所』とされる部分さえ無事であれば死ぬことは無いし、再生してしまうのだ。


 この自己修復の能力は異様に長い寿命と一体のモノであり、人魚が生まれながらにして持っているモノ…。

 どうやら、この能力をどれだけ使うかで、その後の寿命が多少変わって来るらしいのだが、元々千年以上の長命なのであるから、それほど気にするようなものでも無い。


 更に、だ。人魚は、年を経るにつれて他の能力も獲得して行く…。


 百歳程で、他の者が行使する金縛りを無効にする力を得る。

 百五十歳程で、金縛りを行使する力。

 その他、個体差もあるが、治癒や透視の能力を得て行く者もいる。

 そうこうして、五百歳を超えると異界出入りの力も得るのだ。



 ところで、人魚には性別が無い。

 外観は、ヒトの女性とほぼ同じだから、全て女性という表現をして良いのかもしれない。

 見た目では、ヒトとは手足に水掻きがあるのが違うだけ。脚も、ちゃんと二本あって、下半身が魚だなんてことは無い。速く泳ぐ為に足に大きなヒレを装着することがあり、人界でヒレを装着した姿をヒトに見られ、人魚の下半身は魚のようになっていると錯覚されたらしい。

 また、人魚は皆、美女だ。若く美しいヒトの女性の姿かたち…。そして、皆、顔がよく似ているというか、全く同じ…。

 これは、人魚が単為生殖することによるものである。


 人魚の生殖は独特だ。自分たちだけでは生殖できず、他の生物の力を借りなければならない。

 まず、他の生物のオスと交わる。その精子を受けることで排卵が促される。

 受精が目的でなく、排卵を促す為だけなので、相手はヒトでなくても問題無い。が、容姿がヒトの美女と同じなのであるから、ヒトの男性が相手になるのが普通であるし、それが一番手っ取り早い。


 精子の刺激を受けると、すぐ卵が成熟し、排卵する。ただ、この卵も、外に生み出してしまっては成長しない。他の生物のメスの体内に産みつけ、育ててもらう。つまり、托卵するのだ。


 こちらはオスと違い、どんな生物でも良いとは行かない。同じくらいの体格の生物でないと母体が持たないというのが理由…。

 一番相性が良いのは、やはり、ヒトだ。

 だがこれは、なかなかハードルが高いと言って良い。なにしろ、その対象と交わって産卵管を子宮に刺し込み、排卵しなければならない。

 つまり、レズ行為を受け入れてくれる女性を探さなければならないし、子宮内―膣内では無い―に産卵するのであるから猛烈な痛みを伴うのだ。


 外見が飛び切り美しい人魚の事であるから、女性の方も、受け入れてくれる相手が皆無でもない。

 しかし、やはり女同士の行為に抵抗が無い者というのは少数派だろう…。

 もっとも、いざとなれば、金縛りで相手の動きを封じて、同意なしで無理やり行為に及ぶことも可能ではあった。


 托卵を受け入れた女性―もしくはメス―は、行為時の猛烈な痛みと共に、命がけの出産を強いられることとなるから、堪ったものでは無い。

 産卵から一ヶ月で成長し、出産となるのだが、人魚の子供は、半々の確率で無事に産道から正常に生まれてこずに、妊婦の腹を引き破って出て来てしまうのだ。元気の良い子ほど…。

 人魚の産卵管から分泌される粘液は、傷を一瞬で修復する力を持つ。それに、手をかざして傷を治癒させる力を持つ人魚もいる。

 だから、出産時に近くに人魚が居れば、治療は可能だ。どんなに酷い傷でも、傷に関しては、すぐに完治してしまう…。


 しかし大抵は、腹を破って出て来た恐ろしい赤子とブチマケラレタ自らの内臓を見て、ショック死してしまう。そうなると人魚には手に負えない。つまり、約五〇パーセントの確率で、妊婦は死んでしまうことになるのだ。


 まあ、そんなことを明かさずに産卵してしまえば、あとは母体がどうなってしまおうと、彼女ら人魚の知ったことでは無いのだが…。


 人魚の赤ちゃんの成長は、体が成熟するまでは、宿主となった生物と同じ速度で進む。ヒトが宿主であったのであれば、おおよそ二十年と少しまでの成長は、ヒトと同じ。

 ただ、その後は一旦成長が止まり、以後はそのままの状態が保たれる。つまり、若い体のまま、老けない。

 そして、千年を超える長い寿命が尽きんとすると急速に老化が始まり、老化開始から一年経たずに死んでしまうことになる。


 寿命が長い分、子供を産みすぎると増えて大変なことになるので、一人が死ぬと一人が生殖行為をするという風にして、現在十二人の人魚が存在する。

 この中の最年少が、百一歳のナナセであった。

 整った美しい顔立ちは、どの人魚も共通。年を経ても変わりなく、皆同一となれば、顔だけでは見分けがつかないことになる。だが、髪・肌・目の色は、母体となったヒトに似るため、区別が可能であった。


 ナナセは、美しい亜麻色の髪。目の色は栗色。肌は抜けるように白かった。

 昨年百歳となり、金縛り無効の力を得た。

 一人死ぬと一人生殖行為をする…。まもなく寿命を迎えそうな人魚が一人いて、それが亡くなると、若い人魚が人界で生殖をすることになる。

 ただ、金縛りを使えるようにならないと、危険が伴う。よって、金縛り能力を得たものの中での最年少者がすることが慣例になっていた。


 ナナセはまだ、それに達していない。だから、百五十四歳になっている姉のナナミが、次の生殖をすることになるのは、ほぼ決定事項だ。ナナミの次は、他の人魚の寿命を考えると多分、ナナミの子が生殖行為をすることになるであろう。

