第10話 ピエレト山大包囲戦

 草と苔と岩と土。創世の剣はそれらを媒介とし、大地とそこに住む眷属らを創り出したという。水の枯れた渓谷から、突如として石造りの城壁が地面から盛り上がるように出現する様は、まさに戦記に記された創世の奇跡を彷彿とさせた。そして恥ずかしながら、この時の私のはしゃぎ様と言ったら、人生で一番だったに違いない。

「すごい、すごい!見て、見て!あんな遠くまで!凄いよね?凄い、凄いよ!」

 魔法の鎧との度重なる念話により、私の魔剣の知識は大分、蓄積された。魔剣に宿る知性とは“魔術回路を管理する思念体“となるらしい。その思念体とやらとの折衝の 後、私はやっとのことで、願いを実現させた。

 出現した城壁の高さは平均六メートル、高低差を緩やかに調整しながら、ピエレト山をぐるりと囲んだその長さは五キロメートルにもおよぶ。体積には限界があるとのことで、百メートルごとに設けられた直径十メートルの円形防衛拠点と、それを繋ぐ幅三メートルの通路が交渉による落とし所となった。防壁としてはやや心許ないが、全てが矢狭間に囲まれており、その上にはご丁寧に砂が敷き詰められていた。

「馬場までオーダー通り!こんなことなら、バリスタや投石器もオーダーしておくべきだったかしら。せめて、石つぶてくらいねだってもバチは当たらなかったわよね」

「・・・むぅ。この岩は、ここの地層とは異なる・・・異界からの転送なのか、あるいは再構築したものなのか・・・すると地下には同じだけの空洞があると見るべきか・・・」

 ギレスブイグが顎髭を撫でながら、ぶつくさ呟いていた。この奇跡を前に理屈を述べるなど、私からすれば度し難い。事前にロロ=ノアと画策した事とはいえ、いざ現実となると魔剣の迷宮を砦として用いる事は、戦の趨勢を左右する反則的なまでに強力な力と言えた。さりとて、全てが理想の我が家、とまではいかず、いくつかの折り合いを迫られた。

 まず最初に苦労した事は、その建築場所について。“山を囲む“という私のオーダーが、抽象的過ぎるというクレームが付けられた。具体性を持たせる為には、実地検分が必要である。その方法として、壁を立てたい場所を実際に歩く、という事前準備を求められた。故に、私たちは重装備で敵中の山岳部を行脚するという、先の苦行を敢行するに至ったのだ。次に争点となったのは、“試練“の場としての迷宮である体質は変えられない、という事。つまり、壁は建てるが、扉を数カ所に設置し、それらに鍵は掛けない。扉の内部には甲冑が用意した試練が待ち受け、それをクリアした者には新たな所有者としての資格が与えられる、というものだ。私と新たな資格保持者たちとを天秤にかけ、有利な人材を選べるという甲冑側にとってメリットとなる条件だ。だが、それらの提示した条件を飲ませることには、時間こそ消費したが、実際さほどの苦労ではなかった。交渉が難航した要因は、防衛拠点としての構造に関してのことだった。容積に限界がある以上、外見を小さく簡素化して、内部の試練の設備を充実させたい甲冑側と、戦に役立つ砦とするために外側の構造物を充実させたい私側との要望が衝突し、ギリギリまで時間をかけて、この落とし所を模索していたのだった。 正直なところ、クロスボウや投石器などは、夢のまた夢。

「再編成が完了しました。下知をいただければ、直ちに配置に向かわせます」

 真面目な反面、他人行儀な印象が気にかかる声。

「ジャン=ロベール!素敵じゃない!」

 彼を視界に捉えるや否や、パヴァーヌ出身の騎士の元に駆け寄った。

「ガードブレースを両方に付けたのね。ランスレストも外して、几帳面ね。あ!素敵!このサバトン、新品じゃない!?綺麗に噛み合って、美しいわぁ。サバトンまで追加できるなんて、最近のパヴァーヌ式はバリエーション豊かなのね!」

「は、はい。今回、私は地上戦組と伺ったので、それ用にとパーツを交換してみました」

 若干、照れ気味?否、引き気味?

 彼の故郷は、いわば平原の国。パヴァーヌ式と言われる彼の全身甲冑は、馬上戦闘に重点を置いた仕様だった。それをパーツ交換、追加装備という形で地上戦向きに仕様を変更してきたのだ。繊細でいて用心深い、彼らしさが出ていた。

「姫、号令を・・・」

 神官騎士のボードワンが、私を嗜めに来た。はい、はい。号令ですね。そうですね、最近はようやく、慣れましたよ、さて。私は、円形広間に収まりきらず、狭い通路の遠方まで伸びた一軍を渡し見た。総勢は千二百になる。深呼吸を一つして、一同を眺めた。

「古参の強者どもよ!そして新たに加わった勇ましき同志たちよ!我は剣の神より授かりし、大いなる愛とその加護をここに証明した!問おう、この奇跡を諸君らはかつて目にしたことはあらんや?」

「否!」スタンリーが片手を上げて相槌を入れると、兵たちも復唱した。

 何もない地面から砦が生まれ、兵たちを載せたまま高く迫り上がるこの奇跡を目の当たりにして、兵たちの私を見る瞳はかつて無いほどまでに、熱狂的だった。

「さらに問おう!眼下の敵に、剣の祝福はあらんや?」

「否!」

 右手を上げて、兵たちが答える。

「ならば其方らの主人アマーリエは、ここに宣言する!諸君らは、何を恐れんや!剣の神々は、我らにこそ微笑みたもうぞ!だが、同時に諸君らは忘れてはならない。剣の神の恩恵は、勇猛果敢、不朽不滅の魂にこそ、宿るのだと!敵を恐れる者は、我が軍におらぬか?」

「否!」

「その答え、心に刻み、決して忘れるな!猛よ、我が子ら!剣の子らよ!我らが神々の威光を、辺境に平和を願う慈悲の祈りを、諸君らの強靭な魂でもって敵に知らしめるのだ!もって我は誓わん、勝利と栄光こそが、我ら剣の民に相応しい事を!辺境騎士団に勝利を!」

