「——あなたが昨日、三崎さんを深く傷つけたこと……私、知っています」



「——……」


 さくらの言葉に、大島は青ざめて顔を引きつらせる。



「昨日、彼に何を言ったのか。

 全て私に話してください」



「——っ……

 そんなこと、なんであんたに話さなきゃならないんだ」


「私は、副社長と三崎さんのことを、応援しています。

 三崎さんの無事な出産を、心から望んでいます。

 その彼をこんな危険に陥れる存在を、絶対に放置はできません。

 あなたが何を考え、彼にどんな危害を加える存在なのか、知りたいからです」



「……」


「このまま、隠し通すおつもりですか?

 そういうことでしたら……今回、あなたが彼を精神的に傷つけたことを、これから社長にご報告させていただきますが……よろしいですか?」


「——た、頼む。

 それは……」


「ならば、今ここで全てを私に話してください。

 内容を偽ったりはしないように。

 ——あなたが話した内容に偽りがないか、後ほど三崎さんに確認を取らせていただきますので。

 イエスかノーで答えるだけならば、彼があなたとの約束を破ったことにはなりませんよね。

 内容に食い違いがあれば、即座に社長へ報告します」



「…………」


 さくらの言葉に、大島は暗い目つきでため息をつくと、覆面を剥がれた罪人よろしく開き直った口調で呟く。


「——女になんかわかるかよ。

 必死に築いてきたポジションを、新入社員に一瞬で持ってかれる悔しさなんて。

 ……彼が入社して以来ずっと、そのことが頭にきてた」



「——……」



 ポジションを奪われた……三崎に。


 そういう理由が、大島の攻撃のきっかけの一つだったのか。



「それだけで済めばまだしも。

 そうやって職場を引っ掻き回しといて、今度は男とできてるだの妊娠だとのキモいこと言い出しやがって……思わず寒気がしたし、ますます腹が立った。

 それに、本当のことだろ。ああいう自己中な願望で生まれた子供が不憫だって。

 親が両方男でおかしいとかキモいとか、周りから陰口言われてジロジロ見られて」



「——……」



 さくらの感情が、強烈な怒りに激しく揺さぶられる。



 いま彼の口から漏れた、あまりにも残酷な物言い。

 そういう目に見えない凶器を平然と振り下ろし、この男は三崎を追い詰めたのだ。



「——あなたは……

 あなたは、自分のしたことを、わかっていますか?」


 抑えようのない怒りを込めた低い声で、さくらは鋭く大島を見据える。


「もし私があの場にいなければ、一歩間違えば命を落とすところだったんですよ。三崎さんも、お腹の赤ちゃんも。

 ただでさえ危険度の高い妊娠をしていることを知りながら——あなたは、彼をそういう状況に陥れた。

 そんなことさえも、こうして他人から言われなければわからないのですか?


 もしも、彼らが命を落としていたら。

 手は出していない、といくら言ったところで……あなたは、人殺しです」



 人殺し。

 さくらの突きつけたその言葉に、大島は顔を蒼白にして押し黙る。



「——あなたは、3人もの命を奪いかけた。

 どう償うのですか」



「——……」



「——とにかく。

 今回のことは、深く反省してください。


 そして、三崎さんと副社長に、謝罪してください。

 今後同様の言動は決してしないと、彼らに約束してください。


 それができなければ、今回の件を、私から社長に全てお話しします。

 場合によっては、名誉毀損罪とか……罪に問われるかもしれませんね」



「————ま、待ってくれ……」


 冷たく厳格な表情で立つさくらへ、大島は思わず縋るように走り寄る。


「……頼む。

 それだけは……

 ……お願いします」


「私に縋っても、許されません。

 そして、たとえ形だけ三崎さんに頭を下げても、あなたは許されない。


 大切な相手と、互いに深く愛し合う。そのことのどこが、気持ち悪いというんですか?

 かけがえのない人と、新しい命を育む。その行為を、なぜそういう言葉で蔑むことができるんですか?

 あなたがもしも、愛する人との関係をそんな風に侮辱されたら……どう感じますか。

 あなたは、自分自身がどうやって生まれ、ここまで育ってきたかを、考えたことがありますか?


