最終話

 雲一つない青空が綺麗だ。久々に見た空は広かった。

 壊されて見晴らしの良くなった座敷牢で、信介は正座をさせられていた。

「信介、鬼だからといって何でもしていいわけではないし、そもそも、ヤシオはこちらに害を加えてくる鬼ではない。」

元治は優しく諭すように言った。

「ですが、兄上。やはり鬼は……。」

「うむ。危険なのはわかる。だが、正直今はお前の方が危険だ。無辜の民を危険に晒し、あげくの果てにはその民を攫って傷つけるなど言語道断だ。反省しろ。」

「兄上は、鬼を民とお認めになられるということですか? 鬼との共存をお望みなのですか。」

「ああ。人それぞれに事情はあるように、鬼にも事情はあるようだしな。」

 信介は唇を噛んだ。納得はできなくても、理解はしたのだろうか。

「待て、こいつは一度もヤシオに謝罪していない。」

 聞き慣れた透き通る声。今は怒気が込められているけれど、俺がずっと聞きたかった声だ。

「雨……、確かにそうだな。信介、謝罪はどうした。そもそも、ヤシオの許しがなければ、その首と胴体は繋がっていなかったぞ。」

「嫌だ。」

 信介はそっぽを向いた。

「信介!」

「いや、暴行、拷問を加えたことに関しては謝罪する。……申し訳なかった。でもいつか絶対、孕ませてやる。そうしたら、和姦だし問題ない。その件について謝る必要はない。」

 その言葉に雨が信介に殴りかかりそうになり、元治が必死に抑え込んでいた。

「いや、俺はもういいんだ。それより、村の皆は?」

「毒の件でしょ。そんなのとっくに解決してるよ。」

「えっ。」

「うちには先生もいるし、俺だって解毒剤を作れる。特に、今回の毒は比較的有名どころだったから、解毒剤も簡単に作れた。皆無事だし、ぴんぴんしてるよ。」

 俺はその言葉を聞いて、全身から力が抜けた。本当に良かった。村の皆が生きててくれてよかった。思わず涙腺がゆるむ。

「でも、ヤシオには皆怒ってるからね。村に帰ったら多分相当叱られるよ。」

「……当然だな。ちょっと待ってくれ、近々戦が起きるっていうのは?」

「ん? 戦?」

 元治が不思議そうな顔をする。

「ありえんだろ。」

「そんなことない、戦はいつ起きてもおかしくないんだ! 国盗り合戦が盛んに行われてるんだろう?」

「あ~……。」

 元治と雨が気まずそうに顔を見合わせていた。何だ、その反応は。俺は何かおかしなことを言ったか。

「その件についてだが、この国の新しい主は決まっていてな。」

「え? もう終わっていたのか。」

「ああ、私なんだ。」

「…………???」

 俺は一旦落ち着いてからその言葉を反芻した。俺は今、何の会話をしていた? 国の主の話だよな。つまり、この国で裁量権を持つ一番偉い人ってことだ。それが……元治? なんで?

「はあ? そんな出鱈目なことがあるか!」

「いや~、最後の大戦が終わった後、気を抜いたら失神してしまってな。だからあそこで倒れていたんだ。」

 ははは、と笑って頭を掻きながら照れくさそうに言う。

「そう言うのは早く言え!!!! 阿呆が!!!」

 俺の怒鳴り声が、風通しの良くなった座敷牢に響いていった。



***



 元治と信介とは、座敷牢で別れた。信介は相変わらず俺のことを恨めしそうに見ていた。あれはなかなか根が深そうだ。鬼への依存は、とても強いもので簡単には消えないだろうから。俺が信介に謝ると、元治と雨に怒られた。ヤシオはただの被害者だから、謝る必要はない、堂々としてろ、と。

 村に着き、村人たちにお詫びの挨拶も終わったので、雨と二人で境内を歩く。久々に来たが、ここは空気が澄んでいるから好きだ。雨が小さい頃は、度々訪れてお参りをしていた。夏にはまた祭りがあるから騒がしくなるだろう。祭りを楽しむ皆の様子が目に浮かんで、嬉しくなった。

