第31話 亜希子の秘密3

 「事故」…。


 あの日。何があったのか……。


 当事者の二人が共に死んでしまい、目撃者が居ないので、詳しくは分からない。

 その当事者というのは、優子の母と、亜希子の母。

 亜希子の母が、自分から用も無く本宅へ出向くことは考えられない。おそらく優子の母に呼び出されたのだろう。呼び出された理由は、多分、優子が妾宅へ出入りしていたのがバレたから。

 優子の母は、嫉妬深い女性であり、夫の妾である亜希子の母を憎悪していた……。


 優子は、小学校四年の時に妹がいることを権兵衛から知らされた。そして、たまに遊んでやって欲しいと頼まれたのだ。

 これは、亜希子がいつも独りで寂しそうにしているのを不憫に思った父からの依頼。

 それには、一つ重要な条件が付いていた。優子の母には絶対に内緒でという…。

 優子は最初戸惑とまどったが、妹は欲しいと思っていた。妾宅が通学路の途中であったのも都合がよかった。時々寄って、亜希子と遊ぶようになった。


 すぐに二人は打ち解けた。

 亜希子の母は、そんな二人を優しい笑顔で見守り、手作りの美味しいお菓子を用意し、優子の帰りが遅くならない様にも気を使っていた。

 中学に入ると妾宅は方向違いになったが、それでも時々、優子は亜希子のところへ来ていた。

 だが、それが、ついに優子の母親にバレてしまった。


 「事故」が起きたのは、その翌日のことだ。

 本宅の階段から、二人がもつれながら転げ落ちた。

 すぐに家政婦が救急車を呼んだ。しかし、二人とも打ちどころが悪く、そのまま亡くなってしまった。

 本妻と妾が、同時に階段から落ちて亡くなる…。こんなことになると、真相はどうであれ、妾が悪者にされてしまうのは有り勝ちなこと。公には「事故」とされたが、「妾が本妻を突き落とそうとしたのだ」という噂がまことしやかにささやかれた。

 そんな中、独りきりになってしまった亜希子は、本宅へ引き取られた。

 当然、冷たい視線にさらされる。

 唯一、力になってくれるはずの父親は、仕事の関係で留守がち…。


 この不遇な亜希子を、一人で守ってやっていたのが優子だった。

 自分も母を亡くしてしまったが、世間の根拠のない噂には大いに反発した。


(いつも優しい笑顔を浮かべていたあの人が、人を突き落としたりするはずがない!)


 優子は曲がったことが大嫌いな正義感の強い子だった。


 姉は妹をかばい、妹は姉を慕う…。

 母は違っても、二人は仲の良い姉妹であった。

―――――



 事故という亜希子の言葉に、優子が反応した。

 噂では、妾が本妻を突き落とそうとしたとされるが……。


「私のお母様も、あなたのお母様も、あの死は事故だったってことになってる。階段から誤って落ちたって…。

でも、多分違う!私のお母様が、あなたのお母様を突き落とそう…」


「姉さん! その先は言っちゃダメ! 事故よ!事故なの!」


 そう、恐らくは噂と逆。本妻が妾を突き落とそうとして、過ってもつれて二人とも落ちたというのが真相だろう。

 本妻の実家も、それなりの家であり、噂に関しても、その家名に傷をつけない為ということで流されたのかもしれない。


「まあ、事故と言えば事故よね。二人ともってのは……。

どの道、私たちは同時にそれぞれの母親を亡くした。二人だからこうなったのよ、一人なら、こんなことになってない」


 当事者である権兵衛が項垂うなだれる。

 この状態は、男として居た堪れないだろう。妻も妾も同時に亡くした当人であり、妾を囲った以上、彼に責任がある。

 優子と亜希子は、決して権兵衛を嫌ってはいない。二人にとって、権兵衛は優しく尊敬できる父親だ。だが、母のことを考えると、やはりわだかまりが全く無いとは言えない。

 その父親を一瞥して、亜希子は話を戻した。


「姉さん。確かに、母さんは、隠れるように暮らしていて、傍から見て惨めだったのかもしれない。でも、私は、そうでもなかったのよ。私には、姉さんが居たから!

