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 今宵もしっかり部活動を終えた優等生は、僕のブレザーのポケットを確かめると、大きな瞳を、更に大きくさせた後、口もへの字に、鼻からすんと息を一息吐き、吸うなとは言わないが、と前置きしつつも、そのポケットにあったものを、僕の内ポケットに移そうと前かがみに近づいてきて、その指先がシャツ越しに触れ、かぐわしい香りも間近となれば、なんだか体内を電気みたいな衝撃が駆け巡り、猫背にして出迎えていたはずが、どこか遠いところへ向けて目も点にした、のけぞった体勢になったりしたのだけれど、「彼女」はお構いなしといった具合に一通りのことを済ますと、

「いつも言ってるよね? バレたら退学になっちゃうんだよっ」

「…………」

 いつものように、シャツの第二ボタンまではずすほどダルダルにゆるめたネクタイすらも直し始めた「彼女」は、眼前で、尚も、きっと口をへの字に、その大きな瞳でもって僕のことを見上げているに違いないが、その一通りのことをすることにはされるがままになりつつ、僕は遠い視線のままに、この甘酸っぱい意味不明な感情の出所を掴みかねていた。


 学校を出て、新宿中央公園の森並みのなかを通り過ぎる夜は、その時間帯のそのエリアが少々危険な時間帯であったから、というのもあったのだけれど、そこからが二人が手を繋いで帰り道を過ごす、ひと時だった。そして、「はいっ」と「彼女」がカバンから取り出し手渡してきたのは、一枚のCD-Rだったりして、おずおずと僕が受け取りつつも、様子を伺うようにすると、

「すっごいよかった!」

「…………!」

 それは、スタジオで録音した僕自作の歌のデモ音源だったりしたのだけれど、言わば、これは、現在実質二個上の年の功とも言えるのだろう。うまくおだてられれば、そこからは、まるでクラスメートたちに話すかのように、よどみなく言葉は次々と溢れていって、最近では、少しずつ、むしろクラスメートたちといる時よりも、多くのことを語りたがる自分がいるくらいで、そこには、明るい未来を信じる少年の夢が、バスケットボール一筋だった「彼女」の知らない音楽の知識と共に紡がれ、そして顔を真っ赤にしながらのそんな横顔を、「彼女」は、どんな気持ちで見つめていたんだろう。


「今日も来るでしょー?」

「う、うんっ」

 これはすっかりお馴染みとなったやりとりだった。交際後間もなくして、僕が、自宅では、そのほとんどを一人で過ごしている事を「彼女」は知ると、「彼女」は僕を家に招くようになったのだ。はじめて辿り着いた時は、玄関前から入室までえらい時間がかかって、台所で支度を進める「彼女」のお母さんの後ろ姿も、みんなで食事を囲む、そのひと時も、まるで、見たことない、経験したことのないひと時に、随分とギクシャクもしたものだったけれど、今では、とびきりの御馳走が待っていると思えば、舌なめずりもしたくなる。きっと「彼女」のお母さんも、今宵も、既に僕の食事の分も当たり前のように、こしらえていたりするのだろう。


 「彼女」の部屋にはじめて入った時も、それは、まるで、次元の違う世界に飛び込んだかのような、「彼女」自体がかもしだすかぐわしい香りを、そのまま、ストレートに浴びせられたようで、眩暈すらおぼえたものだったけど、我が物顔となるまでにはさほど時間はかからず、気づけばベットに腰かける彼女の膝を枕変わりにするほどには、二人の関係も進んでいたある日、今度は僕の住む団地の一室に来てみたいなどということを彼女は口走ってきたので、それには、ひどく動揺する僕がいたのだった。

「…………」

「そうだ! 君の誕生日とかなら、どうかな?! 学校もないし。私も、君のお父さんとお母さんにご挨拶しなきゃ、だと思うし」

「……誰もいねーと思うなー」

「……お休みだよー? みんな、ほんとにいないの?」

「……いねーよ……」

「…………」

 これ以上のことは話したくないとばかりに、横たわる僕は、「彼女」の膝に顔をうずめるようにすると、少しばかりいやいやをするような素振りを見せ、そんな僕の髪を撫でてみたりする、見下ろす「彼女」の表情が複雑そうだったことには、到底、気づくこともなかったけれど、結局、僕が十六年前に生まれた日のよく晴れた日曜日、「彼女」が僕の自宅に来ることは、押し切られるような形で決まってしまったことも、まだ、ぎりぎり実質二歳差という年の功に負けてしまったからかもしれない。

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