第3話 赤い遺跡

 村人たちの熱狂ぶりと言ったらなかった。私を剣の姫と呼び、外で様子を見ていたおんな子どもたちもダイニングに来て、私の身体に触れようとしてきた。何か珍しい生き物にでもされてしまったかのようで、心底居心地が悪い。

「苦難が長かったのでしょう。人は苦境が続くと短気になり、頑なになり、信仰心が強くなると言います。剣の信仰と、姫の帯剣が結び付き、心の拠り処となっているのです。せっかくですから、愛想良く、お頼みしますぞ」

 神官騎士ボードワンが口に手を当ててそう小声で告げてきた。普段は無口な男だ。私の成長を見守ってきた彼にしてみれば、今の私の境遇を心底、喜んでいるのだろう。

「終にあなたまで、私を姫と呼ぶのね」

 私を最初に姫と読んだのは、ハルトマンだった。呼び名は大切、とか言って私の苦言に対して、誰一人として改めることは無く、すっかり定着しつつある。本来は、正統王家の女児に対する敬称であって、自主独立を尊ぶ封建領主の当主に対する呼び名としては相応しくない。私としては、そろそろお嬢様と言われる年齢も過ぎる頃合いであるし、今は家徳を継ぐ宣誓も済ませてあるのだから“ご当主“とか、私の好きな響きの地方の名“アマーリエ“とかで呼んでもらいたいところだ。私の本名はルイーサだが、ちょっと勇ましすぎて本人がしっくりこないでいる。姫と呼ばれるのは、それ以  上に何か、むず痒いものがある。  

 乱入者たちを外に追い出すと、村長は私の隣に座った。

 この集落は、一言で言って仕舞えば、貧しい村だった。

 牧羊と小麦、柑橘や葡萄の栽培は見受けられたが、どれも粗末なものだった。村人たちの衣服も、自家製の物ばかりだ。通商において、不利な立場である事の証明でもあった。

 ロロ=ノアが酒を勧めながら、村長から話を聞き出した。

「これからお話しする事は、この地方の者ならば皆、口を閉ざしている事です。風評が広がれば、更に通商も寂れて西方から取り残されてしまうからです」

 そう前置きされた話しを聞けば、この地方の土は風土病に冒されており、羊や小麦も育ちが悪いそうだ。少なからず、この話は私たちの動揺を誘った。他所者にとって、風土特有の病はとても危険だからだ。正直を言えば、長居するのは、避けたいところだ。しかし、村長の奥方から注がれる視線に、ただならぬ想いを汲み取った私には、その心底にあるものを聞き出さずにはいられなかった。

 村長の頼み話の詳細を聞くため、静かな中庭の一角に会談の場所を移した。

「葡萄酒の染みは、取れましたでしょうか?本当に、大切なお着物に粗相をしてしまい、何とお詫びを申したら良いか」

「その事は、もう問題ありません」

なるべくやんわりとした仕草を気遣いながら、片手を低く挙げて村長の詫びに応える。

「それよりも、私たちに頼みたい事があるのでしょう?多くは無い備蓄を振る舞って頂いている事は、失礼な物言いかも知れませんが、察しがついています。私たちも心から感謝している次第です。どうか遠慮はせずに、お話しください」

 一人、孤独なのが心寂しいのか、もじもじと恐縮とも、困惑ともとれる素振りでいる村長に、一緒に着いて来たロロが、助け舟を出す。 

「皆、今日はしこたま酒を呑んでいます。記憶を無くす者が多く出るでしょう。明日には恩も忘れて、早々に次の旅に出発してしまうかも知れませんよ」

 私たちは、鶏か猫ですか。

 まさか、そんな事を思ったわけでは無いだろうが、話のきっかけを得た村長は、心苦しいとばかりに吃るように、ようやく話し始めた。

 その内容はこうだ。

 ひと月ほど前、放牧中の羊飼いが小柄な蛮族の集団に襲われ、二十頭ほどの羊が奪われた。羊飼いは少年で、他所から流れ着いた独り身だった。少年の話を聞いた村長は集会を開き、対応を協議した。結果、力自慢の青年たちで討伐隊を編成し、蛮族退治に出かける事になったそうだ。羊飼いの少年は蛮族の姿を見ていたため、証人として同行した。討伐隊は何度か空振りを繰り返したのち、数日後に寝ぐらを発見し、その内部へ攻め入った。青年たちは鍬や鎌や棍棒を手に戦い、羊飼いもスリングという石投げ紐を駆使して勇敢に戦ったそうだ。しかし、蛮族たちは圧倒的に数が多く、寝ぐらの中で取り囲まれてしまう。