「辺境騎士団に勝利を!」

 張り裂けんばかりの復唱と、武器で盾を叩く音が渓谷にこだまする。

「配置につけー!」

 ジャン=ロベールが声を張り上げると、兵たちはおお!と勇みつつ散開を始めた。古参の騎士たちは元より、辺境での編入兵も含め、その士気は最高潮に達していた。

 私も頬が熱くなり、高揚感が身体を満たした。これほどまでの集団による熱狂が、伝染しない訳はない。だが、楽観は禁物だ。頭は、冷静に。

 攻め手であるはずの辺境騎士団は、これよりひたすら防衛に徹することになる。その基本方針は次の通りだ。四十九ある防衛拠点に千の兵を分散させ、その間の連絡路は騎乗した状態で待ち受ける騎士たちで守る。主な防衛手段は、弓と投げ槍、それに丸く繋げた麻縄に油を染み込ませた炎の輪。梯子を登ってくる敵に、火をつけた輪っかを投げて身体に絡ませるのだ。また、馬場の砂も目潰しとして有効だろう。そして、敵がかけてくる梯子を、手斧で破壊し、またポールアックスに引っ掛けて押し倒すという具合だ。

 だが、敵がこの砦を確実に落とせる方法が、実のところ無いわけではない。

 まず最初の方法は、どこか数カ所に集中攻撃をかけることだ。数的不利の我々は、機動力でそれに対抗せねばならない。損耗が大きいために、絶大なリーダーシップが必要とされるが、まずは二点を同時に攻め続け、砦の防衛体制がそれらに集中した後に、先の二点の中間地点を付くといった方法は確実性が高い。二点が堰となって、中間地点に新たに投入しようとする守備兵の動きを阻害するからだ。さらに、もっと単純に、ただ一点を狙う事も有効だ。こちらの砦は構造上、一度に大量の敵兵に対応できない。犠牲を惜しまずに大量投入されれば、戦場は砦の上に移行され、局地的な消耗戦となる。消耗戦ともなれば、時間が経つにつれて、数的不利の我が軍の負けは確実なものになる。

 次の方法は、敵に士気をコントロールし、複数の部隊を手足の如く扱う権謀術策がある場合に想定される。毎回場所を変えて間髪入れない波状攻撃を行い、こちらを翻弄しつつ、疲労を蓄積させる手段だ。睡眠はおろか、食事する時間さえも与えずに絶えず攻め続けるのだ。兵たちの勇足を律し、守備兵が疲弊するまで無理はせず、交代で戦わせていれば、時間と共に確実に戦機は攻め手側にとって有利に傾く。如何に魔剣の力を借りた防壁があろうと、それが只の壁である以上は、必ず攻略の手段は見出せるものだ。

 これは、地形的有利対、数的有利の戦いだ。だが一つだけ、未知数な要因があった。それは、魔剣の“試練“の内容だが、そればかりは私の意図とは関係しない思惑によるものである以上、計り知れないものだった。

「あの者に、気を許さぬよう」

 敵情を騎乗したまま眺めていた私の元に、ボードワンが戻ってきて、小声で忠告を入れてきた。ジャン=ロベール男爵マクシムの山裾での前後不覚の行動について、彼は警戒心を露わにしている。束の間の出奔の後、隊に復帰したパヴァーヌの騎士は、疲労と脱水のため記憶がないまま歩いていた、と語り自らの不甲斐なさを皆に詫びた。

「だから、こうして地上組としてそばに置いているんでしょ」

「それでは、私めも、やはりお側に・・・」

「だめよ。何度も言わせないで。戦線がこれほどにも伸びてしまっては、必ず損害は大きなものになります。神官の皆さんには、分散してもらい、一人でも多くの怪我人を治療していただきます。それに、私の隊にはアッシュもいます」

 さ、さ、行ってと押し出す。彼にしては、珍しく抗議したが私はそれを許さなかった。

 思えば、私の幼少期から教育係の一人として、いつも側についていた。私が父の諌めを受けて、霊安所で一晩を明かした際にも、彼は扉の外でずっと控えていてくれたものだ。口数の少ない彼とは、交わした言葉こそは少ないものであっても、ずっと私の成長をそばで見守ってくれた布衣乃交と言ってもよい関係だ。そばを離れるのは、心配なのだろう。さもありなん。彼が今まさに注視している“危険人物“たるジャン=ロベールと、往年の不仲である“変人“ギレスブイグの二人に私の警護を任せるなど、気が気でならないであろう事は、安易に理解ができた。だが、神の奇跡で戦傷を治療できる、それも高位の神官を私の側だけにずっと留めておく訳にはいかないのだ。それは、心情的にでもあるし、対外的にも、だ。

「司祭の小言ですか?」

 スタンリーが肩を叩いてきた。いつもの事、と首を傾げて答える。

「それはそうと、客人の二人組の姿がありせぬ。まさかとは思うが、この砦の下敷きになったんじゃないかと気がきでないのです」

「うさぎのシャルルは、消息不明のまま。名無しの剣士なら、参戦するって」

「あぁ、違います。うさぎなんて、どうでも良い事。現地人の剣の信奉者たちの事です」

 気付かれたか。私は舌を出して答えた。

「もう、山に送り出したわ」

 スタンリーは、髭を撫でながら、怪訝そうな顔で答える。

「山に行っても、居場所がない、と言っておりましたぞ。大丈夫ですか?これから攻め入ろうというのに」

「山に入っても、民は襲わせないわ。二人には、私の意図を山の民たちに広めてもらう事をお願いしたのよ」

「ふむ。民を襲うつもりはないと?」

「・・・剣の信仰を王に認めさせるための戦い、って事をよ」

 スタンリーは、これは失礼いたしました!と叫ぶと、豪快に笑いながら持ち場へと去った。

「敵が動き出しましたぞ、姫よ」

 ギレスがゆっくりした低い声で告げる。彼のドスの効いた喉を介すと、いよいよもってこの世の終焉が迫っているかという印象があるから不思議だ。

 そうだ。舞台役者なんて、似合いなのではなかろうか?相当、鬼気迫った悪役を演じられるに違いない。もっとも、役者は流れ者たちの仕事であり、騎士が演じるなどという事は決して世間から好意的に見られることでは無いのが残念な限りだが。

 それはさておき、この対応の早さ。山の民に籠城戦の選択肢はないと見える。やはり、難民のせいで兵糧が足りないんだ。

「皆、聞け!敵は短期決戦を挑む覚悟だ!持ち場を死守せよ!」

 ジャン=ロベールが弓兵に指示する。

「弓兵!充分に引きつけてから射よ!」

「敵が射程まで入るまでには、まだしばらくあるはず。焦ることはない、ゆっくりと待て」

 私たちの指令は、防衛拠点毎をリレーする伝令たちによって伝達される。

 砦の上、さらに馬上という高みから見下ろすと、続々と敵兵たちが下山して来る様子が手に取る様に判る。横長に隊列を編成しつつあるのは、こちらの防壁と一定の距離を保つためだろう。視界にない別の道からも、敵兵は降りてきているかも知れない。

