魔法使いだけど、面倒なので殴ります!
紫月 朔彌
序章
プロローグ
――月狼の迷宮、最下層にて。
「炎よ、邪悪なる彼のモノを焼き尽くせ! ファイアーストーム!!」
少女は獣の巨体に向かって、杖を掲げていた。
硬い樫の木で出来た杖の先端から飛び出した炎がゴウッと音を立てながら狼型の獣にまとわりつく。
総じて獣は炎を怖がるものだ。
だからこそいけるか、とこの時の少女は安易に考えていた。
迷宮の主とはいえ、ここは攻略難易度の一番低い部類に入る迷宮なのだから、あっさりと倒れてくれる筈――。
しかし、次の瞬間に自体は一変する事になる。
「グルアアアァァァァッ!!」
部屋中に獣の咆哮が響き渡った。
壁に天井に音が乱反射をして、少女の耳を劈く。
風圧で被っていたローブのフードが脱げ、天井から落ちてきた滴が少女の金糸のような髪を濡らした。
さっきまで確かに少女の方が優勢だった。
だというのに、火だるまになっていた筈の狼の巨躯は火傷の痕ひとつ見当たらない。
吠えると同時に犬が体毛の水気を飛ばす時のように身体を振るわせた獰猛な狼は、ものの一瞬で少女が生み出した炎を消し去ってしまっていた。
幾らこの狼の毛皮が丈夫だからといって、こうまで無傷なのは変だ。
自分の魔法の威力が弱過ぎたのか?
属性の相性が悪かったのか?
はたまた、この狼は魔法に耐性を持っているのか?
どれも考え得るだけに、いったいどれが正解なのか少女には判らない。
「……ああ、もう! えーい、面倒臭い!」
短気な彼女は癇癪を起こすように叫ぶとあろう事か、杖を投げ捨てた。
カランッとそれは足元で転がって、乾いた音を立てる。
普通の魔法使いならば、ここで身の破滅の危機を感じ、絶望したであろう。
だが彼女は違った。
杖は取り落としたのではない。
邪魔だから、捨てたのだ。
「覚悟っ!!」
鋭い牙をむき出しにして威嚇してくる狼にも怯む事無く、少女は突っ込んでいく。
その両の手には揺らめくオーラを纏った剣が握られていた。
*****
「バッカモーン!!」
まん丸のお月様が中天にかかる夜半、雷が落ちた。
耳に痛い怒号にシャンヌ・ダルグは思わず身を竦める。
今し方迷宮探索を終えて帰ってきたばかりで、先ほどまで二足歩行の狼と死闘を繰り広げていたシャンヌにとってはあんまりな仕打ちだった。
「だって……」
「だってもヘチマも無いわっ!」
それでもなお言い訳をしようと口を開いたシャンヌだったが、相手はそれを許してはくれなかった。
シャンヌの魔法の師匠にして、学園長である老人のテオドール・シプリアンは弟子に口を挟む余地すら与え無い。
青筋を立てるだとか、そんな生易しいものでは無い。
久々に本気で怒り狂う師匠の姿に、これは今夜は朝までお説教コースかもしれないが仕方ないとシャンヌは腹を括った。
勝利の高揚もどこへやらだ。
「まったく、おぬしときたらいつもいつも……。魔法使いの戦闘のセオリーを答えてみよ!」
「敵との距離を保ちながら、相手の攻撃範囲外から殺る、ですか?」
「それが解っていながら、どうしておぬしは毎回毎回そうなるのじゃ!?」
ビリビリと鼓膜に響くしわがれた声に耳を塞ぎたくなる衝動をシャンヌはグッと抑えた。
今そんな事をしようものなら、テオドールの火に油を注ぐ結果になる事は目に見えている。
答えよと言われて答えたら、余計に罵倒されるだなんて理不尽だと愚痴めいた考えも起こるが、ここは我慢だとシャンヌは四肢に力を込めた。
「だいたい、わしがおぬしに出した課題は魔法を使って迷宮を攻略する事であった筈じゃ。それが、何をどうすればこうなる?」
くどくどとお説教を続ける老魔法使いの手にはボロ雑巾のようにズタボロになった狼の毛皮がある。
「きちんと魔法を使いました」
「どうせ道中の明かりに使ったくらいの事じゃろう?」
「狼にも使いました!」
