第34話 それはある日のSOS(後半)


 その日。


 コラボ限定オムライスに次いで、コラボ限定パフェまで堪能した夏美にようやく解放された丹原は、部屋に戻ってベッドの上に寝転んでいた。


 一度中断されてしまったせいか仕事に戻る気にはなれず、といって遊ぶ気力もない。だから丹原は、さっそく姉から送られてきた『おすすめリスト』とやらを眺めながら、ぼんやりと横になっていたのだが。


「おすすめって言われてもな……」


 ざっと20はリストアップされていそうなそれに、丹原は眉根を寄せる。


 なんとなくではあるが、タイトルを見ただけで充実のラインナップであることが窺える。コメディに日常系、丹原が好むムズキュンラブコメに青春もの。有名どころからマイナーまで、アニメや漫画が余すことなく載せられている。


 きっと見たら面白いのだろう。一度目を通せば、夢中になるのだろう。


 だけど、気力がないのだ。一話目を見る時間が、一ページ目をめくる体力が、今の丹原にはない。よしんば一歩足を踏み出せたとしても、その後で膨大に時間を取られることを思えば、どうしても躊躇してしまう。


 なんて。前は趣味に「時間を取られる」だなんて。そんな風に考えもしなかったのに。


 そんなことを思い、丹原は自嘲的な笑みを浮かべる。夏美の言葉を借りるわけではないが、すっかり枯れてしまったものだ。心の養分を切らしているうちに、いつの間にか熱を欲する気持ちすらも失ってしまった。


 と、その時、丹原の目にとある文字が飛び込んできた。


「小説サイト『モノカキの城』?」


 どう見ても作品名ではないソレに、思わず目が吸い寄せられる。ご丁寧にリンクを張り付けてくれていたので、なんとなくぽちりと押してみる。画面がページに跳ぶのを見ながら、丹原はベッドの上で身体を起こした。


「えっと。投降された小説を無料で読めるサイトってことか」


 見慣れぬ画面をすいすい指でスクロールしながら、そういえばと丹原は思い出した。


 ファミレスで姉が話していた。最近、WEBで公開されていた無料小説が出版社に拾い上げされて、書籍化したりコミカライズ化されたりしている。つい最近アニメ化された作品まで出て、これからもっと盛り上がっていくんじゃないかと注目していると。


〝リアルタイムで応援していた作品が、本になったりマンガになったりするって、すっごく夢があるって思わない? ランキングとかコンテストとかもあるし、色々探してみると面白いよ!〟


 姉の言葉を思い出しながら、なんとなしにサイト案内を開く。案内に書かれている掲載作品数を見て、軽く目を瞠った。


「56万!? そんなに!?」


 公開されている作品がそれだけあるということは、当然書き手も相当いることになる。


 サイトのコンセプトを見る限り、拾い上げやコンテストからの書籍化もあるものの、基本は書き手が書きたいものを自由に公開する場所のようだ。そういう場所に、これほど多くの作品が集まるぐらい、世の中には書き手が溢れているのか。


(リアルでは何をしている人たちなんだ?)


 小説家志望の学生だろうか。かつて二次創作を楽しんでいた大人かもしれない。家事の合間に執筆にいそしむ奥さんもいるだろう。もしかしたら、自分と同じく仕事に追われたサラリーマンもいるのかもしれない。


 画面の向こうにいる書き手が、どんな人たちなのかはわからない。だが、ここにいる人たちが誰に強制されるでもなく、自分の意志で物語を書いて投稿をしているのだけはわかる。


「……物好き、なんだな」


 ぽつりと、そんな言葉がこぼれた。


 誰に求められたわけでもない。一円の得になるわけでもない。だというのに手間暇かけて物語を生み出して、無料で世の中に提供しようとする人たちがいる。


 少なくともそれは、日々仕事に追われる今の丹原には理解し得ない行動だ。


 だが、だからこそ逆に興味が湧いた。ここには、どんな作品が掲載されているのだろう。この中には本当に、姉が言うような『夢』に満ちた出会いがあるのだろうか。


 丹原はまず、試しにランキングを開いた。そして、「うげ」と声を漏らした。


「全209話……随分、大長編だな」


 その時開いたランキングは、たまたま上位が大長編作品で占められていた。当時の丹原は、かつて好きだったアニメやマンガでさえ、手を出すのを躊躇うレベルで疲弊していた。試しに読んでみるには、長編作品は少々荷が重すぎた。


 だから丹原は、作戦を変えた。モノカキの城は、ランキングの他にも直近の更新履歴や検索ワードでも、作品を絞り込むことが出来るらしい。


 それらを駆使して丹原は探した。出来るだけ短編で、さっくり読めるものを。疲れた心に効く、ほのぼのした作品を。かつて好んで嗜んだ、読み手をムズキュンさせてくれる逸材を。


 そうして丹原は、奇跡のような確率で、当時まったくの無名だったポニーさんのデビュー作を偶然にも引き当てたのである。


「……なん、だ、これは……」


 お気に入り登録ゼロ。感想ゼロ。応援ポイントゼロ。昨日公開されたばかりの3ゼロが揃った作品を見つけたのは、本当に偶然だった。検索結果に出てきた中で一番更新日が新しく、短く、かつあらすじも自分好みだった。