 彼らの一般的な武装は棒の先に刃が着いた農機具のフックのような槍。刃が大きめなので、とりあえずグレイヴとしておく。これも農機具で、長い棒と短い棒を輪金具で繋げたフレイル。曲刀片刃のファルシオンに短弓。盾は見かけない。文化の違いだろうか。西方では、騎士ならばターゲット型やヒーター型と言われる盾を持ち、従者や傭兵たちならば、小型の片手持ち式のバックラーであることが多い。長槍のパイク兵ならば、さらに大型のタワー型などを用いる。盾の効果は絶大と思うのだけれど、山の民たちが嫌うのは山岳の移動に邪魔となるからだろうか。防具は革か金属片を貼り付けた胴鎧、人により手甲、脛当て。鎧を着ていない者も多く見受ける。防具のばらつきが目立つため、武器は支給で防具は自前なのかも知れない。長ズボンは履かず、足元は革のサンダルだった。

 横五列の編成を終えても、敵兵は矢の射程外に待機したまま前進しなかった。次に、荷車が前列まで押し進められる。その荷台には、幅三メートルはあろうかというバリスタが積まれていた。

 太鼓が鳴らされ、複数のバリスタを先頭に敵兵がゆっくりと接近を開始する。

 こちらは、すでに全周の配置が完了している。

 いよいよ、火蓋が落とされる。

 集団の中から、五騎が突出して来た。指揮官たちだ。

「誰も手出しは許さぬ!」

 私は馬を壁際まで進め、白い外套に風を纏わす。

 今は魔力がこもった新品同様の輝きを保つ、例の甲冑で無いのが残念であるが、かつて気慣らしたこの白い甲冑も、久方に会った戦友のように愛着を感じていた。それに、アッシュが黒くすみを綺麗に磨き落としてくれたおかげで、見上げる敵将からは、大層立派な騎士に見せてくれている事だろう。

 ちなみに、私は高所恐怖症ではない。高い所は割と平気な方だ。

「異国からの侵略者どもよ、よくも民を苦しめてくれた!悪戯に戦火を広げ、この地上に不幸を撒き散らす悪虐非道の輩の名を述べよ!」

 前口上というやつだ。正義は我にあり、と兵と民たちに知らしめる口上戦であり、人族同士の戦における古からのしきたりでもある。

「長きに渡り神を冒涜する民よ。あまねくも民から財産と食を奪い、餓鬼兵として利用せんとする岩山に巣食う蛮族どもよ、よく聞くが良い。我が名はクラーレンシュロス伯爵家当主であり、アマーリエの領主ルイーサである!民たちを圧政から解放し、西方の文化を伝え民らに繁栄をもたらすためにまかり越した!兵の出迎えは誠にご苦労、だがこれらは一切、無用である。何故なら、我らの敵は善良な兵や民ではなく、山頂に腰を下ろし神にあだなす暴君のみなのだから!」

 砦の兵たちが一斉に鬨の声をあげる。私は片手を挙げ、それを制して続ける。

「して、貴軍を指揮する者は誰ぞ?汝らの王は山頂の鳥籠に隠れ、恐怖に怯え囀る事もできずにおいでか?」

「庭先に現れた野犬を追い払うに、何ぞ王の高貴なお手を煩わせよう?我らは誇り高き山の民、自らの使命は一人ひとりの胸中にしかと宿っておる。王は我らを信頼し、その勝利を確信しておられるのだ。異教にして異郷からの侵略者どもよ、その身に破滅をもたらす者の名をしかと聞け!軍師にして青の称号を得しデジレが相手を致す。次に見舞う時は、我が見下ろす番と知れ!」

 踵を返し、敵将たちが軍に戻る。

「・・・青の称号って、何?」

 脇に控えるジャン=ロベールもギレスブイグも首を捻った。

 気管が悪いのか声は小さかったが、その威風は壮年の貫禄に満ち、表情や語り口は、慎重さと配慮を備えた人物である事を物語っていた。兵たちの規律の良さは、単に訓練によるものだけであろうか、はたまた指揮官としての有能さが信頼されている証なのか。

 これは、手強そうだ。

 太鼓の号令が再開され、敵軍は前進を再開した。

 これをもって、ピエレト山大包囲戦が正式に開戦された。


 しばらくして、その前進が停止する。先程の青い衣を纏った男が、バリスタの近くで指示を出している。大甕が運ばれて来て、バリスタの矢に布が巻かれ始めた。

 その傍に、西方の貴族が着るような赤い出立の男がいた。作業には参加せずに、ニヤリと笑ったまま、私の眼を見つめていた。胸元は大きく開き、その胸毛を誇張しつつ、肩にバスタードソードを担いだ格好で私を挑発しているその姿に、私は見覚えがある。

「あいつめ、それが私を殺すとでも言うの?臆病者め!私の側に来い!」

 忽然と姿を現したあの下衆野郎は、私の記憶の産物だ。いちいち名を思い出すのも億劫だ。正直言って、あんな小さい男にまで付き纏われるのかと思うと、げんなりした。ここらで、本気にお祓いを考えようかしら。

「アマーリエ、どうした?何を怒っている?」

「ギレス、あのバリスタを魔法で燃やせる?」

 ギレスブイグは私の横に来て、目を細めて距離を計る。

「私の力では、届かんぞ。クレインクィンでもあれば、高低差で届くだろうに・・・」

 クロスボウの中でも、絶大な射力を持つ、巻き上げ器付き仕様の事だ。残念ながら、所持している者に心当たりがない。

「幸い、足場は砂で延焼はないだろうけども、一方的な防衛では士気が衰えるわ」

 本当に、バリスタか投石器を設置しておくべきだった。更に、悪い状況もある。城壁上の我々は、撃って出ることも叶わない。何しろ、下り階段が存在していないからだ。こうなっては、弓が届かない間は、手をこまねいて耐えるしかない。

「射出されるぞ」

「皆、伏せよ!」

 敵兵の様子を注視していた兵たちは、声をかける必要もなく皆、矢狭間に身を隠していた。

 巨大な火矢は、数カ所で同時に射出された。たっぷり麻布に含まれた油は、炎を纏いながらまき散らされ、矢の軌道を赤く輝かせた。それはまるで、火龍が弧を描いて天から襲いかかって来るかのようだった。

 私のおよそ六メートル横に、大矢が落着する。

 途端に、真っ赤な火の粉が当たり一面に飛び交った。

 偶然にしても、恐るべき距離感だ。兵が二人巻き込まれ、燃える四肢に砂を浴びせて助けられる。大矢は、特殊な作りをしていた。細い金属の刃が、四方に枝を伸ばし、殺傷範囲を広げている。その先に引っ掛けられた者の服は切れる、というよりも引きちぎられていた。

