第29話 猪バカ



 さて、今日も僅かな糧を得た私たちは迷宮に潜る事にした。

申し訳程度に満たされたお腹をさすりながら、大将の店を一歩出る。


「今日は午前中がギルドで潰れてしまったから、さくっと最下層まで辿り付ける難易度の低めの迷宮に……げっ!!」


 空腹による焦燥感が薄れた私たちはきっと、油断していたのだと思う。

午後の予定について、確認しながら外に出た瞬間に私はあり得ない光景を目にし、戦慄が走った。



「出たな、守銭奴!」

「金の亡者よ! 金の亡者がいるわ!」


 ナツメと二人して前方に立つその人物を指差したのはマナー違反だが、致し方なかった。


「どうして? どうして奴がいるの? 奴はこの私の俊足で完全に撒いた筈……」

「ふっ、甘いな!」


 突然現れた災厄の象徴のような男に私の脳内は大恐慌に陥った。

勝ち誇った笑みを浮かべているサイラスが憎たらしい。



「何故だ……? 何故ここがバレた? 俺たちの逃走は完璧だった筈……」

「ふんっ、世の中は金だ。金さえあればどうとでもなる」

「馬鹿な! まさか……貴方、お金を使ったの!? どケチの癖に?」

「君は一つ、大きな勘違いをしている。僕は確かにお金を信仰しているけれど、使い時というのは弁えているつもりだ。金をバラ撒けば情報を得る事なんて容易い」



 明日は雨か槍か。

そもそも、明日などあるのか?

守銭奴が金をバラ撒くなどこの世の終わり、天変地異が起こるだろう。


 そう言ってまさに驚天動地の心境でいる私たちに、サイラスはどこまでも偉そうに、上から目線で言った。

タダのケチだと思っていたら、そうではなかったらしい。


「なんて事なの? そんなケチがこの世の中に居たなんて……」

「正確には僕はケチじゃない。ただお金が好きで、集めているだけだ。いわばお金コレクターかな」

「だからそういうのを、どケチ又は金の亡者と言うんだろうが!」



 結局のところその議論は平行線だった。

お互いの価値観、認識が違っていて、擦り合わせする事すら拒絶し合っている。


「俺はお前を究極のドケチだと思う。お前が違うというのなら、お前の中ではそうなんだろうがな」

「まあ、君たちにどう思われていようと僕はどうでもいいからね」


 折り合わない事で早々に合意した私たちは、さっさと最も気になっている疑問をご本人様にぶつけた。

店内で散々検討し、そして判らないという結論に落ち着いたアレだ。


「貴方は何の目的で私たちに近づいてきたの?」

「話が早くて助かる。実は僕を君たちの探索パーティーに加えてほしいんだ」

「え? なんだって?」

「何ですって?」



 聞き間違いか?

ナツメと揃って聞き返しながら、我が耳を疑った。




*****




「へいらっしゃい! ……って、なんだ? ナツメと嬢ちゃんか。どうした? 店ん中に忘れ物でもしたのか?」

「あ、いや……」


 明朗快活で元気の良い声に出迎えられたナツメは、返事をするのに言い淀んだ。

何と説明して良いやら戸惑ったのだ。


 仲間にしてくれと言うサイラスの言葉に、話が込み入りそうだと予感した私たちは、店の前で陣取っていても邪魔だろうと、仕方なく店内に出戻る事にした。

そんな大将の店の中の混雑具合は、団体の客が一斉に帰って行ったおかげて幾分か緩和されていた。


「うん? 何だ? よく見たら、見慣れねぇ奴もいるじゃないか。新顔か?」

「典型的な大衆食堂だな」

「それは俺の料理を食ってから言うんだな」


 歯切れの悪いナツメの返事に首を傾げた大将だったが、ナツメや私が何かを言い出す前に私たちの後ろから続いて入ってくるサイラスの姿を認め、声を掛ける。


 何も知らない、特に大将の料理の腕前と過去について何も知らないサイラスは、店に入って早々に値踏みするような視線を店内のあちらこちら、それから大将自身に向けて挑発的な言動をした。


 その辺りにゴロゴロと立ち並んでいる雑多で凡愚な店だと言い切る彼の言葉を誰が好意的に受け止められるだろうか?



 恐れ多い話だと思う。

そして、相手がどんな人物か探る事無く、敵に回してはいけない人物に噛みつくサイラスこそ、無知蒙昧な愚か者だと思った。


 大将と一番交流の深いナツメなどは、反射的に回れ右しようとしている。



「ちょっと、なんて事を言っているのよ? この方はね……!」

「ただのしがない料理人だ」


 青くなって守銭奴バカを止めに入ろうとする私を遮るのは、他ならぬ大将だった。

過去の英雄譚にすがる事無く、自分をただの料理人と言い切ったのだ。


「だが、うちの店をバカにされたままじゃあ帰せないってなもんよ。おい、兄ちゃん。ちょっと食ってけや」

「経費節減の為、外食はしないと決めているんだ」

「どケチここに極まれりだわ……」


 猪バカな守銭奴を相手にしていると、忙し過ぎて身が保たない。

もはや呆れていいのか、感心すればいいのか判らなくなっていた。


「それなら、金はいらねえ。心して味わうんだな」

「頂こう」


 存外に好戦的な大将は、太っ腹なのか狭量なのか些か判断に困る。


 タダなら、守銭奴に断る理由などない。

いらぬところで、バチバチと無駄に熱い火花が散った。



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