取引28 写真スレット
洋館の大広間では、フローラとメリッサが待っていた。その目の前に、監視の男たちに引きずられるようにして、米太が連行される。
(……クソ。逃げられない。……どうしよう、これはマズい!)
困惑と不安が混じったような二人の視線を感じる。しかし、これから起こるであろうことを感じ取っている米太には、とても直視することができない。
そうこうしていると、ジョエルに連れられたミアが現れ、メリッサが駆け寄った。
「……ミア様! 大丈夫ですか、どこも、お怪我は……?」
「ありません。……でも、米太が……」
ミアが必死の表情でこちらを見つめる。心配そうな瞳だ。フローラも同じように米太の身を案じ、
「……どうして、こんな乱暴を? ……離してあげてください……!」
「それはできませぬ、フローラ様」
迷いのない、はっきりとした老人の口調でジョエルは言った。続けて、気の毒そうに目を線にして、年老いた顔に皺を作り、
「……何故なら、この方、花野井様は、貴方がたを騙そうとしていたのですから……」
「…………!」
三人の顔に、驚きと緊張が走ったのがわかった。しかしミアは一番に口を開き、
「嘘です! ……米太がわたしを騙す? そんなこと、あるわけがありません」
「……そうですわ。……今回の件だって、わたくし達には事前に……、……ッ」
追うように言葉を継いだフローラが、自らの失言に気づき、口を覆う。
「……どういう事ですかな。……まさか、フローラ様が、花野井様に加担していらっしゃると……?」
「……それは語弊があります」
鋭い視線を送るジョエルに、メリッサが間に入るように前に出る。
「……フローラ様に責任はありません。……確かにフローラ様を介して連絡はしましたが、ミア様とのデートを請け負ったのは、私、……全ては、私の責任です」
「…………ほう」
ジョエルが一見穏やかそうな笑みを浮かべ、
「……では聞かせてもらおう、メリッサ。貴方が花野井様に相談を持ちかけられた時、別の協力者がいることは、伝えられていましたか?」
「…………」
メリッサが押し黙る。一瞬悩むような眼をして、
「……いえ」
「……連れてきなさい」
ジョエルの鋭い一声に、両開きの扉が開き、 ああ、と米太は、首を垂れた。黒服の監視が連れてきたのは、ボロボロになった根尾の姿だった。かなり抵抗したのだろう。顔には傷ができている。
「……この男、誰だかおわかりですか?」
「……、……いいえ」
ジョエルはメリッサから向き直り、
「……わかるわけがない。貴方は教えられていなかったのです。この男と花野井様との関係も、今日、この男が何をしていたのかも……」
ジョエルはおもむろに根尾に近づき、その荷物の中からカメラを取り出す。モニターを何秒か確認し、
「……おや、盗撮写真が入っていますね。……それも大量の。被写体は、なんと、ミア様と花野井様ですな! ……今日だけで相当な数を撮ったようですが、貴方は一体何をしていたのでしょうかな?」
ジョエルが笑みで圧をかける。根尾は顔を背け、頑なに何もしゃべろうとしない。しらばっくれる気なのだと、米太は気づいた。しかし。
「……身分証からこの男のことを調べましたが、花野井様の古くからのご学友です。マスメディア部に所属しているそうですが、どうやらスクープ記事でも書こうとしていたようです。……本人は一向に何もしゃべりませんから、現時点では、単独の行動の可能性も拭えませぬ。……ですが、あいにく他にも手段はございまして……」
踵を返して、コツコツと音を立ててジョエルが近づいてくる。鼻先に触れるほど近く米太の正面に立ち、
「――取引を致しませぬか、花野井様?」
「……取り引き?」
「……ええ。一度目の約束はお守り頂けなかったようですが、この際、水に流しましょう。我々の本気度を感じていただくため、少々物騒なことも言わせていただきましたが、……お忘れください。その代わり……」
「……」
「……改めて、貴方に見てほしいものがあるのです。取り引きの詳しい内容は、その後にお伝えします……いかがでしょう?」
優雅で気品に溢れ、まるで親切な提案をするかのような調子でジョエルが言う。その違和感に胸騒ぎがしつつ、
「……それとも、問答無用で、約束を反故にした罰を受けたいとでも? まさかまさか。花野井様ともあろう方がそこまで愚かなことはしますまい?」
それはある意味、退路を断たれたも同然だった。ここで要求を受け入れなければ、取り付く島もないことはわかりきっている。「ああ、わかった」と、米太が慎重に頷くと。
「……用意なさい」
監視の男が持ってきたのは、タブレット端末だった。画面には静止画が写っていて、多分飲食店かなにかの店内の様子が映し出されている。どうやらコスプレ喫茶か何かのようで、米太が全く知らない店だったので混乱するが……。
(あ…………)
途端に力が抜ける。立っている姿勢を維持することもできず、膝からその場に崩れ落ちる。突然様子がおかしくなったことに根尾やミアの視線を感じるが、そんなこと気にもならない。理解してしまったのだ。なぜその写真なのか、そこに写りこんでいるのが、誰なのか。
(……ほた、る…………?)