「姫!いつまで馬に乗っておられる!?」

 最もな指摘だとは思ったが、とはいえ、兵士たちは伏せているので、馬上からならば遠くまで味方の損害状況を知ることができるのだ。

「城壁の上に落ちたのは、ごく一部だ。見よ、この矢は風を受け易く、精密な射撃は困難だ。恐るな!確実に身を隠せば、何の事はない!伝令、しかと告げよ」

 ギレスに引きずり降ろされながら、彼に問うた。

「あぁは言ったけど、士気に影響があるわ。何か、やり返さないと!」

「アッシュ、馬を後方に。そうですな・・・あの女の弓ならば、もしやと」

 私は彼の言葉にピンときた。北の皇帝領で製造された最新鋭の長弓。

「伝令、イネスをここに」

 神官騎士の女性イネスの弓は、複数の木材を合わせた複合素材で造られているコンポジットボウだ。どのようにここ辺境で入手したかは知らないが、私をはじめとする西方から来た騎士たちは皆一様に、その弓を目に留めていた。先進的な発想で武具を改良することにかけて、皇帝には天賦の才がある。皇帝自身が図面を引き、作業をしている訳ではないだろうが、その有効性を理解し出資するには、自身の聡明さが不可欠でもある。しかし、その工法は秘匿され、市場に出回ることもない、故に騎士にとっては、“知る人ぞ知る憧れの逸品“というやつなのだ。恐らく、それを知らぬは金髪の神官騎士、本人ばかり。

 第二射は、予想通り壁を叩くばかりで終わる。恐らく、大矢を設計した当初の目的が精密射撃にないのだろう。だが、その飛距離だけでも充分な脅威ではある。そして、敵軍からは臆病者、隠れるだけしか出来ぬのならば、西の親元へ帰るが良いと罵声が浴びせられる。

 まぁ、いかに上手に陽動されようが、何分外に出る道がないのだから、当方としてはここでほぞを噛むしかやる事はないのだがね。

 三射目の前に、イレスがポニーテールを靡かせて、単騎で馳せ参じてくれた。早速、バリスタに火矢を撃ち込むように依頼すると、彼女は狼狽した。

「あそこまで、ですか?撃ち下ろしの距離感がまるで判りません。経験が無いのです。ましてや火矢となると・・・」

「無理を申してすまなんだ、気にするな」

 ギレスが意外なほどあっさり折れた。イレスは、肩を落として恐縮したが、次の言葉でその負けん気に火を付けられた。

「弓だけ置いてゆけ、俺がやる」

 彼女の金髪が逆立つのが判った。

 おぉ、怖い!

「貴殿は合図をしたら火をつけてくだされば結構。直後に放ちますので、弦で指を怪我しないようにだけご注意くださいませ!」

 ギレスはムッとした表情を見せたが、それもきっと演技に違いない。若いうちは、こう言うのを年の功と言うのだとなかなか、気付かないものだ。

 否、私も若いので、よく判りませんよ。ほんとは。

「クソったれ。外したら生き恥もんじゃねぇか・・・」

 聞こえてますよ、イレスさん。

 自分で火矢を拵える。極力薄く麻布を巻き付け、紐で括り付けた。ギレスに仕事を与えたのは当てつけではなく、矢を軽くすると燃焼時間が短くなるため、狙った後で火を付けたい、という理屈なのだと判った。弦の張りを確かめると、矢をつがえる。途端、彼女が纏う空気が別のものに変わる。弦がきしりと軋み、鍛えられた上腕の筋肉が盛り上がった。全身の神経が弓を射る為に連動しているのが判る。その眼光は、獲物を狙う豹のそれだった。

 矢先がくいと、上方に向けられた。

「着火を」

 次の瞬間、びゅんと弦が唸った。

 矢は大きな弧を描いて飛んでゆき、火矢の到来を察知した敵兵が退避する。

 しかし、火矢はバリスタからやや逸れて・・・。

 そして、油を湛えた甕を粉砕した!

 溢れ出した油は炎を従えて地面を這い進み、バリスタを巻き込んだと思うや、大矢に巻かれた麻布から滴れる油と合流を果たした。

「おっしゃ!一撃!」

 お人形のような可愛らしい顔をして、力強いガッツポーズのイレス。

「お見事!みんな、騎士イレスのお手柄です!」

 兵たちが歓声で応えてくれる。ムードは一変した。

 軍師デジレは、バリスタの攻撃効果そのものに期待はしていなかったのだろう。その証拠に、すぐさまバリスタの照射を諦め、猛々しい太鼓の合図と共に、兵を前進させ始めた。いくつもの長い梯子が最前列に並んだ。

 兵たちに悪い空気が広まる前に、間髪入れずに次の行動に移る。感情を持ち込まずに、戦況を掌握している人物にしか、ここまで合理的に即応することはできまい。

 なかなか手強い。

「油を用意、ブーケをプレゼントだ。弓兵!まずは梯子を妨害せよ!射撃・・・開始!」

 本格的な攻城戦の様相となった。

 地上には敵兵が群がり、鬨の声が戦場を支配する。兵力差を活かす事に決めた青の軍師は、限定的な数カ所に、一気に兵を投入してきた。円形の防衛拠点には、天から降り頻る矢の攻撃を浴びせて動きを鈍らせる。一方で、中間の通路に次々と梯子を掛けた。瞬く間に登り詰めようとする敵兵たちを、円形防壁の利点を活かし、横から弓で射り、上から槍をけし掛け、火のついた輪を落とし、隙をみては梯子をポールアックスで押し倒す。手薄な箇所には、騎士たちが応援に駆けつけ、遅れて随伴した兵士たちがそれに加わり、蹂躙する。

 どんッと壁に衝撃が伝わった。

 破城槌を抱えた集団が、城壁の門を破ったのだ。

 実は、鍵は掛かっていないのだけれど・・・それは気付くまい。

 扉を破った勢いで、うねりの様に雪崩れ込む敵兵たち。

 梯子をかける勢いが緩まり、代わりに砦内部への侵入を試みる兵が多くなる。

「さてさて、よりどりみどりよ。本領を発揮して頂戴ね!」

 私の語り掛けに、思念体からの返答は無かった。迷宮の姿に戻ったため、精神の繋がりが切れているのかも知れない。かつて私たちが挑んだ迷宮が、此度はどのような設えとなっているのかは、見当がつかない。しかし、試練の名に相応しい難易度を持って、来場者たちをもてなしてくれている事だろう。

