対魔師たちは取り戻したい
ギンナコ
ロア
第一話 屋上のあらぬ噂
非日常は何処にでも潜んでいる。
悪霊、妖怪、怪異、そして――神々。
人々が認識できていないだけで当たり前のように存在している。そして些細な切欠一つでそれらは姿を現し牙を剥く。そうなれば日常は容易く浸食されてしまい、当たり前だった日常が元に戻ることはない。
そんな超常的な存在たちから人々を守るために戦い続ける者たちがいた。
時代の中で陰陽師、霊媒師、呪術師、預言者などの呼ばれ方をされてきた者たち。
彼らは一人で戦う者もいれば、組織を作り立ち向かう者たちもいた。時には個人、組織としてそれぞれ対立し、争うこともあった。
そうして人々を守り続けた者たちであったが、表舞台から姿を消すことになる。
科学の発展、未知が解明されるとともに守られるべき人々がそうした存在を否定したからだ。
超常の存在を知っている者たちからしてみれば、この対応は理にかなっていた。それらが牙を剥くのは、その存在を認識してからだ。最初から否定してしまえば襲われることも少なくなる。何かあったらこっそり助ければいい。
そうして彼らは人々の日常を守るという本来の目的に立ち返る――はずだった。
長い歴史の中で、対立や権力争いなどにも使われた超常の力。それを生業にしていた一部の者たちは過去の栄光を忘れらず、自らの欲に溺れて好き勝手に動き始めた。
そこに自らを否定された怪異や住む場所を追われた一部の妖怪たちまで加わり、否定された超常が再び表に溢れ出そうとした。
――このままではいけない。
その言葉を叫び動いたのは誰だったのか。残念ながらそれは誰も覚えてはおらず、記録にも残っていない。しかしその言葉に呼応するように、多くの者たちは組織の垣根を超え、そこに人に友好的な怪異や妖怪たちも加わり、一致団結して彼らの鎮圧を行った。
そして彼らは勝利した。
多くの怪異や妖怪、神々は
しかし人々に害をなす怪異や悪霊の全てが現世からいなくなったわけではない。
人が亡くなれば霊が生まれ、噂が語られればまた新たな怪異が生まれる。
だからこそ、彼らはこのようなことが再び起きないように複数の組織をまとめ、裏側を管理する一つの巨大な組織を作り上げた。
表向きは日本の神社や寺を統括、支援、管理することを主目的とした団体として。
裏では人々の平穏を奪う怪異や欲に溺れ、自らを闇に落とした者たちと対峙する。
その組織の名は――
そして今を生きる彼らのことを知る者たちは、彼らを魔と対峙する者たち――対魔師と呼ぶようになった。
◇
――
人口五万人という市としては必要最低限の自然豊かな小さな都市。
その市の中にある私立
五月初めの大型連休明けの日、この高校に通う平均より少し低めの背丈をした、右目を医療用の眼帯で隠している黒髪の少年が屋上入り口のドア前にいた。
何故自分は一人でこんなことをしているのか。
本来なら授業中である時間帯、ふと我に返った対魔師の少年――
「まあ見えちゃったからしょうがないんだけど」
そう小さく独り言を呟く凪は、ポケットの中にある自身の霊力を込めた霊具と自身が持つ五つのお守りを確認しながら、今朝起きた出来事を思い返し始めていた。
それは登校して直ぐのこと。凪が校門を潜ったと同時にナニカに見られている感覚を覚えた。
(……ん、見られてる? でも僕だけを見ているわけじゃない?)
