第32話『食い逃げ犯を追え』



 食事を終え、そろそろお店を出ようか……なんてルナと話していると、店内が急に騒がしくなった。いや、もともと賑やかだったけど、それとはまた違う感じだ。


 何の気なしに店内を見渡すと、向こうの方に人が集まり、何やら揉めていた。


「ウォルスくん、何かあったのかな?」


「さあ」


 声を聞いた感じ、喧嘩かな……と思った矢先、その集団の中から誰かが飛び出してきた。


「え?」


 深々と帽子を被ったそいつは猛スピードで俺たちの席に近づくと、ルナが隣の席に置いていた本をがっしと掴むと、そのまま方向転換。表へ飛び出していった。


「く、食い逃げ―――!」


 呆気に取られながらその背中を見送っていると、少し遅れて店長のそんな声が店の中に響き渡った。


「……あいつ!」


 俺は素早く立ち上がると「ルナ、支払い頼んだ!」と、ひと声かけて、逃げた犯人を追いかけた。あいつ、ルナの本まで盗んでいくなんて!




 ……大通りへ飛びだすと、犯人の背中はだいぶ先にあった。火球を生み出して牽制してやろうとも思ったけど、人が多すぎて無理だ。自分の足で追いつくしかない。


 それなら……と、俺は走りながら全身に魔力を巡らせる。ゼロさんに助言をもらったおかげか、俺は手のひらだけでなく、全身に魔力を行き渡らせることができるようになっていた。まだ、ほんの短い時間だけど。


 ……直後、身体が見えない何かに押されるように加速した。動きも軽い。


 道行く人々の間を駆け抜け、瞬く間に犯人との距離を詰めていく。大通りから市場の入口に差し掛かったあたりで、その肩に手が届いた。


「こいつ! 捕まえたぞ!」


「……は!? 人間のくせに、あたしに追いついたの!?」


 その顔は驚嘆の表情に染まっていて、振り向いた拍子に被っていた帽子が脱げた。紅い髪が俺の顔に当たる。髪が長い。女の子だった。


「止まれって! 食い逃げもそうだけど、ルナの本返せ!」


 食い逃げ犯が女の子だったことには驚いたけど、ここで取り逃がすわけにはいかない。俺は追いつくと同時に、相手の右腕を掴んで動きを止める。


「この、離しなさい!」


 しかし次の瞬間、俺は相手から右腕一本の力で軽々と放り投げられた。え、嘘だろ。


 空中で一回転して背中から石畳の上に叩きつけられると、鈍い痛みが全身を襲う。


「うおぉ、クソ痛ってぇ……!」


 痛みに耐えながら身を起こすと、俺を見下ろす少女の姿をしっかりと確認できた。


 つぎはぎだらけの衣服に、ボロボロの靴。褐色の肌。金色の瞳。明らかに、この街の人間とは風貌が違う。


 そして俺が一番気になったのは、その髪の間から見える……獣のような耳だった。生えている場所こそ俺たちのそれと変わらないのだけど、とにかく、獣のような耳だった。


「アンタ、オルフル族じゃないわよね……なんでそんなに速いのよ」


「……オルフル族?」


 聞き返したけど、少女は何も答えず、向きを変えて走り去ってしまった。




「……兄ちゃん、大丈夫かい?」


 全身の痛みもあり、地面に座り込んだまま放心していると、背後から声をかけられた。振り向くと人のよさそうなおじさんで、どうやら近くでお店をしている人らしい。


「あー、大丈夫です。いてて……」


 しこたま打ちつけた背中と腰をさすりながら立ち上がる。投げ飛ばされた時の衝撃か、全身を巡っていたはずの魔力はいつの間にか途切れてしまっていた。


「今の娘はオルフル族だねぇ。困ったもんだ」


 やれやれ。といった感じの表情を見せる。オルフル族っていうと、以前ゼロさんが言っていた、砂漠の大陸に住む民族だっけ。


「時々、荷物に紛れてゲートを通り抜けて、街までやってくるんだ。こっちとしては売り物を盗られることもあるし、迷惑な話だよ」


 辺境のセレーネ村で育ったせいか、全てが初耳だった。なるほど。ゲートは王国によって管理されていると聞いていたけど、密入国をする輩もいるのか。


「何か盗まれたのかい? あいつらは身体能力が高い上に、手癖が悪いことで有名だからね。運が悪かったと思って諦めな」


 ひらひらと手を振って、おじさんは自分の屋台に戻っていった。


「くそっ……」


 その姿が見えなくなった後、俺は一人地面を殴っていた。今更ながら、悔しさが込みあげてきた。ルナの本、取り返せなかったし。


 その腹いせと、後々何かの手掛かりになるかもしれないと思った俺は、少女が落としていった帽子を拾い、肩を落としながら食堂へと戻ったのだった。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※



「いらっしゃいませー。お客様、何名様ですかー?」


 ……食堂に戻ると、ウェイトレスの格好をしたルナが出迎えてくれた。


「……お前、なにやってんの?」


「何やってんの? じゃないよ! ウォルスくん、支払いよろしくって言いながら、お財布持ったまま走って行っちゃうんだもん!」


「あ」


 反射的にポケットに手をやると、そこにはしっかりと財布が入っていた。


「おかげで、わたしはご飯代を身体で支払うことに……」


 大袈裟にうなだれながら言う。追いかけてこないとは思っていたけど、まさかこんなことになっていたなんて。


「あ、もしかして、ルナちゃんの連れの人かい?」


 そんなやりとりをしていると、店長がニコニコ顔で出てきた。


「こんな働き者の子、今時珍しいよ。ぜひうちで働いて欲しいんだけど、お兄さんからも説得しておくれよ」


 俺が食い逃げ犯を追いかけている間に何があったのか知らないけど、ルナは店長に大層気に入られていた。確かに、ルナはなんでも器用にこなせるけどさ。


 視線だけルナに送ってみると、苦笑いを浮かべていた。うん。これは嫌な時の顔だ。


「バイト代、弾むからさ」と言う店長をなんとは説得し、俺たちは手早く本来の代金を支払って、食堂を後にしたのだった。


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