 それから、一刻ほどの攻防が続いた。防御の薄い通路側に敵兵の踏破を許しては、三騎一組の騎士が槍を構えて駆けつけて対応する。踏みとどまれば、槍で突かれ、馬に押し倒され、後続の随伴歩兵によるとどめを喰らった。背を向けて逃げれば、追撃戦こそ最も威力を発揮する騎馬の独壇場となる。だが、敵兵が増えれば騎馬の突撃も押し留められかねない。即座の対応こそが、均衡を有利に保つ唯一の手段だ。騎士も馬も兵も、血と汗に塗れていっときの休むも間なく奮闘を続けた。

 異変は何の前触れもなく起こった。

 円形広間の端の砂地に四角い穴が空いたのだ。あまりの不意打ちに、数人の兵が穴に落下する。穴は、広間の四方、均等間隔で出現した。その穴から出現したのは、ファルシオンをかざした敵兵たちだった。

 しかし、驚いたのは、私たちだけではない。

 やつれた顔ですでに手傷を負っている山の民の兵たちも、敵陣ど真ん中に招待された事を瞬時に理解できていなかった。私も同じことをやられた事がある。やれやれ、趣味趣向というやつは、思念体であっても存在するらしい。

「円周防御!円周防御だ!ギレス、ジャン=ロベールは私の背後に付け!」

 兵たちが私と二人の騎士を中心に、円形の陣を作る。

 城壁上ので本格的な戦闘が始まった。

「魔剣の奴め、裏切ったか!?」

 ジャン=ロベールが周囲を警戒しながら、怒鳴る。

「試練を越えたにしては、数が多すぎるわ」

 私の声に、ギレスが皮肉めいた事を言う。

「我々を倒さねば、真に試練を越えたとは言えますまいぞ」

 円周防御の隙間を縫って、私の前に抜けてきた敵兵がいた。砂粒を蹴り散らしながら、大振りの曲刀を上段に構えて襲いかかる。その瞳には、こいつさえ倒せば、という執念めいた眼光が宿る。私も家宝の魔剣、アインスクリンゲを上段に構えて迎えた。

「試練の難易度を調整した、というの?」

 なんと抜け目の無い!というか、憎ったらしい!これでは詐欺だ!

 待ちの私はテンポを読みながら、フェイントの気配がないのを察知すると、水平に剣を回転させた。隙と見た敵は渾身の力で私の脳天目がけて刀を振り下ろす。

 一回転を終えた私の剣の棒鍔が、それを受け止めファルシオンの刀身をぎゅいーんと激しく振動させた。

 一方、アインスクリンゲの物打は敵兵の簡易兜の側面に、静かに食い込んでいる。

 脚が折れたカカシの様に、私の横に倒れ込む。良くて脳震盪、悪くすれば頭蓋陥没。念の為、ファルシオンとサイドソードを遠くに放っておく。

 四方の穴からは、敵兵が次から次へと現れ続けている。

「こんなに合格させてどうするのよ!?部品ごとにバラバラに分けて、皆さんに公平にお持ち帰りいただくつもり!?」

 そう言って、砂場をどしんと踏んでやった。


 私のいる防御拠点では、敵兵三十人余りが倒れ、あるいは降伏し、味方も四人が戦闘不能にされた。ようやく息が付けると思った時には、すでに穴は消失していた。どうやら内部の仕様変更があったようだ。落ち着いて思えば、敵兵は疲労困憊、狭い階段でもあったのか一人ずつの出現に対応すれば良いのだから、こちらに有利な事は確かだった。にしても、かつて私たちが辛酸を舐めた“あの試練“は、こんな容易いものではないはずだ。我々への侮辱でもあり、魔剣自身の安売りにしかならない。是正は必然であり、恩義を感じる事ではない。

 陽は天高く登り、午後に差し掛かっている事を告げている。

 軍師も城壁内部の異常を察知したようで、一旦、兵を引いて膠着状態となる。生きて戻った兵たちから状況を知り、対応策を検討しているのだろう。

 いずれにせよ、今は水分と燃料を補充する時だ。

 固いパンを引きちぎり、少量を口に入れ、葡萄酒で流し込む。乾いた喉に強引に流し込むと、げっぷになって帰ってきた。ちょうどその時、ギレスが報告に来る。

「戦闘不能は一割、しかし負傷者は四割にも達します。今は、神官たちが全力で対応中です。攻勢を受けた箇所は、全部で十二箇所、うち半数は陽動でした。最も激しい攻勢だった箇所は、姫、あなたのいた防衛拠点です」

 まぁ、さもありなん、といったところだ。他の箇所がまだ、マシだったと思えばいくらか救われるというものだ。しかし、負傷者の数は予想を遥かに上回っており、気がかりでならない。地勢は有利でも、数的不利が負傷率に表れているのだ。常に全員体勢で応戦する分、敵側との疲労の差は桁違い。戦闘時間が長引けば長引くほど、戦力の低下が著しくなり負傷者も増えてしまう。だが、一方で敵側にも焦りはあるはずだ。補給路を完全遮断された今となっては、兵站の枯渇は眼前まで迫っている。五、六万と推測される難民たちが暴動を起こせば、国家の体制は崩壊しかねない。互いに早期の決着を欲しているのだ。今後、更なる激戦の様相を成す事は自明だ。

 次の敵の突撃は、より一層の激しさを増すであろう。そして、それは辺境騎士団側の疲労回復を妨げるために、明日をも待たずに行われる可能性が高い。

「ロロ、クルト・・・」

 北の山影を見やる。彼らは無事だろうか。

「騎士たちも負傷しておらぬ者は、ごくわずかです」

「重傷者は?」

「一名。ミュラー卿です」

 私は疲労による足首の痛みを堪えながら、身を起こした。

「アッシュ、馬を。ミュラーの見舞いと、兵たちの鼓舞に向かいます」

 お供を願い出たギレスを小声で止めた。

「第二派の際、私が戻れない場合に備えねば。貴方はジャン=ロベールと共に・・・」

「なるほど。承知した」

 ギレスは蛋白で頭の回転が早いので助かる。私はアッシュに手綱を引いてもらい、ミュラーの元へ向かった。道すがら、負傷と疲労で身体を横たえる兵たちに声をかけていく。

「良い、そのまま休め。皆、素晴らしい戦いぶりです。敵は肝を冷やしてます。今のうちにしっかり身体を休めなさい。怪我をしている者は、遠慮せずに申し出よ」

 はやる気持ちを抑え、ゆっくりと進む。私が慌てている姿は、兵たちには見せられない。アッシュに手綱を引いてもらったのは、その為だった。

 ミュラーのいる防衛拠点は、ニキロも離れているのだから。

 到着すると、神官騎士三姉妹の次女、ミシェルの看護を受けていた。

「姫、こんなところにまで」

 ミュラーの声は、極端に小さかった。脇腹から出血した跡があり、痛々しい。

「こんなところ、とは?私の城は六キロメートルもある円形よ。こんなところが、永遠に続いているのだから、どこまで行っても、こんなところ仕様なのよ」

 ミュラーが笑顔を作るが、苦しさは隠しきれない。ミシェルが症状を説明してくれた。

「脇に槍を受けました。出血は止まりましたが、心臓の痛みと呼吸の浅さが残っています。しばらくは、安静が必要です」

「ミュラー、覚えている?私も十三歳の時、真剣試合で肺に穴を開けられた時があったわ。心臓の痛みは、胸の中に空気がたくさん残っているからよ。肺の穴はミシェルの奇跡ですぐに塞がるから、心配ないわ。今はゆっくり休むこと。いい?」

