第2話 娘、襲来(下)
初対面の女子にパパと言われてしまったのだが、まだ聞き間違いの可能性が残っている。
「パパァ? もしかしてそれ、俺に向かって言ってる?」
「他に誰がいるのよ、パパ」
俺は高校二年生で相手は自称高校一年生。客観的におかしい。
「俺、彼女いない歴=年齢の高校二年生なんだけど、それでも俺に言ってる?」
「当たり前じゃないの、パパ」
溜め息をつきながら再び金髪陽キャギャルの全身を一通り眺めて、
「その妄言が事実だったとして、どこをどう見てもまったく娘って感じはしないな。養子?」
でも俺、養子を取るようなお人好しじゃないと思うんだけど、何かの事情で金があまりまくっていて寂しさに震えていたらそういう未来もあるのかもしれない。
「実は記憶の大半がなくってさ。自分の苗字も分からないし、ママに関する記憶もほぼゼロ。パパに関してはそれなりにあるんだけど、だからってそれがパパとの遺伝的な繋がりの証明にならないことぐらい分かってる」
発言内容自体は深刻だが、声音はカラッとしていて悲壮感を打ち払っている。
「だけど、論理とかそういうのを抜きにして、私がパパの娘だってことについてはこれ以上なく確信しているの。それだけは信じてよね!」
そのまま陽キャ特有のボディランゲージに持ち込もうとしたのか、こちらに近付いてきた。
しかし、華奢な手が俺の三十センチ手前ぐらいで止まった。
よくできたパントマイムのように力を込めたり別のところをペタペタ叩いたりし始める。
不審に思ったのか、他の娘たちも周囲の空間をまさぐり始めた。
つられて俺もあちこちに手を伸ばしたり移動してみたりして検証する。
「どうやら、ここに見えない壁があるみたいだな。床をみれば境界線の場所が何となく分かるのは助かるが」
ゲーム部屋の床はフローリングだが、女子たちのいる観客席側は黒い絨毯が敷き詰められている。
フローリングと絨毯が混ざりあって混ぜかけのミルクとコーヒーのような模様になっていた。
そんな現実離れした気持ち悪い領域が、境界線の大体の位置を示している。
長身の女子がやたらキレのいい回し蹴りを壁にぶつけていたが、傷一つ入っていないような気配だった。
「ま、壁のことは後にするとして、他の二人の自己紹介も聞いておきたいところだ。……いや、一周まわって聞きたくない気もしてきたけど」
やる気が減衰していく俺とは対照的に、女子たちは元気一杯だった。
金髪陽キャギャルに代わって、小柄な和装女子が一歩前に出た。
いわゆる姫カットで、立ち居振る舞いからもどこかお嬢様感が漂っていた。
「
着物の細かいことは俺には分からないが、全体的には彼女の名前通りスミレ色を基調とした紫系統の配色となっている。
髪色までそっち系の色だ。
一部が欠けた六角形の幾何学形を基本とした模様が着物に散りばめられ、袖の方には亀甲の中に花の文様を入れた模様がワンポイント的に使われていた。
帯には縞の入った四角形が知恵の輪みたいに繋がった模様が用いられている。
慣れているのか、ぎこちなさを全く感じさせない優雅な一礼だった。
しかし俺はこの手の上級国民的なカルチャーとは無縁の男。
自称娘に挨拶を返すことも出来ない。
「俺、こういう教育するかしないか以前に出来ないタイプだよね? それとも、俺の中にはこういう清楚さというか、気品みたいなものが秘められているってこと?」
「いえ。菫の中でもお父様はごろごろゲームをしている記憶しかありません」
「辛辣ぅ!」
しかし、その言葉は俺にダメージを与える以外の意味も持っていた。
「待てよ。つまり君は、勝ち組の家に生まれた上級金持ち
「ないですね。大体毎日奇声を上げながらゲームをしている黒田禄の自慢の一人娘です」
やたらと「一人娘」を強調していたが、それよりも娘に「大体毎日奇声を上げながらゲームをしている」と評される父親という構図のインパクトの方が大きかった。
話題をずらすために質問を絞り出す。
「ええと、ご職業は?」
「小学六年生をしていました」
小学六年生としては珍しいほど丁寧な口調で返された。
視線を動かし、最後の女子にも職業を尋ねる。
黒のストレートヘア。
肩を出したトップスの上から薄手のカーディガンを羽織り、下は膝丈のスカートに高めのヒール。露出し過ぎず、節度を保ちながらも大人の魅力を出そうとしているように見える。
「ウチは
ちょっと清楚めな今のファッションには少し合わない陽キャテンションの会話で流されそうになったが、踏みとどまる。あまりにも聞き慣れない言葉が混ざっていたからだ。
「しゃく……え、もしかして国際結婚?」
「おぼろげな記憶しかないけど、両親ともに日本人だったはずだよ」
自分より年上、高身長なパリピお姉さんを見て溜め息をつく。
「いわゆるキラキラネームか。一応聞くけど、その両親の片割れって……」
「もちろん、あなたよ。父さん! パパ活してるからパパは掃いて捨てるほどいるけど、父さんは黒田禄、あなた一人しかいないわ」
「娘にパパ活させるとか最低な親父だな! 家計に困ってたらさせそうだけど!」
ヘラヘラした笑顔を崩さず、
「安心して。父さんに指示されてやってるわけじゃなくて、就職前の自主的な一稼ぎってやつよ。パパ活の稼ぎと求人票の月給を比べると真面目に働く気が失せるんだけど。てなわけでパパ活は人脈づくりにも使ってるんだよね。SNSのフォロワーも増えてきたし、それ活かしてワンチャン起業とか」
一般的とは言えないものの、本人なりに一生懸命考えた結果であろう将来の夢を語っていた矢先、笑みが自嘲的なものに変わった。
「ま、それもこれも生きていることが前提の話なんだけど。結構順調だったんだけどな~」
他のやつらからは直接的な情報を引き出せていないが、恐らくこの場にいる全員が一度死んでいるのだろう。
湿っぽい話は後にするとして、
「誠に遺憾だが、そのちょっとクズっぽい考え方は俺のDNAを感じなくもない」
「でしょ~?」
それ間接的に俺のことディスってない?
