第8話 二人

「いっっった」


「…………痛がる時も無表情なのねあなた………表情筋はまだご存命なの?」




哉太、那奈美の二人に今後の説明を一通りした埜乃華は、”後は自由行動で”とだけ言い残し、哉太に言われていた通り研究所へと戻り……今現在、医務室にて自ら損傷させた右足の処置を行っていた。




「にしても、本当に無茶するわね埜乃華ちゃん……。痛覚連動なんて使わなくても、いくらでも制御する術はあるでしょ!?」


「………私だけ、何の痛みも無く偉そうな顔して……あの子を縛り付けろと仰るんですか?」


「い、いえ別にそんなつもりじゃ………」


「あの子は私で、私はあの子です。……彼女が起こした事象は、徹頭徹尾私が責任を取ります。…………うっ……いっっっっった。そこいっっった先生。勘弁して下さい」


「本当に痛いの!?なんなら右足に刺した時も痛み止め要らなかったんじゃない!?」


「死ぬほど痛いです。死にます」


「死なないで!!」




幸いそこまでの怪我ではなく……止血と消毒、そして少しばかりの縫合処置を済ませて安静にすればいいらしく、神経に対するダメージも免れていた。




「………それで、これからどうなるの?………研究所でも一部の人間しか知らないあの子の秘密、メディアに載っちゃったんでしょ?」


「あの子には悪いですけど、彼女があの時発言した事実は、一時のパニック状態から出た虚言………といった報道にベクトルを切り替えてもらいました。といっても、それだけでは研究所に生じた懐疑は晴れないので………端的に言うと、主任を降ろされるそうです」


「えっ!?……じ、じゃあ、埜乃華ちゃん……これからどうなっちゃうの!?」


「………お忘れですか新見先生。一応私、学生なんですよ。………研究所入りディビエントが剝奪されても、普通の大学生に戻るだけです」


「そ、そう………そういえばそうだったわね。……じゃああの、那奈美ちゃんと一緒に入学するっていう……」


「哉太です。富和哉太」


「そうそう!……こんな事を言うのも不謹慎だけど、学生に完全シフトするということは、哉太君と行動できる時間が増えるって事でしょ?そこは不幸中の幸いじゃない?いっつもあなたの話に出てきてたものね、彼について」


「……………………まぁ」


「ん!?………え、口元隠してるのそれ?……どうして?」


「いえ。手の平の皮膚が食べたくなっただけです」


「そんな訳ないにも程があるわよ!!!もしかして今………ニヤついてない?」


「何を仰っているのか分かりません新見先生。あーーーーーー、右手の平の皮膚おいしーーーーーーーー」


「…………に関しては……小学生並みに初心うぶで稚拙よね………」







「二人っきりぃーーーーーーー!!!!」


「声がデカい!!!航空機並みのデシベル数を叩き出すな!一応公衆だぞ!!」




食堂を出た後も見学ツアーを引率しようとする埜乃華を流石にしつこく止め、最低限の説明だけ引き出して半ば強制的に研究所に戻させた後……残された俺達。


何故か埜乃華が去っていった途端数段上のテンションに成った那奈美は、引き続き自分達だけで自由にキャンパス内を見て回ろうという提案をしてきた。……まぁ、施設や雰囲気を見たいのは俺も同じだし……と、OKした矢先にこの大声だ。



「ね!あっち行くとブティックあるんだよ!寄っていこうよ!」


「キャンパス内にブティック!!?………何でもアリだなここ………」



改めて、じっくりと周囲を見渡すと、舗装された煉瓦の道、高く吹き上がる巨大な噴水……そして所狭しと軒を連ねる多ジャンルの店。………遥か遠くの方にはショッピングモールらしき建造物も見える。



「………確かに、だとちょっとな………。よし、見に行くか」



脱走時……大きな白布一枚で行動していた彼女は、先程車内に乗り込む際、応急処置的に着替えさせられ(見えないよう俺は彼女の着替えが済んでから乗った)、今現在、非常にシンプルな黒いジャージの上下セットで行動していた。



「わーーーい!!!じゃあ早く行こっ!?」


「………あ!!わ、悪い……食堂でも言ったけど俺財布忘れて……」


「はいこれ!!」


「は………………はぁ!!!?こここここれ……俺の財布じゃないか!!な、何で!!?」


「さっき哉太がトイレ行ってる間に、哉太の家に戻って取って来た!!ついでに部屋の掃除と、二次元三次元問わず女が描かれてたり載ってたりする雑誌とか漫画を2ミリ単位に切り刻んできたよ!」


「後半怖ぇって!!!驚愕と恐怖が一気に襲い掛かってきて身体が追いつかねぇよ!!!」




トイレから戻ってくるまでの時間など3分もかからない筈だが………。今一度考えてみても、やはりこれほどまでに非現実的な力を持つホムンクルスは、どの文献でも聞いた事が無い。………能力的な部分だけで他者を評価したくはないが、間違いなく歴史上でも那奈美は最強格の力を持っているだろう。




