ガク1
そして何より、獣人文化が深く根付いた大都市ということもあり、八角の匂いを気にしなければ嗅覚の敏感な自分のような奴にも優しい街だ(著者はハイエナと人間の獣人です)。でも長く滞在すると八角の匂いにも慣れるどころか、最早携帯して定期的に吸うようになった。なんだこれ、ドラッグ?
それはそれとして、優しい街だ。
優しい街……うん、優しい街ではある。ちょっと高い店(マクドナルドだけど)で注文頼む時に、頑張って英語で伝えようとすると親身に聴いてくれるし、『スススススマイル、プリーズ』と言ったらぎこちないけどしっかり笑ってくれた。なんたって西欧では、少し上の世代の人と目を合わせるだけで、眉間に皺が寄せられる始末だからね。龍街は個人的にも、心持ち良い街だ。でも、龍街の中心部から西側と、東側の海岸線上に広がる龍寺ロンスーという大寺院周辺は、未だに暗雲が立ち込める雰囲気。
とは言っても西側と東側では全く毛色が違う、西側は貧困層の人間が居住している地域が中心で、東側は獣人の地域なのだ。今回はまず西側での話から始めようと思う。
龍街から西に行く程に、建物は小さくなり道は狭くなる。所狭しと良く解らんカクカクとした文字が看板に張り付けてあって、路上生活者の存在も次第に多くなる。路上生活者の一部はおれを見ると金をせびったり、終いには拝みだす。龍街というのは昔から獣人と共に育ってきた街で且つ、獣人信仰の厚い地域でもあるから、歩いているだけで様々な反応がある。
その中でも飛び切りに目立っていたのは、売春だ。
おれが泊まっていた安宿は、それこそ龍街の西側にあった。共同のスペースが一階にあって、朝起きて一番におれはそこでパソコン開きながら仕事の入りをチェックするのが日課なのである。
その日もおれは悠々とパソコンを開きながら、雑誌に寄稿する予定の写真やら文章やらをまとめていた。そうすると受付で何もせずぬぼーっと座っていた、M字禿げかかっているヒョロガリの若男がこちらに向かってくる。そうしておれの前の席に座って、ぎこちない英語で話し始めた。
「オンナ、イッパイ、シッテル」
「ア~、エ~、ン~、イラナイ」
「イヤホント、オンナ、イッパイ、ツレテイケル」
そんな調子で、お互いぎこちない英語を無理に使いながらの攻防が始まった。おれはそもそも大都市龍寺で、そんな露骨な売春があるとは思ってもいなかったので、ヤるヤらぬ以前に気になってしまった。それ以上に相手がしつこかったのも、ある。
「じゃあさ、何処に売春宿はあんの?」
「売春宿は無い、龍寺に規制されているんだ。でも売ってる女、あと親とか寺とかに直接頼めば、ヤらせて貰えるぜ」
「へー……って」
そう、どうやらこの男が言うことによると、女性に直談判するか、親や寺に頼むことで買春が可能らしい。そしてこの男は、実際にそれを生業としている人の情報を持っていて、こうやって金持ちの旅行者に情報を提供し客を呼び寄せ、女たちの収益の一部を貰っているという訳だ。確かに龍寺では最近売春の規制が厳しく、昔は盛んだったらしいそちらの方面も、中心部ではめっきり鳴りを潜めたらしい。
しかしその混沌カオスも、少し外れた場所では健在。それに加えて親が自分の娘を売るだとか、そもそも寺という宗教施設がそれに関与していると言うのだ。
そもそも、この土地の特有性である『獣人信仰が厚い』というのは、獣人との性交渉が厚いって言うのと同義だ。どうやらこの宗教圏では、そういう性交渉に対しては寛容だという価値観があるらしい。多分ここら辺の思想は、大寺院である龍寺が大きく関わっているんだろうが、まだ自分が勉強不足なので詳しい記述は今後にしておこう。
男に一言「一人買うから、おすすめのコを教えてくれないか」と言うと、なんだかテカテカしている毛の薄い腕をヒラヒラさせながら、おれを宿の外へ誘った。12月にもなると、温暖な気候である龍寺も少し肌寒く感じる。そうして男は宿から出て3分もしない内に、小さく小汚い寺の前で止まった。
「ここの中に入って、『オウの紹介で来た』と言え。そうしたら女が出てくる」
彼はそう言うとおれの背中を湿り気な手で押し、そのまま帰っていった。ここまで来たんなら入ってみないことは無いなあ、と思って煤けた暖簾のれんをよけて中へ入った。中には陳腐な外観にしては大きいお堂があって、誰もそこには居なかった。
「おーい!!オウの紹介で来たんだけどー」