 同門として父から剣を教わっていた彼は、そうするよと頷く。

 びっくりした顔をしたのは、ミシェルだった。

「その話、本当ですか?」

 いや、嘘だとしたら、私の気づいかいを無駄にしてしまう質問だ。ミシェルは周囲の空気を良く読むが、策士には向かない単純さがあるようだ。

「本当よ。物心が付いた時から剣を握っていたの。女性にとっては、ひどい話・・・なのかな?」

 ミュラーが弱々しく肯定する。ひどいと言って仕舞えば、そうかも知れない。でも、怪我をしないという保証があるとすれば、逆に真剣で戦う意味も無くなってしまう。そして、真剣勝負の経験は、真剣でしか得られないものなのだ。

「ミシェル、ありがとう。奇跡も体力を消耗するでしょうに、無理を強いてしまってごめんなさい。でもそうは言っても可能な範囲で、多くの兵の命を救ってあげて頂戴」

「無論です。それが今の私の戦いと心得ています」

 次女は優等生だ。

「そういえば、イレスが大活躍だったわ。後で話を聞かせてあげるから、楽しみにしててね。ミュラー、口だけでなく、本当に休むのよ?いいわね?」

 ミュラーの負傷は、私の心にも堪えた。門下生を卒業してから、彼は念願だった歴史の研究に没頭した。故に、私よりも腕が下がるのも無理からぬ事だが、現役だった頃の彼は、常に二番か三番の上位組だったのだ。騎士の中では、長い年月を共に学んだ唯一の存在でもある。

 空を見上げると、いつの間にか雲が出ていた。つい先程までは、快晴だったはずなのに、渓谷を疾る風が、幾分か冷たくなっている。

「雲行きが怪しくなって来たわね・・・」

 単純に天候の事を気にしたつもりだった。しかし、不吉なフレーズは、何か不吉な出来事を呼び寄せてしまう魔力があるのかも知れない。

 その時、私の瞳は風に流される五本の狼煙を写した。


 アッシュを徒歩で走らせ、馬上の人となった私は単騎で先行し、最初にいた防衛拠点へ戻った。

「ギレスブイグ、周辺の部族は五つだったはずよね?」

 狼煙を認めた山の民たちは歓喜の声を上げ、騎士団の兵たちも当然、その意味を悟っていた。

「今や、近隣の全ての部族が、姫の敵ですな」

 身も蓋もない・・・言い方も怖いし。

「幾つかは欺瞞、という可能性もあるわ」

「降伏勧告でもあれば、その可能性もあるいは。だが、今のところは期待薄、ですな。もう、すぐにでも増援の先鋒が森を抜けて来ても、おかしくない頃ですぞ」

「伝令!西の城壁に集結!東側は捨て置くよう告げよ!」

 ジャン=ロベールが血相を変えて駆け寄る。

「姫、矢も油も、とうに尽きている!如何に対応するおつもりか!?」

 私は左手を彼の肩に添え、顔を近づける。ギレスも慌てて側に寄る。

「ジャン、貴方が慌てたら、他の者も動揺するわ。いいこと、良く聞いて。辺境遠征に出発した時、すでに貴方の命は私が預かったわ。ノイマン、シュルト、ボルドー、ルキウス、カルロ、ターラント、ウルバン、そして・・・ハルトマン。彼らの名を覚えている?」

「えぇ・・・無論です」

 ロベールが、蒼白の顔で頷きを繰り返す。

「貴方は、まだ生きている。彼らよりも長く、戦場を生き抜いているのよ。自信を持って、全力を尽くすの。でないと、彼岸で彼らに笑われるわよ」

 私のウィンクがぎこちないのは、お愛嬌だ。これでも、私なりに頑張っているのだから大目に見て欲しい。

「取り乱しました・・・どうかお許しを、ルイーサ姫。クルトや紋章官の応援が来るまで、死力を尽くして応戦します」

「さぁ、配置についた」

 ギレスが彼の背中をバンと叩いて、送り出す。

 私は、心の奥に針を刺されたような気分だった。皆には、生まれ故郷の名、アマーリエと呼ぶように頼んでいた。すっかりそれは浸透していたものと思っていた。

「彼だけが、私の事をルイーサと呼ぶのよ」

「気にしすぎでは?本名なのですから、不思議はありますまい」

 そう言って、私の肩をぽんぽんと叩く。しかし、ロベールと私の間に身を置いていた彼の手は、腰のサイドソードの柄をしっかりと握ってたのを私は気づいていた。


 まるで猪の大群が地を蹴って走るような、低い呻き声にも似た鬨の声を聞いた。

 山とは反対方向の森から、一人またひとりと現れた敵の増援部隊は、またたく間に渓谷を埋める大軍へと膨れ上がった。

「・・・まるで、蟻の大群ね」

「蟻よりはいくらか、マシだ。人は恐れを知っている」

 森の下生えをかき分け、岩を飛び越える群衆に混じって、青白い顔の若者の姿があった。一人だけ、西の諸国の衣服を纏い、細身の長剣を手に走っている。その衣服は、首と股間部分に大量の出血の跡が付いていた。彼は、私の過去の記憶が見せる幻影のひとりだった。

 現実に意識を戻すと、早くも梯子が掛けられ、鉤爪のついた縄が次々と投げ込まれはじめていた。

 “深淵の炎よ、我が名においてここに召さん、大気を喰らいその虚な飢えを満たされよ“

 ギレスが半目になり、私の知らない言語で呟きを繰り返しつつ、小瓶を放り投げた。するとひと呼吸を置いてから、どん!と大気を揺るがすほどの巨大な火柱が出現した。それは城壁の上まで舌を伸ばし、味方の兵たちは腰を抜かして身を伏せた。

「ふぅ・・・なかなか、上手く行きませぬ」

 城壁から下を覗き込みながら、ギレスはつぶやく。炎の柱はすぐに収縮して消え失せたが、延焼した梯子や縄、兵士たちの身体の炎は消えなかった。今の一瞬で二、三十人は蹴散らしたに違いない。

