記念撮影

「——柊くんには、本当にいくら感謝しても足りません」

 

 病室に設えられたソファで、義父は微かに苦しげな微笑を浮かべ、向かい側のソファに座る俺の両親へ向けて静かにそう話す。


「柊くんに出会うまでの樹は、何事にも無感動で——何に対しても意欲や関心をほとんど見せず、ただ言われたことをロボットのようにこなすだけの息子でした。

 その状況は、私たち親がどのように働きかけても変化することはなく……私たちは、次第にそのことを深刻に捉えるようになりました。

 どれだけ仕事を円滑にこなす能力を持っていても、物事に前向きに取り組んでいく貪欲さが大きく欠けている樹に、この先会社の経営を本当に任せられるのか……そして何よりも、自分自身の人生さえ諦めてしまったようにも見えるその無気力な様子が、気がかりでなりませんでした」


 義父の膝の上の手が、ぐっと拳を握った。


「その原因は、私たち親にありました。

 私たちがそれまで樹に課してきた多くのものの重さが、息子をそうさせていたのだと……私たちもまた、ずっとそれに気づくことができずにいたのです」



 俺の両親は、じっと黙ったままその話を聞いている。

 話すべきことを最後まで言い切ろうとするかのように、義父の言葉が続いた。


「私たちは、自由に人を愛することすら、息子にさせてやれなかった。

 彼が一人きりでそのことを抱え、堪え、悶え苦しんでいたことを——何一つ、知らなかった。

 もしも樹が柊くんに出会わなければ、私たちは何も知らないまま、息子の心を殺すという罪を犯すところでした」


 義父の目が俄かに滲んだと思うと、涙が一筋静かに頬を伝った。


「——ある時から、樹の眼差しや表情が、変わったんです。

 生き生きと輝いたり、時に苛立ったり、真剣に思い悩んだり……それはまるで、枯れる寸前の植物が瑞々しく息を吹き返したようでした。

 本当に、嬉しかった。

 そんな息子の急激な変化の原因が何なのか、不思議に思ってはいたのですが——ある日、唐突に樹から柊くんの存在を知らされて。……流石にその時は驚きましたがね」


 目元を指で抑えるようにしながら、義父は嬉しそうに微笑む。


「柊くんを恋人として私に認めさせようとする樹の凄まじい気迫や顔つきが、またたまらなく愛おしく、頼もしく見えて。

 樹がこれほど本気で守ろうとするその恋人こそが、息子を生き返らせてくれた人なのだと——その時、初めて気づきました。


 ……なんだか済みません、お恥ずかしいところをお見せして」


 そこまで言うと、義父は堪えきれないように目元を手で覆い、微かに肩を揺らした。


 そんな義父を、神岡はどこか驚いたような表情で見つめている。

 自分に対する父親の本心を、こんな風に目の当たりにしたのは、もしかしたら初めてだったのかもしれない。


「私たち家族は、本当に柊ちゃんに救ってもったようなものなのです。

 樹をしっかりと支え、前向きに歩く力を与えてくれるのは、この人以外にいないと——柊ちゃんを見つめる樹の幸せそうな顔を見て、はっきりとそう思いました。

 長い間私たちと息子の間にあった大きな溝を埋め、こんな風につなぎ直してくれたのも、柊ちゃんなんです」


 義父の横で、義母も涙ぐみながら柔らかい微笑を零す。



「……」


 今の話を聞いているうちに、俺自身も何だか不思議な気持ちになってくる。

 俺って、自分でも気づかないうちに、そんな大仕事をやっていたのか——神岡工務店社長一家の危機を救う、とか……?

 俺はただ、神岡という男に心底惚れただけなのだが。



「人を愛すること。その人と深く想い合い、共に歩むこと——これ以上に人の心を幸せで満たすものは、もしかしたらないのかもしれませんね」


 俺の父が、伏せていた眼差しを上げながら静かに呟く。


「深く想う相手から、同じように深く愛される。これだけでも奇跡のようなことなのに——

 柊と樹さんが共に歩み出すまでの道のりは、きっとお互いにとって困難に満ちたものだったはずです。

 それは、二人だけの問題ではなく、きっと神岡家全体に関わる問題だったに違いないと……

 私たちがもしもその状況を知っていたら、多分さまざまな事で気を揉んで、居ても立ってもいられなかった。お恥ずかしい話、私たちはそれぞれの仕事で手一杯で、息子は息子でそれなりにやってると安心しきっておりましてな。

