4章 交渉
取引29 妹ユニバース
「どういうつもりだよ、米ちゃん!!」
辺りはすっかり暗くなり、街灯が薄暗い道を照らしている。根尾が人目をはばからずに米太に詰め寄っていた。
「痛いな……なんなんだいきなり」
「それはこっちのセリフだよ! 取り引きしただ? 何だそれ、裏切りもいいとこだ!」
「……うるせぇな! お前こそ何で捕まった! 何でアイツに俺たちの作戦が筒抜けなんだよ!」
「……米ちゃん、お前まさか、俺を疑ってるのか?」
「…………」
明らかに、根尾の表情が変わった。怒りを通り越して、悲しみを感じているような表情だった。しかし、米太はそれをあえて無視して、
「……この計画の全容を知ってるのは、俺とお前の二人だけだ……、そう考えて何が悪い。当然の帰結だろ?」
「おいおい、よしてくれよ、冗談きついぜ。いくら何でもあんまりだろ。こっちは命の危険を感じても口は割らなかったのにさ! ……それに比べて米ちゃんはなんなんだ? あっさり口割って、騙した女の子泣かせて、挙句の果てに大金貰って満足してるわけか! ふざけるのも大概にしろよ!」
根尾の貧相な握りこぶしが、米太の胸倉をつかむ。
「カネ、カネ、カネ、カネ、って、そんなに金が大事か! その結果得たものはなんだ!? それで満足なのかよ、米ちゃん!」
「――お前に何がわかるッ!!」
米太の拳が、根尾を押し返すように引きはがす。
「……当たり前に学費出してもらって、何の苦労もなく学校に通って挙句に小遣いまでもらう。そんな奴に、ずっと苦しんできた俺や蛍の何がわかるっていうんだ! 言ってみろ!」
「……ッ」
「金がなきゃ、何もできないんだ。貧乏でも幸せなんて嘘なんだよ! そんな俺たちが金を得るのが、どうしてこんなに責められなきゃいけないんだよ!」
それは完全に八つ当たりだった。でも、わかっていても、黙って聞いていられるほど米太も冷静じゃなかった。根尾も一切引かず、「もう、いい」と米太の手を振りほどき、
「……見損なったよ、米ちゃん。勝手にしろ」
背中を向けて去っていく。追いかける勇気も気力も、米太には残っていなかった。しかし、一か所だけ行くべきところが残っている。
「お帰り、お兄ちゃん、……今日は1人?」
店の扉を開けると、そんな掛け声と共に少女趣味な格好をしたウェイトレスが米太に近寄ってきた。単なるコスプレ喫茶かと思っていたが、これはなんというか、もっとコンセプトが明確だ。
「妹ゆにばーすへようこそ、初めてなの?」
「ええっと、その……」
「絶対、大丈夫だよ? 私がちゃんと、お兄ちゃんに教えてあげるからね?」
この手の店の利用経験がないので、めちゃくちゃキョドる。なんて返すのが正解かわからない。とりあえず案内されるがまま席に着き、適当に飲み物を頼む。案内してくれた『妹』が去っていき、米太は改めて店内を見回した。
(……夜ごはん時で、結構普通に飯食ってる客も多い。せいぜいチェキくらいで、いかがわしいオプションも無さそうだ……)
米太はそっと息を吐き、蛍を探そうと周囲を観察する。すると、米太から少し離れた席で、客と会話している店員が目に留まった。パッツン前髪にツインテールを作り、萌え袖ゆる肩の衣装に身を包んだ蛍が、笑顔で接客をしていた。胸元には『るーちゃん』というネームプレートが付いている。
「すみません」
「……んー? どうしたのーお兄ちゃんー?」
近くを歩いていた明るい茶髪の『妹』に声をかける。
「あそこで接客してる、るーちゃんって子と話したいんだが……」
「……んー、オッケー! 今、呼んできたげるー!」
にか、と白い歯を見せて笑い、茶髪の『妹』が蛍に声をかける。蛍は不思議そうな顔でこちらに近づいてきて、
「 」
ガシャン、と手に持っていたステンレスの盆を取り落とす。
「に、い、さん……?」
「…………」
「…………」
夜の街を、兄妹二人で歩く。先に歩いている米太に、蛍がゆっくりとついていく。ある程度家の近くまで来たところで、米太が立ち止まる。蛍が後ろから裾を掴んだのだ。
「……少し、寄っていこ、公園……」
「……ああ」
そこは、集合住宅に挟まれた、狭い公園だった。小さい頃に住んでいた母の実家は、都内からは離れているし、この公園に特に何の思い入れもないはずだが、不思議と懐かしい感じがした。
「……」
「……」
再び訪れる沈黙の時間。それでも蛍に会えたことで、米太は幾分かホッとしていた。あまりにも何も話さないので、こちらから話題を振ることにする。
「……あのさ」
「……うん」
「……よりにもよって、なんで妹喫茶なんだよ?」
「……それは、たまたまだよ」
「もしかして、スカウトか?」
「ううん。紹介。……ほら、兄さんがウチをよこした時、呼びに来てくれた……、あの人、ウチの中学の卒業生で先輩だから……」
「……話は、向こうから? それとも……」
「ウチからだよ。……もっとも、何度か『向いてる』って、しつこく言われてたんだけど」
質問を続けるべきか、一瞬迷う。それでも、と米太は気持ちの帯を締めなおし、
「……違法就労って、知ってるか?」
