性別

 俺たちが今の状況を報告に行ってからというもの、両親の俺への態度はガラリと変わった。


 ほぼ毎日に近い頻度で、母親から電話やメッセージが来る。

『柊、体調どう? ちゃんと栄養摂りなさいよ! お父さんも、肉でも送ってやれってもーうるさいのよ』

『双子ちゃんは元気? 重いもの持ったりはとにかく厳禁だからねっ!』


 心配なのはわかる。そして、早く孫の顔が見たいじいじばあばの気持ちもわかる。

 だが……俺も忙しいのだ。

「母さん、気持ちは嬉しいんだけど、こう毎日じゃちょっと……何かあったら必ず連絡するから、とりあえずは落ち着いて見守ってほしいんだけど」

『あっ、そうよね。神岡工務店の設計技術者ってだけでも忙しいんだものね。もうちょっと連絡減らすように気をつけるわ、うふっ♪

 お父さんもすっごく楽しみにしてるわよー。樹さんによろしく伝えてね』


 どうやら両親とも、神岡のことをいたく気に入ったらしい。それはそうだ。これだけ全てを揃えたパートナーはいない!と俺も言い切れる。

 何はともあれ、両親のこの上機嫌っぷりは、俺たちにとって全く予想外であり、かつ心底有り難く、嬉しいものだった。その温かい応援が、妊娠出産に向き合う大きな支えになってくれていることは間違いなかった。



「柊くん、何度も言うけど本当に良かったよね。ご両親がこんなにも僕たちのことに理解を示してくれて」

 お盆休みが明け、仕事も通常に戻った週末の夜。

 シャワールームを出てテキトーなTシャツ&ハーフパンツスタイルになった神岡は、俺の隣のソファにどさりと座った。

「暑そうですね。ビール飲みます?」

「お、いいね!」

「俺も、両親にちゃんと報告できてめちゃくちゃホッとしました。……やっぱり、親の苦い顔が常に心にあるのは辛いですし」

 そんな話をしながら冷えた缶ビールを冷蔵庫から取り出し、彼に手渡す。

「実はあの日、ご挨拶を済ませてほっとした途端、異常な緊張状態が続いたせいか膝がガクガク震えてね。どうにも困ったよ」

 プルタブを開けて頬をぽりぽりと掻きつつ、彼はそんなことを白状して苦笑いする。


「……

 樹さんって、マジ凄いですね。やっぱり」

 俺は、もじもじしつつそんな言葉をぼそりと返した。


 これは、俺の本心だ。

 はっきり言って、今回彼に惚れ直した。

 これまでにも何度もあったことだが……また、更に。しびれるほどに。


 今回、両親がこんな風に穏やかに俺たちのことを認めてくれたのは、恐らくほぼ100%神岡の力だ。

 聴く者の心に深く染み込む彼の誠実な言葉は、俺の胸にもずしっと熱く響いた。


 外では、ここ一番の重要なシーンであれだけのことをやってのけるのだ。どれだけ神経を研ぎ澄まし、集中力を高めてその場に臨んでいることか。

 俺は、ここにきて改めて、彼の強い信念のようなものを目の当たりにした気がした。

 その分、プライベートでとことん緩んだズボラなおっさん化でもしなければ、きっと心のバランスをどこかで崩してしまうだろう。


 この人の、家でのアバウトっぷりは——外でいかに全力を尽くして行動しているかの現れなのだ。

 だから……俺だけに見せるこのズボラな姿も、思い切り愛したい。彼を大切にするということはつまり、心を緩めた不完全で隙だらけの彼を大切にすることだ。

 俺は、だんだんとそんなことに気づき始めていた。



「ん?  凄いって……僕は何にもしてないよ?

 ただ、本当の気持ちを伝えたくて、包み隠さず全部話しただけだ。——君にも、ご両親にもね」

 俺の呟きに、彼はどこか恥ずかしげににそんなことを言う。


 ああ、もうほんと。マジで好き。


 普段ならば、週末の夜にそんな気分になった日には、ベッドでいくらでもその想いを彼にぶつければ良いのだが……

 今の身体では、そうもいかない。

 だからって、面と向かって好きだとか惚れ直しただとかストレートに言えるか!?

 溢れそうになるいろいろをそんなふうに持て余し、ぐっと堪えた。


「——残念だ。

 本当ならば、もう君を抱き上げてベッドルームへ直行している頃なんだがな」


 俺と同じ気持ちなのだろう。熱を持った瞳で俺を見つめ、彼は切なげにそう囁く。


「……そうですね。

 俺も、残念です。すごく。

 でも、月末の健診まで、あと一週間ですから……それを済ますまで、もうちょっとの我慢です」


 触れ合いたい思いに素直に同意する俺に、神岡は一層煽られたようだ。その肩が、ふるっと微かに揺れた。

 湧き出す欲求に堪えるように静かに腕を伸ばし、ぎゅっと俺を胸に引き寄せる。


「うん、そうだな。……子供達が元気に大きくなってるか、ちゃんと見てからだな」

「大丈夫。きっと元気です。

 それに、そろそろ赤ちゃん達の性別もわかる頃じゃないかな、と思うんですよね」


「え……そうなのか?

