第9話 賤ケ岳の戦い(後編)

 

     ◇

 

「申し上げます!」

 

 大垣城の秀吉の元に一報が届けられたのは、四月二十日のことであった。

 

「大岩山砦陥落! 中川清秀様お討死にてございます!」

「……相分かった」

 

 神妙に、秀吉は頷いた。

 

「勝家が動いたか」

 

 秀吉が美濃に入ることで朝倉勢が動くことは、想定内である。


 互いに膠着状態にあったこともあり、どうにか敵を誘い込んでこれを打ち崩すべく秀吉は策を練っていたのであるが、美濃情勢の急変を逆手にとり、敵に疑われることなく兵を退くことが可能となった。


 そこで秀吉は美濃に向かうとみせた兵を二手に分け、一隊は秀吉自身が率いて美濃へと向かい、もう一隊は弟である羽柴秀長に任せて琵琶湖に出、これを隠したのである。


 そしてかねてより気脈を通じていた前田利家を使って、秀吉が大垣に入ったことをそれとなく伝わるようにもした。

 敵にとってはおあつらえ向きの状況である。


 問題は残留する部隊の危険が、大きく増すことであった。

 明らかな囮となるために、敵の猛攻に遭うことは必至である。


 事実、清秀がすでに戦死した。

 本陣には孝高が危険を承知で残り、これを指揮することになったが、相手があの鬼玄蕃では孝高の用兵であったとしても危ういものがある。

 

「三成よ、手筈は万全か」

「もちろんでございます」

 

 この賤ケ岳の戦いには秀吉配下の若き将が多数参戦していたが、この石田三成もその一人であった。

 今回の作戦は木ノ本と大垣の間の情報網と、進軍速度にかかっている。

 

「昼頃より随時出発は可能かと」

「日が暮れるまでには到着できるか」

「念のため、松明などの準備は整っております」

「よし、よし」

 

 この作戦のために、秀吉は入念な準備を整えていた。

 強行軍をなすには、速度を上げることよりも落とさないことを考えた方がいい。


 単騎駆けならば問題にならないようなことも、数万の大軍ともなればそうはいかないからだ。

 単純に河を渡るだけでも、大軍であれば一度に渡ることはできず、渋滞が発生してしまう。


 また道中での補給、休憩や、夜になることも踏まえて松明など灯りの準備など、とにもかくにも入念に行われていたのであった。

 これらを担当した三成の実務能力の高さにより、短期間で準備できたといっても過言ではない。


 さらに秀吉はもう一手を打っており、これにも三成は貢献していた。

 

「更に確認するが、上杉は大丈夫なのじゃな?」

景勝かげかつ殿は殿への合力を約束したと、家臣の直江なおえ兼続かねつぐ殿より報せが入っております。これにて越中の姉小路頼綱は動けぬでしょう」

「祝着である!」

 

 今回の合戦に全てを賭けていた秀吉としては、この機に一気に朝倉家を降すつもりでいたのである。


 織田家の猛将である柴田勝家が朝倉家にいることは、脅威でもあったが考えようによっては一石二鳥。

 事実、勝家不在の織田家はもろくも崩れた。


 滝川一益のみ頑強な抵抗を続けているものの、これとて長くは持つものでもない。

 信孝は信雄に任せておくだけでも事足りる。


 最悪岐阜城が落ちたとしても、さほど問題も無い。

 朝倉家さえ降せば、それで決するのである。

 

「今こそ天下の趨勢を決する時。いざ参るぞ!」

「ははっ!」

 

 こうして羽柴勢主力は美濃大垣を出陣し、一路木ノ本を目指した。

 世にいう、賤ケ岳しずがたけの戦いである。

 

     ◇

 

「敵襲! 敵襲っ!」

 

 四月二十一日未明。


 大岩山にて野営し、一夜を明かしていた佐久間隊へと、美濃から大返しを敢行した秀吉が攻撃を開始。

 敵の主力を相手に盛政は苦戦を強いられたが、しかし奮戦してこれに耐えることになる。


 盛政の窮地に勝家自身が援軍を買って出、これを知った秀吉は矛先を変えると、柴田隊を撃滅すべくこれとぶつかり、両軍入り乱れての大乱戦となった。


 史実においても賤ケ岳の戦いは発生し、激戦となるが、柴田方の前田利家隊が戦線離脱したことが致命傷となり、勝家は秀吉に敗北することになる。


 だがこの世界においてはやや事情が異なっていた。

 この戦はあくまで朝倉方と羽柴方の一戦であり、勝家は朝倉方として参戦するも、利家はこの戦に参加していないのである。

 そのため史実のような戦線離脱者は現れず、秀吉は苦戦を強いられることになっていた。


 戦場は拡大し、賤ケ岳の北側のに位置する余呉湖よごこ[注1]の周辺全域に及んだ。

 両軍一進一退の激戦となり、数で勝っていたにも関わらず、羽柴方が徐々に押され始めることになる。

 

「これはまずい。いったん退いて態勢を立て直すべきか」

 

 勝家や盛政といった剛勇の将は、かつての朝倉家にはなかった[注2]ものである。

 これらが加わったことで、軍勢は精強でも将は平凡であった朝倉方の脅威を再認識した秀吉は、さすがに押し切る自信を無くしつつあった。


 さすがは柴田勝家。

 真正面からの勝負では、あまりに分が悪い。

 