 それで良かったと、ナナセは思っていた。

 人界には行ってみたい。見たことも無い世界を見てみたい。だが、他のモノと交わるなんてことは、絶対イヤだ。


 ……私が体を許すのは、銀様だけ……


 そう彼女には、好きな者がいた。

 そして、もう、四年に渡って、その相手と濃厚な肉体関係を繰り返していた。

 その相手は、河童の銀之丞。ナナセの母親であるリナの、お気に入りの料理人だった。



 河童は人界で滅亡しかかっていた種族だった。それを人魚が救出し、妖界の、自分たちの住んで居る島の隣島に住まわせた。河童は人魚に多大な恩があるのだ。

 その恩は、過去のものだけでない。河童が子を産むには人界へ戻る必要がある。それに関しても、人魚の能力を借りなければならない。河童は人魚が居なければ滅亡してしまうのだから、河童にとって人魚は神のような存在だ。その恩に報いるため、河童は人魚のお世話をしていた。

 この「お世話」は、最初は河童の方からの申し出だったが、時代が下るにつれ、税の様な、河童の義務になってしまった。

 今では、御殿の建設から衣類・調度品、毎日の食材調達はもちろん。三度の食事の調理、給仕も河童の仕事だ。

 銀之丞は、その調理人だったのだ。

 彼は河童の村主すぐりの、弟の息子。御曹司治太夫の、従兄弟いとこになる。村主の一族であっても、働かなければならないほど、人魚のお世話は河童にとって大きな負担になっていた…。


 ナナセと銀之丞の出会いは、リナの御殿での食事会だった。

 贅沢なことに、人魚は、一人一人別の御殿に住んでいる。更に、それぞれに世話係がいて、専属料理人もいた。


 母親に招かれ、姉のナナミも一緒の三人での食事会。そこでナナセは、銀之丞と出会った。

 そして、一目で恋に落ちてしまった…。

 当然、声を掛けたのはナナセの方から。使用人の銀之丞から話しかけるようなことなど、もってのほかだ。

 銀之丞も、ナナセの美貌と素直で優しい性格に引かれた。

 二人は、直ぐに恋仲になった。


 だが、これは、許されない恋…。他の人魚にも河童にも知られてはいけない。

 だから、二人は神島では親しい素振りなど一切見せない。

 二人が会うのは、銀之丞の休みの日。場所は童島の西はずれにある舟小屋だ。

 この舟小屋は、銀之丞の家の所有。そして、近くに河童は住んでいなく、近寄るモノは殆どいない。逢引きにはもってこいの場所だった。


 ナナセは銀之丞から、河童の苦しい暮らしを聞いていた。

 考えてみれば、確かに自分たちの生活は贅沢過ぎる。何から何まで河童に頼り、それを当然のことと思っていた。もう少し、河童の負担を減らしてやるべきでは無いか…。そう考えるようになっていた。

 しかし、他の人魚に話しても、ヒヨッコの言うことなど聞いてもらえるはずもない。


 それに…。

 そもそも、無理なのだ。人魚の肌は乾燥に弱く、陸上には一時間ほどしか上がっていられないのだ。


 今の島の贅沢な施設は、人魚が陸上で生活するための施設であり、御殿内は常に湿度百パーセントに保たれている。この施設なくしては陸上生活出来ないし、人魚ではこの施設を維持できない。

 河童の手を借りないということは、海の中での生活に戻るということだった。

 だが、贅沢な陸上暮らしに慣れてしまって、今更それを放棄出来なかった。


 陸上での全てを放棄しなくても、河童の負担を軽減することは可能だろう。一人一御殿でなくても良いはずだし、食事も皆、一緒にすればよい。その他、自分で出来ることは可能な限り自分ですればよい…。

 と言うのは簡単ながら、実行となると簡単には行かぬモノ。そして、どうしても様々な場面で障害になってくるのは、通常では一時間しか陸上に上がっていられないということだ。


 ナナセは、これを何とか出来ないだろうかと考えた。そして、肌を鍛えれば、多少、陸に上がっていられる時間を延ばせるのではないかと思った。

 彼女は、それを自ら実践してみた。岩の上で日光に当たり、肌を鍛えるのだ。


 この無謀ともいえる思い付きの発想、驚いたことに案外有効であった。

 人魚は日光に当たっても日焼けしないので外見上は変わらないし、徐々に体が慣れてきて、今では二時間くらい、通常の陸上にいても平気になったのだ。

 そうすると、銀之丞と逢引きするのにも便利だ。もっと大丈夫になれば、銀之丞と島の内陸部にも出かけてみたい…。

 当初は「河童の為に、自分のことは自分で出来るようになりたい」と思って始めた日光浴だが、別の思惑も加わり、彼女はさらに積極的に行うようになっていた。



 その日も…。

 銀之丞との約束時間の二時間前。ナナセはいつものように、童島の岩場に上がった。

 そして全裸のまま、日光浴を始めた。

 一時間日光浴し、一時間水の中で体を休め、それから銀之丞と会うというのが彼女の逢引き時の行動パターンであった…。

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