第46話 暴食の罪
ハイドとアマネは、魔王城の地下にある隠し通路を足早に進んでいる。
「すごいな、さきほどの薬は。味こそひどいものだった。しかし、ひどかった外傷が完治までしている」
アマネは手の握りを何度も確かめている。顔は生気に満ちていた。ハイドが口移しで飲ませたエリクシールは、アマネを最高の状態にまで癒していた。
「エルフが誇る霊薬とでも言っておこうか。貴重な品だが、出し惜しみはしない」
「ハイドはいったい、なんど私の命を救ってくれるのだ。それはあと、何回残っている?」
「さあな。アマネが戦い続ける限り、そういった機会はあるだろうよ」
ハイドはまじめな顔をするアマネを茶化す。アマネはすぐに唇をつきだし、すねた顔をした。薄暗い通路を警戒しながら進むハイドの背中を見ているアマネは、ハイドのタクティカルベストを人差し指でつついた。
なによりも安心感を与える背中に、アマネは心の堰を緩めた。
「こんなときに、すまない。歩きながらでいい。聞いてくれ」
ハイドは足を緩めることなく、頷いた。
「……一度だけ。この戦いが終わったら、一度だけ助力を請わせてほしい。それが終われば……なんでもする」
「珍しいな」
「私にも、失いたくないものがある。ぜったいに、失いたくないんだ。だから、ハイドの力を貸してほしい。私の全てを引き換えに、悪魔と契約できるのならば、私は喜んで契約しよう」
ハイドの背後にあるものを、アマネはただしく見つめていた。清濁併せ呑む覚悟はあると、紫色の瞳が雄弁に話す。真剣なアマネに対して、ハイドは一度立ち止まろうとしたときだった。通路が途切れ、ふと明かりが見えた。近づくにつれ、ハイドの鼻にはイヤな臭いがした。人が焼かれたときの匂いと、腐ったような臭いが混ざり合っているなかで、香辛料の香りまでしていた。
アマネに対して手のひらを見せながら、ハイドは足音を消して進む。アマネはハイドよりもゆっくりとした動作で極力物音を立てないように進んでいた。ハイドとの距離が三人分ほどになったとき、ハイドは急に駆け出した。
「おいっ!?」
「……見るな、アマネ」
ハイドの背中を追うことを、アマネはためらった。三秒だけ足を止めた。暗い室内でハイドがなにを見たかはわからなかった。意を決して、アマネは室内に飛び込んだ。
窓の閉め切られた部屋だった。室内には、アマネのみたことのあるテーブルがある。薄い鉄板が張られ、四肢を拘束できる鎖のついたテーブルがあり、大きな肉斬り包丁が壁にかけられていた。黒く変色しこびりついた床のよごれを激しく擦った跡があり、それでも取れなかったようだ。調理用のオーブンやフライパン、鍋を見つけた途端に、アマネは寒気がした。
「……まさか」
わななく唇を両手で押さえ、腕を撫でていないとアマネは気が落ち着かなかった。
「たすけてっ……助けて」
声に誘われたハイドが扉をこじあけ、監禁されていた女性のもとへたどり着いたとき、アマネは子供がいるのだと思った。しかし、違った。身長が低い女の子ではなかった。
「……殺して。もう、殺してよっ。殺して、殺して、殺してッ。食べられるのはイヤ。食べられるまで、生かされるのは、もういや。いや、いやーーーーーーーッ」
発狂した甲高い声が、アマネの頭のなかで永遠に響きわたる。
ハイドが抱きかかえ、慰める女性はアマネと年の近い女性だった。白い肌で、こげ茶色の髪を肩口に切りそろえていた。
女性には、両腕と片脚がなかった。
「落ち着いて話せるか? どこから来た?」
ハイドはゆっくりとした口調で話した。「自分がだれだかわかるか?」「ここがどこだか、知っているか?」「名前を教えてくれ」なにかを確認しようとしていた。
「……いや。ぐすっ、もういや。食べられる……目の前で、わたしの脚。アアーッ」
うつろげな表情を、マスクのように顔に張り付かせた女は狂っていた。
ハイドは「なにがあった?」とは聞かなかった。
ここは、人間をおいしく食べる場所。と殺する設備、調理するための大型のキッチンが一緒になった部屋で、檻に入れられた女が、どのようにして腕や足を失ったかなど、聞かなくてもわかっていた。
ハイドが頭を振り回す女の頬を強引に両手でつかみ、目を見つめた。
「選べ。死ぬか、生きるか。どちらがいい」
うなり、言葉にならない声をあげ続ける女性に、ハイドは真剣に問いかけた。なんども聞くと、女はようやく一言だけつぶやいた。
「殺して」
「わかった」
ハイドは快諾した。
女は、ようやく色の失った目を閉じた。
『マスター、こっちで預かる。さきに進んで』
ハイドは、目の前の女を力強く抱きしめた。血の匂いも、屈辱も、抱きしめ返せない悔しさも、すべてを受け止めた。
ふっと、重さが失われた。ハイドはひとりになる。抱きしめていた女性は、天使が連れていった。
手を差し伸べることもできず、立ちつくすことしかできなかったアマネは、かすれた声を出す。
「……ハイド、いったい」
「俺が殺した。それだけだ」
ハイドは数秒だけ立ち止まると、すぐに何事もなかったような自然な動作でアマネに答えた。薄気味悪い部屋の出入り口で、ハイドは足を止めて引き返す。
アマネに向かって手を差し出すハイドの目は冷たかった。
ハイドはアマネに対してさきほどの返事をする。アマネに対して手を貸すことはハイドにとって、快く返事ができるものだった。しかし、アマネにとってハイドはどう映るのだろうか。
「こんな手でもいいのなら、いくらでも貸そう」
決してきれいではないハイドの手。それでもアマネは、ためらわずに手をとった。
「……私にはハイドが必要なんだ」
「了解した。いつでも呼んでくれ」
「地獄に堕ちて、罪を清算するときに半分もらってやろうではないか」
「では、生きている限りは助けよう」
「契約成立だな」
ハイドは結んだ手を離すと、アマネの背中を押した。振り返らずに進めと、アマネに伝えていた。
まだ表情を曇らせるアマネに、ハイドは優しい声をかける。
「もうすぐ暴食の魔王がいる。剣で語り、ぶつけてやれ」
「……ああ!」
アマネは自分の無力さも、魔王に対する怒りもすべてを胸の内に深く深くしまい込んだ。踏み出す一歩は力強く、ハイドと肩を並べていた。
部屋のすぐそばにあった狭い階段をふたりは昇る。
「ゆくぞ、暴食の魔王」
アマネは瞳を熱く燃やしながら、刀の柄に手をかける。ハイドも戦闘の前に残りの銃弾の数を確認した。ベルトに刺したまま、ここまでなにがあっても使わなかった短剣に指先を触れて、存在をたしかめた。
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