あ~あ、傷ついちゃったな~。
これには他の娘たちも傷ついているはず……と他の二人にチラチラと視線を向けたが、いかんせん反応が薄い。
思わず質問してしまう。
「子どもなら、親がクズ呼ばわりされると傷ついたり怒ったりしないものなの?」
菫には丁寧に、結二にはざっくりと否定された。
「大の大人がほぼ毎日長時間ゲームをしていたら誰でもクズだと思うのではないでしょうか」
「うんうん。会社にも行かずにさ。小学校の時はクラスメイトたちから色々言われたわ」
満場一致でクズ扱いですか、そうですか。やっぱ子どもってクソだわ。
ニート予備軍の俺が言えたことじゃないけど。
九割ぐらいの確率で俺も親からクズだと思われていそう。
初対面の親をクズ扱いしてくる自称子どもたちとこれからどう接していくべきか思案していると、唐突に逆転の発想が浮かんだ。
この三人の話を総合的にロジックすると、三人の親である黒田禄くんは実家が太くないにも関わらず、会社に行かず毎日家でゲームをしている生活を送っているらしい。
しかも、家族に聞こえるぐらい奇声を上げているということは恐らくゲーム実況をしているのだろう。
しかしながら、子どもたちが金銭的に困窮しているような雰囲気もない(一人だけパパ活しているけど)。
最強か??
稼げるゲーム実況者になるという夢が叶ってやがる!
まあ俺ぐらいの面の皮の厚さになると、経済的なことは全て相方に任せて、ほぼ稼ぎの出ないゲーム実況を続けるヒモ生活を送っているという可能性もゼロではないが、それなら既にクレームが来ているはずだ。
つまり、高確率で稼げるゲーム実況者になっているはずである。
……俺死んでるけど。
そう、当の本人である俺が死んでいる。
これは由々しき問題だ。
これまでの話的に目の前にいる三人の命も失われてしまっているようだが、自分の命の方が優先である。
「まあお前らが本当に俺の子どもなのかどうかってのは大した問題じゃない。俺が死んでいることに比べれば、な」
自称娘たちの冷ややかな視線が突き刺さる。
「ちょっとクズっぽいところがあるパパだとは思ってたけど、ここまでとは思わなかったわ」
「お父様。それをお母様が聞けばきっと涙を流すでしょう。実を言うと、お母様に関する記憶はほぼないのですが、一般的に考えて」
「母さんが泣く以前にウチらが泣くんですけどね……いーんいんいん」
泣く演技が擁護不能な水準だった釈茶に蔑みの視線を投げつつ、
「それが泣き声ってどうなの? 陰キャの俺を煽ってるのか泣き真似が下手すぎるのか」
どうにも調子が狂う。
久々に女子と話すからなのか、状況が謎過ぎるからなのか。
ただ、相手が全員、学校にもそうそういないレベルの美少女だというのに、あまり緊張することなく自然体で喋ることができているように思う。
確証がないとはいえ、家族だからか、それとも死んでいるからか。
「ともかく、問題はこの空間からどうやって脱出するのか、だ。脱出した方がいいのか自体も検討すべきかもしれないが……」
「できるわよ」
随分あっさりと結二が断言した。
他の二人も異論はないらしい。
釈茶が薄っすらと笑った。
「その様子だと、父さんはウチらが聞かされた情報を知らされていないようね」
「ああ。気付けばここにいたからな」
俺の背後を指差して、
「そこにパソコンがあるでしょ? ウチの指示に従って恋愛シミュレーションゲームをやって、ウチの母さんと結ばれれば父さんとウチは元の世界に戻って人生に再チャレンジできるってわけ」
ほーん、そういう話なのね、と納得しかけたところで異論が差し込まれる。
「お父様。この女狐に騙されてはいけません。この売女の説明からは公平性が意図的に消去されています。正確には、お父様が攻略したヒロインに応じて、お父様と攻略ヒロインに対応した娘が生き返るという仕組みの遊興らしいです」
菫の解説が終わると、釈茶が引きつった笑顔で着物の胸ぐらを掴んだ。
「売女って、あんたねぇ……! 顔は勘弁してあげるから、他の好きな部分を言いなさい。そこに一発で手を打ってあげるから」
「ドメスティック・バイオレンスは犯罪です」
「別の世界線の家庭だから適用外だと思いますがぁ?」
