第53話 死にたい私の想い

 結局バイトが終わっても響也きょうやくんは来なかった。送ったメッセージの既読すら付いていない。本当にこれはただの無断欠勤なのだろうか。やっぱり不幸な事故にあったんじゃないだろうか。


「マスターさん、お願いがあります」


 店の清掃を終えた私はマスターさんの前に立っていた。


「何かな?」

響也きょうやくんの住所を教えてください」

「それはできない。いくら友人でも個人情報は話せないんだ」

「でも、おかしいじゃないですか! まだ連絡すら来てないんですよね。絶対何かあったんですよ!」

「……実は少し前に連絡があった」


 マスターさんが自分のスマホの画面を見せてくれる。そこには今回の無断欠勤に対しての謝罪、そしてバイトを辞めるという旨が書かれていた。


「そんな、なんでいきなり……」

「きっと彼なりに事情があったんだ。……琴葉ことのはさんは関わらないほうがいい」


 初めてマスターさんの口惜しそうな表情を見た。唇を噛み、どこか怒っているようにも感じる。


 でもどうして、なんで響也きょうやくんが……。


 そこまで苦しんでいる素振りは見ていない。むしろ楽しそうにバイトをしていた、いつも笑顔だった。


 もしかして全部が偽りだったの? 響也きょうやくんは苦しんでいたのに我慢していたの?


 そう考えれば急に辞めたことも納得がいく。納得はいく……けど。


 ――どうして、相談してくれなかったのよ……。


 店から出て私が響也きょうやくんの代わりに札を『CLOSED』に返す。また明日って手を振ってくれる人はいない。口から白い息が零れる。もう、本当に戻ってきてくれないのかな……。


 家でご飯を食べ終えた私は自室のイスに座った。手元には一枚のムービーチケット。もう一枚は彼のもとに。明日はどうなってしまうんだろう。


 気を紛らわすために勉強をしていても、机に置いたスマホの画面をつい確認してしまう。まだ響也きょうやくんから連絡が来ていない。何度響也きょうやくんの個人チャットを確認しているだろう。見たところで返信が来るわけじゃないのに。


 ――ピロン


 スマホから通知音が聞こえてきた。急いで確認する。


『ごめん、明日映画見に行けなくなった』


 響也きょうやくんからだった。


「はは、あはははは……」


 乾いた笑い声が零れる。何を舞い上がっていたんだろう。何を期待していたんだろう。


 そりゃそうだ。バイトを辞めるほどの事情があったのに、私なんかと遊びに行く時間があるわけない。少し考えれば分かることだ。当たり前のことなのに。



 ――涙が止まらない。



 何度袖で目元を拭おうが次々に溢れてくる。


「ほんと、最近は泣いてばかりの泣き虫だ」


 嫌味すら出てくる。でも自己嫌悪の感情は流れてこない。ただただ純粋に悲しかった。他に違う感情が混じる隙間もない哀情。背凭れに体を預けて目を瞑る。


 もう、楽しいことしか起こらないと思っていた。そう思って疑わなかった。でもこんなにも簡単に悲しくなるなんて。それだけ私は響也きょうやくんのことが……。


 そこでまたスマホから音が発せられた。メッセージのように一度鳴るだけの音じゃない。何度も何度も続く着信音。


 日頃使わないから気付くのに遅れたけど電話だ。


 そっと目を開けてスマホの画面を確認する。


しずくちゃん……か」


 期待していた人とは違い肩を落としてしまう。でも、それでもいい。今は誰かに話したかった。誰かの声を聞きたかった。私の話を聞いてほしかった。


 震える手で通話を繋げると耳元にスマホを当てる。


「もしもし」

『もしもし、急にごめんね。ちょっと心配になっちゃってさ』

「心配?」

『うん、それにやっぱり泣いてた。声がちょっと震えてる。涼音すずねちゃんって大人に見えてちょっと泣き虫だよね』

「うぅ……」

『ある程度事情聴いたよ。だからさ、吐いてごらん? そういうときは誰かに話すのが一番いいんだからさ。全部、聴いてあげるから』

「ありがとう、あのね」


 響也きょうやくんがもうバイトに来ないこと、明日の響也きょうやくんとデートするはずができなくなったこと、私はひたすらになんの整理もつけず思ったことを口にした。しずくちゃんはうん、うんと適度に相槌を打ってくれてどんどん言葉が漏れていく。


『そっか、そうなんだ』


 説明を終えて出す言葉がなくなってしまった。少しの静寂が訪れる。でもその静寂が心地いい。電話越しだけど人がいるだけで落ち着く。


『それだけ響也きょうやのことが好きだったんだね』

「うん」


 真剣なしずくちゃんの言葉に私は隠さず頷く。羞恥心は湧いてこない。私のこの感情は本物だ。


『そかそか、響也きょうやに聞かせてやりたいよ。涼音すずねちゃんはもの凄く響也きょうやのことが好きなんだぞってさ。……実はさ、響也きょうやと会ったんだ』

「え?」


 思いもしなかった言葉に間抜けな声が出る。それでもしずくちゃんはからかわず真剣に話した。


「今の響也きょうやはなんていうか、凄く弱ってるんだ。あたしの言葉なんかじゃ全然いつもの調子に戻らなくて。だから明日、響也きょうやの家まで話しに行ってくれないかな。響也きょうやを助けてほしいんだ」

「もちろん!」


 響也きょうやくんを助けられるならなんだってやりたい。


 最後に響也きょうやくんの家の場所を聞いて通話を切る。今日はもう遅いので電気を消してベッドに寝転んだ。

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