 そこで、蛮族側から申し出があったのだという。ここにいる一人が人質となり、後の生き残りは村に戻って、羊をもう二十頭連れて来い、と。そうすれば人質も返し、村の羊は二度と奪わない。

「それは、どうにも・・・」

 私は思わず唸った。蛮族と、まともな政治交渉を望めるはずがない。

「青年たちによれば、羊飼いが自発的に残ると告げたそうです。私たちは三度協議し、羊飼いを助ける事に決めました。ですが、村に戻っていた羊は十頭ばかりしかおらず、別の羊飼いに預けている分を呼び戻しに行かねばなりません。そうこうしている内に、十日ほど経ちました。準備ができたため、誰が羊を届けるか、の事でまた協議となりました。先の討伐で怪我をした青年たちは、蛮族を恐れてしまい嫌がったため、残る男勢たち総出で寝ぐらまで、羊を届けに行きました」

 村長がそこで言葉を止めた。

「蛮族たちは、約束を守りましたか?」

 ロロが先を促すように、語りかける。

「いえ、蛮族どもは現れませんでした」

「それで、どうしたのです?寝ぐらに、入ったわけではなさそうですね。羊を置いて、立ち去ったのですか?」

「どちらでも、ありません。寝ぐらに入るなんて、とてもできませんでした。羊を置いていこう、という話になりましたが、羊二十頭とは、私どもにとっては、相当な財産です。持ち主が反対し始め、こちらは約束は守ったのだから、出て来ない方が悪い、と言い張るのです。念のため、何度か大きな声で呼びかけをしながら、一刻ほど待ちましたが、結局、姿を現さなかったので、私どもは羊を連れて村に帰りました」

 村長は顔を隠すように瞳を下げたまま、力なく話した。それから、蛮族の襲撃はないのだと言う。

「我々に、様子を見てきて欲しい、と言うのですね?」

「は、はい!その通りです。お頼みできますでしょうか?」

 縋るような思いで、という表現がやはり最適だろう。気持ちがはやって、エルフの袖を掴んでから、はっと我に返ると慌てて手を離した。

「分かりました。行きましょう」

 私の意思は話を聞く前から、決まっていた。それはロロ=ノアの助言でもあるし、そもそも私の使命でもある。私は、この村の住民たちに財産と生命を外敵から守る事ができる存在である、ということを証明する必要があるからだ。

「しかし、条件があります。蛮族との交渉とは違います。これは貴族の血にかけての宣誓です。この土地を我がクレーレンシュロス伯の領地として保護し、発展させ、税を徴収します。あなた方は領民となり、仕事に勤しみ自らの意思で、私に協力を誓うのです」

 村長は、涙ぐんだ様子で震えながら、ありがたやと呟きながら、跪いて手の甲に接吻をした。もとより、そのつもりの酒宴だというのは、私にも分かっていた。協議なるものを行うことなく、村の住民の総意を得る事はできるだろう。これは、きっと予定調和だ。交渉に成功したのは、むしろ村長の方なのだから・・・。

「そうと決まれば・・・」

 私はダイニングに戻ると、騎士たちに大まかな説明をし、酒宴を終えて情報収集と作戦会議を行う旨を告げた。蛮族の数が一向に判らないでは、どうしようもない。まずは偵察を行う必要がある。

 ところが、騎士たちの反応は意表をつくものだった。道中、節度と気品を保っていた私の騎士たちは、もはや酒の入った荒くれと化したかのように、木皿を縦に持って机に叩きつけ一斉に異議を表したのだ。

 正直、私は動揺した。頭が真っ白になった。

「これは、すぐにでも対応すべき問題です。明日の朝にでも出発したい!蛮族を侮っているのですか!?これ以上飲んでは、戦いになった時に差し支えます!」

 これを制す事が出来なくては、ここを領地とする事など、到底出来ない。今後の制覇行にも支障をきたしかねない。一大事と感じた私は、焦った。そんな私の元へ、和かな表情でハルトマンが近づいてきた。

