サンセットガール

蓬葉 yomoginoha

8月1日

 看護師に注意されない、ギリギリのスピードで病院を歩く。

 若干息をあがらせつつ、八階、奥の部屋に着くと「床梨静那」という、間違うはずもない名前のプレートがあった。

「……」

 喧しいはずの蝉の声が一転して気にならなくなる。私だけ、違う世界に迷い込んだような錯覚に陥る。

 よりによってあの子がこんなふうになるなんて、信じられない。

 唾をぐっと飲み込んで扉に手をかけた、そのときだ。

 扉が勢いよくスライドして、私より頭一個分くらい小さな女が出て来た。

「おっ」

「静……那」

「ひかるじゃん。何しに来たん?」

 彼女は大きな瞳をぱちぱちさせて、首をひねった。突然家に押しかけられたときのような反応だった。

「何しに来たのじゃないでしょ。そんな恰好して」

「あーこれ? 結構似合ってるでしょ」

 薄緑の白い病院着をひらひらさせて、あのころと変わらない笑顔を彼女は見せる。こんな状況にそぐわない、向日葵が太陽を見上げるような笑顔を眩しく見せつけてくる。

「何しに来たのじゃないよ……!」

 その輝きに、私は叫んだ。

「突然倒れたって聞いて……もうっ……」

「えー、誰から聞いたの?」

「友香さんからお母さんに連絡が来て、私のとこにも」

「随分経由したね。ふうん」

「心配してるんだよ、私」

「なんで?」

 彼女はぐにゅっと首をひねった。唇の端に、人を試すような微笑が浮かんでいる。

「なんでって……」

「だってずっと会ってなかったじゃん。最後に会ったのいつ? 高校の卒業式とかでしょ。もう3年も前だよ」

「そっ……そうだけど」

「同窓会とかもひかる全然来ないしさ。私はひかるのこと、もう忘れてたんだけど」

「……」

 彼女の言うことは正しさをまとっていた。高校生の頃はあれだけ仲が良かったのに、それが嘘だったかのように疎遠になった旧友を前にそう思うのは、当然だ。

 室内は冷ややかだけれど、炎天の太陽が窓の外からじりじり照り付ける。居心地の悪い雰囲気に私は逃げ出したくなる。

「でも」

 しかし、言いたかった。

「私は忘れたことなかったよ」

私は東京の大学へ進学、静那は地元で就職した。距離的にも生活的にも遠く隔たってしまった友情だけれど、少なくとも私は静那を忘れたことはない。

 彼女は「ふうん」と鼻を鳴らした。小さな胸の前で腕を組んで、私を見つめる。

「会いに来れなかったのは、ごめん」

「別に……そんな謝らなくてもいいし。私も、そういうつもりで言ったんじゃないし」

「し」を続けるあたり、変わっていない言い回しについ笑ってしまう。

「何でわらうわけ」

「いや、何でもないよ」

「ふん。なんか、どうでもよくなっちゃった。ほらせっかくならそこ座ってよ」

「うん」

 私は窓際の椅子に座った。彼女はおとなしくベッドの上に正座だ。お泊りに行った時のことを思い出した。その時とは、状況が違いすぎるけれど。



「こっちどれくらいいるの?」

「とりあえず一カ月くらいかな」

「一カ月!?」

「そんな驚く?」

「大学生って暇なんだね」

「夏休み中なんです」心外な言葉に、語気を強める。

「じゃあ、いろんなとこ行ってみなよ。学校とか、久しぶりに行ったら面白いかもよ」

「いや、趣旨趣旨。何のためにここに来たと思ってるの」

「毎日私の顔見たってつまんないでしょうよ」

「面白い、面白くないじゃないでしょ」

「人生は楽しんだもの勝ちだと思うけどなー」

 この子は自分の状況を分かっているのだろうか。不意にたおれるなんて、そんなの普通ありえないだろう。

実際私はもう、倒れた理由を知っている。なぜ倒れたのか、私は知ってしまっている。

「後悔しないようにしないといけないよね」静那は笑った。

 ……いや、ある程度わかってはいるんだろう。自分のからだの事は自分が一番よく知っているはずだから。

「とにかく毎日来るから」

 内心を悟られないようにそれだけ伝えると、彼女は「はいはい」と軽く流してベッドに横たわった。



 あとひと月と医者は告げたらしい。


 静那が知っているかどうかはわからない。

 だから、少なくともリミットについては無知であるようにふるまわなくてはならない。静那は明るくていいかげんだけれど、意外と鋭い。私が変な素振りを見せようものなら色々と疑って考察して、自分の運命に気付いてしまうだろう。だから、せめて久しぶりに会ったから動揺して、というくらいにとどめなければならない。たとえ、もう自分の運命について知っているとしても、だ。


 大切な、残酷な嘘を。私は吐き続けるのだ。「静那のために」という優しく醜い思想の下に。

 あるいは、「私たち」は吐き続けるのだ。


私たちはお互いに、夏の終わりを意識しながら、夏の終わりを口にはしない。そういう、話だ。

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