第3話 玉子焼き
★ 玉子焼き
あれから何度もHIVの検査を受けた。
当時は、三週間経過しないと
反応が出なかった。
三週間に一回ペースで
西新宿にあるクリニックに通った。
拓也の担当医の先生が
定期的に受けるように
紹介してくれた病院だ。
拓也がいない今となっては
それすらが、
辛かった。
当時は
陽性と死は
同じ言葉だった。
メディアの知識で
若いながらも色々考えた。
僕はかまわなかった、
拓也のそばに行けるなら。
でも光希や靖浩に怒られた。
この頃の僕は、
まだ自分が同性愛者という
カテゴリーにいるのを隠していた。
隠しきれていたかは微妙だが。
少し疲れきった僕は中央線に乗り、
新宿から東京に出た。
勢いで東京から広島に行く切符を買う。
夏休みを取ってなかったので、
十一月の少し肌寒くなった
この季節に三日間だけの
遅めの夏休みを入れていた。
本当は実家に帰る予定などなかった。
火曜を入れての休みだったので、
最初は光希と
ダラダラ過ごすつもりだった。
光希、ごめん、
ちょっと勢いで母さんに会ってくる。
その頃のメールは
これくらいの文章しか送れない時代で、
短文だけど、
精一杯の感情を綴った。
しばらくすると、
光希から
Good luck!
と返信が来た。
充分光希に伝わったようだった。
新幹線の窓際の席を確保し、
東京の街を見ながら、
灰色の世界を堪能する。
段々に目に見える景色が、
青色と緑色のコントラストに変化していく、その辺りで僕はいつも眠りに落ちる。
イヤホンからたった一枚持ってきた
オアシスがリピート再生されていた。
エンディングをむかえまた
一曲目から始まる、
何度目かのリピート再生の途中で
電池切れの表示が点滅し
ディスクマンが止まる。
止まると同時に新幹線に
乗ってたことを思い出す。
懐かしい色が窓辺に広がった。
まるで過去にタイムスリップした感覚だ。
母ちゃんに会いたい。
素直にそう思えた。
広島駅に着いたがまだ家は遠い。
ここからまたバスに乗り
呉に着くまでにはまだまだ長旅だ。
拓也にも見せたかった景色だ。
拓也の実家は長野だったので、
海はない。
その代わり、
二人で軽井沢にキャンプに行った。
海が見渡せる僕の実家にいつか
絶対連れてくな、
よく言っていたな。
ごめんな、叶わなくて。
海が見えた頃、バスを降りた。
家まで歩く途中で、
携帯から母ちゃんに電話をかけた。
二、三回のコールで
久しぶりの母ちゃんの声を、聞いた。
母ちゃんの声は瀬戸内海の潮風のように
暖かく優しく心地良かった。
不覚にも涙が出た。
しばらく嗚咽した後、母ちゃんが言った。
千尋か?
呉にいるでしょ?
帰っておいで、待っとるから。
母親って凄いなと実感した。
ありがとう。
今から帰るな。
その夜、
母ちゃんにカミングアウトをし、
東京に出てから拓也と出逢い、
拓也を見送るまでの日々を全て話した。
もちろん、
僕がHIVに感染してるかも
しれないという現実も。
母ちゃんは涙を堪えてた。
千尋の人生、
千尋が幸せなら母さんそれで、
大満足だよって。
気づいてたけど、
いつか話してくれるまで待っとった。
そう言って、微笑んだ。
僕は泣きじゃくり、疲れ果て、
まるで子供に戻ったように、
そのまま母さんの隣で
眠りについてしまった。
その夜、
母ちゃんはきっと
泣き腫らしたんだろうな、
翌朝瞼が開かないって
笑いまくってた。
母ちゃん、今日ブスだね。(笑)
朝ごはんに僕の大好きな、
ネギ入りの玉子焼きがあった。
子供の頃から僕が元気ない時、
必ずこれでもかっていうくらい
大きいネギ入り玉子焼き
作ってくれたよな。
ありがとう。
ここにこんなにも
無償の愛情があったことを
東京の生活では忘れてしまう。
僕もいつか、
誰かに無償の愛を
捧げられるように
頑張ろうと、
玉子焼きを口に含んだ。
昨日、散々泣いたのに、
目から涙が止まらなくなった。
身体に残ってた水分が全て無くなるほど。
拓也、もう一度会いたいよ。
母さん、
女手一つで育ててくれて
一人っ子なのに、ゲイで
親孝行らしい事、できなかったけど、
ごめんな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます