Noel
川上毬音
【1】
「荷物、日曜のお昼頃までにまとめておいてね」と、母さんは何日も前から、僕と顔を合わせる度に言った。
そんな二回も三回も言わなくてもいいのに、と思ったけれど、母さんなりに僕のことを心配しているのだと思う。それに対して、鬱陶しいとは思わなかった。
まとめておいてとは言われたものの、いざ作業を始めると、いかに自分の部屋に物が少ないか改めて実感させられた。お祖父ちゃんの家に持っていく荷物は、たったの段ボール一箱で済んでしまった。
僕は今日、生まれ育った家を離れる。母方の祖父の元に身を寄せることになった。
けれどこの引っ越しに関する一連の流れは、僕の意思とはほぼ無関係に決まった。何かを訴えたり、抗ったりする気力が起きなかった。
というより、他の物事に対してもそうだ。
この無気力な状態が一体どれくらい前から続いているのか、僕はもう分からなくなっていた。
物心ついた頃から、大人しいね、内気だね、静かだね、そんな風に言われ続けてきた。
けれどそれは決して良いこととは言えない、むしろ損をすることのほうが多いと、成長するにつれてだんだん分かるようになってきた。
大人数より一人でいることのほうが好きで、となると必然的に友達もできにくかった。勉強も大事なのかもしれないけど、どうして学校は人との距離の測り方は教えてくれないんだろうと何度も思った。
それでも、中学まではまだ比較的平穏に過ごせていたのだと思う。息苦しさを覚えるようになったのは、高校に入ってからだ。
何がきっかけだったのかは、今となってはもうよく分からない。
クラスの中で目立っている男子数人、僕が一番苦手なタイプの人達の、標的にされた。
だから僕は「尚樹、もしかしてクラスでいじめられてるんじゃない?」と母さんから聞かれた時も、「安藤くんが嫌がらせを受けてるって、クラスの他の子から相談があったわ。先生、話ならいくらでも聞くから。我慢しないで」と担任から言われた時も、最初は首を横に振った。
大丈夫、別に平気、大したことないです、そう答えた。
僕なんかに構わないでほしいと思った。完全に救い出せる方法なんかきっと無いんだから、中途半端に優しくされたくなかった。だったら放っといてほしいと思った。
けれど、心がそんな状態なら、それが身体にも影響を及ぼすのは時間の問題だった。
教室に行くのが憂鬱で仕方なかった僕は、学校を休みがちになっていった。
そしていつしか、両親も、担任も、無理に僕から話を聞き出そうとするのをだんだん諦めていった。学校に行くことを強制もされなかった。
ただ、僕が自分の部屋のベッドの中でもぐらのように
僕の知らない所で、僕のことが話し合われていた。そうして、僕の転校が決まった。
あの教室にもう行かなくて済むと思うと多少気が楽だったけれど、環境が変わっても、また別の教室で同じことが起こる可能性だって十分にあった。僕自身は、何にも変わっていないのだから。
がらんとした部屋を、改めて見回す。勉強机とベッドだけはそのままにしておくことになった。
もう持っていくものは何も出てこないと思うけれど、最後にもう一度クローゼットの扉を開けて中を確認した。物一つない、空っぽの空間。
続いて、机の引き出しを上から順に開けていく。中に手を差し込んでも、もちろん何も当たらない。
と思っていたけれど、最後の、一番下の引き出しを開けた時、小さな違和感を覚えた。けれど中には、何も入っていない。
違和感は、音と、引き出した際の感触だった。
もう一度閉めて、また再び開ける。
どうやら、この引き出しと机本体の間の隙間に、何かが挟まっているようだった。
少し力を入れて引き出しを机から抜き取ってみると、床に何かがことんと落ちた。
薄緑色の、小さな平べったい箱。それを見た瞬間、僕が忘れかけてしまっていた記憶が、一気に溢れ出した。
中に何が入っているのか、僕は開けなくても分かっていた。
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