 魔法、すごい。

「ギレス、それ、もっと!それ、もっと!」

「対価が足りませぬ。ご勘弁を。あとは、こいつが役に立ちます故」

 ギレスはにやりと笑うと、新たに掛けられた梯子の先から、ひょいと顔を出した敵兵の首を長剣で跳ね飛ばす。彼の刀身は細かい波型に加工されており、打撃よりもスライスに向いている。登攀して来る隙の多い敵にのしのしと近寄り、慌てることもなく順番に切り捨てていく様は、漁の獲物に船縁から順々にとどめを刺してしているようで、機械的でいて不気味な恐ろしさがあった。

 城壁の上に次から次へと、敵兵が現れる。ジャン=ロベールが言った通り、矢も油も尽きている事に加え、先程の山の民の軍勢とはやはり数が違うのだ。城壁の広範囲に及んで、激戦が繰り広げられる。

 騎士が梯子にポールアックスの先を掛け、登ってくる敵兵共々梯子を倒す。

 一方では二騎並列して通路を突貫し、次々と城壁の下へと蹴散らして進む。

 砂を巻き上げながら激しくもみ合い、短刀でとどめを刺し合う。

 馬を失った騎士が、グリップと刀身を握ったハーフソードで攻撃を受け流しつつ、相手の腕関節を刀身で捻って、押し倒す。

 落馬した騎士が、しこたま曲刀を叩きつけられる。

 その敵兵の背後から、別の騎士が鎖のついた鉄球を脇腹に埋め込ませる。

「アッシュ、どこ?」

「お側に、おります!」

 敵も味方も入り混じり、混戦の体を成していた。短刀を抜いて身構える敵を認め、相手のテンポを待たずに胸元を突く。従者のアッシュは、左脇に現れた。彼もショートソードとバックラーを装備して奮戦している。

「パンノニール伯が負傷したわ。手当てして!」

「はい。・・・して、どこでしょう?」

「スタンリーの側で寝ているわ」

 モーニングスターを振るうスタンリーの奮闘ぶりは、いつにも増して凄まじかった。大きな盾を持たない敵は、鉄球の攻撃を防御できずに狼狽していた。剣で防御しようとする敵には、その手に鉄球を喰らわし、剣を吹き飛ばしす。予備動作の隙を突いて刀を振り下ろせば、鎖を掴んで受け止め、そのまま刀を抱え込んで、頭突きを喰らわした。見た目だけ派手で、隙の多い武器と踏んでいたが、体術を掛け合わせれば、これほどまでに対応力がある。私は認識を改めないといけないようだ。

 味方の影から飛び出して、私の右側面に襲いかかる者がいた。

 切先を下げた構えから右肩で担ぐ位置へと回し、盾としながら反撃に転じる。アインスクリンゲが相手の刀身を削り火花を巻き上げる中、脇を締めて回転を小さく振り下ろした刀身は相手の右腰を捉えた。骨を削られて、よろめく相手の脇腹めがけて、刀身を掴んで突きを押し当てる。左手で刀身を掴むことで、肋の隙間を正確に狙った。致命傷では無いが、無力化できれば良い。体力を温存しつつ、次から次へと対処せねばならないのだ。城壁を登って来る相手の頭に、ごちんと喰らわし、梯子の先端に付いているかぎ爪を剣で削いでから、片手で掴んで横へと倒した。

 不意に、ガツンと音が鳴り、視界が揺らいだ。

 脳震盪を起こしたかと思ったが、それほどの打撃ではなかった。アーメットと呼ばれる私の兜がずれて、視界を妨げていた。脱ぐとバイザーの隙間にクロスボウの太矢が挟まっていた。魔法の甲冑ならば、こうはならない。打撃を緩和してくれない反面、変形しないというずば抜けた利点がある。ただし、魔剣が相手ならば相殺効果で貫通する可能性はあるが。今の私は、オーダーメイドの着古した全身甲冑を着ていた事を思い出した。

 いつの間にか戻ってきていたアッシュが、私の手から兜を横取りし、太矢を抜いて返した。

「兜を脱いではなりません!早く被って」

 貴方だって、簡易兜すら被っていないのに。

「幾分、敵の勢いが収まったようね」

「東の城壁から、味方が集結して来ましたから、一時的にそう思えるだけですよ。山の民は、手薄になった東側を重点的に攻めているようです。もう、城壁の半分は失ったも同然です」

 今更だが、山の民が包囲されたため攻勢に出るしかないと判断した段階で、すぐにでもこうすれば良かったのかも知れない。長大な距離で敵に対応するよりも、城壁の北と南の二点で消耗戦を支え、残りの半分の城壁の防衛には二倍の戦力を当てられる。今の方がむしろ効率がいい。

「肉を削がれて、身体が軽くなるって感じね」

 アッシュがギョッとして振り返る。

「どこか削がれたんですか!?」

「あん?いえ、この城壁のことよ」

 なんだ、意味の判らない・・・と彼が胸を撫で下ろすのも束の間、槍を構えた三人組に襲われる。

 槍は突くだけはない。さまざまな使い方があるもので、この場合は上からタイミングをずらして柄のしなりを利用した叩き下ろしをされれば、それは大層困ったところだが、幸い三人組は息のあった具合で一斉に突いて来た。刀身を左手で持って、穂先の軌道を上に逸らす。突きは殺傷力が高く素早いが、タイミングさえ逃さなければ、少ない力で軌道を変えることが出来るのだ。そのまま距離を詰めて、三本の槍を抱え込むと、後ろからアッシュが躍り出て一人ずつ倒してくれた。

 さらに味方が駆け寄り、残りの敵を蹴散らす。

 城壁にもたれかかり、首を押さえる味方を見つけ、アッシュが癒しの力で治療する。

 数万人に一人の割合で、彼のような特殊な力を得て生まれる者たちがいる。フォークを転がせる程度の力もあれば、刀傷を癒やし止血を行える者まで、その力の種類はさまざまだ。魔法を操る者、精霊を使役する者なども、彼のような特異な体質に類する。生まれながらに、普通の生き方を諦めねばならない点を鑑みれば、幸とも不幸とも断じ難い。

 少なくとも、味方として得られた私や、止血を行ってもらえる者にとっては、幸運である。アッシュの治癒の力は、大怪我を治すことは難しいが、動脈の損傷など例え致命傷であっても傷そのものが単純ならば、死の運命すら覆すこともできるのだ。

 彼の治療を待つ間、しばし周囲を警戒する。

 東の守りからこちらに合流した、あの剣の娘の姿を認めた。

 やっぱり、異常だわ・・・。

 私との決闘を望む彼女に、この戦いに勝たねば私は生きて貴方の前に立てないと告げたら、やむなしとばかりに協力を受諾した。相棒を自称するうさぎの姿はしばらく見受けないが、彼女は特に気にしている素振りもなかった。

 一体、二人はどんな関係なんだろう・・・男女の仲でもあるまいし・・・否、そうとも言い切れないのか?