 今になって思えば、むしろ息子に全てを任せておいて良かったと……しみじみと、そう思います。


 お義父さん、お義母さん、樹さん。本当にありがとうございます。

 樹さんがこんなにも柊を大切にしてくださり、ご両親もまた柊を樹さんのパートナーとして認め、愛してくださることは、私たちにとってこれ以上ない幸せです。

 その上、神岡家を継いでいく可愛い男の子たちまで儲けるとは……我が息子ながら、天晴れです」


 最後のフレーズにどことなく茶目っ気を漂わせつつ、父は明るく微笑んだ。


「柊は、昔から一度決めたらまっしぐらな子で。そんな頑固なところは、女親の私にそっくりです。

 もしかしたら、時には周囲の言葉を聞き入れないような部分もあるかもしれません。樹さんや皆さんを困らせてしまうことも多々あるかと思いますが……どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします」


 父に続き、母も穏やかな微笑を浮かべながら深く頭を下げた。



「——あの」

 果たしてこの場でこんなことを言ってもいいものか——そう思いつつも、気づけば俺の口から言葉が溢れ出ていた。


「……母の言う通りです。

 俺、思い込んだらまっしぐらで、頑固で、変わり者で。

 神岡家を救うとか、そんな大げさなこと全然してません。

 俺はただ、樹さんに心底惚れて、その想いを貫かせてもらって——今回は更に、妊娠出産なんていうハイリスクな大仕事まで許してもらって。

 本当に幾つも我儘を言って、自分の歩きたい道を選ばせてもらった。

 なのに、こうして深く愛してもらえて……何だかちょっと、幸せすぎる。

 この一瞬一瞬を、そう思います。

 

 こんな俺ですが——

 改めて、ありがとうと……これからもよろしくお願いします、と。

 俺を支えてくれる全ての人に、心からそう言いたい気持ちです」 


 誰に感謝を伝えたらいいのかわからないまま、俺は全員へ向けて深く頭を下げた。



「んー。『幸せすぎる』、はちょっと違うんじゃないかな、柊くん」

 神岡が、ふと何かに思い至ったように呟いた。


「だって、そうだろ?

 この幸せは、何もなかった場所から君自身が生み出したものだ。

 君が必死に、それこそ命懸けで生み出して、周囲にいる人間に全力で配ってくれた幸せなんだ。


 君の周りには、これからもずっと、君が生み出す温かい幸せが咲き続けるだろう。

 そんな君の側にいられる僕らは、最高に幸せだ」



「——……」


 ……そうなのか……?


 自分自身が、全力で生み出した幸せ。

 全力で周囲の人に配った幸せ——。


 ここに来るまでの長い道のりが、不意に思い出され——この上なく優しいパートナーのそんな言葉に、思わず胸が詰まる。


「それにこれからは、新たに晴と湊も加わるんだからね。泣いてる場合じゃないわよー!」

 ぐずっとなりかけた俺に悪戯っぽい視線を投げ、母が明るく笑う。


「泣いてねーし!」

 涙を啜り上げて誤魔化し、俺もグニャリと変な笑顔でそれに答えた。



 そんなやりとりを感じ取ったのか、小さなベッドから微かにむずかる声が漏れ出した。

 それとほぼ同時に、病室のドアを軽やかにノックする音が響く。


「そろそろ授乳タイムが近くなりましたね。双子くんのお世話をお手伝いできればと思いますが——」


「おお、藤堂先生!!」

 顔を出した藤堂を見て、神岡工務店社長がぱっと目を輝かせた。

「ちょうど先生もいらっしゃったところで——ひとつ、皆で記念写真を撮りませんか。ね、いいですよね藤堂先生?」

「あ、グッドアイデアねあなた! これを逃したら、今度いつみんなで撮れるチャンスが来るかかわからないもの!」

「いやあ〜産婦人科医として名高い藤堂先生もご一緒に記念撮影ができるなんて、これ以上光栄なことはありませんな」

「じゃあ、柊と樹さん! 晴と湊を優しく抱っこしてあげて♡

 助産師さん、本当に申し訳ないんですが、全員で一枚撮りたいの。お願いできるかしら?」

 あれよあれよと言う間に藤堂は俺たちの輪に引っ張り込まれ、助産師はスマホを押し付けられる。


「……んぐ……ふ、ふぎゅっ……!!」

「あー晴!! もうちょっとだけ我慢してくれ、な。写真一枚だけ!」

「ん……ふあっふぎゃっっ……!!!」

「湊ぉーー兄ちゃんにつられて泣くなー!!」

「えーと……じゃ、準備いいですかー? 撮りますよ! はい、1たす1はーー!」



 そんなこんなで——


 ドタバタと大騒ぎの、それでも全員が満面の笑みを浮かべて。

 記憶の中で輝き続ける大切な瞬間が、このときまたしっかりと、俺たちの中で積み重なったのだった。



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