絶対にあり得ないはずだったのだ。蛍が店員の格好をして、接客をするなど。だって蛍はまだ、中学生だから。……しかし、残酷にもその画像は何の反論もできぬほど鮮やかに、蛍の『違法就労』の真実をまざまざと見せつけてきた。
「……なんで、…………アイツが………」
放心状態で呟くと、ジョエルの聖人のような笑みが傍らに立ち、
「……なんでも最近新しく借金が増えたとか。……気の毒な。担保の家財は、もう取り返せたのでしょうか……? ……貴方に黙って働こうとするなんて、よっぽど兄思いな素晴らしい妹君だこと……」
そして、悪魔のように耳元で囁いてくる。
「……ここで自らの謀略を自白すれば、貴方の借金をすべて肩代わりしてあげましょう。貴方の望み通り、自由の身となり、妹も違法就労などせずともよくなる。……、誰も不幸にならない、素敵な取引だと思いませぬか?」
「………………ッ」
それは奇しくも今朝、他でもない米太自身が言った言葉と同じだった。心がざわざわと毛羽立つように感情がささくれ、言いようのない拒否感が心を満たす。
「……よく考えてごらんなさい。貴方にとって一番大事なものは、何ですか?」
ジョエルの問いに、すぐさま蛍の泣いた顔が思い浮かぶ。
(……そうだ、俺は……、蛍だけは……)
その瞬間、米太の中の何かがプッツリと切れて、
「…………わかった」
「おや、もう一度はっきりおっしゃってくださるかな、取引を受けるか、受けないか」
「…………」
周囲が固唾を飲んで見守る中、米太は顔を上げて、自虐的な目で言う。
「……全部、話すよ。……写真撮ってたコイツのことも、ミアに何をしようとしてたかも……」
「……!」
「……な、何言ってんだ米ちゃ……離せ!」
声を荒げた根尾が、監視に取り押さえられ、奥に連れられていく。遠くなっていく根尾のもがく声とともに、ゆっくりと誰かが近づく足音。
「……ベイ、タ……?」
「…………」
「……何を言っているのか、わたし……わかりません……」
震えるような声で、ミアが言う。笑顔を作ろうとしているが、失敗している。
「難しいことは、何もない。……俺はキミをデートに誘って、その裏でキミとの親密な様子を写真に撮って、ジョエルにたかろうとしていた。根尾は俺の古くからの知り合いで、その協力をしてもらった。メリッサやローラにも、このことは隠していた……」
「ノン! わからない! わからないですベイタ! 確かに全ては教えてなかったかもしれません。……でも、それだけで騙したなんて……」
「……ッ!」
そこでもう、限界に達した。こうまでしても、何の疑いもなく寄せられる全幅の信頼に、とてもじゃないが耐えられなくて、あまりの罪悪感に米太は崩壊する。
「――騙してたんだよ俺は! 全部! 全部わざとだ! バレたら悲しませるってわかってても、止めたりなんかしなかった! 何の誤解もない、正真正銘の悪徳行為をしたんだ、お前だってわかってるだろ!?」
「……っ!」
大声で喚くと、それに反応するようにミアが、瞳を潤ませる。一挙手一投足がいちいち心に刺さるようで、直視すらできなくて、余計に虫唾が走って続けた。
「……あの後だってそうだ! ……あの後、俺はお前のゴシップを撮るために、どこに連れていこうとしてたかわかるか? ……ラブホテルだ! 最初から! 全部! 俺はお前のことなんかこれっぽっちも、考えてなかった! ……全部、お金のためだったんだ!! 俺は、お前とは違って! ……お金のためなら、なんでもする、汚い人間だったんだよォ!!」
「ハァ、ハァ」と息を切らし、米太は自虐的な笑みを漏らす。自分の言ったことの最低さに反吐が出て、笑いが止まらなかった。
(……結局、同じ、だったんだよ、俺も、親父と。……同じ、底辺の……ッ)
「…………!」
見ると、ミアが泣いていた。嗚咽の声も涙を拭う動作もなく、ただ、立ち尽くし、その大きな両目から涙をこぼしていた。その目には、米太の知る好奇心に満ちた輝きは一切なく、打ちひしがれたように米太の方を眺めていた。足元にジョエルがひざまずき、
「……ミア様、お聞きの通り、花野井様の目的は、公国のお金にございました。しかし、それは仕方のないことでございます。……花野井様は父君の借金のために、大変な苦労をしてこられた。今回の件も妹君のために行われたと聞きました。……貧富の差というのは、それほどに深き業なのでございます」
ジョエルはミアに向けて、胸に手をやって首を垂れる。
「……どうかこのまま彼をお見送りください。ミア様のようなお立場の人間と出会わなければ、花野井様とて、このような悪事を考えもしなかったでしょう。……それほどまでに、エレセリ公国の公女という立場は大きなものなのです……」
「…………」
メリッサが何かを言おうとしたが、それを制したのはミアだった。ミアは口角を上げ、目尻を細めているが、米太は違和感を感じた。いつかフローラが言っていた、笑顔ではない笑顔、だと気づいた時には、もう遅い。
「……これまで、ありがとうございました。……ごきげんよう、ベイタさん……」
かすかに震えた語尾を隠すように、ミアが挨拶をする。まるで他人のようなその調子に、今さらながら麻痺していた米太の胸が、激痛にさいなまれる。
大広間の奥に、ミアたちが消えていく。メリッサが一度だけこちらを振り返ったが、奥の扉が閉められ、見えなくなった。
「ご苦労様でございました。こちらのデータは、消去しておきますゆえ、ご安心くだされ」
放心状態になっていると、両肩を抱きあげるように、ジョエルが強引に米太を立ち上がらせる。そのまま外に連れ出して、門のところまで誘導する。一礼したかと思うと、
「……言い忘れておりました」
耳元で低くささやくようにジョエルが言う。
「……不都合な真実ほど、威力がある。脅しはああやってやるものです、覚えておきなさい」
「……どうして、そんなことを俺に?」
「貴方のような輩には、必要な処世術かと思ったのですが。……では、旦那様……、ごきげんよう」
ジョエルが、アタッシュケースのようなものを、こちらに投げてよこす。中身を確認すると、現金の札束が入っていた。何の礼儀も作法もなく、大きな音を立てて、門が閉まった。
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