運命の輪

彼女の放つ殺気を受け止め、それは移ろい、流れるように自然に開始された。


彼女は短剣を抜いて右手に持ち、こちらへ向かってくる。そして、振るう。


俺は鼻先ギリギリまで引き付けてから仰け反るように回避し、次に向かってくる回し蹴りを右手でいなして彼女から距離をとった。


「…!」


俺は先の攻防に驚き、目を見開いた。彼女は間違いなくあの時の少女だ。確か名を巴御前と言ったか。しかし、驚くほど違う。まず、身体能力が異様に高い。やもすれば俺と協力し、あの軍勢を退けるどころか3分で壊滅すらさせられるかもしれないほどだ。


次点で以前より明らかに戦い慣れている。一撃一撃が常に人間の急所、または動作を鈍らせる部位に飛んでくる。しっかり考えて刃を振るい、狙いをしっかりと通す技の精度、どれをとっても一級品。その戦闘のセンスだけで多少身体能力が劣ろうと状況をひっくり返せるだろう。


ただの空き家、狭い廃屋では体が彼女より大きい俺は明らかに不利だ。彼女は動きを制限されることは無いが、俺は力を調整しなければメサイアを巻き込んでしまう。


何より、それを誘うように視界にメサイアをちらつかせるように立ち回っている、それがうざったい。


「暫く見ないうちに小賢しくなったな」


「然し、場所を選んだのは貴様だ。それに足手まといをこの場に残しているのも貴様だ。回り回れば自分で自分の首を絞める貴様の傲慢さだろう?」


「間違いない」


そして軽やかに間合いを詰めてくる彼女の重心、攻撃パターン、腕の動きを観察し、計算して対応。カウンターとして足払いで転倒させて間合いを取り、メサイアの近くに移動する。


「ここに来ればお前は攻撃できないだろう?」


「笑止」


彼女は容赦なく間合いに入り俺に向かって攻撃してくる。俺は折れない程度の力でメサイアの首を掴んで彼女の眼前へと彼を突き出した。


…持ったナイフはメサイアの鼻先1cm程でピタリと停止した。


そのままの状態で暫くシンとした空気が場を支配していたが、静寂を初めに打ち破ったのはメサイアだった。


「なんだ、殺せないんじゃないか」


その表情は穏やかで、ほんのり微笑を湛えている。そして彼女は何も言わず持ったナイフを太ももの鞘に収めた。


俺は首を掴んだ手を離して無造作にメサイアの拘束を解いた。


「なんなんだ貴様!私があの短刀を止めなければ死んでいたんだぞ!何故笑う!何故笑えるんだ!」


怒りで顔が歪んでいる。そして放つ言葉は最もだ。


俺は自分で自分のことを人間らしいとは思わない。所詮ただの機械に過ぎないが、常人ならあんな事されれば当然怒りの感情を抱くはずだ。


だが、今見ても心拍数に変化はない。脳波も正常、彼の肉体が放つ反応はまるで何事も無かったかのようだ。


正常な事が、異常なのだ。


そんな彼は尚も変わらず微笑を浮かべ、慇懃な態度で彼女の怒りの問答に応じた。


「名前、なんて言うんだろう。分からないけど、とりあえず言えることは、君は僕を殺さなかった。それは結果論かもしれないけど、予想通りだ。例えるなら、問いに対する回答が正解していた時のような感覚だよ。そりゃあ、笑うだろ?」


彼女の顔はまるで異形を見るようで青ざめている。かくいう俺も、似たような表情をしたかもしれない。


この空間にいる自我を持つ存在の中で1番の異常者は間違いなくメサイアだ。俺は人間ではないし、彼女も人間離れしている。然し、メサイアよりも余程人間性というものを保持している。彼が軍隊を煽った時もその片鱗は感じていたが、彼はやはり狂っている。