「では言い直しますが、そもそも暴行は犯罪です」
なおも睨みあう二人の間に結二が割って入った。
「そんなに自分たちの印象を下げてもいいことないと思うな、私は。せっかくなんだし、もうちょっと仲良くやっていこうよ」
釈茶が手を離して表情を一変させた。
「ちょっと大人げなかったかなぁ。ごめんね、菫ちゃん。結二ちゃんと父さんもごめんね、気分を害しちゃって」
「いえ、菫の方も謝るべきでした。表現選びは技量の問題。己の未熟さを恥じるばかりです」
ワンアクションで争いが収まった。
これが陽キャのパワーか。
或いは、とニコニコ笑顔を浮かべている結二を見て思う。
これが彼女たちの生存競争なのだとすれば、誰とでも仲良くできるいい子アピールなのか。
どうあれ戦いが始まってしまったというのであれば、俺も自分の得意分野の戦いを始めるしかないだろう。
「とはいえ、恋愛シミュレーションゲーム……ギャルゲー全盛期の世代じゃないからほとんど経験ないんだよなぁ」
「そのための私たちの指示ってわけ! 彼女がいないパパでも大丈夫よ!」
ゲーム実況のコメント欄で「あれやれ」、「こっちの方がいい」みたいな指示を大量に出す人たちのことを界隈では指示厨と呼ぶ。
実況者がコメント欄に助けを求めている場合はともかく、それ以外の場合はあまり歓迎されない存在だ。
まあ、それで盛り上がる場合もないわけではないが、自力で進めたい実況者や、実況者の素のリアクションを見たい視聴者などには嫌われる。
変化球として、嘘の情報を教えてそのリアクションを楽しむというタイプのものもある。
また、稀な例だが、あまりにもゲームが下手すぎて指示厨も逃げ出すパターンもある。
それはそれとして、指示厨を前提とした配信はこれまで経験がなかったので気が進まない。
「いや、ギャルゲーってむしろ彼女がいない人向けのゲームみたいなやつだから逆に指示聞かない方がいい説もあると思うが。普通の配信だと指示厨お断りだし」
「パパ! 決めつけはよくないわ! 今すぐ全世界のギャルゲープレイヤーに謝りなさい!」
「すいませんでした」
ここで謝っても届かないだろ、とは思ったが、いつ何がきっかけで炎上するか分からない昨今、謝罪すべき時に謝罪する習慣を身につけておくべきなのだろう。
「てか、一般的な話になるけどさ、お前らはギャルゲーやったことあるの?」
全員が一様に首を横に振った。
薄々分かってたけどお前らさぁ、何でそんなに自信満々だったの?
「やったことないゲームの指示とか出せるわけ?」
「出せます。これは神と自称する存在から与えられた役割……使命ですから」
頭よさそうな菫が真顔で断言したので押し切られそうになる。
「それにほら、恋愛経験豊富で乙女心が分かればゲームも現実も同じようなもんでしょ」
釈茶は軽く言い放ったが、他の二人は尻込みしていた。
高一の結二はまだしも、小学六年生に豊富な恋愛経験を求めるのは酷だろう。
「つっても、ゲームだぜ? おっさんが作ってるゲームだったら女子の乙女心ってやつがどこまで通用するか怪しいけどな。それに……」
俺の生きていた時代とは異なる交通事情を話していた釈茶との会話を思い出しつつ、
「俺とお前らじゃ生きてきた時代が違う。ゲームの時代設定によっては価値観そのものが通じない可能性もあるぜ」
「そこはお互い様でしょ? パパが生きていた時代じゃなくて私たちの時代だったらこっちのもんよ」
胸を張った結二に尋ねる。
「そういや、お前らって何年生まれなの?」
質問してから数秒沈黙が広がる。結二が頭を抱えながら呻いた。
「お、思い出せない……!」
他の人たちの反応を見ても、乙女の重要な秘密を守るための演技って感じではなさそうだった。
むしろ、なぜそんな重要なことすら思い出せないのか、と苦悶しているように見える。
自称とはいえ娘だからか、そういう姿を長時間眺める気にはなれなかった。
「ぐだぐだ言っても始まらねぇ。出たとこ勝負でやるしかないか。気分次第で採用するかもだから、よろしく」
§ § §
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