第47話 暴食の魔王
「……ちゃんと強えじゃねえか」
ローエンは、両手剣を構えながら肩を上下させる。対する暴食の魔王は、外套や鎧こそ傷つきボロボロになっているが、呼吸は落ち着き余力を残していた。
ダンジョンコアを失い弱体化したはずの魔王。強さは衰えたとはいえ、ローエンとライア、キキョウを相手に正面から打ち破る力は本物だった。
すでに立っているのはローエンのみ。ライアとキキョウは倒れている。ライアは重い一撃をくらい、壁に叩きつけられた。キキョウは、魔王の剣を結界で受け止めようとして、結界ごと斬られた。肩に剣が入り、戦える状態ではなかった。意識のあるキキョウは、浅い呼吸を繰り返しながらも、戦いの行方を見ようとしている。
「……お前の、正面からぶつかってくる姿勢と、あきらめぬ熱意には恐れいる」
ネブリオが終わりかけた戦いのなかで覚えた礼節と感謝を言葉にしていた。
バカ正直なほど真っすぐで、決してあきらめぬ炎の勇者と剣を交わし、素直に賞賛し「このような男がいるのか」と友情にも尊敬にも似た感情を覚えていた。ふたりが出会ったのは戦場であり、友にはなれそうになかった。だからこそ「ご馳走さま」と最大限の感謝を伝えていた。
「っは! ありがたいね。魔王に褒められるとは」
「肉を食って出直してこいと言いたいところだが、許せ勇者よ。ここまでだ」
ひとりになっても最後まで戦い続けたローエンに敬意を払い、暴食の魔王は魔剣を上段に構えた。もはや剣を掲げて踏みとどまることさえふらつかせるローエンは、その場で一歩を踏みしめる。
「オレは、まだやれるぜ。ネブリオを倒してよ、取り戻してえ男がいるんだ。そいつとなら、なんでもできるんだよ。いつだって、いつまででもガキのときのよ、無敵状態になれるんだよ」
ローエンの目は死なない。傷つき、泥にまみれてなお輝く炎を浮かべて魔王を威圧する。
「オレみてえな田舎の鍛冶屋見習いしてたガキがよ、こんだけ頑張らなきゃいけねえ世の中ってなんだろうって、たまに笑っちまうけどよ。オレが今日頑張って、明日だれかが悲しまない世の中になってくれるなら、それでいいんだ。便利なボランティアで結構。だれかを助けても、迷惑がられたりイヤがられたりすることなんて当然。うまく結果が伴わないけどよ、だれかが困ってんなら、世界で一番危険な場所にだって飛び込んでやるぜ」
ローエンのまとう紅の外套が輝き、炎をローエンに渡していく。炎を受けたローエンは活力に変えて、剣に力を込める。不死鳥の外套から得られる活力で、前人未踏を邁進する勇者は魔王を見据える。
「やべえとき、死にそうなときこそ、オレを支えてくれる相棒がいる。相棒がいるからオレは安心して、バカやって、おせっかいやって笑ってられんだよ。燃えあがって仕方ねえんだ。限界を超えるスリルがたまんねえんだ。明日が楽しみでたまんねんだよ!」
自分に言い聞かせながらも、ローエンは気力だけで剣を振れるまでに回復した。魔王は信じられない勇者のしぶとさに脱帽した。
「相棒がだれだかは知らん。もう、だれも来ぬ。……ここにいる魔王は、オレだけではない。もうひとり存在する。いまごろ、城内も制圧されている手筈だ。あきらめろ。引導は渡してやろう」
「相手の言うことは信じるなって言われてんだ。けど、ウソっぽくねえんだよな。やめだ、やめやめ。バカが考えてもしかたねえ。何度でもいくぜ、ネブリオッ」
ローエンは両手剣を回転させ握りなおし、左手一本で魔王に向けてから、中段で構えた。
「気力だけで差は覆せまい。認めよう、お前は強い。だからこそ、最後の一撃になろうと手を抜く気はない。慈悲も与えん。次で、殺す。今日の晩餐はコロッケをたらふく食うことにしよう」
「もしそうならよ、デザートにいちごのパイを忘れんじゃねえぞ」
「……必ず」
勇者と魔王は、互いに口を開くことをやめた。