「なりませぬ、なりませぬ! ここで退いては総崩れとなりかねませぬ! 背後の佐和山には未だ朝倉勢が籠っておるのですから、最悪挟撃されて壊滅しますぞ!」

 

 悩み始めた秀吉を、孝高は必死に押しとどめた。


 佐和山に篭る朝倉方の兵は少ない。

 が、美濃には織田信孝や武田景頼が進出している。


 そしてあの戦上手の江口正吉ならば、例え城を空にしてでも打って出、絶好の機会を逃さぬことだろう。

 

「柴田殿の強さなど先刻承知! ゆえに策を弄しておるのです! 今しばし耐えなければ好機をふいに致しますぞ!」

 

 徐々に押し戻されつつあった羽柴方であったが、秀吉は孝高の言を容れて気を取り直し、遮二無二に抗戦した。


 その甲斐あって、やがて朝倉方の猛攻が弱まることになる。

 その兵の一部が、明らかに撤退の動きを見せ始めたのだ。

 

「したり!」

 

 これを機とみた秀吉は、防戦から攻撃に切り替える。

 朝倉方の動揺は、もちろん秀吉が仕掛けた策によるものだった。


 恐らく越後の直江兼続の越中侵攻の報が、この賤ケ岳にまでもたらされたのだろう。

 これはかなり早い段階から朝倉の後方を脅かすために、密かに上杉家と秀吉が誼を通じていた結果である。


 主に石田三成が中心になって行われ、元々朝倉家に対して警戒心を抱いていた上杉家臣・直江兼続は早くから協力的で、上杉景勝への説得も兼続が自ら行ったのだという。


 まだ若いがその影響力は、上杉家中においてすでにかなりのものである。

 ともあれこの一戦において、両者互角の戦いを演じていただけに、その一瞬の隙はそれまでの均衡を一気に崩す要因になってしまった。

 

「今ぞ、攻めよ、攻めよ!」

 

 いったん畳みかけると、数の優位がものを言ってくる。


 まずすでに隊としてはぼろぼろになっていた佐久間隊が、秀吉によって撃破された。

 これにより柴田隊に秀吉方が殺到し、勝家は窮地に陥ることになる。

 

「おのれ、ここまでか」

 

 勝家もさすがに敗北を認めざるを得ず、しかし退くに退けない状況に進退窮まり、覚悟を決めた。

 だがその折、横手から援軍が駆け込んで、寸前で勝家を救うことになる。

 

「ご無事か柴田殿!」

「おお、景実殿か!」

 

 勝家を救ったのは、景実率いる朝倉の主力だった。

 

「まことに面目無い。我らが動揺したばかりに、敵に付け入る隙を与えてしまった。柴田殿、ここは我らに任せてお早く脱出を!」

「何を申されるか」

 

 思わぬ景実の言に、勝家は耳を疑った。

 

「総大将の貴殿が殿となるなど前代未聞!」

「ご案じ召されるな! こう見えても撤退戦は得意であるのだ。これまで幾度も色葉様のお褒めに預かっている!」

「だが――」

「乙葉殿が待っておられるのを忘れたか。疾く行かれよ! それに朝倉の領地は、朝倉の者が守るが道理。客将の貴殿に譲るは思いもよらぬこと」

 

 もはや覚悟を決めた景実を前にして、勝家は返す言葉を失う。

 そして頷くしかなかったのである。

 

「……承知した。もはや何も申さぬ。だが一つだけ、お聞かせ下され」

「承る」

「貴殿のその忠誠、まことに天晴れ。されどそれは、朝倉家に向けられたものであるのか? それとも――」

「ははは」

 

 勝家の問いを察し、景実は笑った。

 

「朝倉家はすでに滅びている。だがこの十年、色葉様には良い夢をみさせてもらった。我が父にしてもそうであったが、これは忠義の類ではなく、座興のようなものよ」

「座興、であるか」

「然様。朝倉家の者どもは、皆夢をみていたのだ。されど、命を賭すに足る座興であった」

 

 そしてそれが、景実が勝家と交わした最後の言葉となる。


 自ら殿軍を引き受けた堀江景実はその場に踏みとどまり、撤退を始めた味方へと追撃を食い止めるために奮戦した。


 その間に勝家は北ノ庄へ向けて撤退。

 堀江隊は壊滅したが、羽柴方は景実の首を取ることは叶わず、その身柄は行方知れずとなったという。


 ともあれ 賤ケ岳の戦いは羽柴秀吉の勝利で終わったのである。


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注1 余呉湖:滋賀県長浜市にある湖。琵琶湖の北側に位置しており、琵琶湖とは賤ヶ岳で隔てられている。元は琵琶湖の一部であったとされるが、約3万年前に分かれたと考えられている。日本最古の天女伝説の地としても知られる。


注2 かつての朝倉家にはなかった:旧朝倉家時代には、真柄直隆を始めとする猛将も確かに存在したが、色葉が朝倉家を率いるようになってからは、直隆らは一軍を率いることはほとんど無く、一乗谷の守備や色葉の護衛に専念していたため。乙葉のような存在もいたが、色葉自身が力にものをいわすような戦い方を好まなかったことも、そう認識されている要因である。



あとがき↓

https://kakuyomu.jp/users/taretarewo/news/16816927859162553810

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