08話.[ここにはいない]
「もしもし秋葉ー? 夏休み楽しめてるー?」
ああ、ごめんよ、だけど仕方がないことなんだ。
あの子のことをよく分かっている溝蒋さんに聞かなければならないことだった。
そうしなければせっかく芽衣子のお家に泊まっているのに楽しくない時間を過ごすことになってしまう。
「あ、ごめん、実は私なんだよ」
「おぅ、なんか恋人を寝取られた気分になるよ……」
「ごめん、だけどちょっと聞きたいことがあって」
秋葉の携帯の使用は本人から許可を貰っているから大丈夫だ。
じろじろ覗くわけにもいかないから呼び出しまで本人にやってもらったぐらい。
「秋葉の様子が変? ああ、それなら簡単だよ」
「どうすればいいの? 離れて落ち着くまで待った方がいい?」
もしそうならいますぐにでは無理でも距離を置く。
というか、この機会を逃したらまた来てくれなくなりそうだから……。
でも、自分の感情を優先していますぐに解決したいとかそういうことはない。
「ううん、ぎゅっと正面から抱きしめてあげればいいよ」
「……溝蒋さん、なんか面白がってない?」
「面白がってないよ、本当だからちょっとやってみて」
ああ、切られてしまった。
どうしようもなかったから携帯を返すついでにしてみた。
私みたいにぼうっとしているときだったからこそできる技だと言える。
意外だったのは「なにしてんのよ!」と怒られたりはしなかったこと。
少ししてから体を離してみたら複雑そうな顔で見られてしまった。
「……なに?」
「あ、溝蒋さんにやってみたらどうかって言われて」
ちなみにいま芽衣子と明衣子ちゃんはお出かけしていてここにはいない。
だからこそできることでもあったけど、自分の感情を優先しないとか考えた後にしたのは本当に矛盾していると思う。
「こっちに来なさい」
「うん、あ」
「ごめん、なんか複雑な気分になっててね」
いやまあ、彼女にとって芽衣子は友達ではないんだから仕方がないことだ。
しかも一泊して帰宅、ということでもないからこうなっても無理はない。
巻き込んでしまったことを謝罪しておいた。
「違うの、もう芽衣子とのことはどうでもいいのよ」
「え、じゃあどうして? 明衣子ちゃんと喧嘩したということはないだろうし……」
「詳しくは言わないけど、あんたが関係しているのよ?」
「私? 私にできることならなんでもするよ?」
なんて言うべきではなかったとすぐに後悔した。
だって実際は肩を揉んだりとかしかできないから。
後でなんでもするって言ったのにと文句を言われるところしか想像できない。
「あんたはこうして近くにいてくれればいいの」
「秋葉はちゃんといてくれる? テスト週間とかは全く一緒にいてくれなかったよ」
「ちゃんといるから安心しなさい」
「じゃあ向こうへ帰ってからも――」
全部言い切る前に帰ってきた芽衣子によって幸せな時間は終わりとなった。
なんなら明衣子ちゃんも秋葉に対して警戒気味だから何故なのかと困惑する。
それからダブルめいこ組は私の両手を握って距離を作った。
「あのさあ、泊まりに来ているんだからふたりだけの世界を構築しないでくれる?」
「ふたりだけで出かけていたあんたが言っても説得力ないでしょ」
明衣子ちゃんからではなく芽衣子から誘ったわけだから面白い話だった。
だけどこれで連絡先を交換するなりして仲良くなってくれればと偉そうに考えてみたりもした。
さすがに何度もカッターで切りつけられるのは嫌だからだ。
それにこのふたりであれば私よりも上手くやれるだろうから、というのもある。
「いつも秋葉先輩は春先輩を独占しますよね」
「それはどこの私よ、まあ、これからは本人と約束したのもあって変わるけどさ」
そうなることを願っている。
もう少し前までの自分とは違うから、すぐに寂しくなってしまうから彼女には頑張ってほしかった。
お前が頑張れよと言われそうだからもちろん自分からも動くものの、私をその気にさせたことを後悔してももう遅いという話だ。
「春、今日でまた会えなくなるから付き合ってよ」
「分かった」
今回はふたりだけで出てきた。
この土地に慣れている芽衣子とすぐにこうしておくべきだったか。
「明衣子ちゃんはいい子だね」
「うん」
「なんか春の友達らしいって感じがする」
「違うよ、明衣子ちゃんが優しいだけだよ」
私があそこでご飯を食べていなければ関わることもなかった。
あの子が自分から来てくれなければ私はいまでもひとりだっただろう。
秋葉とここまで関わることもなかったし、多分、彼女とこうしてまた会うようなこともなかったと思う。
小さなきっかけひとつで簡単に変わってしまうということが最近のことでよく分かったことになる。
「芽衣子、今回はありがとね」
「いや、寧ろ来てくれてありがとう」
「秋葉もきっと話せて喜んでいると思うよ」
「それはないでしょ、……嫌いではないけどさ」
帰ったらどういう風に変わっていくんだろう。
それともやっぱり、いまだからこそ秋葉はああいう感じでいてくれているのかな?
