運河のチェイス

 ティア・ドロップ市の水路は細く入り組んでいる。大量の物資を取引するために、細い運河がいくつも通っているのだ。レンガ造りの倉庫がいくつも立ち並び、その間を通る細い路地は日が当たらずに薄暗く、カビ臭い。そのトンネルのような路地裏を、デッドストーンは必死に走っていた。


 ちきしょう、声なんてかけなきゃよかったよ。走り始めてからすぐにデッドストーンは後悔した。自分はあまり体力に自身がある方ではないのだ。男たちの足はそこそこ早く、このままでは追いつかれてしまう。デッドストーンは頭の中に地図を思い浮かべた。積まれた木箱を跳び箱のようにとび越えながら、デッドストーンは逃げられそうな場所を必死で考えた。一つ、策がある。


 路地の出口には、小舟がすれ違うのがやっとの小さな運河があって、そこに橋がかかっていた。ちょうどいい、ここなら問題がない。


 石畳の上に落ちていた煉瓦のかけらを蹴り上げると、デッドストーンは素早く腰から一本の革紐を引き抜いた。

 革紐は中心が膨らんでおり、両端は編み込まれている。その編み込みの部分を揃えて掴むと、膨らんだ部分でそのまま煉瓦をキャッチする。そして手首を回し、風切り音を立てて革紐を一回転させると、そのまま革紐の片方を手放した。

 いわゆる、投石器スリングである。せいぜいが田舎の子供が鳥を取るのに使う程度の武器だが、当たりどころが良ければかなり強力な武器になる。だが今回は人に当てるために投げたのではないのだ。

 向心力から開放された煉瓦のかけらは、放たれた矢のように宙を進み、運河にかけられた小橋の欄干に当たって弾け飛んだ。道行く通行人が飛んできた煉瓦のかけらに驚き、拳を突き上げてデッドストーンを罵倒する。

 デッドストーンは速度を緩めることなく、一直線に突き進む。


「待ちやがれっ! このクソガキっ!」

 木箱を派手にぶちまけながら怒号と共に男が迫ってくる。

 だが、一瞬ぎょっとした顔をして、男は足を止めた。路地の出口にある橋がゆっくりと持ち上がり始めたのだ。


 運河に掛けられているのは、機械式の跳ね橋だった。構造は単純で、留め具を外すことで重りが下に落ち、ロープに引かれた橋が上がるというものだ。

 先程放ったデッドストーンの石は正確にその留め具を打ち抜いていたのだ。

 デッドストーンは、坂道となった橋を駆け上がる。そして、そのまま橋の上に跳躍し、反対側の橋にしっかりとしがみついた。

 追って来た男の前で、橋は壁となり、その行く手を完全に塞いでしまった。


「どうだ! みたかっ!」

 デッドストーンは勝ち誇ると、そのまま橋を乗り越えて逃げようとする。だが追いかけっこはそこまでだった。

 反対側の地面に降り立った時、腹に重い衝撃を感じた。デッドストーンは思わず体を2つに折って、地面に倒れこむ。

「ここらの道には俺らのほうが詳しいんだよ。舐めた真似してくれるんじゃねーの?」

 先回りしていたのか、追手の片割れが、そこに立っていた。


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「さーて、どうしてやろうか」

 地面に倒れこんだデッドストーンに男たちが迫る。

「この拳のお礼はさせてもらわないとなぁ!」

「くそ……そっちが勝手に怪我したんじゃないか!」

「何だとコノヤロー! いちいちうるせぇんだよ!」

 男の平手が、デッドストーンの頬を叩いた。じいんとした痛みが頬に走る。

 思わず目に涙が滲んだ。

「なんだこりゃ?」

 何発か殴られた後、男の片方が、デッドストーンの首から革紐で下げられた小さな袋をつまみ上げた。

「返せっ! それは!」

「へぇ、宝石か? 金目のもんかと思ったけれどよ、ただのガラスみたいだな」

 袋から小さな結晶を取り出して男が言う。

「兄貴ィ! それは、導き石ってやつですぜ!」

「導き石ィ? なんだ金になるのか?」

「しばらく前に、デッドストーンってのが〈天空の城〉に行ったじゃないですかい? あの時に国が配ったやつでさぁ。なんでも地球にデッドストーンが戻ってきた時に光るんだそうで……」

「へぇ、それじゃ価値は殆どねぇな」

「違いねぇですな。あんな詐欺師、信じるほうがどうかしてますぜ」

「父さんを馬鹿にするなっ!」

 その瞬間、思わず、デッドストーンは大声を上げていた。その言葉に男たちは目を丸くする。殴られた痛みを思わず忘れるぐらい、腹の奥が熱くなった。


「親父だと……? おい……お前の親父は、あのデッドストーンなのか?」

「ははーっ! こりゃいいぜ! とんだ親父を持っちまったもんだな!」

「父さんは、詐欺師なんかじゃない! 父さんはちゃんと〈天空の城〉に! 行ったんだ!」

「ほざくなよ税金泥棒が! 何もできやしなかったじゃねぇか」

「だいたいよ、お前の親父、そもそも飛び立っていないって話もあるじゃあねぇか。金をかき集めるだけ集めてそのまま国外に逃亡。別の大陸に逃げ延びているのを見たって話もあったなぁ」

「嘘だ、嘘だ! 取り消せよっ!!!」

 せせら笑う男たちに、デットストーンは食ってかかる。その頬を男の拳がまたしたたかに打ち据えた。

「なめた口、聞いてんじゃねぇぞ! お前の親父がデッドストーンならよお……さらにぶん殴っとかないとなぁあああ!!」

 ちきしょう。とデッドストーンは歯を食いしばった。痛みより、悔しさの方が勝った。男の腕が大きく振りかぶられ、デッドストーンは次の一撃を予想して思わず目を閉じる。

 その時である。

「ユーリ・デッドストーン!!!」

 路地裏に凛とした声が響いた。

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