「恐れながら、股肱の臣下が忠信を申し上げます。姫の下知により、我らの心はすでに戦いに向けて武者振るいを禁じ得ないほど高揚しております故、お申しの通り宴は取りやめ、直ちに戦勝祈願の宴を始めたく存じます。皆、明日は倍増した力を発揮してご覧に入れますぞ。何卒、ここはご了承くだされ」

 私は思わずロロを見てしまう。ロロは何も言わずに、流暢にお辞儀を返した。それを肯定と察し、私はそのまま続けよ、と告げた。次の瞬間、騎士たちはまた木皿を机に打ち付けて喝采を揚げた。

「ご英断に感謝を!」

「戦の神にこの酒を捧げようぞ!」

「剣の姫にも乾杯だ!」

 どの道、宴をしたいだけの話じゃないか。そう思いながら、ロロにも負けない丁寧なお辞儀をするハルトマンに返礼し、彼を席に着かせる。彼は騎士たちから、ちょっとした英雄を迎えるかのような待遇を受けながら、満面の笑みで席に腰掛けた。

 私は、男たちが酒宴に対して精神的な意義を見出している事に、この時に初めて気付かされた。そして同時に、男たちとは基本、だらしのない生き物であることもすぐに知る事になる。


 丘陵地のまばらな木々に朝日が差し込み、壮大な縦縞模様をつくる頃、呻き声を漏らしながら、従者の手伝いでやっとこさっとこ馬に乗った勇壮なる我が飲んだくれ騎士団を連れ、村の青年による道案内のもと打合せた場所へと馬を進めた。蛮族の襲来と行き違いにならないように念のため八名の騎士とその従者らを村の守りに残し、今回の討伐行には、十四名を連れて行く事に決めてあった。従者たちを合わせれば総勢 三十余名になる。

 子ども時代、蛮族の“寝ぐら“を秘密基地と称して遊んだという案内役の青年の話によれば、実のところそれは、地下深くへと続く古代遺跡であるらしい。永い年月によるものか、地下への道は半ば崩壊しており、それほど深くまでは行けないとの事だ。そこまでは、一刻ほどで着くという話だが、松明と火口箱、ロープや楔の他にも、念のため三日分の保存食も村長から受け取っていた。

「寂しい数ではありますが、領民たちに見送られ、いよいよ姫騎士団の初陣ですな」

 ハルトマンの陳腐なネーミングセンスが露見する。流した方が、変に定着する危険を避けるには妙策かと思われた。

「彼らの瞳に、朝日を反射する甲冑姿の一団は、さぞや勇壮に映っている事でしょう。まさに、希望の星々の出陣!」

「ハルトマン。私がどのように見られているかは判らないけども、逆に私自身、村の人たちにあまり良い印象を感じなかったわ」

 先導役の青年には聞こえぬように。

「羊飼いの少年が自発的に残ったという話は、確かに責任を感じた故の自己犠牲の精神のように思える。ただし、鵜呑みにすれば、の話よ。私は現実はそうじゃ無い、と思う」

 ハルトマンとロロは、黙って私の話に耳を傾けていた。

「他所者の羊飼いの少年は、犠牲にされたのよ。道案内もきっと無理強いだった。追加の羊を持っていく話だって、もっと早く実行出来たのに、なんで他所者の少年の命の代わりに差し出さないといけないのかを揉めたのでしょう。結論として、蛮族の襲撃の口実を無くすために実行したのか、ともすれば実行していない可能性だってあるわ」

「むしろ、後者の方に一票投じますな。約束をふいにされた蛮族どもが、いつ、怒りに燃えて襲撃してくるか、日が経つに連れてその恐怖が積もってくる。羊を届ければ良かったのではないか、それとも村を捨てて落ち延びるべきではないか」