家に遊びに来てくれたりとか、三人、もしくはふたりで遊びに行くこととかもあったらいいけど……。
「今度からはやっぱりあたしが行く、良人さんとも話したいから」
「分かった」
「あと、明衣子ちゃんともまた会いたいからね」
人といることが好きな子だから意外とかそういう風には感じなかった。
ある程度のところまで見て回って、ふたりで彼女のお家まで戻ってきた。
鍵を開けてもらおうとしたら背後から抱きしめられて少し固まったものの、その手に触れたら静かにやめて鍵を開けてくれた。
「芽衣子、一緒にお昼ご飯を作ろ」
「うん」
夜ご飯は食べないで帰るつもりだから豪華なお昼ご飯にしたかった。
もっとも、使える食材は限られているからそこまで多いというわけではなかったけど、みんなと食べられたらそんなことは全く気にならなかった。
「じゃあね」
「うん、またね」
別れの時間というのはあっという間にやってきた。
寂しそうな顔をしているようなことはない。
秋葉なんて「やっと帰れるわ」なんて言って違う方を見ている。
いつまでもお見合いをしている場合ではないから再度挨拶をしてホームへ。
乗り物に乗って席に座れた瞬間にほっとした。
やはり公共交通機関を利用することが少ないからこその弊害だと思う。
明衣子ちゃんは少しお別れの時間まではしゃいでいたのもあって、結構すぐのところで寝始めてしまったぐらいだった。
「春」
「なにか見えた?」
「違うわ、ただあんたの名前を呼びたかったの」
「はは、私ならいつでも反応するよ」
窓際というわけではなくても気まずいとかそういうこともない。
何気に握られている手に意識が向かう。
私がすぐに落ち着けたのは明衣子ちゃんが寝てしまったからなのもあるし、こうして彼女が手を握ってくれているからというのもある。
「中途半端なことをしていてごめん」
「中途半端?」
「ほら、行ったり行かなくなったりしていたことよ」
「ああ」
あれは友達としてカウントしていいのかどうかも分からなくなってくるからはっきりとしてほしいのは確かだった。
だから大丈夫だよとか気にしないでとかそんなことは言わない。
だってもういまの私はああいうことはやめてほしいと考えてしまっているから。
説得力がないし、多分だけどそういうのは鋭い彼女には見破られてしまう。
「秋葉、今日はこのまま別れたくない」
「え、さらに泊まれって?」
「ごめん、だけど一緒にいたいんだよ」
彼女なら聞いてくれると期待してしまっている。
期待もするなとあのとき考えたくせにこれだから笑えてくるけど、自分に正直に生きようと決めたから行動できて偉いと褒めたい気分だった。
きっと明衣子ちゃんは帰ってしまうから、というのもある。
というか、これだけ家にいなかったらご両親としては帰ってきてほしいだろうし、無理だと言われたら大人しく引くつもりだから安心してほしい。
いつもみたいにはっきりと言ってくれればそれでよかった。
「ちょっと寝るわ」
「うん、着いたら起こすよ」
席を変わってくれたから目線のやり場に困るとかそういうことはなかった。
行きと違ってすぐに着いてしまって少し寂しくなったぐらいだ。
で、当たり前なんだけど話をしてみても帰りたいということだったから明衣子ちゃんを送ってきた形になる。
「ごめん、今日はもう帰るわ」
「そっか、じゃあ送るよ」
「馬鹿、あんたは暗いところが苦手でしょうが」
「嫌だ、それでも絶対に送る」
「はぁ、なにをそんなにこだわっているんだか……」
遠いことも、帰るときに後悔することも分かっているけど、それでもしなければならないことがあった。
もしかしたら夏休みに一緒にいられるのは今日が最後かもしれないから。
だったら一秒でも長くしようとするのが普通ではないだろうか?