そう叫ぶと奥からドンバンドンバンと、でかい音を出して女……ではなく髭面の腹のでかいオッサンが出てきた。そしておれを一瞥すると、何も言わずまた中に戻ってきて、一人の八角と汗の匂いのする、見た目14歳ほどの女の子を連れてきた。
「アンタ、今日はこいつとヤるのが吉だ。いい日になるぞ。一日1000龍街ドル(大体13,000円ぐらい)」
「ええ、大丈夫なんですか、この子まだ中学生とかそこらでしょ」
「大丈夫だ、さっき占ったから。一日1000龍街ドル」
ええ……『占った』って何だよ……と思いながらも、好奇心だけで大金を支払い、おれはその子と一日を過ごすことになった訳だ。こんなに龍街の深淵へ足を踏み入れることも中々ないし、性欲が無かったと言われれば嘘にはなるが、元より獣人なんて生物は、人間よりも性衝動が激しくなるよう出来ているらしい(だからこういう文化が根付いてるのかもしれない)。
金を支払うと、腹の出た男はついて来いとばかりに手招きをし、おれを寺の中へ導いた。寺の中のお堂はキンッと冷えていて、裸足には大分堪えた。お堂から右手側の隣接している宿のような場所に案内され、そこの二階の部屋の前に立つと「この部屋は200龍街ドル」と言われた。正直不服だったが、ここまで来たら戻ることも出来ないため、仕方なく100ドル札を二枚手渡した。「この女の子連れて外出しても良いの?」と訊くと「街には行くな、あまり目立つ場所で二人で歩いてると疑われるぞ」と言う。「でもまあ、見つかっても獣人と二人なら何も言われないだろう」そう溢して、でかい腹をたぷたぷさせながら、急な階段を下りて行った。
おれと女の子を二人だけになった。どうも気まずい。部屋は二人で寝るにはあまりに狭い気がするベッドと、小さなテーブル、景色なんてあったもんじゃない隣家の住環境が丸見えの窓。一先ず、ベッドに彼女を座らせて話を訊いてみることにした。
「あー、えっと、英語って、解る……か……」
何も理解できてないことが、その瞳から解った。なんだか少し彼女は不機嫌そうな顔をし始めて、何かしら呟き始めた。おれも相手が何言ってるか解らない。こんな時に限って、宿にスマホを忘れていた。あの文明の利器さえあれば意思疎通は可能だとは思うのだが、今は難しい。宿に戻ろうか、とも考えている内に彼女はおれのTシャツを引っ張った。どうやら戦闘態勢(隠喩)に入ったみたいで、滅茶苦茶に服を脱ぎだしている。なにせ若すぎるし、色気が無い。
「待って、待って!!あの、待って!!!」
彼女は上の服を脱ぎ捨てた。なんだか倫理的にアウトな気がして(今更)おれは目を背けそうになったが、結局すぐガン見した。滅茶苦茶細いのだ。なんだか見てるだけでも寒気がするような様相で、あまり食わせてもらって居ないのだろうとすぐに解った。
おれは基本、差別をされる対象ではあるが、それに慣れ過ぎている……というよりもそれが身体の一部のようなもので特に今になっては気にするようなものでは無くなった。それに金銭的にも周りの人々にも恵まれていて、仕事もあって、この子よりも良い生活をしていることは重々承知なのだ。獣人ってだけで殺されるような時代はもう半世紀前には終わっていて、色々考えてしまうことはあるけれども、考えを巡らせる程、心に余裕が出てきたとも言える。
特に彼女に哀れみを覚えたわけじゃなかった、きっと昔のおれのご先祖様も、一生懸命に生きて様々な理不尽も解らなくなるぐらい、忙しくて無知だったはずだ。おれも日々起きる様々な理不尽を、知らぬ間に許容して生きるってものだ。彼女もきっと、同じだとおれは思った。
おれは身体に跨ってくる、硬くて様相に合わないような芳しい匂いを出す彼女の胸に手を押し当てて軽く倒した。そうしてポケットに入った100龍寺ドルを渡した。伝わらないとは解っていたが「ユーマストイートモア!!」と片言で言った。そうして部屋を出た。
すぐに使い切ってしまうだろう金額だし、飯じゃなくてクスリにでも使ってしまうじゃないかと思うと後ろめたかったが、まあそれは彼女の意思だし、そっからはどうでもいいかなと思った。おれが彼女の金の使い道を決めるのは、なんだか癪だった。
ともかく、今も彼女の香りがこの鼻にこびりついて離れない。端的に言えば臭い、腐った八角みたいな匂いだった。もっと発酵してから出直してこいって感じだ。
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