 私はハルトマンの言葉にうなづき、話を続ける。

「村長のあの態度は、恐怖と卑下。恐ろしいから助けを頼みたいのだけれど、話を進めると否応なしに自責の念に駆られてしまう。あの表情からは、そんな印象を受けたわ」

「そう言えば、依頼の内容も“少年の救出“とは言われませんでしたな」

「負い目のある人間ほど、臆病になるものです。あまり問いたださずに、統治の取り決めだけ、お話しください」

 ロロがそう、締めくくった。確かに、暴力に対して抗えなかった人間を問いただす事は無益に思える。そもそも事の発端は、蛮族の略奪なのだ。だが、しかし、とも思う。人間は暴力を前にして、体面や理性によって隠されていたその本性を曝け出す。 戦いに一生を捧げると誓った騎士たちにとって、騎士道に体現される精神的な規律が大切とされるように、暴力の嵐の中で人間がその先に待つはずの世界に平和と安らぎを求めるのならば、その渦中にあって理性と慈しみを忘れてはならないはずだ。口にすれば、箱入り娘の戯言と言われようか。確かに、世間に出たばかりでつまづき、転げ、慌てふためく私だけれど、幼少期からの父の教育は、決して生半なものではなかったと断言できる。統治者、為政者としての心構えを伝える帝王学や、創世から続く戦乱の歴史が描かれた“戦記“をはじめ、数々の史実を父と家庭教師の指導のもと学んできた。そんな私なりに、思うところもあるのだ。戦は修復できない政治問題の最後の手段であって、常にその後の事を理性を失わずに考え続けなくてはならない。なぜなら、暴力に剥き出しの欲望が混じり合った混沌の惨劇の後に待つものは、後世まで拭い去ることの出来ない複雑に絡み合った報復の念と悲しみの連鎖でしかないのだから。それは繁栄を目し統治された人の世とは、もはや言えないものだ。

 自分の血で溺れながら、とどめを乞う少年の姿を思い出す。それは、幼少期の記憶。

 遺恨を残せば、結局のところいつか必ず怨念は再発火する。待つのは、多くの死だ。その道を避けるため、私は徹底的な破壊と寛容を同時に使いこなさねばならないだろう。

 私の故郷も、私がこれから治めて行く土地も、怨念渦巻くこの世の地獄にはしたくなかった。騎士たちも、同じ思いだろうか。故郷を出ると決めた時、散々に悪い結末を語り、全会一致で猛反対!という雰囲気でいながら、それらを受け止めることも、論破することもできずに、ただ業を煮やして私は結を求めた。すると一転、全員が賛成に挙手した。あれから、ここまで騎士たちは一人も欠く事なく従ってくれた。最初は、彼らの考えが読みかねたけれども、何だかんだで世話を焼いてくれる。私はやはり、男たちの気持ちはまだ理解しきれていない。私が領主の正当な後継者なのだから、当然と言えば、当然なのか。

 ふと、恐怖が悪寒となって通り過ぎた。

 普段はいい。こんな長閑なひと時ならば、青二才の少女の言葉も、領主の娘として尊重してくれもしよう。だが、戦さ場において高揚した戦士たちはどうか。先日の酒宴のようには、ならないか。その時に大事なのは分別ある自制か、あるいは怒涛の流れに任せる時勢か。“戦は激流である“と昔の誰かの言葉があった。その時にしか、判らないのかも知れない。臨機応変という言葉を考えた人は、なんと恨めしいほどに無責任な事か。その一言が完遂できたなら、人の世はもはや憂う事もなし、安泰じゃないか。

 すっかり考え込んでしまった。昔から、私の妄想世界には恋や花だのは訪れる事はなく、いつもこんな感じだ。いつも一人で妄想世界で自問自答をしていた。自問自答は、心地がいい。返答に窮す質問や、激しい批判を受けることがないからだ。道場に通うミュラーたち門下生と、世話焼き役の侍女サンチャがいない時は、私はずっと自分と話し合って来た。しかし、最近は空想の中でも常にイライラしている。自己嫌悪のスパイラル。


「これは、古いですね。恐らく、これは古代王朝期の遺跡でしょう」

 丘陵地の傾斜にぽっかりと空いた穴の前で、普段は口数の少ない栗色の髪の騎士ミュラーが珍らしく嬉々とした声で説明した。名が示す通り職人の家系だが、立身出世を果たした今は、幼少期からの夢であった考古学に没頭している。快活明朗な騎士が多い中、彼は大人しい性格で珍しい存在と言える。彼とは道場の門下生として旧知の仲だが、制覇行随伴の目的は諸国の考古学漫遊行のつもりではなかろうか、と最近になって訝しんでいるところだ。