「あんなことを言った後でこれだと説得力がないわよね」
「お母さんとお父さんが大好きなんでしょ?」
それなら帰りたいと思うのが普通だ。
一泊であったとしても彼女は間違いなくこうしていた。
責められるようなことではないし、そんなことで責めるようなクソでもないから勘違いしないでほしい。
もしそういう人間だと認識されているのであればその方が悲しかった。
「着いたわね」
「今回は付き合ってくれてありがとう、楽しかった」
いまからある意味私にとっての戦いが始まる。
慣れない乗り物に乗るまでの時間よりもよっぽど怖いぐらいだった。
それでも後悔はしていない、最後まで敵からあの子を守ることができたからいい。
「ひぇー――ぐえ!?」
走っていたときに持っていた物を引っ張られて冗談抜きでおしっこが漏れそうになったものの、すぐに「待って」と聞こえてきたからなんとか耐えられた。
「ぐ、ぐるじ……」
「あ、ごめん……」
頑張ってお家まで送ったのにこれでは正直意味がない。
なにか言い忘れたということなら怒ったとき特有の大声で言ってくれればよかったのにと考えてしまう。
彼女はバッグから手を離して当然のように手を握ってきた。
私としては彼女が現れたことで怖さはなくなったけど、結局帰らなければならなくなったときに寂しくなりそうなことを想像して微妙な気分に。
「やっぱり行くわ、その際は話をしてからだけど」
「いいの?」
「うん、このままだとやっぱり説得力がないから」
それなら私も参加させてもらうことにした。
なにもかもをはっきりと吐いてしまったらすっきりできたけど、多分、彼女のご両親からしたらいきなりやって来てなんだ? となったと思う。
でも、こういうことが増えているいまとなっては必要なことだったのだ。
「そこまでなの?」
「うん、秋葉だからこそいいんだよ」
普段はいてくれなくても大事なときはいてくれるからありがたい。
しかもそのときには私にとってほしい言葉を投げかけてくれるから。
私がはっきりしたかっただけだから仮にこれ以上なにもなくても構わなかった。
「ただいま」
「お邪魔します」
彼女には先に部屋に行ってもらった。
リビングに移動したら兄が休んでいたから挨拶をした。
「また秋葉を連れてきたのか?」
「今回は秋葉の意思で来てくれたから」
「独占してないで連れてきてくれよ」
「はは、分かった」
床に座って休んでいた彼女に謝罪をし、一階まで付いてきてもらうことに。
兄は全く気にせずジュースを飲め、付き合ってくれと頼んでいたので、私は少し遠くからそれを見ていることにした。
「芽衣子と喧嘩にならなかったか?」
「ずっと微妙な感じでした」
「はは、まあ、いきなり仲良くは無理だよな」
「でも、無難にやり過ごすということはできましたよ」
確かに、それにどちらかと言えば明衣子ちゃんとの方が微妙だったぐらいだ。
お出かけしたのも彼女が関係しているはず。
どちらかと言えば私と話しているときよりも多かったのに最終日は特にそうだったから察する能力が低い私でも分かったものだ。
「芽衣子といるぐらいなら明衣子といた方がいいですし、なんなら良人さんといられる方がいいですね」
「紛らわしいな」
「でも、全く人間性が違いますからね」
しっかりしているという点ではよく似ている。
家事も私と違って上手くできるみたいだし、なんであそこまで暴走する必要があったのかといまでも気になっているぐらいだ。
だって絶対にひとりでいるなんてありえないから。
誰だろうと結局はどこかで他者と関わることになるからだ。
「で、春は?」
「春はあのふたりと違って騒がしい女ですからね」
「普通、騒がしいだけの人間とはいようとしないだろ?」
「……ま、ここに来ている時点で分かってほしいですね」
「ははは、ちょっと素直さが足りないなー」
代弁してもらっているわけではないことをちゃんと言っておいた。
兄は昔からこういうところがあるからそういう人なんだと認識してほしい。
特になにか考えがあってそうしているわけではないから考えたところで無駄というか、疲れるだけだからやめた方がいいとしか言いようがない。
「さっきなんて私の両親に挨拶をしてきましたからね」
「えっ、そこまでなのかっ?」
「ま、春はそのつもりみたいですね」
「なるほど、結局はお互いが好きかどうかだからな」
ふたりがじっと見てきたからにこりと笑っておく。
見られたところで、近くにいてくれたところで私にできるのはこういうことだけ。
もう少しぐらいはなにかあってほしいけど、前にも出たように頑張って動こうとしたところで空回りするだけだから難しい。
「なに間抜けな顔してんの」
「私、相手をすることぐらいしかできないや」
「別に特別なことを求めているわけじゃないしね」
そうか、それなら自分らしく存在しておこう。
楽しめなくなったら意味がないからそれでいい。
「だからそんな顔すんな」
「うん」
溝蒋さんとだって上手く仲良くしていこう。
そうすれば自然と彼女ともいられるような気がするから。
また、今回のことで助けてもらったからなにか返したいというのもあった。
「言った通り、ちゃんと行くから」
「ありがとう」
また抱きしめてくれたから抱きしめ返しておいた。
ちょっと疲れてしまったからもう寝るために部屋に移動する。
すぐに付いてきてくれたからまた同じように抱きしめながら寝たのだった。
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