8月26日 前編
「おはよう、ございます」
「おはよう。ごはん、できてるよ」
「あ、すみません。いただきます」
ベーコンエッグに白米、ねぎとわかめのお味噌汁。我が家の食卓とは少々色が違う。
声の色と静那は言ったが、あらゆるものに色があるらしい。静那と出会ってからの数年で、そんな当たり前のことに気づかされた。
和室の静那の様子を見る。深い眠りが、彼女を包んでいる。
「……いただきます」
手を合わせて、私は箸を持った。
「今日、静那のお友達が来るの」
食後のコーヒーを飲みながら、友香さんは言った。
「え、そうなんですか」
「うん。バンドの子」
「バンド……。板垣さんとか、宮科さん?」
「あ、そうそう。ほんとうはもっと前にって話だったんだけれど。どうしても都合が合わなかったらしくて」
「そうなんですね」
「うん。だから、少しだけにぎやかね」
「そうですね」
微笑を浮かべながらも、私は不安だった。
「こんにちは」
「おじゃまします」
板垣加恋と風見れも、そして宮科蕾菜。高校時代の静那のバンドメンバーだ。
加恋はドラム、れもはギター、蕾菜はベース、静那はギターボーカルだった。
「久しぶりだね、高村さん」
「そ、そうです、ね。久しぶり」
クラスの中心にいるような人々の前で、私は引きつった笑みを見せた。
「みんなも、随分変わったね」
「加恋だって。髪、短くなったね」
「そうかな」
「そうだよ」
「最近は楽器やってるの?」
「ううん、全然」
「大学忙しいもんね」
「ほんとだよ。家からさ……」
まって……? 静那の前で、そんな話?
ここは、再会を楽しむ場所じゃ、ないのに。
同窓会ではないのに。それなら近くの喫茶店でしてよ。
不安は的中した。けれど、それを言葉にできない私。私は、弱い。拳を握って震える。言いたい。言いたいのに言えないのが私だ。
「静那の話したい」
ふと、口を開いたのは、宮科蕾菜だった。
蕾菜は、じっと静那を見つめている。痩せ切って、脈拍早く呼吸を続ける。まだ、この世にとどまろうと、息を切らしている静那を、唇を結んで見つめていた。
「高村さん」
「は、はい」
「静那の傍に、ずっといたんだって?」
私は無言で頷く。宮科蕾菜とはほとんどかかわりがなかったので、心臓がどきどきと鳴っている。
「安心するんだよね。そうしてくれる人がいると」
蕾菜はすべてを悟っているかのように言った。
「幸せ者だよ。静那は」
「幸せなんかじゃない……!」
私はつい、叫ぶように言ってしまう。加恋とれもがびくりと身体を震わせた。蕾菜だけは反応せずに、静那に向けていた視線を私に上げた。
「ごめんなさい……、つい。……ごめん、なさい」
静那とばかり話していて久しく忘れていたけれど、私は本当に他人と話すのが苦手だ。それなのに、こんな風に思ったことが口から飛び出てしまう。心臓が破裂しそうだった。
「ごめんなさい」
「こちらこそ、ごめんなさい」
蕾菜は手を太ももの上において頭を下げた。
「失言だった」
「そ、そんな……」
「でもね。きっと聞こえてる。あたしたちの声、思い。全部、静那には聞こえてる」
蕾菜が、また静那を見た。全員の視線が、静那に向かう。
静那はうっすらと呼吸をこぼしている。瞳はかたく開かない。声など、望むべくもない。
認めなければならない。一つの星が明滅していることを。
それでも、星はまだ私たちの言葉に耳を傾けている。
「静那」
蕾菜が呼びかける。
「静那」
「静那」
後を追うように、加恋とれもも同様に。
そのとき、一瞬、「ふっ」と小さく呼吸が乱れた。全員が、それに気づいた。私たちは、互いの顔を見合った。
「ねえ、ごめん……」
そう言ったのはれもで、見ると、膝についた拳を震わせていた。その手の甲に、滴がぽつぽつこぼれていく。
「むり……」
「れも……ちょっと、だめだって、言ったじゃん……。泣かないようにって……」
二人は口を押えて、静かに泣いた。静那の耳に入らないようにと思っていたのだろう。苦しげに息をもらしながら泣いた。
静那の話題を出さなかったのは、現実と直面するのを防ぐためだろう。しんみりと、静那のことを語ったら、否が応でも静那の死を意識せざるを得ない。だから二人は、ある意味で気丈にふるまっていたのだろう。
堰を切ったように涙を流す二人の傍で、静那は荒く呼吸をしている。私は蕾菜を見た。蕾菜は、やはりじっと静那を見つめていた。
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