 そんな彼が語る古代遺跡とは、かつて、この西方に人族の先祖たちが海を渡って移り住んで以来、幾重もの王朝を築いてきた名ごりだ。繁栄を謳歌しては滅亡を繰り返し、今では様々な痕跡を各地に点在する遺跡として足跡を残すばかり。兵どもが夢の後。蛮族との永劫の戦い、人族同志の勢力争い、果ては疫病や自然災害に至るまで、平和な人の代が永久に続くほどに世界は優しくない。まるで試行錯誤を繰り返すかのように、人族の世界は多種多様な時代を経てきた。その中でも、古代王朝といえば、魔法文明が絶頂を迎えていた時代だ。その残り香が、今日の古代語魔法を操る魔術師という訳だ。生家で過ごしていた頃、フラタニティという魔術師たちによる学会に所属する貴族に会った事があるが、残念ながら父とは仲が悪かったようで、私がその男性貴族と会話を交わす事は無かった。

「どう見ても、古びた坑道や食糧保管庫程度にしか見えんがな」

 人ひとりが身を屈めてようやく入れる程度の四角い穴の前で、クルトが石積みを叩きながらつぶやいた。どうも、クルトは余計な事を我慢できずに言ってしまう性分がある。

「私の見識を疑うので?ご覧あれ、この石積みのパターンを・・・」

 ミュラーが得意ぶって話し始めた刹那。

「さぁ、馬を繋いで、松明に灯りを。あなたには申し訳ないが、昨晩お願いした通り、内部までご案内いただきます。その身は騎士たちが一命に代えてもお守りします故、どうかご安心を」

 村の案内人に釘を刺しつつ、ロロがミュラーの機先を制した。何事も分水嶺を見極めるのが賢人というものだ。知識の泉が洪水と化す前に、土嚢で蓋をした早技は流石。

 各人、すっかり酒は抜けたようで、従者たちと共に手早く準備を終わらせると穴の前でバラバラとたむろす。馬をはじめ、持ち込めない荷物の守りに数名を残そうとも考えたが、従者らも武装はあり素人ではないのだから、彼らに任せようという話に落ち着いた。村の居残り組から逃れたのに、ここまで来て荷物番で終わりたくない、というのが騎士たちの本音だろう。よって、甲冑は脱がない彼らだが、槍や長剣は不向きと、軽装に武装変更した十四名の騎士が探索に挑むことになった。

「かと言い、この先は子どもが秘密基地として楽しめるような狭い通路が迷路のように入り組んでいる話です。全員が一列になって進んでも、立ち往生するでしょう」

 ロロの提案で、まずは先遣隊を繰り出して様子を見てくることになった。先遣隊の人選は、木の枝に印を付けたくじを使うことになった。公平を期す、という騎士たちの意向により何故か私もそれに加わる羽目になる。そこまでに、居残りを嫌うのか。一喜一憂の末、先遣隊の面子が決まり、隊長をミュラーに定めた。私をはじめ、ロロやハルトマン、クルトらはそれに含まれなかった。

 ・・・変な間が生まれた。

「姫、のんだくれの戦士どもにご下知を」

 そうでした。ハルトマンには感謝。

「蛮族の掃討が第一目標です。我らが討伐を成し得ずに撤退するような事があれば、最早この地は蛮族のものである事の証明となります。一匹残さず、殲滅せよ!続いて第二目標、羊飼いの少年捜索。行動開始せよ!」

 おぉ!と鬨の声をあがった。

 ここには村の者は案内人しかいないから、羊飼いの救出を第二目標にしたのではない。かの少年の安否は、ほぼ全員が諦めているのだ。私だってそうだ。人喰いの蛮族の群れの中、少年が一ヶ月も無事でいられる訳はない。

「先遣隊は道案内と共に侵攻!敵を確認時は深入りせずに戻って報告!不意遭遇ならば遅延戦闘で応援を呼べ!敵の数が不明な事を忘れるな。では、出発!」

 道案内を含んで六名の先遣隊は、蛮族の寝ぐらに踏み込んで行った。その姿が石造の通路の奥に消えてゆくと、天高く囀るひばりの声が聞こえてきた。

 まだ、季節は初夏に入ったばかり。やや冷んやりとする北西風が、心地よい。

 振り返ると騎士たちは自発的に整列し、待機していた。

「何?」

 ハルトマンがウィンクして応える。

「お構いなく」

 自然、私も剣を杖のように突き、起立したまま待機することになった。ロロは後ろでに腕を組んで、空を眺めていた。

 先遣隊は思ったよりも早く戻った。内部に蛮族との遭遇は無かったが、その痕跡は見受けられた。先に進むと道案内の記憶にあった崩落箇所が掘り広げられ、もっと奥まで道が続いていた、という。

