愚者の一手

時は流れ、僕は19歳になった。


でも、変化はその程度で今も隣にいる機械と特別距離が縮まったわけでもなければ、状況が好転したわけでもない。永遠と、逃げる日々。


でも、それも終わり。僕らは詰まされた。それはそうだ、逃げてばかりならいつかは四方を壁に囲まれる。これは必然に過ぎない。


現在、後ろは壁だ。とある廃れた商業施設に逃げてきたが、そこはもう逃げ場がない。目の前を大量の軍隊に囲まれている。アルフを制圧または破壊するのが目的だろう。なんにせよ、この状況を突破しようとするのなら最低でもこの軍隊の1人あたりの平均戦力より高い誰かが居なければ不可能だ。居たとしても可能性は絶望的に低い。


僕は、この10年間をこんな惨めったらしい行為に費やして、そして最後には何も出来ずにチェックメイトを告げられた。


ああ、くだらない、つまらない。僕は、これで終わりなのか。


そう思うと、たまらなく虚しく、そしてたまらなく悔しかった。


横目に見たアルフの顔はいつもと変わらない。然し何処か諦めを感じているようで、それが一層この状況の悪さを認識させる。でも、そう思うだけで実際はどうだろうか。長年共に居たからかこうも思える。


少しだけ、ほんの少しだけ見えている蜘蛛の糸を必死に手繰り寄せるような、それはまるで己の命をこのまま無碍に捨て去るくらいなら全て賭けてやろうとするある種のギャンブラーじみた様子。


彼がそれをするのなら、僕も何かしら賭けないといけない。はて、彼は何をしている?


ここは論理的に考えよう。


まず、この戦力差でこの状況なら彼はどうする?何も無ければ後ろの壁を破壊して逃げるだろう。然し、僕が敵の立場ならとっくに外にも兵を配置している。現に、彼もそれをしていない。多分搭載しているレーダーで既に結果を知っているのかもしれない。


次、それなら素直に捕まる?それはあまりにも不確定性が多い。彼なら余程のことがない限り、その手は打たないだろう。


そうだ、なんで彼らは攻撃してこない?近づいても来ない。何か得体の知れない不気味さを孕んでいる。なら、僕はどうするのが正解だ?彼は何もしていない、その行動が正解だとするなら時間稼ぎがいいのだろうか?


時間稼ぎ、こんな沈黙が長く続くはずがない。そう考えると、何かしら喋る方がいいのだろうか?


堂々巡りで結局答えなんてでない。それなら、どうせ価値のないこの命をベットする。そして、ただ助かるだけじゃなくてなにかもっといいものを手に入れる。


「ねぇ、なんで何もしないの?」


その声は酷く震えている。勇気ある行動が少し無謀なものに変化する感覚がより僕の心を萎縮させた。


彼らが何を思うかなんて関係ない。一言、一言喋らせればそれでいい。それだけで僕の命の価値を大きく上回る対価を得られる。


なんならこの集団がこいつは今時間稼ぎをしていると思わせるだけでいい。それだけで僕の狙いを通すだけの穴ができる。


「そのまま大人しくしていろ。喋る必要も無い。ずっとそのままだ」


しめた!それだけで十分だ、対話にすらならずともこいつが喋る内容から次を推測していくことは容易だ。


「なんで?僕らを早く殺す方が最善じゃないの?」


「うるさい。とりあえずそのまま抵抗せず、黙っていればいいんだお前は」


こいつらは何も知らないのかもしれない。上が僕らをどうするかの決断を決めあぐねているのだろう。まだ状況的に確定ではないが、殺せる準備をしているあたりその可能性がある。


僕は次に彼らに何を言うことが正解になるのか、それを考える。


「なーんだ、君ら全員ただの駒か。いや、ペットかな?」


精一杯の皮肉は少しの高揚感を含んでいた。どうやら僕はイカれてしまったらしい。あの時もそうだった。初めてこの機械と出会って命令を下した時もこんな感覚だった。


生粋のギャンブラーのような命を投げ捨て、莫大なリターンを狙う正気の沙汰ではない行動。それはスリルを心の底から欲して、そして楽しいと思えるそんな猟奇的な思考、でもそれが異常だと理解出来ても止められない、だから僕はイカれてる。


周りから少しの上気が感じられた。相手の感情を刺激するには十分だったようだ。


「君ら、後何分かかる?僕らも時間が無いんだ。頼むよ、早く決断してくれ」


僕が彼らの感情をもう一押しする。そこから先、僕の描くシナリオはない。カオスを呼んだら、あとはもう隣の機械に任せておく。それくらいの余裕とリスクがないとこの致命的状況から逆転することに面白みがない。


そこでラルフが勢いよく後ろへ振り返り、壁を殴り壊した。そしてそのまま僕の胸ぐらを掴んで外へと投げ飛ばす。


僕はその時どんなに表情をしただろうか、あまりに突然の事でそこまで気を回せなかった。だけど、その一手が彼の自暴自棄とは考えない。何故なら、一瞬だけ瞳に映った彼の顔は笑っているように思えたから。


急速に速度が上昇するような感覚がある。然し、それ以上の速度で加速する意識が辺りの風景をスローモーションに映し出す。廃れた商業施設、寂れた商店街。それらの放つ物悲しさは何故か僕の心を締め付ける。下の喧騒は多分僕らを取り囲んだ連中の仲間だろう。このまま地面に落下して、仮に一命を取り留めた所で後の祭りだ。ゲームオーバーに他ならない。


さて、どうしたものかと考える。でも、その思考に意味はあるのだろうか?僕がラルフのように着地しようものなら四肢の骨が砕けるで済むかどうかも怪しい。逃げてきて分からなかったが、どうやらマンション9階分くらいの高さはありそうに思える。まぁ、主観だからなんとも言えないが…


まぁ助からないだろう。着地に成功しても逃げられない。しばらくは衝撃によってまともに歩く事が出来ないだろうし。


そんな事を考えていると、急速な加速感がふっと消えた。誰かに抱えられているような感覚で、右に少し向き直るとそこには整った顔立ちをした美しい女性が居た。


少し驚いたが、僕はどうやら助かったようだ。然し、何故彼女は僕を抱えている?敵が死なないように手を回した?


