第18話
* * *
春子は文化祭での宣言通り、高二に上がるや否やイケメンくんの通う塾に通い始めた。
一方で私と春子は学校で同じクラスになった。私と一緒のグループにいた子たちが、春子と馴染めない様子であったことを除けば、私たちはそれなりに上手くやっていた、はずだった。
五月の運動会で、春子は応援団に立候補した。
「私、運動はできないからこんなことだけでも貢献したくて」
意欲の高い友人を誇らしく思うと同時に、息苦しさを覚え始めた頃だった。
応援団に入団した春子は、クラス内での練習でもそのスパルタっぷりを発揮した。妥協を許さず、先生が時間を理由に春子を止めるまで、しつこく繰り返される練習に、誰もが辟易していた。
「ねえ、美雨。勘違いだったら申し訳ないんだけど、あんた永野さんと仲良いよね。……なんか、意外なんだけど」
当時同じグループにおり、社会人になった今でも一緒に遊びに行くような仲の友人は、呆れ混じりにそう声をかけてきた。
「なんていうか……無理しなくて良いんだからね。美雨、ああいうタイプじゃないじゃん。永野さんは、そりゃあ中学入学生の友だちがほしいから美雨にすり寄ってくるんだろうけど、美雨だって友だちを選ぶ権利はあるんだから」
さて、どうしてこの子は自分が必ず選ばれる前提でいるのだろうと純粋に疑問に思いつつ、私はそうだね、と苦笑いをした。
「みんなあの子のこと、『ハマチ』って呼んでる」
「ハマチ? 魚の」
「そう、ぶりの子どもの頃の名前ね。ハマチ、ぶりの子、ぶりっ子、みたいな」
「ええ?」
期せずして、吹き出してしまった。あまりに上手なあだ名の付け方だと思ったのだ。
可愛らしい容姿だけでは、女子校という特殊空間の中では馴染めない。彼女が教室の前に立って皆に指示をするときの高くて甘い声や、各種学校行事に一生懸命取り組み、先生に対して感じ良く振る舞う姿を不快に思う生徒はそれなりに居て、彼女の容姿はそういう「ぶりっ子」という評価に拍車をかける要因にしかならなかったのだ。
「名付け親誰よ、頭良すぎん?」
「さあ。もはや、クラス中に浸透しすぎていて、ネタ元とか不明」
「寿司のネタだけに、か」
「アカン美雨、つまらんよ」
それだけ浸透しているあだ名にも関わらず、私の耳に入っていなかったということは、私と春子の仲が良いということはクラス内での共通認識なのかもしれない。それはそれで、ちょっと困ったな、と感じてしまった。ただ、自分がそう感じてしまうだけ臆病な人間だということは自分自身がよく知っている。私は、私に期待なんてしない。
ただひとつ、意外だったことがある。――私はあまり対立を好まない。だから、比較的おとなしい子が集まるグループに所属し、他人の悪口で盛り上がるなんて嫌らしいことはしないと心に決めていた。人を呪わば穴二つ。それが私の人間関係におけるモットーだった。
それなのに、なんて楽しいんだ。他人を嘲笑い、他の人と悪評を共有する。しかも相手は、完璧人間の春子だ。こんなにもくだらない行為が、どうしてこれだけの活力を与えてくれるのか。
不覚だった。
なお、その後似たような場面を人生において何度か経験したが、このときほどの快感を得られた覚えはない。そう考えると、このとき私は、春子に対して無自覚にヘイトを溜めていたのかもしれない。
そんなある日、文化祭のときに連絡先を交換したイケメンくんから、唐突に個人LIN○が来たのだ。
『原田さん、今度の日曜に渋谷のス○バで会えない? 春子ちゃんのことで話がしたくて』
久々に見る相手の名前に、私は露骨に嫌悪感を覚えた。どうして、私が気楽に休日に家を出ることができると思っているのか。春子は「春子ちゃん」なのに、私はどうして「原田さん」なのか。そんな些細なことにまで腹が立った。
『それ、LIN○じゃだめ?』
『LIN○で話すことじゃないかなー』
『日曜は無理です。月から土曜の、放課後に少し寄る程度なら可能です』
愛想のない返事をし、結局翌日の放課後に春子たちの通う塾の近くの喫茶店で会うことになったのだ。
「お待たせ」
自分から会おうと言ってきたくせに、イケメンくんは遅刻をしてきた。そういう奴って、いる。そもそも、春子が時間にルーズな人間なのだ。彼女自身、その後の高校、大学生活において、時刻通りに待ち合わせ場所に現れたことは一度か二度しかない。私自身は常に待ち合わせ時刻の十五分程度は前もって到着するようにしているものの、時間にルーズな人の気持ちは理解しているつもりであった。
「いえ、私が早く着きすぎただけだから」
「何分くらい前に来た?」
「三十分くらい」
「ええ! それ、早すぎだろ。ウケる」
なにが「ウケる」のか、一瞬分からなかった。しかし、女性にモテなれていたその人は、私が待ち合わせ時刻より大幅に早く着いたことを、自分と会うのが楽しみすぎたからだと勘違いしているのではないか、という仮説に行き着いた。皆が皆、自分に好意を向けてくれるだなんて、どうして信じられるのだろう? そういう人を見ると、私はなんとなく不安になってしまう。ずっとそうやって信じてきて、大人になったときに初めてそれが幻想だって気づいたら、絶望で立ち上がれなくなってしまうんじゃないか。
「なんつーか、そういうのやめた方がいいぞ? 真面目すぎるのって、相手に堅苦しい印象を与えるからさあ」
こいつは何を言っているのか、と思った。時間にルーズなのは、まだいい。それを謝ることができない気持ちも分かる。しかし、自分のだらしなさを棚に上げておいて、相手が早く到着することを揶揄し、むしろ責めるだなんて、どうかしている。