 道案内を従者たちと一緒に残し、今度は全員でそこへ向かうことにする。各々が盾を背負い、武器と松明を手に進む。蛮族の寝ぐらとなった、かつての子どもたちの遊び場は、進むに連れて蒸し暑くなり、蛮族が残した糞尿の臭いで咽せ返りそうになった。

「温泉でもあるのか?」誰かが呟く。

 ロロの顔が陰った事に気づく。

「精霊の力を感じません。まぁ、古代の遺跡にはよくある事ですが」

 その意味するとこは理解できなかったが、私にはいつもの彼女の余裕、というかどこか呑気な素振りが消えている事が少し気がかりだった。まるで生理痛を我慢しているような、表情だ。あれ、そう言われてみれば、私のそれはそろそろ訪れる頃合いの筈だ。今は心底、勘弁して欲しいと願った。

 崩落した石積みを脇に寄せて、木材で補強してある地点まで到着した。蛮族の気配はなく、その先は石造の通路が十字に分岐していた。迷路、というよりも、熱気と湿気から古代の浴場を思わせた。

 ハルトマン、ミュラー、ボードワンらに二名ずつを預け、四隊に別れて虱潰しに進むことにした。どこかに隠れている蛮族たちを逃さずに掃討するのが今回の目標だからだ。ちなみに、人選の理由は、新参者だが、年長者を立ててのハルトマン。慎重な性格のミュラー。司祭位も持ち、分別と人望を備えたボードワンという判断基準だ。最年少のクルトは独断専行を懸念したのだろう、ロロの進言で手元に置く事にした。ボードワンは、私の側にいたいと申し出たが、断った。

 石造の古代の施設は、幅1メートルの幅で統一された造りだった。縦横にまっすぐ走る通路と、幾つもの小部屋で構成されているようだった。木製の扉は、湿気と歳月の為か半ば朽ち、金具も腐食している。その扉をいちいち開く必要も無かった。蛮族の仕業であろう、その殆どが破壊されて開け放たれていたからだ。羊を料理した痕跡や、その毛皮で作られた寝台も発見した。蛮族たちの生活の痕跡である。

 どこかで閉じられたままの扉を打ち破る音や、話し声、甲冑の足音が聞こえるが、それらは皆騎士たちが立てる音だ。

 すでに、どこか別の地へ移ってしまったのだろうか。生来、蛮族たちは定住を嫌い、狩猟と略奪の日々をモットーとしている。だとすれば、空振りだ。近くにいるのならば、またいずれ村は襲撃される。彼らにとってあの村は、脅せば羊を差し出してくる、犠牲を出さずに収穫を得られる“旨味“のある村になってしまったからだ。と、なると掃討が終わるまで、どれだけ時間がかかるか見えなくなってしまう。地の利は他所者の我らには無い。 

 だとすると、厄介だわ。

「ここは、鉄の扉ですね。調べてみますので、下がっていてください」

 ロロはそう告げると、金製の小さな棒を取り出し、扉の周囲も含め念入りに調べ始めた。調べるとは、罠があるという事か?一通り調べ納得がいったのか、今度は2本の棒に持ち替えて鍵穴をいじくりだした。ほんの数秒で、カチリと音がした。

「安全です。鍵も開きましたし、部屋の中に気配もありません」

 おぉ!お見事!とクルトたちが賞賛する。

 こんな妙技はロロ=ノアにしか出来ない。彼女がいなければ、きっと私たちは相手が木の扉だろうが鉄の扉だろうが、槌を振り上げ破壊して回った事だろう。想像すると、文明人気取りで古代遺跡を破壊しながら、蛮族を退治しようとしている自分たちが、滑稽に思えてきた。

 果たして、部屋の中は、一風変わった様子だった。

 フラスコ、という物だったか。高度な技術で硝子を瓶の形に加工した物が、広い机の上にびっしりと並べられていた。滅多に見ることのない、とても高価な代物だ。それに、何かの資料だろうか、棚には羊皮紙を糸で束ねた書物が整然と並べられている。荒らされた形跡はないので、きっと古代の姿のままなのだろう。ミュラーが見たら、歓喜しそうな光景だ。

