第16話 大変なことは重なるもの


 丹原の知らないところで、庭野が担当編集者と企画会議にいそしんだ、その約一週間後。


 何も知らない丹原は、隣のグループをちらりと見やりながら首を傾げていた。


(庭野の奴、顔色悪くないか……?)


 庭野の所属している第二グループは、いま一つの大山を迎えている。会社の設立当初から愛用してくれている大口の取引先で周年記念があり、その大型プロモーションをWEB上で打つことになっているのだ。


 先方の指定した納期が来月頭に迫る。そのため第二グループ一丸となって、デザイン部やシステム部といった他部署や取引先との最終調整など、大わらわに駆けずり回っている。


 そのさなかとあって庭野も大変そうだ。飼い犬よろしくあんなに丹原の周りをウロウロしていたのに、ここ数日はぱったりと途絶えるほど。ちなみに別ルートからも、珍しく余裕がなさそうなのを把握している。


 忙しいのは仕方ない。社会人ならそういうこともあるだろう。気になるのは、とうの本人の顔色がいまいち優れないということだ。


 案件が上手く行っていないのか。それとも疲労のためか。どちらにせよ、いつものキラキラオーラも心なしか半減しているように感じる。


 あと数日で解放されるとはいえ、あの様子では最後までもつだろうか。ちらりと心配が胸をよぎったとき、隣の席の先輩に話しかけられた。


「うわあ……。第二、マジで修羅場ってるねえ」


「ん? え、ええ」


 第二に反して、第一は差し迫った案件はない。その余裕からか、先輩はのんびりと背もたれに体を預けて椅子を揺らした。


「昨日さ。第三の安田と飲みにいったんだけど、会社にスマホ忘れたのに気づいてさ。10時半くらいに会社戻ったの。そしたら、まだ第二の連中いてさ。その時点でまだまだ帰らなそうだったし、なんだか申し訳ない感じがしたなー」


「っ、そうだったんですか」


 思わず目を瞠って、丹原は改めて庭野たち第二グループを見る。


 ここ連日、第二グループが遅くまで残っていることは知っていたが、そんな時間までいたとは。庭野などは比較的近い駅で終電にも余裕があるため、もしかしたらもっと遅くまで粘っていたのかもしれない。


 そう思う根拠は、具合の悪そうな姿だけじゃない。


(ポニーさん、ぜんっぜん更新できなくなったもんな……!)


 ポニーさんの小説の更新頻度。これぞ庭野の近況を推察しうる、別ルートの情報網である。


 あんなにマメに作品を更新していたポニーさんが、ここ数日は更新が止めてしまっていることを思い返し、丹原はくうと机の下で手を握りしめた。


『ごめんなさい! リアル多忙につき、一週間ほど更新お休みします!』


 ポニーさんのSNSアカウントの投稿があったのが、ちょうど今週のはじめだ。その宣言の通り、ポニーさんは小説の更新はおろかSNSにも顔を見せていない。


 おかげさまで、日々更新を楽しみにしている丹原は完全に生殺し状態である。


(そろそろ主人公のツンデレ娘がデレそうなのに! 満を持して、デレデレの甘々展開が期待できそうなのに!)


 あちらはあちらで山場を迎えつつあるWEB小説の展開を思い、丹原はひとり悲しみに暮れる。


 出来れば庭野本人に更新をせがみたい。「先生、WEB更新の進捗いかがです……?」と、早く読みたいアピールをしたい。それほどに丹原は、続きに飢えていた。


 だが。


(いや……。大丈夫だ。大丈夫だぞ、庭野。まずはお前の身体が一番だもんな。ゆっくり、無理のないペースで書いてくれればそれでいいから……!)


 血の涙を呑んで、丹原は人知れず推し作家ポニーさんに念を送る。


 そもそも、これまでほぼ毎日更新し続けてくれたのが奇跡みたいなものなのだ。WEB小説は誰に強制されて書くものじゃない。庭野のように忙しくて更新が止まる場合もあれば、単に飽きてしまったという理由でストップすることもある。


 丹原自身、たまたま巡り合えた好みの小説を夢中になって読み進めていた結果、実は数年前から更新がストップしていたと後から気づき、パッションを消化しきれず身悶えしたことが何度もある。


 それに比べれば、近いうちに更新を再開すると約束してくれているだけで御の字だ。


 ファンとして逸る心はあるものの、作者に倒れられてしまっては元も子もない。同じ会社なだけあって、庭野がどれだけ追い込まれた状況にあるかわかってしまうこともあり、「とにかく無理しないでくれよ! 絶対だぞ!」という思いの方が強くなってしまう。


(同じグループならフォローのしようもあるんだが、完全に担当外だからな)


 ヤキモキしつつ見守るが、どうしようもない。近くにいるのに何も助けになれないのが、却って歯がゆい。そんなことを思っていると、不意に部長に手招きされた。


「悪い、丹原。ちょっと来てくれ!」


「はい?」


 不思議に思いつつ、部長席へと向かう。すると第二のグループ長と部長が何やら難しい顔をして、一緒にパソコン画面をのぞき込んでいた。


 丹原が近づくと、部長が困ったように肩を竦める。


「すまない。第二の案件で、この段になって先方から追加要望が来てな……」


「以前、丹原君が担当した案件で、同様の依頼を受けたことがあると部長に窺いました。その時を参考に、何かうまい手は思いつきますか?」


 部長の後を引き継いで、第二のグループ長も祈るように丹原を見る。


 体をずらした二人に代わり、丹原も画面をのぞき込む。そして、顔をしかめた。


(……確かに、明日がリミットって時にこの修正はきついな)


 自身も経験したことがあるとはいえ、これは第二が頭を抱えるのも無理はない。ゼロから方法を探っていたら、3日は納期を遅らせる必要が出てくるだろう。


 だけど。


「半年前、第一で担当したONDフーズでの手法を応用すればいけると思います」


「本当か!」


 曇っていた部長たちの顔が、一気に明るくなる。丹原は簡潔に頷くと、部長のパソコンを操作した。


「その時の資料がこのフォルダと……。ああ、あと。一式まとめたものが、資料室にあります。至急お持ちします」


「ありがとう。恩に着ます」


 ホッと息を吐くと、第二のグループ長はくるりと後ろを振り返った。


「庭野君! 丹原君に案内してもらって資料を取ってきてください」


「え?」


「はーい!」


 丹原は驚くが、何か言うより先に素早く庭野が駆けてくる。


 顔色は優れないくせに、俊敏さだけは忠犬よろしくやってきた庭野に、丹原の方が慌てた。


(いやいや、走ってくるなよ!? お前、めちゃくちゃ顔色悪いんだから!)


 重い荷物を持たせて、うっかり貧血で倒れられたらかなわない。だから丹原は、第二のグループ長に首を振った。


「い、いや、大丈夫ですよ。俺だけで十分持てる量ですし、ひとりで行ってきますよ」


「いえ。丹原君の仕事の手を止めて助けてもらうのに、そういうわけにはいきません。それに今後のためにも、庭野君にも場所を覚えてもらいたいですし」


(めちゃくちゃ正論で返してくるな!?)


 ぐうの音も出ない完璧な返しに、丹原は二の句が継げずに固まってしまう。その隙に近くまできた庭野が、丹原の肩をつついた。


「行きましょ、先輩。早く、早く!」


「あ、ああ……」


 時間が惜しいのか、庭野は足早に資料室へと急ぐ。


 その後を、丹原はおっかなびっくり追いかけたのであった。

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