 うあ、すごい心拍数上がってきた……!!」

「めちゃめちゃドキドキ言ってますよ、ここ」

 俺は、彼の胸に耳を当て、クスクス答える。



「……そうか……

 ……どちらだろうな……」


 そう呟く彼の声に、微かな緊張が入り混じっている気がして……俺は、少しだけ彼の表情を見上げた。









 その1週間後、8月最後の日曜の午後。

 俺と神岡は、藤堂クリニックへ妊夫健診を受けに来ていた。


「三崎さん、元気そうですね。顔色もいいし。最近の体調はどうですか?」

 快活な藤堂の笑顔を見ると、いつもどこかほっと安心する。

「ええ、今のところ、特に気になることはありません」

「……うん、少しお腹の膨らみが出てきたようですね。無理に腹部を締めるような服装は極力避けて欲しいのですが、大丈夫ですか?」

「今ちょうどクールビズのシーズンなので、会社でも服装はかなり自由が効くんです。できる限りお腹周りを締めずに済むパンツなどを選んで履いてます」

「ならばよかった。これから一気にお腹の膨張が進むと思います。色々な意味で、くれぐれも無理はしないよう気をつけてくださいね。

 では、エコー当ててみましょうか」


 お腹の赤ちゃんの姿を、この目で確かめる。

 毎回そうなのだが、この時が何といっても一番ドキドキする。そして、その度に新たな感動を味わうのである。



「……うん、いいですね。とても順調です。大きさも全く心配ないですよ」

 その言葉に、思わず俺たちの安堵の息が漏れる。


「あの、先生……そろそろ、性別とかもわかったりするんでしょうか?」

 神岡が、俺と一緒にエコー画面を見つめながら、そう藤堂に問いかけた。

「んー。必要な部位が見えるかどうかによるんだが……見てみましょうか。……んん、ちょっと待って」


 機器を動かしながら真剣に胎児の姿を確認する藤堂の表情を、俺たちは固唾を飲んで見つめた。



「…………お、これはラッキーだ。ちょうど確認できそうですよ。

 ええと……ひとりは……これは、男の子だな……。

 で、こちらは……おお、こっちも男の子か!」



「…………」



 なんと言えばいいのか。

 この気持ちを、うまく表現する言葉が見つからない。


 今まで、漠然と「赤ちゃん」という認識しか持てなかった俺たちに、今もたらされたこの情報は、とんでもなくリアルで大きな意味を持つものだった。


「男の子なんですね……二人とも」

「ええ。しっかり確認できましたから、間違いないと思います」

 藤堂も、自分のことのように嬉しそうな笑顔で、俺たちにそう説明してくれる。



 男4人の家族。

 どんなに賑やかになるだろう。

 同じ年齢の男子二人を一気に育てる大変さは、またひとしおだろうか。


 そんな思いで、横にいる神岡に視線を向けた俺は、少し驚いた。

 その表情が、思いの外固く緊張したものだったからだ。



「……樹さん?」


「……ん? ああ」


 俺の小さな問いかけに、そんなざわつきを一瞬で消し去り、彼は優しく微笑んだ。









「——どうしたんですか?」


 健診を終えて、家へ向かう車内。

 散々迷った挙句、俺は神岡にそう問いかけた。



 子供達の性別がわかった高揚感よりも、さっき見た彼の複雑な表情が心から拭えなくなっていた。


 多分、彼の中で、何か考えなければならない問題が起こっている。


 けれど——今、それに俺が首を突っ込んでもいいのか。


 状況判断を誤るな。

 彼の邪魔になりそうならば、今は俺からは何も触れずにいるべきだ。

 ちゃんと空気読め、俺。


 そう何度も思おうとしたが——できなかった。

 これから迎える俺たちの子供達に関わる不安を、彼と共有できずに黙って見ているだけなんて……どうしても無理だった。



「……ごめん。

 君には、やっぱり見破られてしまうよな。

 ——いずれ、話さなければならないことだけどね」

 彼は、ハンドルを握り前を向いたまま、そう淡く微笑む。


「子供達に関わることは、どんなことも一緒に考えましょう。

 どちらか一方だけで抱えるなんて、俺は嫌です。——絶対に」


 俺は、そんな彼をまっすぐ見つめ、そう伝えた。



「……うん。そうだね。

 君の言う通りだ。

 ——家に着いてから、ゆっくり話そう」


 俺の視線を受け止めるように、彼の眼差しがこちらを向き——その表情が、微かに和らいだ。



 それから家に着くまで、俺たちは何となく黙り込んだままだった。



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