私は大きなため息をついて、相手を見た。
「早めに来たのは、早めに話が終わるなら早く帰りたかったからなんだよね。――んで、春子のことで用事って言ってたけど」
あまりに横柄な私の態度に、イケメンくんは少しひるんだ様子だった。
「えっと……最近、春子ちゃんが元気がなくて、それで事情を聞いたんだ。あの子最近、学校で揉めているんだって?」
「……まあ、そうね」
「なんで?」
「なんでって……知らない。春子に聞いてないの?」
どうして、系列校の生徒とはいえ部外者に細かい事情を話さなければならないのか。
「知らないって、お前春子ちゃんの友だちなんだろ」
「知らないもんは知らないよ」
運動会の応援団になってから、なんとなく明確に嫌われ始めたな、という印象はあったものの、それも定かではなかった。というのも、元々春子はその厄介な性格のせいで、他人とぶつかることはしょっちゅうだったし、高校一年生の頃の芸術発表会で、すでに周囲のヘイトを集めていたからだ。高校一年生のときに一時的に入部していたブラスバンド部をやめ、私の所属していた映画研究会に入部したのも一因のような気もした。他人を嫌いになるのって、大きな喧嘩でもしない限りは少しずつの積み重ねだと思う。春子のせいで家に帰るのが遅くなって親に怒られる。春子と比較されて男子にバカにされた。完璧主義で、学校は無遅刻無欠席のくせに、私との用事には平気で遅れてくる。一緒に並んで歩いている最中に背後から自転車が来たとき、「美雨はどんくさいんだから」といわんばかりの表情で歩道の片側に引き寄せる、そういうときの乱暴な腕の掴み方。声が高いのに、少し大きすぎる。そういうの、少しずつ、少しずつ。
「そう、春子ちゃんは、皆に嫌われることよりも原田さんのそういう態度が苦しいって言ってた」
ええ? と思わず聞き返してしまった。正直、友人と一緒になって春子の悪口を言っていたことが本人にバレたのかと焦っていた。しかし、そういうわけではなさそうだ。――もしバレていたなら、春子はきっとそのようにはっきりと言うに違いないから。
「だから、友だちのはずなのに、無関心な態度を決め込んでいること。春子ちゃん、お前のことを信用できなくなってきているって言ってた。そういう態度、卑怯って言うんだよ」
目の前の相手が発する言葉は、私と同じ価値観を持つ人間であれば絶対に発することのないものであった。そもそも私と春子が友だちだとしても、春子を救う義務が生じるほどの関係であるとどうして言える? お前は私たちの普段の関係をそんなによく知っているのか?
どうして、春子だけの話を鵜呑みにし、一方的に私を責める気になれるのだろうか。たしかに、相手に情報を与えまいと知らないふりをした私には問題がある。しかし、ただの部外者がどうして事情も知らずに私のことを卑怯ものよばわりができるのか。卑怯という言葉自体には傷つかなかったものの、そういうことが言えてしまう相手の神経が全く理解できなかった。
自分とは全く言葉が通じなさそうな相手に対してどう言い返そうかと考えていると、イケメンくんはなぜか勝手に勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
なるほど、と思った。彼に相談する春子の様子を想像したら、なんとなくピンと来た。
「ふふ。仲良しなことで結構。春子とお幸せにね」
「……はあ? 今、そんな話はしていないだろ」
「自分を客観的に見た方がいいと思うよ、割とね、ほら、痛い感じになっちゃってるからさ」
私はそれだけ言うと、喫茶店を後にした。――きっと、春子とイケメンくんは両想いだが、まだ付き合ってはいないのだろう。春子は、イケメンくんにアプローチをかけるついでに学校での悩みを相談した。そのときの道具として、私が使われたのだ。私ちゃんは正しいことしかしていないのに、学校の皆が嫌ってくる。親友のはずの美雨も、頼りにならない。だから、信用できるのは貴方だけなの。みたいな。
春子のことを気に入っているイケメンくんは、当然、彼女の言いなりだ。ちょっと格好つけて「じゃあ、原田さんに話をつけてくる」なんて言っちゃって、このような事態になってしまったのだろう。二人で好きにやってくれ。
その晩、智輝からLIN○でメッセージが届いた。
『うちの学校の○○が原田さんに迷惑をかけたみたいでごめん。もし、変なことを言われていたとしても、気にしなくて良いからね』
いざ、そう言われてしまうとなんとも言えない気持ちになった。――イケメンくんの指摘が的外れであったとしても、私の春子に対する態度は誉められたものでないのは事実だったから。「気にしなくて良い」は明らかに言いすぎだ。
あとから分かった話、春子とイケメンくんはこの事件の直後に付き合い始めることとなる。――この事が後に格好のエサとなり、クラスの一軍の生徒に嫌がらせを受けるようになってしまうのだが。
* * *
春子は、目的のためなら手段を選ばない。だから、高校の頃と同じように、三島先生を狙うために私の悪評を彼に流したと考えることにそこまで違和感がなかったのだ。
また一方で、私はそんな春子の性質はとっくに許している。誰もが自分の欲のために、他人を踏み台にしながら生きていることを分かっているから。そしておそらく、私が周りとの調和を保つために、時として春子を踏み台にしていたことも、彼女には気づかれているだろうから。
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