目的は分からないが、彼女の進行方向を見ると敵の包囲が薄い事に気がついた。彼女は逃げようとしている。それは敵の方針からは外れた行動だ。つまり、今囲んでいる連中の味方ではない。


「宛はあるの?」


「当然」


彼女は澄んだ声で端的に質問に答えた。このタイミングで来るということは事前に相手の行動を知っていた可能性が高い。それなら、警戒は解かないが、相手がどこにいるか、どこから攻めてくるかを予測して伝えていったほうが確実か?


「基本は任せる。ただ、経路は僕が少しだけ指示する場合がある」


「…承知」


彼女の移動する速度はとても人間とは思えない。然し、普段から人間ではない者の移動を体感しているとまだ人間らしさがあるような気がする。速度や足から伝わるショック。そして移動する時の彼女の顔、それは余裕そうに見えるだけで実際はそこまでのゆとりはない。そこから鑑みるに潜伏場所もさほど遠くは無いのだろう。何せ、人間は疲労するのだから。


軽やかな動き、力強さのあるラルフとは違う女性らしい靱やかな身のこなしを上手く活かしている。


僕は彼女の視線や体の動きから次の進行方向を予測し、通ると詰む可能性がある通りだけ指摘し回避させた。


その先にあったのは如何にもな雰囲気を放つ空き家、この手の空き家を見つけるのは大抵ラルフだ。


そして彼女は僕を下ろして、その6畳半もない部屋のフローリングに腰を下ろした。少し短めなスカートとニーソックスの隙間から覗かせる女性らしく、それでいて程よくひきしまった白い太もも、その異様な白さを見てはて?と少し疑問に思うが、それは今は関係ない。


僕は彼女の小豆色の瞳を見つめてこう聞いた。


「どうやってこの場所を聞いた?」


「…私は国の軍隊とはまた別の部署に所属している。個別の携帯端末を支給されていて、そこから国のお偉いさんから連絡を貰う。その端末にあの怪物はハッキングして、私に連絡を入れた。何から何まで抜けなく情報は貰った。そして、君の案内でここに辿り着いた」


「服装的に、暗殺部隊か何か?」


「そこまで教える義理はない。それに君は人質だ。知る必要のないことまで知ろうとしなくていいんだよ」


彼女の口調は物凄く優しく、穏やかだった。然し、表情にはその要素がなく怖いほど冷たい。凍死しそうになるほど冷ややかだ。


多分彼女はこんなに漣のような人間ではない。本質はもっと荒れ狂う嵐のような人間だろう。それを証拠に今もただひたすらに獲物を求めて飢えた獣のような様子だ。冷徹な殺人鬼に近いのかもしれない、まぁその冷徹な殺人鬼とやらにあったことがないから分からないが。


「人質なら、いつになったら僕を殺すの?」


「…君、変わってるね。何人ものそのセリフを聞いたけど、君は特別。だって、心拍数に変化がない。動揺もなく、瞳孔も開かない。この状況で平常心を保ってる。それは普通じゃないよ?」


驚きと好奇心で彼女は少し笑っている。その顔はすごく美しく、まるで人ではないようにすら感じる。仙女ではないし、女神でもない、その魅了はどちらかといえば悪魔に近い。


「綺麗って、そんなに猟奇的なのか」


「あら、口説いてるの?」


「いや、悪魔と相乗りする勇気は僕にないよ」


案外、話せる人なのはわかった。公私を明確に分けてるが故だろう。


なら、私に当たることなら聞いていいということか。


「その口調、素じゃないでしょ」


途端に目が変わる。先程の建前の顔をひっぺがす発言に彼女は酷い嫌悪感を示した。


「黙れ。相手してやればすぐこれだ、下らない」


それっきり彼女はそっぽを向いてしまった。





凄く長い時間がたった気がした。それは一重に彼女の放つ無言の殺気が意識を緊張させ、体感する時間を長く感じさせたに他ならない。


体が無意識に震えた。本能的な恐怖、それはゾクリとしたえもいえない畏怖だ。


「来た…!」


酷薄に歪んだ彼女の顔はそれでもなお美しく目に映った。間違えた、先程までのは猟奇的でもなんでもなかった。あれは清廉と冷たさが混ざったもので、今とは違う、これは、これこそが狂気的かつ猟奇的でどこか恍惚とした美しさだ。


然し、おかげで震えは収まった。なんせ、本能的な恐怖は、事を上手く解決する思考に塗り替えられ、今は次の手を考える事に脳のリソースを全て使っている。


がちゃりという音と共に部屋に大男が足を踏み入れる。分かってはいたが、無傷だ。足でまといが居なければ余裕で逃げれたようだ。


「ああ、約束通りここに来た」


その声の安心感。長く声を聞いていれば嫌でもそれを感じる。然し、その安堵を噛み締めるのは今じゃない。


剣呑な空気が辺りを段々と侵食する。互いに相対する様子は今にも起爆しそうで、僕のような武術の素養のない人間が巻き込まれようものなら間違いなく命はないだろう。いや、この場においては武術の素養なんてものは飾りに過ぎない、いるだけで終わり、手遅れだ。


だから僕はその様子をただ、眺めることにした。

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