 に、しても。どこにそれほどまでの体力が潜んでいるものか、彼女の剣さばきは終始、全力そのものだ。若さでは、私も負けてはいない。しかし、その私から見ても彼女の体力は異様としか表現のしようがなかった。

 やがて、治療は終わった。

 しかし、もう大丈夫です。と言ったアッシュの顔色は優れず、汗が浮かんでいた。先程までは戦の高揚でむしろ頬を赤らめていたはずだ。

「ごめんなさい。今日はずっと、無理を強いていますね」

 ギレスも、対価がどうのと、魔法の連発は控えていた。力を持たない私の知らない何かの負担が、力の行使にはあるのかも知れない。私の表情に気づいてか、彼は笑顔で応えた。

「むしろ、剣で敵と戦うよりも安全でやりがいのある役割ですよ」

 私が礼を述べようとした時、彼の背中めがけて、矢狭間の上から敵兵が踊りかかった。

 アッシュの身体が邪魔で対応できない。咄嗟に彼に体当たりをして体勢を入れ替えるが、私自身が敵の攻撃の対応に間に合わなかった。

 甲冑の表面で受け止めるしかない!

 私は身体を硬くした。

「何晒すんじゃ!おどりゃ!」

 ガチャガチャと音を上げて突進して来た騎士が、飛びかかる敵兵に体当たりを喰らわせて跳ね返した。倒れた相手を掴み上げて、城壁の下へ投げ飛ばす。

「従者を守るとは、アマーリエらしいですな!だが、関心はできませぬぞ!」

 豪快に笑うのは、紳士的をモットーとするパンノニール伯だ。かつらとつけ髭をこよなく愛す彼だが、今日ばかりは返り血に染まり、いつもよりも増して、ギョロリと大きい瞳がかっぴろげられ、恐ろし・・・勇ましいばかりだ。どうやら、戦は、人を変えるらしい。

「これで先程の恩は返したぞ、従者アッシュよ」

 ウィンクを一つ残すと、ポールアックスを振り回しながら敵を求めて去ってゆく。

 騎士たちは、戦場にあって誰も彼もが、生き生きとしていた。全く、どれほど戦馬鹿なのだろう。長時間の激戦の最中だが、輝く甲冑に身を包み、獅子奮迅の働きを見せる騎士たちの剛気は、市民兵にも伝染して士気を昂らせている。

 ここは下り階段が無い、背水の陣だ。次々と現れる敵を倒し続けるしか、活路は無い。そうだ、士気を維持することだけ、今は考えれば良い。

「我に続けぇぇぇ!」

 私は声を張り上げて、城壁を上り詰める敵兵に踊りかかった。

 新たな敵集団を撃退した直後に、一人の従者が捕虜を連れて現れた。

「姫、捕虜の見聞を」

 捕虜なら、後で・・・返り血を袖のレースで拭いながら、青い服を着た捕虜を見た。

「貴方は・・・」

 額に汗を滲ませ、茶色い瞳に恐怖とも憎悪とも取れるゆらめきを湛えながら、じろりと私を見上げるその姿を見て、思わず息を呑んだ。

 それは、青い衣の将軍、バリスタの脇で前線の司令を取っていた男の姿だった。従者に後ろ首を掴まれているだけだが、抵抗する気概も無いのだろうか。右腕は骨折しているようで、すでに治療が済んでいた。私が近寄ると、袖に隠れた左腕をスッと背中に下げた。私はそれを見落とさずに、袖を掴んで持ち上げる。

「ぐ・・・魔剣の巫女め・・・」

 左腕は石臼で轢かれでもしたかように、引き千切られれていた。骨が飛び出し、筋肉が剥き出し、血を噴き出している。これが、魔剣の迷宮に挑んだ代償だろう。

「巫女とは?」

 睨みつけるだけで答えないので、少し袖を絞る。

「・・・魔剣の意思と交信し、調停役となる者だ・・・」

「なるほど。前例があるってわけね。貴方、なぜそんな事を知っているの?」

「もしかすると、元は剣の信者なのかも知れません。山の民の信仰は、改められてまだ間がないですし。姫、私が預かります」

 アッシュが、従者から彼の身体を引き受ける。青い衣の将軍は、すでに気を失っていた。立て続けに申し訳ないが、彼に止血をしてもらわねばならない。

「お願いするわ」




 雨が降り始め、荒波のようだった敵の攻勢が止んだ。

 泥まみれの足で雨の中の梯子を登り、落下する者が相次いだ。

 登頂できる兵が少なくなれば、各個撃破されるだけだ。大きな損害を出したにも関わらず、天候が不利と見るや兵を引いた辺境の部族たちは、戦なれしていた。

 日暮が近いのか、雲が厚くなったためか、辺りは急に暗くなり雷が鳴り始める。

 静けさが戻り、雨に身体を冷やされ、忘れていた傷に急に痛みが戻り始めた。

 城壁の上では、雨を遮るものは無く、雷に打たれないよう祈る事しかできない。

 交代で休憩を命じた。

 ギレスブイグに戦況確認を命じたまま、私は座り込んだ瞬間、夢に落ちる。

 夢は現実の繰り返しだった。

 襲いかかる敵兵と、それを次々と斬り倒す無情の女騎士。

 美しいエルフが、私の寝室で冷徹に答えた言葉。

 –ハロルドに戻った場合と、辺境に向かった場合と、どちらの方が多く死ぬ?–

 私の問いに対し、その女性は簡潔に即答した。

 –後者です–

 地響きと揺れにより、夢から起こされた時、辺りは暗闇に満たされていた。激しく城壁が揺れ、兵たちは不安に慄き身を寄せ合っていた。

「何だ、何事か!?」

 私の声は轟音に掻き消され、誰も答えてはくれない。

 木々が薙ぎ倒され引き千切られる、悲鳴にも似た音、ゴツゴツと鳴る岩の音。しかし、暗闇に閉ざされた城壁の下の様子は、目視することができなかった。

 その音を掻き消さんばかりに何者かが叫び、渓谷にこだました。

 まるで悪夢から現世に這い出した、恐ろしい魔物の叫び声のようだった。


 明け方までには雨が止み、雲ひとつない空が深い群青色から紺碧へと移りゆく頃、私は渓谷の変わり果てた様相に唖然となった。一晩、雨を受けた身体が震え始め、私はその震えをしばし止めることができなかった。

 私は自ら犯した、おぞましい行いによる過ちを知った。

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