取引10 共犯プラン



「策は、ある。……ただ、多少相手を騙すことにはなるが……」

「え?」


 メリッサが去ったパソコン室。米太がミアに提案した策には条件があった。


「……それは、メリッサやジョエルを騙すということですか?」


 ミアの顔に緊張が走り、声色には不安の色が混じる。その様子を米太は確認しつつ、


「……そうだ。あの娘達だけじゃない。一応、ミアの家にいる人にはだいたい嘘をつくことになる」


 それは真っ当な方法を望む米太にとって、あまり好ましくない手段だ。バレた時のリスクもあるし、何よりこういう発想ができること自体、父親の血を受け継いでいるみたいで心底嫌だった。普通なら最初に除外する選択肢で。……でも。


「……それでもミアが望むなら、教えることもできるが、どうする?」


 脳裏によぎる、ミアの土下座姿。もう二度とそんなことさせたくないし、何よりも先ほど明かしてくれた庶民的な物への興味を、ミアには失ってほしくなかった。


 ミアは数秒視線を揺らした後、ギュッと拳を握って顔を上げ、


「……わかりました。お願いします、ベイタ」


 高揚感に満ちた表情で、決意のこもった瞳を向けてくる。その瞳はあまりにもまっすぐで、米太自身の躊躇すら許してくれないほどだった。


「……わかった。やろう。……とはいっても、俺もこういうのは初めてだから、上手くいくとは限らない。万が一失敗した時には、メッセージだけのやりとりになることも覚悟しといてくれ」

「ウィー。わかりました」


 真面目な様子で首肯するミア。しかし、急に「ふふっ」と笑顔になり、


「なんだか楽しくなってきました。こんなにわくわくするのは久しぶりです」

「そうなのか?」

「ウィー、共犯、というやつですね、……ベイタ?」


 あまりにも嬉しそうに笑うミアに、米太は拍子抜けする。ごほん、と咳払いをして仕切り直し、


「……じゃあ、さっそくだが、フリマじゃないけど、取引にはいくつかのケースがある。大抵は自分と相手が対等なケースだが、この場合、自分に有利な結果を得るためには、交渉が不可欠だ。だからフリマアプリでは値段交渉を認めてるし、未だに日本の実店舗でも価格交渉に応じる店はある。……が」

「?」

「そもそも、値段交渉自体が不効率だと思わないか? 確実に相手から望む結果を引き出すには、取引に入る前に、自分が有利な状態を作ってしまった方が楽だ。……だから俺は、そういう状況を作った上で交渉をするのが、得策だと思う」

「な、なるほどー」


 米太の説明を聞いたミアが目を丸くして、


「交渉自体が悪手とは……、すごいですベイタ、孫子そんしみたいです!」

「孫子? えーと、ソフトバンク?」

孫武そんぶです。知りませんか? 春秋時代の中国の軍師で、その兵法書を孫子と言いますが、戦わずして勝つことを上策としていて……」

「……? よくわからんが、そういうことだ。『出品する前までがフリマ』という俺の信条に似ていることだし」

「つまり、あらかじめ有利な状況を作るために、嘘をつくということですね?」

「……鋭いな。ミアの言う通り、今回の策において大事なのは、いかに相手にとって不利な状況をあらかじめ作り出せるか、だ。その前段階として……」


 米太は言葉を切り、


「……とりあえず明日、あの娘に『学生証を失くした』と嘘の相談をしてくれ」

「学生証? 別にいいですが、どうしてですか?」

「まぁ、聞け。このキャンパス内の忘れ物は、ある場所に集められて保管される。ミアは学生証が見つからないフリをしながら、あの娘がそこに向かうタイミングを調べて、俺に連絡をくれ。俺はそこであの娘に話しかけて、忘れ物を探す手伝うフリをして恩を売る。そして、俺がミアに何らかのメッセージを返した瞬間、ミアから『勘違いだった』という連絡をあの娘に送るんだ。そうすると、どうなると思う?」


「?」


 ミアが注目する中、米太は拳を胸に当て、


「あの娘の中に、俺に対する罪悪感が生まれる。そして、今回の策ではそれを最大限に利用するんだ」

「……罪悪感、ですか?」


「ああ。圧倒的にこちらが有利に交渉できる状況つまりそれは」


「――ズバリ、被害者ビジネスだ」



◇◇◇◇◇◇



「……ただいま」

「っとっつっと!? 兄さんおかえり!?」


 居間の扉を開けると、蛍が飛び上がった。何やらパソコンの前でしていたらしく、サッと後ろ手に何かを隠したのを、米太は見逃さなかった。


「……えーと、何してたんだ?」

「ちょ、ちょーっと、声優さんのネットラジオを聴いてて……! 兄さんこそ早くない? バイトは?」

「……連絡してなかったっけ? 今日は珍しく客がちっとも来なくてな。こないだのこともあった分、今のうちにしっかり休んどけって店長が……」

「あー、来てた来てた! 来てたけど見てなかったや、ごめんごめんー、今すぐご飯作るから、ちょっと待っててねー」

 

 終始慌てた様子で、キッチンに消える蛍。相変わらず背後に隠した何かを見せないように、器用にこっちだけを見て去っていった。


(……なんだ、アイツ。……変なの。まるでエロ本見つかった男子みたいな……って!)


 辿り着いた可能性に、その場で米太は戦慄する。


(……部屋で一人、パソコンの前。隠したものはよく見えなかったが、たしか黒くて細長い棒みたいなものだった。……そ、そういうことなのか、そういうことなのか、蛍!?)


 一人顔を赤くしてショックを受ける兄、米太。


 その後の夕飯の味は、気まずくて覚えていない。


 


◇◇◇◇◇◇



 ――ピコン。




『出品者からのメッセージ:ついに明日だな。……覚悟は決まったか?』



『購入者からのメッセージ:……がんばります』



『出品者からのメッセージ:緊張してるのか?』



『購入者からのメッセージ:……ウィー』



『出品者からのメッセージ:……意外と小心者なんだな、ミアって』



『購入者からのメッセージ:そ、そんなことありません。……ただ、こういうのは、初めてなので』



『出品者からのメッセージ:……それは、俺も同じだ。だから気にするな。……それに俺たち』



『出品者からのメッセージ:……共犯者、なんだろ?』




『購入者からのメッセージ:……メルシー』



『出品者からのメッセージ:じゃあ、明日、よろしくな』



『購入者からのメッセージ:ウィー。おやすみなさい、ベイタ』



『出品者からのメッセージ:……お休み、ミア』

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