ローエンは余裕な表情で、ボロボロの体を引きずっていた。
ネブリオは余力を残した身体で、相手を倒す決断をするために精神を摩耗させていた。
戦場で邂逅した男と男の勝負。
譲れぬふたりにも勝敗は訪れる。
風前の灯火でさえも、派手に燃えあがろうとするローエン。しかし、余力のある魔王と比べ、どちらがさきに倒れるのかは、火を見るよりも明らかだった。
暴食の魔王が、最後の一撃を真剣な目つきでローエンを見つめながら、じりじりと間合いを詰める。剣を寝かせ、受けようとするローエンに対して一撃目で剣を弾き、返す剣でトドメを刺そうと考える。
暴食の魔王の剣が振り下ろされた。
――ガンッ
ローエンの両手剣の柄に近い部分にあたり、腕が弾かれると、大きく身体をさらしてしまう。魔王は振り下ろした勢いを利用し、再び大剣をふりかぶる。よどみない動作で、無防備なローエンの胸にめがけて、最後の一撃を落とした。
――ザンッ
ローエンの鼻先を斬撃が飛びぬけた。
魔王の右腕がついたまま、魔剣が地面を転がった。
「うおおおおおおおおおおおおお」
魔王は失った腕を左腕で押さえながら、叫び声をあげた。
「はああッ」
わけもわからぬまローエンは、うまれた魔王の隙に剣を横なぎに振るう。魔王はすぐさま反応し、体を半歩ひねり下がった。
魔王が睨むさきは、玉座の後ろだった。
玉座を切断し、魔王の腕を弾き飛ばした人物が暗がりから姿を見せた。大きく切断面を残した壁の奥から現れ、斬り崩れた玉座の椅子を横目に走ってくる。
その姿を見つけた途端、魔王が叫んだ。
「アマネエエエエエエエエエエエエエエッ」
「キサマだけは殺してやる」
いざ魔王を前にしたアマネは、殺されかけた自分よりも魔王に食われた少女の怒りをもっとも前面に出す。感情を昂らせる頭を冷静にし、冴え渡る刃を魔王に向ける。
ローエンが地面に転がる魔王の剣と腕を、遠くへ蹴り飛ばした。
「わりいが、勝たせてもらうぜ。ネブリオに勝つのは、オレじゃなくていいんだ。だって、勇者って三人もいるんだぜ?」
「ローエン、そいつに気を許すな。……奥でそいつに食われた少女を見つけた。腕も脚も、食われた後だった」
「……なんだと。オイ、ネブリオの言う肉ってよ、まさか」
「ああ、そうだよ! 俺が食ってきたのは人間の肉だよッ。女の肉が一番うまいんだッ。貴様ら人間は食われると聞いて、はじめてゾッと恐怖するらしいな!? 家畜共がッ。繁殖力の強く、成長のはやい個体になるまで、俺が徹底的に管理して生み出してやる。食うまでに十年も待てない。知能もいらず、ただ食われるために生物として適するまで、改良してやる。人間の女をさらって食うのでは、足りねえーーーッッ」
「クズめがッ」
アマネが刃を下げながら駆けると、魔王はすぐさま腕を生やした。メリメリと音を立てながら腕を生み出すさまを見たローエンは、目を背けそうになる。
――人の皮をかぶった人外
魔王とはいえ言葉を話し、意思も心もあった。
一時とはいえ、多少わかりあえたつもりだったローエンは絶句した。
ネブリオは腰から刃渡り八十センチほどの直刀を抜き、アマネの刀を受け流しつつローエンに近づいた。鎧が剥がれ、腕がむき出しになった右腕をローエンに伸ばすと、肩を掴み強引にアマネに投げつけた。
「ぐっ」
「すまねえ!」
ローエンをぶつけられたアマネは、膝を地面につきローエンの体を受け止めた後、地面に転がした。すぐに刀を握り直し魔王に近づくも、すでに魔王は落とした魔剣を拾おうと走りながら手を伸ばしていた。
「ナマで、生きたまま食ってやるぞ、アマネエエエ。俺の力になれーーーッ」
剣を掴もうとしながら奇声をあげる魔王に追いつけないアマネは苦々しく唇を嚙みしめる。
ローエンはショックを受けていた。すぐに顔を横に振り、限界を超えた体に鞭を入れる。
「ここで立たなきゃ、勇者じゃねえ!」
