第15話 死にたい私と決断

「…………」

「…………」


 私たちは互いに背中を合わせて浴槽に浸かっていた。


 水の滴る音だけが浴室に響く。気まずくて二人の間には沈黙しかない。だけどこのままじゃダメなのは間違いないので私は固く閉じていた口をゆっくりと開いた。


「あの、その、色々とごめんなさい……」

「俺も池で叩いたからお相子さ」

「それでも……すみません」

「そこまで謝ることでもないんだけどな」


 もう平謝りするしかなかった。裸を見られてもいいとか言ってたくせに、いざ見られたらビンタなんて。今も私のワガママを聞いて、相原あいはらくんに湯船へ浸かってもらっている。


「それにしても、なんで俺を引き留めたんだ」

 

 なんでと言われても分からない。どうして私は相原あいはらくんを引き留めたんだろう。


 分からない……でも聞きたいことはあった。ならそれを理由にするのも悪くない。


「どうして私を助けたの?」

「どうして……か。そんなの助けないとって思ったからさ」

「でも、もしかしたら死ぬかもしれなかったんだよ。巻き沿いで、命を落とすかもしれなかったのに」

「そのときはそのときだよ」


 あっけらかんと答えられる。


 それでも私の疑問は解消されなかった。


 だって死ぬのは怖いはずだ。私が池に落ちたのはただの偶然。フェンスの上に立って、風が吹いてバランスが崩れただけ。そこに私の意思は一切含まれていない。だからこそ、こんな臆病者の私が死の一歩手前まで行くことができた。


 でも相原あいはらくんは自分自身の判断で池に飛び込んだ。数メートルの高さがあるあの場所から。


 そんなところから飛び込む勇気なんてまず生まれない。私には絶対に生むことができない勇気。ならどうやってその勇気を身につけることができたんだろうか。


「俺からも聞きたいことがあるんだ」


 私が考えていると相原あいはらくんが言葉を切り出した。


琴葉ことのはさんはどうして助けたときあんなこと言ったんだ?」

「……ごめんなさい。つい、カッとなっちゃって」

「別に謝ってほしくて聞いたんじゃないさ。ただ、それだけのことがあるんだろうと思っただけで。理由を聞かせてもらえるか?」


 その相原あいはらくんの言葉に逡巡してしまう。親にも打ち明けたことのない意思。これまで一人で抱え込んでた想い。


 でも、相原あいはらくんになら言ってもいいんじゃないか?


 ――私の命を救ったこの人になら。


「ちょっと長くなるけど、いい?」

「構わないさ。俺が聞きたいことなんだから」


 自然と体を相原あいはらくんに預ける。


 相原あいはらくんが私を支えてくれる。


 そこに人がいるんだって思い、なんだか安心できた。心を落ち着かせるためにゆっくりと深呼吸を行う。


 あのときのことが脳裏にフラッシュバックしないうちに始めないと。


「あのね、私にはね」


 そうして私が紡ごうとした――瞬間。


涼音すずねちゃん大丈夫⁉」


 突如雫しずくちゃんの声が聞こえてきた。私たちは急いで扉の方に目をやる。そこに背の小さな影が一つあった。


「大丈夫だから安心してっ!」

「ほんと? 響也きょうやに変なことされてない?」

相原あいはらくんはただ優しくしてくれてるだけだよ」

「おい、その言い方は……」


 心配することは何もない。そう話そうとしていただけなのに相原あいはらくんが悪手だというように反応する。その意味を数舜で気付いた。


「優しくしてくれてるって何⁉ 今そっち行くから!」


 訂正しようとしてももう遅い。ガラガラと扉が開けられる。しずくちゃんの目には私と相原あいはらくんが背中を合わせている姿が見えているだろう。


「な、な、な……」


 私たちを見て目を丸くする。驚いたように口をパクパクさせ、指差し……。


「なんで二人が浴槽入ってるのぉぉ‼」


 しずくちゃんの叫びが木霊した。

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