第89話 九州をあとに


     ◇


「というか、本当にいいのか?」


 わたしは手にした槍を弄びながら、改めて確認してみる。


「武士に二言はござらん」


 きっぱりとそう告げるのは、後藤基次その人である。


「ふうん」


 本人がそう言うのならまあいいか。


 わたしが持っているのは、全長十尺六分はあろうかという大身槍だ。

 今のわたしの身長が四尺ちょっとであることを踏まえれば、当然倍以上の長さがあることになる。


 どう見ても、わたしには不釣り合いな槍だった。


「まあ、使えないこともないが……」


 その槍を振り回しつつ、わたしはうーんと考える。

 無造作に槍を振り回すわたしを呆れたように見返すのは、基次を始めとする家臣どもだ。


「色葉様。危のうございますから無暗に振り回すのはお控え下され」


 小言を言う景成を睨んで黙らせると、そのままひょいっと放り投げ、慌てて景成が受け取った。


「隆基に預けておけ。槍やらは雪葉が得意だったからな。今度土産にでもするか」


 雪葉は薙刀を始めとする、長柄の武器の扱いが得意である。

 あれでばっさばっさと雑兵どもの首を刎ねていたのは、まあ芸術的ですらあった。

 まあ残されるのは凄惨な結果ではあったけど。


「……このような名槍、あまり軽々しく扱われるのは如何かと思いますが」

「うるさい。もうわたしのものなんだから、文句言うな」


 わたしの物言いに、やれやれとぼやく景成は、何とも言えない表情で見守っている基次へと頭を下げた。


「……すまぬな、後藤殿。我が姫様は、どうにもぞんざいなご性格ゆえ、あまりな扱いかと思われるやも知れぬが、それなりに物も人も大事にするお方ではある。まあ苦労は免れぬが」

「いや、お構いなく。我が手を離れた時点で、未練はござらぬ。名槍たるものは、それに相応しき者の手に渡っていくがさだめと心得ておりますゆえ」

「確かに相応しいといえば、これ以上無いくらい相応しいのやもしれぬが……」


 じとっとした目を向けてくる景成に、わたしも半眼になって返す。


「言いたいことがあるなら言え」

「まさに鬼に金棒かと」

「可愛い狐だと言っているだろう」


 鬼と比喩されてむかっとなって否定したくなるのは、まああの女のせいだろうな。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。

 おかげで鬼の類は嫌いなのである。


 それはともかく、今ほどの槍であるが、これは基次がわたしへと献上してきたものだ。

 献上、という表現は、いささか語弊があるかもしれない。


 わたしは槍の又兵衛とかいう二つ名を欲しいままにしていた基次に勝負を挑み、ついでに余興で一つの賭けを持ち掛けたのだ。


 わたしの持つ化粧領十万石と、基次の持つ槍と、勝った方がそれを手に入れる、という内容である。


 正直わたしも本気ではなかったし、基次も子供の戯言と思ったことだろう。

 ただその方が余興に箔がつくと思ってやっただけなのだが、結果はまあ、当然というかわたしの勝ちだったわけで。


 結果に対し、別に槍などいらないと言ったのだが、基次はそうはいかぬと言い張り、わたしに秘蔵の槍を差し出した、という次第であった。


 そしてこの槍、実は普通の槍ではない。

 名を日本号。

 後世に天下三名槍とか呼ばれるもののうちの、一つなのだ。


 元々は皇室由来の品とかで、そこから色んな人物の手に渡りつつ、今や基次の手にあった、というわけだ。


 日本号といえば、母里友信が福島正則から呑み取ったことが有名で、わたしはてっきり友信が所有しているものと思っていたが、どうやらそこから基次の手に渡ったらしい。


 俗説というか、後世の創作において、朝鮮の役の折に窮地にあった友信を基次が救ったことに対する礼として、かの槍は友信から基次の手に渡ったとされているが、どうやらこの世界では創作がそのまま史実になってしまったようだ。