ローエンの見つめる先で、魔王は再び剣を握ろうとする。
魔王が剣に指先が触れた瞬間、くの字に身体を曲げた。
――ドンッ
重く、にぶい音が響いた。
「不死殺し、お返しする」
暗殺者は魔王の腹に短剣を突き刺した。ゴーストリングをはめ透明状態で潜伏し、一撃を与える機会を待ち続けていた。アマネと共に侵入し、魔剣近くで息を潜めていた暗殺者が、魔王を阻む。
勢いを利用され、無防備な体にカウンターを食らった魔王は、衝撃を受け地面に倒れ込む。
魔王の腹に、不気味な短剣が突き刺さっていた。オブジェのように突き出た銅色の短剣の柄。その剣は、魔剣だった。
〝不死殺し〟
かつてハイドが刺された魔剣。生きている限りの苦痛を与え、決して抜けず、抜こうとする者すらをも殺す魔剣が、魔王に刺さる。
「ウオオオオオアアアアアアアアアア」
発狂し痙攣する魔王は膝を尽きながらもがき苦しみ、空間失調に陥ったかのように暴れまわりながら頭を地面にぶつけていた。
アマネはその光景に見覚えがあった。かつてハイドに刺された剣を、ハイドが刺し返したのだと気がつくと、肩から力が抜けた。倒れる魔王の息の根を止めるために足が勝手に動き出す。
――ハイドが、来いと手招きしてくれているよう
アマネは剣を肩にかつぐように構えながら、一歩の踏み込みを深く力強いものにしていく。
暴食の魔王が膝立ちをしながら、刺された剣を抜こうと腕を動かす。ドス黒い炎が溢れ、暴食の魔王の体を焼き始めた。
絶叫し、暴れまわる魔王。
「白桜流剣術 散桜の型」
剣の勇者は、流麗な構えで魔王を討つ。
「〝桜ふぶき〟」
青色の刀が空を舞う。
幾重にも重なる軌跡は、空を舞う桜がごとく縦横無尽に届き渡る。魔王の右上から降り注ぐ青い桜のふぶきは、左下へと流れ落ちる。刃の剣閃は、美しいきらめきを残して、無残にも斬りつくしていった。
――キンッ
剣の勇者に斬れぬ物なし。
〝不死殺し〟の魔剣さえも巻き込んで、アマネはすべてを切断した。
倒れる魔王の体に、生気はなかった。倒れた体がボコボコと修復されようとするも、形を整えたところで修復が終わる。暴食の魔王の体からは、命の輝きが零れ落ちていった。オレンジ色の光とドス黒い血が漏れ出し、絨毯に染みをつくっていった。
魔王は虚ろな目で、天を見ていた。
「……腹が、減った」
声にならぬ声で魔王が残す、心の渇き。魔王の欲にして、決して満たされぬことのない罪でもあった。
慈悲の一撃を落とそうとしていたアマネを止めたのは、ローエンだった。ボロボロの体で、友に呼びかけるように話す。
「よお、ネブリオ。いま、なに食べたい?」
「……コロッケ、か。……ふっ」
魔王は笑いながら目を伏せる。
「必ず、食べるよ。腹いっぱいな」
「……はじめて……満たされた」
どうにか声を出すネブリオ。暴食の魔王は、二度と口を動かすことはなかった。
ローエンが頷くと、ようやくアマネは刀を鞘に納めた。
「お嬢さま! お見事です!」
「ダンナ、ダンナーーーッ」
透明なままのハイドに起こされたキキョウとライアが、アマネとローエンに駆け寄った。
「ようやく、倒せた……か」
「……オレはもうムリだ。剣が重いぜ」
「ローエン、ハイドの件では意見を違えた。すまない。ローエンが正しかった。……ハイドに、会えたよ」
アマネはローエンに対して、真摯に謝った。
「こうして助けにきてくれたことも、感謝する。重ね重ね、私の落ち度だ。申し訳ない。そして、助かった。ライア殿をはじめ冒険者のかたがたへも、ひとりひとり会わせていただきたい」
ライアは背を伸ばし、首を縦に三回も頷いていた。
「アマネ、帰ってからにしよう。オレたちは帰れる。だろう?」
「ふふっ、ちがいない」
ふたりの勇者と、ふたりの仲間がようやく勝ち取った勝利に安堵していた。栄光を手にした者たちに背を向けた暗殺者がつぶやく。
「シルフィア、全員をグランガルドの広場へ」