「まぁまぁ、財布戻って来たんだし、早速お店行こう!」


「………言っとくが、貧乏浪人生の相場で頼むぞ………」



財布を開いてなけなしの全財産を確認した後に、二人はその場を動いた。



「え………あれって、樋口さんじゃない?」

「あっ本当だ………このエリアに居るの初めて見た……」

「でも何でジャージ?ってか隣の男の人誰……?」



埜乃華が去り、一層周囲の声が耳に入るようになると………その反応は往々にして”樋口埜乃華がラフなジャージを着て知らん男と歩いている”という、極めて情報量の多い光景に対するものである。


恐らく埜乃華も一緒に居た時は”いつの間にか埜乃華が双子になってて知らん男を挟んで歩いてる”といった反応をされていたのだろう。バタバタが続いたせいで今更気付いた。



「ひ………ひひひひ……樋口……さん………!!その男は……その男は誰なんですかぁ!!!?」



突如、群衆の声の中に一際デシベル数の桁外れな男の声が煌めいた。


その声の主は我々の正面から猛スピードで駆けつける。………見た感じは小柄で、黒い前髪で目が隠れた……言っちゃ悪いが中学生の様な風貌の男性。……しかし、彼は埜乃華や東雲さん達の様に白衣を着用していた。……丈が全く合ってないし、地面に擦りながら歩く様が一層子供っぽさを演出している。



「あーー………すまん。それは人違いだ。埜乃華は今研究所に……」


「の……!!!の・の・かっぁぁぁあああぁぁああ!!!?あ、あああぁアナタ!!!のっ……樋……口さんのなんなんですか!!?」


「えぇ……?いや……まぁ……高校からの友達……みたいな感じだけど……」


「”””友達”””ですって………!?ぐぎぃぃいい何と羨ましい!!!!この僕という才能を差し置いて!!!今すぐその樋口さんの友達という座を僕に譲って下さい!!」


「いやいやって……」


「あのさ、もういいかな?特に用無いならさっさと消えて」



死んだような眼を以て、那奈美が言い放つ。またそんな口調を……と軽く注意しようとしたが、突然目の前の彼が狂いだした。



「ハワアァァァアアアア!!!!その眼っっっっ!!!いつにも増して一層凍り付いた宛ら絶対零度とも言える程の塩通り越して岩塩対応!!!たまらぁぁああん!!!」


「………なんてことだ………」



完全に”仕上がってしまっている”。……まぁ彼女も以前からメディアにはちょいちょい露出していたし、比例して学内人気も高くなるのも考えてみれば頷けるが……まさかこんな異常な捻じ曲がり方をしたファンが存在するとは。




「アナタ!!!このリストバンドが目に入りませんか!!!?」


「え………何それ?」




恍惚とした表情から再び憤怒の表情へと変わり、右腕に付けている紺色のシリコン製のリストバンドをこちらに掲げる。極めて薄いが………手の甲側の面が液晶となっており、何やら様々なアイコン等が表示されていた。



「ははーーん!!知らないという事はアナタは新入生……それも研究所入りディビエント候補ですらないという事ですね!!?」


「………でぃびえんと?……なに?それ……」


「えぇっ……それもご存じないんですか………?えっと……研究所入りディビエントというのは、この大学の入試時に於いて上位1%の成績を修めた人間に与えられる権利で……最初の半年間で超集中的な講義を行ったのち、一部の学業と並行しながら楼ヶ峰研究所の研究員として早々に迎え入れられる制度です」



………そんな制度あるなんて知らなかったぞ。


いや、という事は……埜乃華もそのディビエントという制度によって研究所に入り、しかも主任という役職まで得ているという事か……?


あまりにナチュラルに研究員やってるから逆に違和感なかったけど、依然として化物だなあいつの頭脳は。



「そして!!!それには届かずとも上位10%に入れたものは!!僕の様にディビエント候補として、ホムンクルスとの契約コントラクトを赦されるのです!!!さぁ!!刮目せよ、私のパートナーを!!!」


「コントラクト……?」



彼が興奮気味で指を鳴らす。


……………が、全く以て何も起こらない。


その後も幾度となく鳴らすが結果は変わらず。ついに痺れを切らした彼が”少々お待ちを”といった表情を浮かべて何処かへと走り去ってしまった。




「………何なんだ?あの人……」


「もうほっといていいんじゃない?………てか哉太、入試の成績ほぼ満点だったんだから、実質もう研究所入りディビエントじゃないの?………あのモブ男より全然上じゃん。何アイツ、恥ず」


「いや……普通に浪人してる俺よりあの子の方が断然上だろ。……にしても一体何処に行って……」


「おまたせしました!!!改めて刮目せよ!!!」




やがて、再び正面の方から人混みを掻き分けてさっきの子が現れた。


………何故か、金色の髪を靡かせるメイド服を着た大柄の女性に、いつぞや俺が那奈美にしたような横抱き……所謂お姫様抱っこの状態で。因みに彼が方である。


意味不明過ぎて、微塵も思考を伴わない脊髄反射の言葉が出る。




「え……あ、あーーー………す、すごい……威厳が………伝わってきますね……」


「って!!!ミーシャ!!!何度言ったら分かるんだ!!!僕を子供扱いするな降ろせええぇぇええ!!!」




いつの間にか、もう彼の姿は……”中学生のような見た目”から、完全に”おこさま研究員”へと変遷していた。

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