 槍の又兵衛の異名も、その槍使いだけでなく、日本号を所有していることにも由来するとか。


 そんな日本号であるが、大身槍であるためその威力は凄まじい。

 戦場においては実に活躍することだろう。


 しかし重量はとんでもなく重い上に、長いこともあって、これを扱うにはかなりの膂力と技術が必要だ。


 まず小娘が気軽に振り回せるような代物ではない。

 普通ならば、だが。


「ふん。わたしは金棒の方が好きだがな」


 鬼は嫌いだが、武器としての金棒は嫌いじゃない。

 金棒は正式には金砕棒、という。

 いわゆる打撃武器の類だ。


 重いのが欠点でもあり、利点でもある武器で、これで殴れば甲冑など何のその、である。


 わたしが本気でこれで殴れば防御など無視して人体などぐしゃぐしゃになるし、その上耐久性も高いから、太刀のようにすぐに使い物にならなくなる、ということもない。


 それに重いといっても、わたしにしてみれば何ほどのこともないから、それは欠点にならず、戦場で暴れまわるにはまさに打って付けの武器だろう。


「さて、そんなことはどうでもいい。出発だ」


 わたしが放った槍をいそいそと仕舞い込んだ景成は、進み出ていた隆基へと手渡す。


 うん、やはりこの手の武器の類は、上背のある真柄の者に使わせた方が似合っているな。


 旅の準備も整ったところで、わたしは旅の面子を改めて見渡してみる。


 景成に、直隆、直澄、隆基。

 そして千代保と朱葉。


 更には途中で加わった、成実と基次。

 わたしを含めて総勢九名。


 ああ、あと一匹。

 千代保の腕の中にいる千狸もだ。


 細川領ではさほど物見遊山もできなかったけど、黒田領ではそれなりの日数を滞在し、饗応も受けて、加えてあちこち見て回ることもできて、おおむね満足である。


 ついでに孝高と会えたのも良かった。

 完全に隠居生活に入っているようには見えたが、果たしてどうなのか。


 その孝高の寿命も、あとどれほど残されているのかは分からない。

 もう二度と会えない可能性も高いだろう。


 少し寂しい気もするが、仕方の無いことではある。

 今回、色々話せたし、それで良しとすべきか。


「ねえ、姫様? 今度はどこにお連れ下さるのですか?」


 そう尋ねてくるのは千代保である。

 わたしと同じで幼いが、わたしにずっとくっついてきていた甲斐もあってか、以前よりずいぶん体力がついたようだった。


 それでもまだまだ子供であるから、基本、旅の速度は千代保に合わせていることもあって、実にゆっくりとしたものだ。


 でもそれでいい。

 別段、急ぐ旅でもないしな。


「ん、九州とはこれでおさらば、だな。中国経由で大坂に戻る予定だから、毛利領に入ることになるか」


 四国や九州もそうだったが、中国もわたしは未だ足を踏み入れた経験が無い。


 以前は毛利家がその大半を治めていたものの、関ヶ原の戦い以降、毛利家の所領は大幅に減封されて、いくつもの大名家が存在している。


 それぞれの大名が、いったいどんな治世を行っているかは興味のあるところであり、順番に回ってみるのもいいだろう。


「ではまず萩に向かわれますか」


 そう言うのは成実である。


「萩? ああ、毛利の本拠地か」

「はい。確か萩城を普請中のはずです。かの毛利家の居城、多少は興味もありますゆえ」


 どうやら成実自身、見聞することは嫌いじゃないようだ。


「城はいいな。わたしも興味がある」


 かつてあちこちに城を作らせたり、自ら作ったりしたこともあって、他人がどういうものを作っているのかを見るのは、なかなか楽しいし、参考にもなるのだ。


「なら決まりだ。まずは長門国に向かうぞ」


 こうして、新たな旅の目標が決定された。


 長門国は、実はすでに一度訪れている。

 平家の者どもの酒宴に正体された時に、一度海を渡っているからだ。

 何ならもう一度立ち寄ってみるものいいだろう。


 うん、それがいい。

 そうと決めた。

 あの酒はうまかったしな。


 しかし一方で。


 わたしがこうしてのんびりと旅路を満喫している間、一応の平和と思われていたこの世に、再び暗雲が立ち込めつつあったことは、この時には未だ気づけていなかったといっていい。


 その発生源は、奥羽の地。

 今より遡ることひと月前の、慶長十年五月十日。


 あろうことか、上杉景勝が鎮守府大将軍を自称したのだ。


 そして現在――慶長十年六月十九日。

 わたしは遠く九州の地にあって、そのようなことは未だ知る由も無かった。


 平和などほど遠く、戦乱は終わってなどいない。

 つまりはそういうことだったのである。

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