「当然ですが、古代語です。少しかじった程度ですので、全文は解読できませんが、この遺跡の利用目的が判ると思います。調べてみても?」

 そうしたい、と顔に書いてあった。ロロがいつもの元気な様子を取り戻しているのが嬉しくて、否、安心して、軍師であり作戦参謀たる紋章官の意向を尊重する事にした。

「オランジェ、ミュラーと隊長を代わり、彼をここへ」

 騎士のひとりに指示をして、この部屋で少し休憩する事にした。カビ臭さと、ほこりの臭いはするが、蛮族が使っていた他の部屋よりはマシだった。合流したミュラーが、予想通り、子どもの様にひとしきりはしゃいだ後、ロロと二人で文献を解読し始める。解読が始まると、途端に無言で作業に没頭しはじめた。松明の煙と蒸し暑い湿気の中、よくもまぁ、集中力が保てるものだ。

 しばらくすると、退屈を持て余したクルトが引き出しの中から何かを見つけたと持ってきた。それは、カビだらけの革製の袋に包まれた小瓶だった。中身はやんわりと青白く発光する液体のようだ。同じ物が大量に出てくる。ミュラーがカビを拭うと、革袋の表面にうっすらと文字が確認できた。

「・・・相対する液体?」

 相対とは、二種類あるという意味であろうか。この部屋で見つかった液体は全部青色で、一種類しかないように見えたが、見た目では判断できない類の物だろうか。それとも、別の意味なのか?

 すぐに興味を失ったクルトが、他の隊の様子を見てくる、と言い出した時、誰かが呼ぶ声が聞こえてきた。反響して何処からの声か判然としなかったが、エルフの聴力がその性能を発揮した。ロロの案内でボードワンの部隊のもとに駆けつけると、そこでは大量の羊の死骸が見つかった。解体されていない、丸のままの羊だ。

「何だこれは。下がボロボロだ。これは、間にも見た感じか?」

 短剣で羊の毛をどかしながら、ボードワンが気持ち悪そうに言うと、ロロが慌てて離れるように叫んだ。

 一同はロロのいつもと違った様子に驚き、羊の死体が今にも動き出して襲いかかってくるかの様に武器を構えて身構えた。

「いや、死因が不明です。風土病の話もありましたので、近くで息を吸い込むのも危険があるかも知れない、という話です。ダガーも水で洗っておいてください」

 ロロが笑顔で取り繕うように指示した。どうも何か、彼女の様子にいつもの精彩を欠いているような違和感を覚えた。

「ロロとミュラーは、調査に戻って。クルトと私はボードワン隊と一緒に捜索します」


 今のところ、敵影はない。少年の姿もない。だが、徐々に、ゆっくりと、不安感だけが暗闇に積り出す。つい先程までの闇と、今の闇とがまるで異質なものに変わってしまったかのような、錯覚さえ覚えはじめる。

 突然、ビシャビシャと異音が通路に響き、私は驚いて振り返った。ボードワンが水袋を傾け、短剣に水を浴びせているところだった。石畳を打ち付ける水は、はじけながら継ぎ目に飲まれていく。

 それを見ていた私の首筋に、悪寒が走った。

 耳鳴りのようなざわめき。

 そして、微かな振動・・・?魔剣が震えている?

 漠然とした不安が押し寄せてきた。

“何か、危険が迫っている“

 ボードワンが綺麗な部分の羊の毛で、短剣を拭い終わるのを待ち、今までよりも増して、慎重に捜索を再開することにした。

「不吉な気配を感じるわ。よい?気を抜かないで」

 熱気と湿気に汗が混じり合い、息苦しさまで感じ始める。何か、得体の知れないものが、闇の先から襲い掛ってくるかも知れないという妄想が、呼吸を荒くさせて、疲労を積もらせる。甲冑がいつもより重さを増し、空気の澱みが肺を蝕んでいるかのように感じた。

 しっかりしろ、まだ何も起きていない。

 そう。この時はまだ、何も・・・。

 その時、またもや通路に誰かの声が反響し、私は数センチ飛び上がる。

 クルトが、両手を広げてやれやれ、と告げてくる。

 な・・・。もぅ!

 私たちは、声の方へと向かった。呼集をかけたのは、ハルトマンの隊だった。松明の灯りが届き、その表情が判ると、事態の深刻さが知れた。いつぞやに嗅いだことのある、チーズのような腐臭が漂っていた。


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