誕生
動揺を必死に抑えながら、神岡はすかさずスマホを取る。
「とりあえず藤堂先生に連絡を。柊くん、今の状況を説明できる?」
「——大丈夫です」
彼は通話ボタンを押すと、その場から立てずにいる俺にスマホを手渡した。
『藤堂です』
元日にも関わらず、彼はすぐに電話に出た。
「先生、三崎です。
実はつい先程から——」
俺は必死に気持ちを落ち着けながら、自分自身の状態を藤堂に説明した。
『——わかりました。
破水していることは間違いなさそうだ。これからすぐに来院してください』
電話の奥で、いつもと変わらぬ声が冷静にそう指示する。
「はい。これから向かいます」
「藤堂先生——どうぞよろしくお願い致します」
神岡が電話を代わり、張り詰めた面持ちでそう言葉を加えた。
「破水なの、柊ちゃん……?」
オロオロと震える声で、義母がそう確認する。
「——ええ、そうみたいです。
手術予定日直前ですし、それほど珍しくはないことです……それに、双子は破水しやすいそうですし……
……っ……」
その時、腹部がきゅうっと収縮する感覚が訪れ、俺は思わず眉間を歪めた。
「……少し、陣痛が来始めたかも……」
俺の呟きに、神岡の表情が一層強く緊張する。
「父さん、母さん、これから至急クリニックに向かうから。また連絡入れる。
柊くん、僕につかまって。……ゆっくり」
まだ小さいが陣痛の波らしきものを下腹部に感じ、一層強い不安感が迫ってくる。
——その時、背後から穏やかに響く声が届いた。
「樹、柊くん。
お前たち二人なら、大丈夫だ。
めでたい連絡、待ってるぞ」
振り返ると——静かに落ち着いた佇まいで、義父が俺たちを見つめていた。
その頼もしい笑顔と胸に沁みる言葉に、俺の視界が思わず熱く滲む。
「……うん。父さん」
そんな父をしっかりと見つめ返し、神岡も一瞬声を詰まらせながら小さく微笑みを返した。
——そうだ。
二つの新しい命を抱いて——必ず、ここへ帰ってくる。
どうしようもなく騒ぐ気持ちを何とかそう鎮めながら、俺は神岡に支えられてそろそろと車へと向かった。
神岡の実家から、俺たちは藤堂クリニックへと直行した。
30分程度の移動の間にも、陣痛の波は次第にはっきりと、一定間隔で訪れるようになってきている。
病院へ到着すると、藤堂は病棟のベテランスタッフを10人ほど揃えて俺を待っていた。
彼らは手際よく、かつ慎重に、俺と胎児たちのコンディションをチェックしていく。
「——うん。
破水は見られるものの、赤ちゃんも三崎さんの状態も、共に安定しています。陣痛も既に等間隔にやってきている。
三崎さんと神岡さんの同意が得られれば、この後緊急帝王切開による分娩を行いたいと思いますが——いかがでしょうか」
「——よろしくお願いします」
俺も神岡も、同時に藤堂へそう答える。
「わかりました。では神岡さん、この同意書にサインを。早速手術の準備に入ります」
「……先生——」
署名を終えた神岡が、緊張と不安を抑えきれない表情で藤堂を見つめる。
「大丈夫。私に任せてください。
この時をワクワクしながら待っていた気持ちは、私もお二人に負けていませんよ。
——三崎くんの懐妊がわかって以降、私も大好きな酒を一切絶って、今日まで彼の妊娠に伴走させていただきました。
いざという時に、たまたま酔ってて……なんていう言い訳は、大切な命を預かった産婦人科医として決して口にしたくありませんからね」
ぱちっと頼もしいウインクをしてそう話す藤堂の快活な微笑みに、神岡の目が、一瞬ぶわっと潤んだように見えた。
「ほらほら、ここでパパが泣いちゃってどうするんですか! お声をかけるまで、こちらの待合室でお待ちください。
では、これから三崎くんを手術室へ運びます」
スタッフが、移動用の車椅子を俺の診察台の横に準備した。
「……樹さん——
大丈夫です。
心配しないで、待っててください」
陣痛の波に耐えつつ診察台から車椅子に移り、俺は彼を真っ直ぐに見つめてそう伝える。
「——……うん。
わかった。
待ってるから」
そう答えて俺を見送る彼の瞳が、まるで心細さに震える小さな子供のようで——
「……藤堂先生。
どうか——よろしくお願い致します」
俺は、胸の奥から迫り上がる思いを絞り出すように、横に付き添う藤堂へそう伝えた。
*
1月1日、午後1時35分。
双子の男の子が、無事誕生した。
先に取り上げられた子——兄が、
続いて誕生した弟が、
この世に生まれ出た瞬間、二人とも弾けるように元気な産声を上げた。
腰から下の部分麻酔のため、分娩の際は体内からばりばりっと何かを引き剥がされるかのような何とも強烈な感覚を味わいつつも、手術は大きな問題なく短時間で終了した。
三崎くん、おめでとう!!いや〜どれほど綺麗な子たちが出てくるかと思ったがまさに二人とも珠のような男の子じゃないか!そして発育が良好で驚いた!やはり男性は身体が大きい分妊娠に有利だと言えるのではないか!と、この時ばかりは藤堂も羽目を外して大いに興奮した。
晴も湊も2500gを超える体重があり、保育器に入る必要もないようだ。
産湯で身体を洗い、白く柔らかな衣に包まれた二人を抱くことこそできないが、助産師が側へ連れて来てくれた。
小さな小さな顔が、手が、足が——元気に動いている。
生命とは、何と不思議で、限りない力と輝きに満ちたものなのだろう。
こうして目の前にして、初めてそれがわかる。
俺は、まだどこか夢の中から出られないような気持ちで、くしゃくしゃに赤い二つの健やかな顔を見つめた。
この後新生児室へ運びます、と助産師が溢れるような笑みで説明してくれた。
手術を終え、移動式ベッドを押されながら手術室を出た俺に、待ちかねたように神岡が駆け寄った。
「————柊くん……
良かった。
君も、子供達も——」
その瞳に、堪えきれないように光るものが一気に湧き出し——次々と頬を零れ落ちた。
「神岡さん。おめでとうございます。
お二人とも、実によく頑張りましたね。
まさに健康そのものの双子くんですよ」
後に続いて出てきた藤堂も、初めて見るような深く安らかな笑みを湛える。
「藤堂先生——
本当に……
本当に、ありがとうございました」
藤堂に向かい、神岡は震える声で感謝を伝えつつ、深く頭を下げた。
「樹さん——
赤ちゃんたち、見ました?」
「うん、見たよ。
二人とも可愛くて、びっくりした」
涙を止めることのできないまま、彼は顔をくしゃくしゃにして微笑む。
「——始まりますね」
「うん。
ここからが、新たなスタートだ」
気力と体力を激しく消耗し、朦朧とする意識の中で、俺は彼を見上げて精一杯微笑んだ。
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