「ね、叱られるって言ったでしょ。」

「ああ、よくわかった。」

 俺は雨の予告通り、俺は村に帰ってすぐ、かなり叱られた。でも、それは俺を慮ってのことだった。村人たちは口々に、どうして勝手な真似をしたんだ、心配だから一言相談しろ、と言ってきた。まったくだ。結局、俺は皆に迷惑をかけて、助けてもらって、心配までされて。俺が守ろうと思っていたのに、守られてしまっていた。こんな俺が、このまま村でのほほんと暮らしていていいのか少し不安になった。

「また、変なこと考えてるね。ヤシオは、村にいてくれるだけでいいんだから。」

 雨は俺の心の内を見透かしているかのように言った。

「ああ、ありがとう。」

「うん。」

 雨はふにゃりと笑った。ああ、俺はこの顔が見たかったんだ。そう思ったら、言葉が勝手に口をついて出てた。

「雨、好きだよ。愛してる。これからも俺の傍にいてほしい。ずっと、ずっと、大事にするから。」

 雨の顔は耳まで真っ赤だった。雨でも照れることがあるんだな。より一層、雨のことが愛おしくなった。雨はもごもごと口を動かしたと思ったら、急に固まってしまった。

「雨?」

 俺は焦って雨の肩を掴んで揺さぶった。雨がはっと我に返る。

「ごめん。嬉しすぎて、ちょっとどっかいってた。」

 何だそれ。おかしくて、俺は吹き出してしまった。

「ははっ、雨は面白いな。」

「何それ。ひどくない? そりゃ、告白が成功したら浮かれもするよ。」

 笑われたのが勘に触ったのか、やや尖った口調で言い返してきた。けれど、すぐに頬を緩めた。

「あのね、ヤシオ。ずっと言おうと思ってたことがあってさ。」

「うん?」

「おれの本当の名前、“雨”じゃないんだよ。」

「えっ。」

 でも、雨と初めて会ったとき、雨は自分のことを“あめ”と名乗った。聞き間違いをしていたのだろうか。だとすれば、申し訳ない。俺は何年も名前を間違えていたことになる。

「いや、“あめ”ってのは合ってる。正しくは、“天”と書いて“あめ”なんだ。母ちゃんから昔聞いた話では、おれが生まれたとき、今みたいに快晴の青空だったらしいよ。そんで、そういう空色のことを天色(あましょく)って呼ぶから、天で“あめ”って名付けたんだって。天で“あめ”とはほとんど呼ばないけどね。」

「俺、すごい酷い間違いしてるじゃあねえか! 本当にすまん!」

 俺は天に頭を下げた。早くに親を亡くし、残されたものがほとんどなかった天にとっては、生まれたときに貰った名は、本当に大事なものだっただろう。

「え、おれが言いたかったのは、ヤシオがおれの伴侶になるから、本当の名前を知ってほしかっただけなんだけど。」

 伴侶、という言葉に俺は体が震えた。そっか、俺、こいつと一緒になるんだ。そう思うと、なんだか体が熱くなってきた。

「あと、おれは雨ってのも気に入ってる。だって、おれとヤシオが出会った時、雨がひどい夜だったでしょ。それで、おれの名前が“雨”って運命的じゃない? おれは、ヤシオと出会って今のおれ――、“雨”になったんだ。」

「そうか。」

「うん。」

 雨が屈託なく笑った。

 俺は雲一つない空を見上げた。この空のどこかで、先に逝った仲間たちが見守ってくれているのだろうか。今までは、一人取り残されることが寂しかった、怖かった。それは今も変わらないけど、雨がずっと傍にいてくれることを約束してくれたから。

「それでね、ヤシオ。」

「どうした?」

「寂しがり屋のヤシオのために、子どもを沢山作ろうと思うんですが、どうですか?」

「こんな昼間からやめろ! 阿呆!」

 俺が怒ると、雨はもう夫婦なんだからいいでしょ、と笑った。気が早いんだよ!


 鬼と人が交わり、子を成し、幸せな家庭を築いていくのはきっと

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

交じり合う 梨子ぴん @riko_pin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