敵意(2)

「……どうせ、こうやって俺に言われたことも、副社長に泣きつけば全部なんとかなると思ってんだろ」


 頭に血が上っているのか俺の不調には気づかないまま、大島は刺々とげとげしい言葉を続ける。


「——こんなつまらないことで、彼に泣きついたりはしません。

 俺とあなたの問題ですから」


 俺自身も、こういう場面で自分の不調を理由に逃げたりなどは絶対にしたくない。

 妊娠を盾に逃げ出すような奴、とは死んでも言われたくなかった。


「へえ、そうなの? なら好都合だ。言いたいこと言わせてもらっていいってことだよね? 今回の件を知らされてから、どいつもこいつも、副社長っていうバックがいるからってあんたの前ではびびってんだよ。ますます頭くる。

 あんたは気づいてないんだろうけどな。俺が必死に築いてきたポジションをあっさり全部奪っといて、こうやってふざけた妊娠とかで周囲に負担増やして…… マジで好き勝手やってるようにしか見えないんだけど?

 その能力も、手にした地位も。もはや全部思い通りに進む人生だもんな」


 堪えかねたような乱暴な口調で、溢れ出すようにぶつけられた敵意に——俺は、彼の俺への憎しみの本性を、改めて見た気がした。


「——あなたのその恨みは……こうすることで晴れるんですか?

 こうやって燻った気持ちを俺にぶちまければ、あなた自身の問題は解消するんですか?」


 大きく一つ息を吸い込み、自分の心と身体をなんとか維持しながら俺は答える。


「俺がここまで難なく歩いてきたと思っているなら……それは、大きな勘違いだ。

 ——俺が彼を愛して、そのためにどれほどの苦しみの中を歩いたか……あなたは、何一つ知らないでしょう?

 みんなそれぞれ、自分の選んだ道を死に物狂いで歩いてる。

 あなたと同様に必死に道を歩いている人間に対して、あなたの感情を一方的にぶつけることは……それは、あなたの道を開くきっかけになるんですか?」

「ふん。

 あんたになんか、俺の悔しさはわからないくせに。

 あんたが来てから、俺はあんたのサポート係みたいに言われてんだ。それまでは部門でもメインのポジションにいたのに。最近は、三崎くんの足引っ張るな、とか冗談交じりに言われる始末だ……この気持ち、わかるかよ?」


「——」


「ほら見ろ。

 何でもかんでも奪い取る側の人間には、奪われる方の苦しみなんてわかんねーんだよ」


 そう吐き出し、それでもまだ足りないように彼は口元を歪に引き上げる。


「あー、因みに思うんだけどさ。

 あんた達の子って、世間から見てどうなのよ?

 あんたと副社長が良くても、生まれた子供達は本当に幸せか?

 考えてもみろよ。

 親が二人とも男で、しかも男から生まれたなんて周囲に知られたら……間違いなくいろいろ言われるだろーなあ。生まれた子供が可哀想なことにならなければいいけど」


「——……

 可哀想なのは、俺の子供たちじゃない。

 そういう考え方しかできないあなたの方だ」


 こんな風に分かり合えない相手と、全力で向き合わなければならないことが哀しい。


 ——それでも。


 分かり合えないからこそ、向き合わなければいけない。

 そうしなければ、この現状は何も変わらないのだ。


「——そういう理由で子供が被害者になるのは、そこに加害者がいるからです。

 ひとの心を汲み取る力のない大人が、陰口を叩く。白い目で見る。残酷に冷やかし、仲間外れにする。

 それを側で見ていれば、子供は大人の言動をそのまま真似る。それが正しいと理解する。そして、そういう環境にいるクラスメイトを、何の躊躇もなく同じ目に遭わせる。

 そうやって弱者を攻撃する加害者を生み出し、増やしているのは、あなたのような人間だ。

 子を望んだ俺たちが誤りなのではなく——その存在をおとしめるあなた達こそが、この現実の元凶だ」


 俺の言葉に、大島はぐっと悔しげな表情で俺を鋭く睨むと、ふっと嘲笑うように言い捨てる。


「——あんたが今どれだけここでそれを叫んでも、誰が聞いてるだろうな?

 何でもかんでも思い通りに行くと思うなって言ってんだよ!」


「……」


 堪えていた何かが、とうとう崩れた気がした。


「————……

 あなたの気持ちは……よくわかりました。

 ——そして、あなたが哀れなひとだ、ということも」


  腹部が、ぎゅうっと強く何かを拒否するように収縮する。

  呼吸が一層激しく乱れる。


「ただ、一つだけ……

 これだけは、あなたにお願いします。


 子供を宿し、産み育てることが、ただのふざけた趣味なのかどうか……

 あなたの親に、それを聞いてみて欲しい。


 あなたの父親と母親が、あなたをどんな気持ちでここまで育てたか……

 それを、聞いてみてください。

 愛する人と一緒に命を育むことが、どんな意味を持つのか……

 それだけは、あなたにも気づいて欲しい。


 ——お願いします」



 限界だった。


 腹部の鈍い違和感が、強い痛みに変わる。


 どれだけ押さえ込もうとしても、もう無理だった。

 椅子から崩れ落ち、床に手をついてただ喘ぐような呼吸を繰り返す以外に何もできない。


「…………お、おい……」


「失礼いたします。

 三崎さん。藤木部長からここにいらっしゃると聞いて……

 ————三崎さん!?」


 その時、俺を探して休憩室に入ってきた菱木が、この状況に即座に駆け寄ってきた。


「……大変……

 ——あなた、何してるんですか!?

 部長に早く伝えて! 医務室に至急連絡してください!!」


 菱木の鋭い声に、大島は弾かれたように部屋を飛び出していく。


「…………三崎さん……!」


「————……」


 身体を絞られるような苦しさに冷たい汗を滲ませて、俺はただ大きく喘ぎながら菱木の腕に凭れた。









 医務室で連絡を受けた医師の佐伯が救急車を呼び、彼女の付き添いで俺は藤堂クリニックへ搬送された。

 診察時間は終了しており、患者がひけて間もないクリニックのスタッフ専用の出入り口が慌ただしく開かれる。

 まだ病院に残っていた外来スタッフが、手際よく対応に当たった。



「——それほど重度ではないが、子宮収縮が見られる。すぐに抑制剤の点滴を。

 ……幸い破水はないが、子宮頸管が予想以上に短くなっている。

 このまま放置しては、切迫早産の恐れがある」


 俺の状態を注意深く診察しながら、藤堂は真剣な面持ちで呟いた。


「三崎さん。

 この状態ですと、少し入院が必要になりそうです。

 ——神岡副社長は、これからこちらへいらっしゃれますか?」


「ええ。できる限り早くこちらへ向かうって。

 ——父さん。三崎さん、大丈夫なんでしょ?」

 佐伯が、不安げに藤堂にそう問いかける。


「……

 とにかく今は、絶対安静だ。

 今はいろいろなことは全て脇へ置いて、ゆっくりリラックスして……赤ちゃんを少しでも長く胎内で育てることだけを考えてください、三崎さん。

 ——心身へのストレスは、今の状況では胎児に大きな悪影響を及ぼします」


 俺の何かを見透かしたかのように、藤堂は静かに、しかしはっきりと厳格な語調でそう告げる。



「————

 ……はい……」



 抑制剤のおかげで、腹部の痛みが少しずつ楽になり始める。

 それと同時に、ずっと続いていた緊張が解けたせいか、強い眠気が襲ってきた。



 俺は、藤堂の言葉を力なく脳内で繰り返しながら、深い眠りに落ちていった。



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