一瞬立ち止まった凪であったが自分を見ているわけでなく、学校に入ってきた人全体を見ていると直感すると、自然な動作で視線の主がいるであろう校舎の屋上に目を向けた。
(――誰もいない)
凪の視界に見えるのは屋上からの落下防止のためのフェンスのみで誰の姿も見えない。そんな当たり前の光景に違和感を覚えた凪は、普段弱めている霊視の力を強めた。
ただ意味もなく見ていることしかしない霊や怪異ならば、凪は何もしようとは思わなかった。
仮に違ったとしても、意思疎通が可能ならば、自身が所属している神仏郷国に報告してから成仏させるか、どこかに行ってもらうように対話して対処する。
むこうが幽世に連れて行ってほしいというならば、面倒ではあるが案内する。
それで終わりのはずであった。しかしそんな軽い考えは、視線の主の姿を見て霧散した。
「――――うわっ」
霊視を強めたことによって凪の視界に映ったソレは、人の形をしたナニカ。
ソレは黒いガスの様なものを噴き出し続けているが、フェンスを掴んでおり、辛うじて人の形をしていることが分かる。しかし頭部と思わしき部分には眼以外の部位は見当たらない。
唯一あるソレの眼は漆黒のようにどす黒く、全てを見逃さないとばかりに限界まで見開かれていた。
「……襲ってこないか……生まれたばかりの怪異……かな?」
その見た目から認識された瞬間に襲い掛かってくるのではないかとわずかに身構えていた凪であったが、そのナニカが動くことはなかった。
一先ず襲われることはないと判断した凪であったが、自らの直感は放置していい存在じゃないと警報を鳴らしている。
「とりあえず報告はしておかないとね」
流れるような動作で神仏郷国から支給された仕事用のスマホを取り出すと、その中のカメラを起動させる。
本来なら鳴るはずのシャッター音もなく、気づかれずに撮影した凪は、ソレの姿が写真に収まっているのを確認すると、誰かが噂でも流したのかなと呟きながら校舎へと入っていった。
収めた写真を元に神仏郷国に怪異発生の件を報告した凪は、そのまま校内にいる数人の対魔師たちにも、神仏郷国が開発したチャットグループアプリ『ハイド』で報告していた。しかし彼らからの返答のほとんどは見えないというものであった。
一部察知能力が高い巫女見習いや勘が良い者からは嫌な感じはすると言われるが、凪が見た怪異の姿を視認できる者はいなかった。
《生まれたばかりの怪異で力は弱いが隠蔽能力が極めて強いため、同等以上の霊視能力がなければ発見できない。こちらの霊視判定では危険度の高い怪異に成長する可能性あり》
神仏郷国からの返信内容は、直ちに対処しなければいけないほどの危険のある怪異ではないが、場合によっては早期対処を行う必要があるというものであった。
しかし神仏郷国ではすぐに対処に動ける人物はおらず、早くとも数日後になるとのことであった。
(……こっちで早めに対処したほうがよさそうかな)
授業を受けながらこっそりと返信を確認していた凪はそう考える。
この高校では珍しく昼休みのみであるが、教師監視の下で屋上を開放していた。そのためそこで昼食を取る生徒がそれなりにいる。このまま放っておいた場合、何も知らない生徒や教師たちがどのような影響を受け、怪異に影響を与えるか不明であった。
現状、件の怪異を認識できているのは凪だけのために自分が動くしかないと、こちらで今から対処に入ってもいいかと確認を取ると、返事は直ぐにきた。
後日報告書を提出するという形で神仏郷国からの緊急の依頼として承諾を受け取った凪は、制服のポケットに霊符などの怪異対策用の霊具を詰め込むと、教師に体調不良を訴えて教室を抜け出す。
そして現在、凪は教員の協力者から借りた鍵を使って屋上のドアを開けようとしていた。
「念のため人払いの霊符は使っておいた方がいいか……あ、手持ちにないや」
ドアを開ける直前に何となくそうした方がいいと思った凪は、文字や図形が描かれたお札――霊符の中から、人払いの力が込められた物を探す。
人払いの霊符は文字通り張り付けた場所に人が立ち寄らないようにする力を持っているのだが、残念ながら凪の手持ちにはなかった。
うっかりしていたとばかりにあー、と声を出すと、もう片方のポケットからメモ帳を取り出す。そしてその中の一枚に、対魔師が超常的な現象を引き起こすための術式――『霊式』を描き始めた。
数十秒程で霊式を描き終えた凪はその紙をメモ帳から切り離すと、最後に自身の霊力を籠めてから階段横の壁に貼り付ける。
本来ならテープも何も貼られてない紙は、重力に従い地面に落ちるはずであったが、接着剤で貼り付けたかのようにぴったりと張り付いていた。
「市販の紙で清めてもないし、簡易だから持っても十五分ぐらいか」
問題なく効力を発揮していることを確認した凪は満足げに頷くと、改めて屋上のドアノブに手を伸ばした。
「……できればまだ朝見た時の状態でありますように」
多分無理だろうけど、そう内心で思いながら今度こそ屋上のドアを開けた。
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