先手先の未来
誘われるまま、僕達は彼の座っていた席へ向かい、僕は彼の真正面の席に着かされる。ラルフは彼が近くから持ってきた違う席の椅子へ座った。
その席には先の通りチェス盤が置いてあり、状況としては黒がもう詰んでいる。逆転はできない、チェックメイトだ。
「で、なんの用?」
彼は常ににこやかで何を考えているのか分からない。やっぱり胡散臭さが抜けない、むしろこちらに警戒心を持たせることが目的と感じられるほど、一緒に居る時間が長くなるにつれて信用ならなくなる。
「君さ、チェスって好き?」
「興味無いけど」
「興味無いんだ。でも、ルールくらい知ってるでしょ?実は俺ね、チェスの世界大会で優勝してるんだ。で、よくこの場所で1人でチェスに耽るんだけどさ、たまーにこんな風に人を呼んで少し聞いてみるんだよ」
何が言いたいんだろうか、全く分からない。だから少し聞いてみる。
「で、その優勝者が僕みたいな一般人に何を聞くの?まさか、この後キングはどこに動く?とかふざけたこと聞かないよね?」
「それを聞いてるんだよ。どう動く?」
彼はいつものへらへらした顔から酷薄な笑みを浮かべそう言った。
「なら、もうひとつ聞いていい?なんで、僕たちを呼んだのさ」
「それは、俺を眺めてたからさ。普通はそんな見ないってさっき言ったろ?それ以上に見る人は大体、観察してるんだよ」
彼は真剣な顔で語り出す。討ち取った黒いクイーンを手に取り遊びながら続きを話し始めた。
「流し目に通り過ぎる人間は普通の人だ。でも、少し関心を持ち、その後の視線の動きから俺の事をしげしげと見ているようなら、それは立派な観察だ。チェスに目がいってたらそれは単純にチェスが好きなんだろうけど、君はさ、俺を見てたじゃん。そういう人って思慮深く物事を見ている人間だって俺は思ってる。これはただの経験則だから、正確性は確かじゃないけどどうかな?」
「優れた観察眼だね、探偵にでもなったらいいんじゃない?」
彼はにこやかな顔でそんな褒めるなよと茶化してくる。
僕は今の盤上を見て、完全に詰まされてどうにもならない状況であると再認識する。故にそれが少し前の現状と一致しているように感じて、僕はキングを万丈の外へと動かした。
そして、無造作にそのチェス盤と黒のキング以外の駒を机から払い落とした。
「これ、チェスとしてはキングの敗北だよ。だから、盤上を文字通りひっくり返した。最後に立ってるキングが、これで勝利だ」
「はは、無茶苦茶だ」
彼は困ったように笑い、そう言った。そして、こうも付け加えた。
「でも、確かにそうだ。現実ってのは手番もなければ明確な勝利条件もない。君のおかげでいい事を聞けた。ありがとう」
「どういたしまして、もう僕らに用事はない?」
「最後にひとつ、君とゲームできる日を楽しみにしてるよ」
僕はその言葉にどこか不信感を抱きながら、あっそう、と流してラルフと共に席を立った。
俺は彼らが払ったチェス盤を拾いながら考え事をしている。
彼は、判断した。ひとつの事実を多角的に俯瞰し、こうすれば勝てる、勝ちにできると判断した。
それが正解かどうかは置いておいて、すごく面白い結論を導き出した。
「結構、気に入ってたから傷とか入ってると困るんだよねぇ」
俺はそう言ったが、やっぱり顔は笑ってる。悲しいほどに笑っていた。
でも、大事なのは彼らがどういう人間かだ。俺の中ではリーダー格は小さい彼で確定だ。隣の大男は人間じゃない。挙動や仕草が人のそれではない。
軍がマークしている2人が堂々とこんな街中に現れるのは想定外だが、リーダー格の彼がそれをすると判断していたのなら、間違いなく狙いがあるはずだ。
その狙いは読めないけど、さっきのチェス盤の手を考えるなら、彼らは盤上をひっくり返すだろう。その準備とみていいのかもしれない。
「さてさて、彼は何を目的にここに来たのかな…?」
俺はどうするのが正解かな?そう考えていると背後から声が聞こえた。
「時間よりかなり早く着いていらしたのですね。イアン・ノイユさん」
「んー、そうね〜。だいぶ待ったけど、別にいいよ。時間より早く来てたのは俺だしね」
「はぁ…プルチックの処理の為に必要な段取りは思いつきましたか?」
「いやぁ、プルチックだけなら簡単だけど、軍の見立てを見直さないと無理かもね」
俺はこの先のカオスを想像し、笑いながらそう言った。
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