シャンヌは口喧しい老人の説教には何とか堪えてみせようと思っていた。
自分が師匠の期待に応えられなかったのは事実なのだから。
しかし不正を疑われているとあらば、彼女も黙ってはいられなかった。
「ほう……?」
あくまで自分の言葉に従い、魔法を使って攻略したと主張するシャンヌにテオドールは眉を顰ひそめる。
「初撃の魔法に失敗して、おぬしお得意の物理攻撃にでも切り替えたのか?」
「違います! きちんと最初から最後まで魔法で倒しました! 魔法以外は使っていません!」
あからさまに自分の話を眉唾ものだと疑って掛かっている師匠の言葉に、シャンヌは腹立たしいやら悲しいやら悔しいやら、胸の内で色んな感情が混ざり合って渦巻いているのを感じた。
この時のシャンヌは知らなかったが、月狼の迷宮のボス狼ことサベージウルフ討伐の基本は遠距離からの雷撃もしくは氷撃である。
近付けば鋭い牙や前足による攻撃を被弾してしまう可能性が高く、物理防御力など無いに等しい魔法使いにとってそれは驚異と言える。
反対にサベージウルフは遠距離攻撃の手段を持たない為、十分な距離を確保しつつ戦いさえすれば、さほど強敵では無い。
「ではおぬしが持ち帰った毛皮のこの有様は何とする!? なんぞ申し開きがあるなら申してみよ!」
「言いたくありません!」
「そのような世迷い言がわしに通じると思うたか!」
間髪を入れず弁明を拒否するシャンヌの上にまたテオドールの雷が落ちる。
こんなに月が明るい夜だというのに、窓の外で光った稲妻が彼の怒りの凄まじさを物語っている。
魔力を持った子供がうまく制御出来ずに感情のままに魔法を発動してしまうというのはよくある事だった。
しかし、彼ほどの年齢、彼ほどの魔法使いともなるとそれは珍しい。
「はぁ……。魔法で剣を作り出したんです」
どうあってもこのまま見逃してはくれそうにないと悟ったシャンヌは、ため息をつきながら口を割った。
学園の教本にも載っていない、自分だけの魔法。
せっかくなら師匠にはもっと劇的な場面で披露したかったが、やむを得ない。
「なん、じゃと……?」
「だから、魔法で作り出した剣で狼を倒したの!」
狐につままれたような顔をする師匠に、自分が本気で不正を疑われていたらしいと察したシャンヌは苛立ち混じりに再度言い放った。
敬語すら抜け落ちている。
「この……大馬鹿者めがっ!!」
静けさは嵐の前触れ。
最大級の雷が落ちた。
窓の外が昼間のように明かり、耳を打つのが雷の音なのか、怒号なのかすら判らない。
テオドールの鼻を明かすというシャンヌの願望は達せられたが、勿論こんな形を望んだわけでは無い。
「魔法の利点は遠距離攻撃・範囲攻撃だといつも言うておろうが! くだらぬ棒きれを作らせる為におぬしに魔法を教えたのではない! 誉れ高きダルグ家当主ともあろう者が、こんな事でどうする!? ご両親が草葉の陰で泣いておるわ!」
「ずみまぜん……」
自分よりも我を忘れて怒り狂う師匠を見て、シャンヌの怒りは急速にしぼんでいった。
冷水を浴びせられたように、引いていく熱に寒気すら感じる。
賢者とまで呼ばれるテオドールの魔力が濃霧のように部屋中に満ちているのだ。
常人であればそれだけで卒倒してしまうだろう。
もとは己の短絡的思考が招いた災難だと諦めつつも、問われて正直に答えれば答える程に師匠の怒りを煽ってしまう現実にやはり納得が行かないものを感じながら、シャンヌはひたすら謝り通す。
師匠はああ言ったが、シャンヌは亡き両親が強く生きよと言ってくれているような気がした。
一晩一睡もせずにこってりと絞られたシャンヌが、翌朝の講義で盛大に居眠りをしてしまい、踏んだり蹴ったりの一日を過ごしたのは想像に難くない。
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