「巴御前、それがそいつの名前だ」


彼はふーんと興味なさげに相槌を打った。そして言葉を発する。


「巴御前…さん?一応伝えると、僕と隣の大男は何故か国に狙われている。僕は君のこの行動がお国の命令だとは考えない。君は首を持って帰れば許されるけど、それ以外は中々に厳しい処罰が待ってると思うんだ」


「脅しか?」


「いやいや、そんな酷い表現しないでよ」


ヘラヘラと笑いながらそう言った。聞く人間によればこれは脅迫だ。自分たちに協力しないと命はないという風に取られても仕方ない。だが、俺たちがわざわざ何かをする訳では無い。それは無駄だからだ。その事実を踏まえれば、彼が行ったのは事実確認と推測だ。脅しではない、だが、彼女は脅しか?と聞き返した。つまり彼の推測である『命令違反』が正解だったということだ。そして、『厳しい処罰』も有り得る可能性が高くなる。それだけ彼女の答えはまずかった。自分の行動と立場を明確にするだけの情報を与えてしまったからだ。


「そこで提案だけど、僕から見て君はすっごい信用出来る人なんだ。僕らに協力するっていうなら、歓迎するよ」


メサイアの言葉に彼女は酷く警戒している。それはそうだ。この先の生死を賭ける選択だから。


「考えてもみなよ。僕らの首は取れない、帰ればどうなるか分からない。僕らにその命を預けるなら少なくとも今すぐゲームオーバーってことはないでしょ」


恐ろしい人間だ。引き出した相手の弱みにつけ込んで、それをきっかけにこちらに取り込もうとしている。


「だが、貴様らはどうせまた逃げるだけだ…私は知っている。そんな卑屈で惨めったらしい生活を送るくらいならば私は今ここで死を選ぶ」


声のトーンが少し落ち、俯いてその言葉を口にする。悲愴に染まった顔は詰みを目の前で宣告され、生に縋るくらいなら自分のプライドを優先すると言った。


「そこが僕が信用出来るって君に伝えた所だよ。君のそのプライドが、僕にはすごく誠実に思える」


屈託のない笑みを浮かべ、彼は言った。間違いなく本心からの言葉だ。


その言葉に続くのは俺たちの全く予期しないもので、彼の未知数な異常性をより高めた。


「それに、僕らはもう逃げない。この国を堕とす」


「…正気か?いや、貴様は元から異常だ。忘れていたよ」


彼女は困り顔を浮かべながら呆れていた。かくいう俺も多分似たような表情だっただろう。考えればわかる。追われる身に過ぎない俺たちに一体何ができるというのか。メサイアはたぶん理解出来ていないのだろう。相手がどれだけ強大で、どれだけ影響力があるのかを。


「メサイア。分かっているのか?ここはフランスだ。EU連合の一つだ、喧嘩を売れば正しくリンチだぞ」


「だからなんだよ。かれこれ何年?10年近くか、逃げ続けて今なおそんなネズミを仕留められない国だぞ?」


「それは国が慎重になっていたからだ。本気になればそこにいるプルチックを破壊することに全勢力をかける。はっきり言おう、貴様のような童に用なんて初めからないんだ。大事なのはそこの機械をどうするかに過ぎない」


彼女は悲観的な言葉を連ね、どこか憎たらしげに俺を見つめた。それに対してメサイアは不思議そうな顔で聞き返した。


「プルチックってなに?」


「貴様のような感情と意志を持つ機械のことだ。世界各国で注視されている。何かしらの特殊な機能を持っていること以外は分かっていない。何機居るのか、誰が作ったのかも分からない。ただ、一国を滅ぼしかねない兵器と考え、それを拘束または破壊する為に軍を使う事を国は認めている。更には同盟も結んでいる」


そして、はっきりと俺を見つめながら彼女は言葉を続けた。


「貴様、EU連合といったな。推測を誤っているぞ、貴様がいる時点で敵は全世界だ」


「なーんだ、そんなことか。なら話は早い」


彼は酷薄に嗤いながら一言。


「世界をひっくり返す」


その言葉は端的で、絵空事で、でもそれを成し得てしまいそうな凄みを含んでいた。

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