第5話『癒しの力』
「はー、疲れた。そろそろ休憩にしない?」
黙々と作業をし、麻袋の半分以上がパルサの実とメルケ草で一杯になった頃、ルナがそう言って立ち上がり、背中を押さえながら伸びをする。
「そうだな。少し休もう」
俺も腰が痛くなってきたところだし、ちょうどいい頃合いかも。
「ウォルスくんからもらったリンゴ、たーべよっと」
俺が柔らかそうな地面を見つけて座ると、ルナは嬉しそうにポケットから真っ赤に熟れたリンゴを取り出していた。そういえば渡してたんだ。元々はダンのだけど、すっかり忘れていた。
「そこの湧き水でよく洗ってからにしろよー」
「わかってるよー」
リンゴが楽しみなのか、ルナはぱたぱたと水場へ向かっていった。俺はその背中を見送ってから、視線を前へと向ける。
初めて来たけど、この場所はなかなか見晴らしがいい。近くに水場があるせいか沢山の花が咲いているし、村からもそう遠くない。皆でピクニックに来るにはちょうどいいかも。
「ここに皆でピクニックに来たいなーとか、思ってる?」
……頬杖をつきながら景色を眺めていると、まるで心を見透かされたような台詞が飛んできた。
「でも駄目だよ。ここ、わたしの秘密の場所なんだから。皆に知られたら、秘密じゃなくなっちゃう」
そう言って笑うルナは、何故か両手にリンゴを持っていた。
「はい。一つだと多すぎるから、半分あげる」
「ああ、ありがとな」
どうやって真っ二つにしたのか気になったけど、たぶん護身用のナイフでも持ってたんだろう。
「いただきまーす」
そのまま俺の隣に腰を落ち着けると、ルナは心底嬉しそうにリンゴをかじる。本当、幸せそうに食べるなぁ。
隣から聞こえてくる心地いい音に耳を傾けながら、俺も分けてもらったリンゴにかじりつく。甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がった。これは、なかなかに上等なやつだ。
リンゴをくれたダンに心の中で感謝しつつ、遠くの風景を眺める。どこまでもまっすぐな地平線と、青く澄んだ空が広がっている。
……ここから東に一時間も歩けば、この大陸の端につく。その先には何もない。ここは文字通り、端っこだ。
「……ウォルスくんって、この大陸の端、行ったことある?」
さく、とリンゴをかじりながら、ルナが俺の視線を追っていた。さっきもそうだったけど、まるで俺の心を読んだかのような台詞だ。
「あー……ずっと昔に一度だけな。ダンと一緒に度胸試しに行こうって誘われてさ。村を出て東に進めば、すぐだし」
「そうなんだ」
大陸の端は危ないから、村では近づかない決まりだし、正直怒られるかとも思ったけど、ルナの反応は薄かった。
「……何か珍しいもの、あった? 月の国以外の大陸が見えたりとか」
「いや、特には」
どことなく期待を込めた目で見られたけど、残念ながらその期待には応えられそうにない。なぜなら、その先には見慣れた雲と浮島があるだけだったから。
「歩いて行けるギリギリまで端に寄って目を凝らしてみたけど、上も下も空が続くだけで、それ以外のものは何も見えなかったよ」
「……残念」
俺の返事を聞いてルナは空を仰ぎ見る。その視線の先に、いつもの月の国を捉えていた。
……この世界には4つの大陸がある。
子供の頃、勉強の時間に村長からそんな話を聞いたことがある。
俺たちの住んでいるラグナレク大陸。砂漠だらけのオルフェウス大陸。雪の降り積もるフェルブール大陸。そして、リシュメリア大陸。
その中に、月の国は含まれていなかった。勉強は嫌いだったけど、この話だけはしっかりと覚えている。
「……ルナって、他の大陸行ってみたいのか?」
……言ってから、大陸間の移動は簡単にはできないということを思い出した。
確か、国の管理する『ゲート』を使う必要があるし、専用の許可証も必要だったはずだ。
貿易を生業にしている商人ならまだしも、俺たちのような村人が気軽に使えるものじゃない。結局のところ、仕事以外で自由に行き来できるのは一部の貴族か、渡り鳥くらいじゃないだろうか。
「ごめん。変なこと聞いたな……」
どこか無責任な発言をしてしまったような気がして、思わず謝りながらルナの方を見る。
「……まだ少し食べられるところがある気がする……あむ」
すると、当の本人はほとんど芯だけになったリンゴと格闘していた。
「……お前、俺の話聞いてなかったよな?」
「ふぇ? ふぁんとふいてるよ?」
しゃくしゃくとリンゴを咀嚼しながら、口元を押さえる。嘘だ。絶対リンゴに夢中になってたろ。
「あーあ、口元汚れてるし、しょーがないやつだな」
真面目なことを考えていた自分が急に恥ずかしくなり、俺はポケットからハンカチを取り出して、少し乱暴にその口元を拭いてやる。
「えへへ……ありがと」
さすがに恥ずかしかったのか、はにかむように笑う。
今朝みたいに村の皆から茶化されることも多いけど、二人っきりの時はこんなやりとりが普通だった。
……その矢先、何かの気配を感じた。
反射的に気配のした方を見ると、そこには大きなイノシシがいた。俺たちの方を睨みつけながら、今にも突進してきそうだ。
「イノシシだ。ルナ、下がってろ」
「う、うん」
俺はイノシシから視線を外さないようにしながら、ゆっくりと立ち上がる。
ルナも少し遅れて立ち上がると、急いで俺の背後に隠れた。
「……もしかして、リンゴを狙ってきたのかな」
「たぶん違うと思う。どっちかっていうと、パルサの実を狙ってるのかもな」