 ——あなたが、自分自身の歪んだ内面に気づき、それを改めない限り……あなたが救われることは、決してありません」



 さくらの言い放つ揺るぎない言葉に、大島の目はざわざわと激しく波立つ。



「——大島さん。

 彼らに謝罪をされる気持ちになったら、私まで申し出てください。

 謝罪の場に私も立ち会い、見届けさせていただきます。


 私があなたにお伝えしたかったことは、以上です。

 私の話をご理解いただけましたら、どうぞ速やかにご退室ください」



 全身を小さく震わせるように立ち尽くす大島に、さくらは極めて事務的な表情で美しく微笑んだ。









 藤堂クリニックへ入院して、三日目の朝。

 今日は土曜日か……と、心の中で何となく呟く。

 こうして活動を止めてしまうと、日にちや曜日の感覚が急激に遠のいて驚く。


 収縮抑制剤の点滴は、まだ続いている。一旦開始すると24時間をかけて体内に入れるので、入院して以降チューブはほぼ繋がりっぱなしだ。

 ただ、あの恐ろしい苦しみに見舞われる不安から守られて過ごすことができる点は、心底有り難い。


 今日の朝食は、ライ麦パンのローストチキンサンドとじゃがいものポタージュ、ほうれん草のソテーとフルーツたっぷりのヨーグルト、紅茶……というもの。

 ……はあ。すごい。

 思わずため息が漏れる。

 これまでの二日間のメニューも全て高級ホテル並みであり、味も最高なのだ。

 部屋といい食事といい、全てが本当に贅沢でちょっと申し訳ない。



「柊くん、おはよう。体調はどう?

 ……って、今日もまた美味しそうな……僕もここに入院したくなってきた」


 着替えの服やらおやつのフルーツやらを提げて入ってきた神岡が、俺の前に据えられた豪華なトレイを覗いて微妙に羨ましそうな声を出す。


「妊娠しないと無理ですよ、樹さん」

「知ってるよーそんなの」

 俺の返事に、彼は一瞬むすっとした顔を見せ、すぐに嬉しそうに微笑んだ。

「元気そうだね。

 君の明るい表情を見られることが、今の僕の何よりの幸せだ」


「はい。今朝も体調すごくいいです。

 それに……俺も、あなたの顔をこうしてずっと見ていられるの、幸せです。

 あなたに休暇を取るよう命令してくれた社長に、感謝です」


「…………

 あ。ほらスープ冷めちゃうから。しっかり食べて」


「いただきます」



 何か一瞬じわっと潤んだような瞳を、神岡は慌てて誤魔化した。




「三崎さん、神岡さん。おはようございます。

 三崎さん、体調はどうですか?」


 食事も済む頃、藤堂が病室へ顔を出した。


「先生、おはようございます」

「おはようございます。

 はい、調子いいです。いつも食事が最高に美味しくて。こんな贅沢しちゃっていいのかな……」

「はは、ご満足いただけて良かったです。食欲はとても重要ですからね」

「藤堂先生、本当に色々ありがとうございます」

 神岡も藤堂へ深く頭を下げて感謝を述べてから、改めて嬉しそうに俺を見る。

「君が美味しそうに食事取れてて、心底安心したよ。心労やストレスで食欲まで落ちてしまったらと、実は不安だったんだ。妊夫さんはこれからますます体力が必要なんだしね。

『たま◯クラブ』とかじっくり読むと、本当に驚くよ。へえー授乳中ってものすごいカロリーを消費するんだなあ、とか……知らなかったことばかりで」

「あはは。樹さん、俺の場合さすがに授乳はないですよ」

「いや。出ますよ、恐らく。……身体のメカニズム的に」


「……」


 さらりと流れていくと思ったその部分を藤堂にすっぱりと切り返され、俺はがっちりと固まった。


 藤堂の言葉に、神岡も思わず瞠目して俺の胸元を見つめ、静かに口元を覆う。



「……そうなのか……

 し、柊くん……ちょっとそれは……

 何といえばいいのか…………感動だ」


「いや、ちょっとまっっ待ってください……聞いてないですよそれ!!」

「まあ、これまでに前例はないし、女性のようにたっぷりと出るわけはないのだが……出ることは多分間違いない。

 それにしても……注目すべき事柄だ」

「先生ーーーーーー!!!!」


 俺は乙女のポーズでがっと胸元に両腕をクロスさせて必死にガードしてみるが、そんなことをしても何の意味もなく……二人の男の満面の笑みをただ恨めしい思いで睨み返す以外になかった。









「ただいま」

 

 土曜の昼下がり。

 東京の郊外に建つ小さなアパートのドアを開け、大島は俯いたまま呟いた。



「——おかえり。

 急に帰ってくるなんて電話くるから。驚いたわ」


 ドアの内側で、少し疲れたような顔をした年配の女が、乾いた表情で小さく微笑んだ。



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