 だから丹原は、深く考えもせずにページを開き、小説に目を通したのだが。


「こんな良作がまだ誰にも評価されてない!? あり得ないだろ!! ていうか、終わり!? 続きはどこで読めますか!?!?」


 軽く錯乱しながら、丹原はもう一度作品紹介ページを見直す。けれども何度見ても三つ並ぶゼロの数字が変わることはなく、『短編』の表記が『連載中』に変わることもない。


 いやいやいや。間違ってるだろと。丹原は慄きながら顔を覆った。


 好みだった。とにかく、ひたすら好みだったのだ。


 堅物ゆえ素直になれない強面ヒーロー。ヒーローの心が読めてしまう恥ずかしがり屋のヒロイン。


 展開も設定も王道だ。ベタなくらいに王道だ。だがそれがいい。こういうのが欲しかった。待っていたとさえ言ってもいい。


「な、ん、で!! 続きがどこにも書いてないんだ!!」


 誰に叫ぶともなく、丹原はベッドの上で頭を抱えた。


 物語は、すれ違った二人がちょっぴり心を通わせたところで終わっている。実に爽やかで、甘酸っぱいエンディングだ。たしかに、ここで締める演出は憎いと思わせる、素晴らしい終わり方だ。


 だが待って欲しい。この二人は、絶対にここから面白くなるだろう。きっとこの先も一筋縄じゃいかなくて、すれ違ったり悩んだり溺愛されたり甘やかされたりして、読者の心をもだもだかき乱すムズキュンストーリーが展開されてもおかしくないだろう!


「くっ……。この人、ほかには何か書いていないのか……?」


 作者名:ポニー。なんとも気の抜けた平和な名前をぽちりと押し、作者ページに跳ぶ。たまたま開いた作品がこんなに自分好みなのだ。せめて同じ作者の別作品で、この消化不良感を満たそうと思ったのだ。


 だが。


「んな……っ! これが、この作品が、唯一の投稿作品だと……?」


 昨晩アップした作品が、ポニーさんが初めて投稿した作品らしい。作品欄に表示されるのはたった今読んだ一作品だけで、近況報告も特になければ、なんならプロフィールもほとんど書かれていない。本当に、登録したてほやほやのアカウントのようだ。


 だとすると、今度は別の問題で丹原はムズムズと落ち着かなくなった。


(この人は……ポニーさんは、また作品を投稿してくれるだろうか? せっかく投降した初めての作品がまったく反応なくて、やる気を無くしたりしてないだろうか)


 ソワソワと、丹原は座ったまま体を揺らした。


 あり得ない話じゃない。なにせ、このサイト――モノカキの城は、投稿するもしないもユーザーの自由なのだ。当然、気分が乗らなければ筆を執る必要なんかないし、なんなら退会することだって出来る。


 この「ポニー」さんという作者だって、当然それは同じなわけで。


(くそ! どうして誰も反応しないんだ!? 読んだ奴は、ちゃんと目を開けて最初から最後まで読んだのか!? ていうか、そもそも誰か読んだのか!?)


 焦れるあまり、わーと頭を掻きむしる。


 だが冷静に考えてみれば、これだけ多くの作品がこのサイトには投稿されているのだ。そこに新規で参入した作者が投降した作品を、どれだけの人が読んでくれるのだろう。むしろどんな良作であっても、簡単に埋もれてしまう可能性が高い。


だが、それでは困るのだ。


(この作者ひとを、このまま埋もれさせるものか――!)


 熱が冷めやらぬまま、丹原は急ぎアカウントを作成した。


 モノカキの城は、応援ポイントを入れるにも感想を書くにもサイトへの登録が必要らしい。だとしたら取るべき道は一つ。誰かがポニーさんを応援してくれないのなら、自分が全力で推すまでだ。


「感想を書いて、ポイントを入れて……それからあれだ! 最近使ってなかったけど、SNSの趣味垢があったな。アレに感想書いてリンク貼ってオススメして、それから……!」


 夢中になって情報を打ち込んで、アカウントを作って――というところで、ふと我に返った。そして、スマートフォンを握りしめたまま丹原はぱちくりと瞬きをした。


 もしかしたら。もしかしなくとも。


(俺、今、仕事のことを忘れていなかったか……?)


 ここしばらくは、寝ても覚めても頭から仕事のことが抜けなかったのに。何をしていても、どこにいても、鬱々とした想いが胸の中を締めていたのに。


 もしかしたら、自分は。


「――まだ何かを楽しいって、ちゃんと思えたんだな」


 苦笑交じりに零れた声は、最後の方は涙にぬれていた。


 考えてみれば当たり前のことなのに、なぜだかそれが無性に嬉しくて、ひどく救われた心地がした。例えるなら呪縛から醒めたようで、まるで世界が違って見えた。


 笑いながら涙を拭って。そんな自分を「やばいな」とまた一人で笑ったりして。


 そうして丹原は、アカウント名『あっきー』は、真っ白だった感想欄に感謝の気持ちをひとつしたためたのだった。


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