姉さんは、いつも私の近くに居て、いつも味方で居てくれた。

姉さんの母様が亡くなった後でさえ、姉さんは私を、妹として可愛がってくれて一人で私を守ってくれた。普通なら母親の仇の子と突き放すところでしょうに……」


 亜希子は優子の右手に、自分の両手を添えた。


「姉さん。本当に有難う。感謝してます。

そして、ね。沙織さんにとって、私の姉さんのような存在が、舞衣さんはじめとする、この皆さんよ」


 右手を大きく広げ、居並ぶ舞衣たちにかざした。


「鬼との闘いに、まさに命を懸けて挑んできた同志。

正妻である舞衣さんは、妾だなんて言って卑下することは絶対にしない。いつも優しく包み込んでくれる。

みんな、それぞれ、得意分野を受け持って、認め合い、五年間、協力し合って暮らしてた。いつも仲良く、笑い合ってた。とっても素敵な関係よ。これの、どこが不幸なの? この関係を壊すことの方が不幸でしょうに。姉さんは、自分の娘を不幸にしたいの?」


「お母様、私は慎也さんたちの元に戻りたいです。許してください!」


 沙織が優子の前に進み出て、頭を下げた。

 優子はその沙織をジッと見詰め、しばらくそのまま黙ってしまった。


 沙織は顔を上げる。

 二人は見つめ合い、目をらさない。

 沈黙が続く……。


 その沈黙を破ったのは優子。

 優子が、毅然きぜんとして口を開いた。


「ダメです! 山本家の娘が妾だなんて、あり得ません。貴女あなたのようなフシダラな子は、私の娘とは思いません」


「そ、そんな、お母様……」


 沙織は、泣き出しそうな顔をする。

 優子は構わず続ける。


「違います。私は、貴女のお母様ではありません。貴女は、山本家の娘ではありません。知らない子です」


「お母様!!」


 沙織の両目から流れ出た涙が、ほおを伝った。

 しかし、やはり優子は表情を変えず、言い放つ。


「しつこいですよ。貴女は、私の知らない子です。知らない子が、妾になろうが何をしようが、私は関知しません。どうぞ、御自由に」


「え……。 そ、それって……。許して頂けるってこと?」


「知りませんったら!」


 優子はプイッと横を向いた。

 呆然ぼうぜんとしている沙織の左右から、杏奈と環奈も顔を出した。


「あ、あの、私たちも……」


「親に隠れてコソコソ不純な交遊している貴女たちのような不良娘も、私の知らない子です。御勝手に」


「お母様!有難う!」


 二人は優子に飛びついた。沙織も、一歩遅れてスッと母親に抱き着いた。


「だから…。知らない子って、言ってるでしょうが……」


 そう言いながらも、優子は三人を抱き寄せた。そんな母娘四人をさらに康市が手を広げて包み、うなずいた。

 権兵衛も満足そうに、何度も頷いた。


 亜希子は優子から離れ、慎也のそばに来て苦笑を向けていた。


「全くもう…。いやね。なんであんなに回りくどい言い方するのかしら。素直に許すって言えば済むことじゃない。

学者だ大学教授だなんてことしていると、性格がひん曲がるのかしらね……」


 慎也は亜希子の言葉で、優子の職業を知った。

 なるほど、素直な表現ではない。だが、ひん曲がっているというのは、当てまらない気がする。どちらかというと、逆に、自分の主張は曲げないと言ったところか…。妾が許せないという主張は取り下げていないのだ。意固地というか、頑固というか、学者的というか、自分が正しいと思うことは、曲げたくないのだろう。

 だからこそ、間違った噂を立てられた妾の子である亜希子に対しても、普通の妹として、いやそれ以上に、悪意から守り、可愛がってきたのだろう。


 こんな優子の心情を考えていると、慎也の頭の中に、この場に居ない一人の女性の顔が思い浮かんできた。

 それは、月影村に行っている恵美…。

 彼女も、素直な表現をしない女性だ。そして、仲間と認めると、何があっても見放さない。自分の危険は顧みず助けに飛び出してゆく…。腹違いの妹を常に守ってきたという優子と、行動も似ているかもしれない。


 それに……。


 今回、沙織たちを引き戻すのに大きな力になってくれた亜希子。この亜希子を、ここまでの味方に引き入れたのは、誰有ろう恵美だ。

 更に、舞衣から管理委託されていた鬼の資料を、亜希子に密かに渡していったのも恵美。亜希子は、今回その資料も活用して優子を説得した。

 全くもって、恵美は底が知れない…。


 沙織たちの様子に、良かった良かったと目を潤ませている舞衣と美雪。それに、長身者同士で手を取り合って嬉しそうにしている祥子と早紀。

 何故かいつもと違う組み合わせになっている彼女らを眺めながら、慎也は恵美の顔を思い出していた。


 全く連絡をよこさないが、彼女は、今、月影村で、どうしているのだろう。


 慎也の脳裏に浮かんでいる恵美の、すました顔。

 その恵美の顔が、笑顔になる。

 そして、慎也に向かってアッカンベーをした……。



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