返答によって、かなり違う。家計が苦しいのは周知の事実だから、知らないままになんとなくやってしまいました、くらいだったらまだ許せるし、そうであってほしいと願ってもいた。
「……知ってる」
しかし、蛍の紡いだ言葉は、米太の淡い願いをたやすく打ち砕く。静かに、焦る様子もなく、蛍はただ前をみて、どこかを見据えながら答えを返した。
「……お前のやってることが、それだってことも?」
「うん。……知ってるよ。バレない自信あったのになぁー」
蛍の一言が、ズキリと何かを刺激するようで、米太は動揺する。
「自信があったって……、お前……」
「だってさ、兄さん、ウチの言ったこと、キホン信じてるでしょ? 実際、品行方正でお兄ちゃん大好きな可愛い妹が、まさか裏で黙って働いてるなんて、想像も出来なかったじゃない……兄さんには」
「……っ」
視線を前に向けながら、いつもの軽快な調子で蛍が言う。悪びれもしない蛍の様子に、米太はかすかないらだちを覚えた。
「……なんで、こんなことした?」
「……なんでだと思う?」
「はぐらかさないで答えろよ。……違法就労だぞ? もしバレたりなんかしたら、あの店には迷惑どころじゃ済まされない! お前のせいで職を失う人だっているかもしれないんだぞ! そこんとこ、ちゃんとわかって言ってるのか!?」
気が付くと声を荒げてしまう。蛍が自分を騙して法的に許されない行為をしたことが、自分でも驚くほどショックだったようだ。蛍は驚いた様子で米太の顔を見て、
「……ごめんなさい」
「……最初は、臨時のヘルプとして何回か手伝っただけなの。……でも、そしたら、フロアに立ってみないかって言われて……、気付いたら、成り行きでこんな感じになっちゃった」
「……でも、違法は違法だ。今からでも遅くない。俺も一緒に行くから、店長にキチンと謝ろう。貰ったお金は全部返すんだ」
「……そんな! そんなのあんまりだよ!」
蛍が悲痛な声を漏らす。しかし、米太はそれを無視して、
「仕方ないだろ、どんなに働きたくても、中学生には新聞配達や牛乳配達しか許されてない。仮に働くとしても、ちゃんと届け出や手続きが必要なんだよ。それが社会のルールなんだ」
「でも……! ウチだってちゃんとやれてたよ? 店長が『天職だ』っていうくらい、マニュアルもすぐに覚えたし、お客さんだって喜んでくれた……!」
「……だからって、法律を破って言いわけないだろう! 俺が今まで、汗水たらしてバイトがんばってきたのは、お前には親父と違って、真っ当な人間に育ってほしかったからだ! 少なくとも、こんな犯罪まがいのことに手を染めさせるためじゃない!」
「……何よそれ、そんなの兄さんが、勝手に思ってたことじゃない! 何でわかってくれないのよ、兄さん、ウチはもう、そんなこと言ってられない状況なんだよ!」
売り言葉に買い言葉、声を交わすたび口調はヒートアップし、夜の公園を騒がす。久しぶりに見る蛍の怒った顔は、以前のようなあどけなさは見当たらない。
「……大事なもの、沢山取られて、積み上げたもの、台無しにされて……。ウチだってショックだったんだよ? ……でも、それはもういい。もう戻れないからこそ、前を向くために、ウチには新しい方法が必要なの! 借金地獄の兄さんには頼れないから、ウチにはお金を稼ぐ手段が必要だった! だから、見逃して、見逃してよ兄さん!」
必死な様子で蛍が米太に懇願する。米太は蛍の顔をじっと見つめ、
「…………やっぱり……そういうことか、蛍」
「……何? なんなの?」
困惑する蛍の目の前に、ずっと持ったままだったアタッシュケースを差し出した。
「……何、これ?」
返事の代わりに、ケースを開ける。整然と並べられた札束がお目見えし……、
「え……、ええええッ!? ど、どうしたの、これ!?」
「……ある人と、取り引きをしたんだ。その報酬として、もらった。取られたものは、これで取り戻せるし、もう、借金に悩まされることもないんだ」
「……ほん、と?」
「ああ」
米太が答えると、蛍は信じられないという表情で、札束をつんつんする。しばらく謎の確認作業がなされた後、
「……お、お兄ちゃん大好きッ!」
蛍がいかにもわざとらしく、米太に抱きついてくる。
「よく言うわ……さっきの今で」
「ごめんごめん、バイトすぐやめるね! 明日朝一で謝りにいこ!」
「……」
あまりの白々しさに反吐が出そうになったが、米太はため息をついてそれを飲み込み、
「……じゃあ、今日はもう帰ろう」
「……うん!」
(……蛍が笑っている。これで、いいじゃないか。自分は昔からずっと、蛍のためになら、全てのものを犠牲にできる)
自分に言い聞かせるように、米太は言う。それなのに、逃れようのない虚しさを感じる自分の心から、必死に目を逸らした。
「……今日は兄さんの好きなおにぎり作ってあげるねー? それから……」
その夜は、久しぶりに兄妹一緒の部屋で眠った。
夢は、何も見なかった。
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