俺たちのすぐ近くに置かれた麻袋には、パルサの実とメルケ草がたんまりと詰まっている。俺たちには薬草でも、イノシシにとってみればごちそうなのかもしれない。
……なんにしても、昼間から襲ってくるなんて珍しい。イノシシって本来、臆病な動物のはずなのに。
「どうするの? 逃げる?」
「……いや、イノシシの足から走って逃げるのは無理だろうし、ここは戦おう」
俺はそう決意して、右手に意識を集中させる。すると僅かな熱と共に、手の中に火球が出現した。
……俺はなぜか、生まれつき火の魔法が使えた。
本来、魔法というものは厳しい修行の末に習得できる特別な力だ……みたいなことを、以前村に来た旅の魔導士が言っていた気がする。加えて、精霊との契約や魔力、正しい呪文詠唱等、色々なロジックが必要なのだ……と熱弁を振るわれたけど、俺にはさっぱりだった。
だって俺にとってこの力は、物心ついた時から平然と使っているものだから。そんなロジックなんて関係ない。かまどに火をつけたり、薪を集めずに魚を焼ける便利な力……くらいの認識だ。
「ウォルスくん、頼りにしてるからね」
「うまくいけば、村の皆に猪肉のお土産ができるかもしれないしな。見てろよ」
ルナも見慣れたもので、俺の手の中で揺らめく炎を見ても平然としていた。
「よーし……」
俺は意識を現実へと戻し、改めてイノシシの動きを観察する。すると、手元の炎を見て俺を敵と認識したのか、イノシシは鼻息を荒らげながら突進攻撃を仕掛けてきた。
俺はそのタイミングを見計らって、手の中の火球を投げ放……。
「あ! ウォルスくん、待って!」
「どわぁ!?」
……投げ放つ直前。背後のルナがそう叫びながら抱きついてきた。思わぬ不意打ちに俺は思いっきり体勢を崩し、そのまま倒れ込んでしまった。
直後、集中が解けたせいか、手の中の火球は狙いとは全然違う場所へと飛んでいき、突っ込んでくるイノシシの目の前の草を焼いた。
その光と熱、そして音に驚いたのか、イノシシはひと声鳴くとすぐさま方向転換。猛スピードで草原の向こうへと逃げていった。
「いっててて……いきなり何するんだ!?」
俺の上に覆いかぶさるようにしているルナに向けて、俺はそう憤慨する。なんか背中が柔らかいけど、今は怒りの感情の方が上だった。
「ご、ごめん……でもほら、見て」
ルナは俺の上で申し訳なさそうに謝った後、逃げるイノシシを指差す。つられて見ると、そのイノシシの後ろを数匹のウリボウが必死に追いかけていた。
「……もしかしてあいつ、子供がいたのか」
「うん。きっと、お母さんイノシシなんだよ。お腹を空かせた子供たちのために、ご飯を探していたんじゃないかな」
もそもそと俺から離れながら、ルナが言う。
そういえば、今年はパルサの実が少ないと言っていたし、野生動物も餌を探すのに苦労しているのかも。子育てをしているなら尚更だ。
「……パルサの実、少し置いていこっか」
どうやら、ルナも俺と同じ気持ちだったらしい。ルナは麻袋に貯めておいた白い実を一ヶ所にまとめて出していた。
「そうだな。食べ残しのリンゴも置いていこうな」
「そ、そう、だね……」
続いてそう言うと、ルナは少し……いや、かなり心苦しそうにリンゴを草の上に置いた。ほとんど芯だけなのに。どれだけリンゴに執着するんだ。
「少しくらい減らしても、これだけあれば十分だよな。そろそろ帰ろうぜ」
ルナのそんな様子を見ながら、俺は立ち上がる。直後、右足に痛みが走った。
「あいててて」
思わず尻もちをつく。たぶん、さっきルナに押し倒された時に痛めたんだろう。
「え、大丈夫?」
そんな俺を見て、ルナは手にしていた荷物を放り出し、心配顔で寄ってきた。
「……足、挫いたみたいだ」
「もしかして、わたしが押し倒した時……?」
「いや、あれは不可抗力だろ。気にするなって」
強がってみたけど、予想以上の痛みだった。変な挫き方したかな。
「治してあげる。ウォルスくん、足見せて」
「え? 別に良いよ。少し休めば良くなるから」
「駄目。良いから見せて」
ルナは止めるのも聞かず、手早く俺の靴を脱がす。そしてズボンの裾を少しめくり上げると、赤くなって腫れた足首が見えた。
「うわ、痛そう」
「なぁ、わざわざ魔法で治してくれなくていいぞ。魔力、勿体無いしさ」
「最近使ってないから大丈夫。じっとしててね」
そう言って拒むけど、ルナは全く気にする様子はない。そのまま両手で俺の右足首を包み込むと、瞳を閉じて神経を集中させる。
……直後、淡い緑色の光が走って、不思議なぬくもりが足全体に広がっていくのを感じた。
「……うん。これでよし」
その光が収まる頃には、さっきまでの痛みは嘘のように消えてなくなっていた。もう何度も経験している、ルナの癒しの魔法だ。
「どう? もう痛くないよね?」
左手で俺の足首をぺちぺちと叩きながら言う。
「ああ。ありがとうな」
……俺が生まれつき火の魔法を使えるように、ルナは癒しの魔法が使えた。
俺と違って一日に何度も使っていると熱出して倒れちゃうらしいんだけど、それだけすごい力だと思う。以前、落石事故に巻き込まれた人を助けたこともあるらしいし、もっと誇ればいいのに。
「それじゃ、帰ろっか」
そんな俺の考えをよそに、ルナは何事もなかったかのように自分の麻袋を持つと、笑顔で歩き出した。
俺も急いで靴を履いて、その後に続いたのだった。
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