『うん。すぐに』
天使はすぐに移動を開始する。
城内で戦っている者から順番に、グランガルドへ転移させていった。千人に近い人数の撤退は、五分もかからない素早さで行われる。
撤退したなかには、ルイもいた。地下で剣の魔王と戦っているさなか「おーわり」とあっさりと切り上げていく。剣の魔王は、最後まで正体にたどり着けず、時間を使わされていた。苦い顔をしながら、魔王は剣を一振りした裂け目に入り、消えていく。
最後まで防衛に回っていたミーナは、敵を一階まで押し込んでいた。陣をつくり、魔物から勇者が戦うフロアを守りきっていた。グランガルドの広場につくと「やー! つかれたねーっ」と息をつく。汗だくになりながらも、最後まで明るく戦い続けた彼女は、多くの冒険者を支え、最多キルのレコードを更新し続けた。ミーナひとりで、戦争のキルレシオを大きく変えていた。
魔王を倒した玉座の間では、ローエンが急によろめいて、前向きに足をもつれさせた。
「へへっ」
なぜか嬉しそうにするローエンに、ほかの三人は首をかしげていた。
ローエンだけは、ハイドが背中を叩いたのだと気づいていた。
「おっ?」
ライアが体に違和感を感じると、すぐに姿が消える。キキョウとアマネ、そしてローエンもグランガルドへ戻った。
戦場の跡地には、魔王の死体とハイドだけが残っていた。
『撤退、完了したよ』
「ありがとう」
見届けたハイドも、帰ろうとしたときだった。
――ヴーンッ
ハイドのすぐそばで、魔方陣が現れる。青色の魔方陣を見て、ハイドは気づいた。自分の持っているダンジョンのポータルと同じ色をしている。魔方陣から姿を見せる、ひとりの女性。長い髪を揺らし、眼帯をつけた女魔王だった。
「戦鬼の魔王か」
「しかと見届けた。魔王を討たれた以上、手放しで喜びはできぬ立場。……されど、美しいものであった」
透明なハイドをみやぶる戦鬼の魔王は、ハイドを正しく見つめる。
「彼の体だけは、預からせてもらおう」
「構わない。みせしめに首を斬ることはしない」
戦鬼の魔王は、丁重に暴食の魔王の体を魔方陣で包んで、どこかへ連れて行く。
「かたじけない、アサシン。……いつか、我の首もとりにくるか?」
「倒さなくてはいけない理由があれば、排除するだけだ」
魔王は独眼を鋭く、顔を歪ませた。
「カッカッカ。じつに、楽しみである」
戦鬼の魔王は、ハイドの胸ポケットに一枚のチケットを渡してくる。ハイドは、そんな約束もあったと思い出しながら、ポケットの奥にしまいこんだ。
ハイドはシルフィアに向けて帰還のサインを出そうとした。
「ではな、アサシン。……よい夜を」
言葉に含みをもたせた戦鬼の魔王は、ハイドを前に一切警戒せず、カラッと笑って見せる。警戒を怠らないハイドは、戦鬼の魔王に手のひらを挙げてみせた。この武人は、正々堂々とした戦いを好むのだろう。それでも、自分のような暗殺者を認めている姿勢は、嫌いではなかった。
「ではな、ポンコツ。……そういえば」
ハイドは思い出したような仕草で戦鬼の魔王に近づく。魔王は「んん?」と声をあげながらも、心を許していた。ハイドは大胆に戦鬼の魔王と肩を組み、細いウェストについたポーチをまさぐるとポーションを取り出し、一気に飲み干した。空になった瓶だけを、腰のポーチに戻した。
「……ふう。いい品だ」
「ぬおおおおおっ!? 補充したばかりの我のポーション!?」
叫ぶ魔王を横目に、ハイドは帰還のサインを出す。戦鬼の魔王に親指を立てながら、すっと消えていった。
「せめて感謝ぐらいせよーーーーーっ!!」
戦場跡では、戦鬼の魔王によるむなしい叫び声だけが響いた。
光あふれるグランガルドで、冒険者たちが大騒ぎ。
炎の勇者が聖女を抱きしめ、聖女は涙を流して笑う。
そんな光景を、だれもが笑顔で見つめている。
ハイドが戻ったのは、薄暗い魔王城だった。
ホームに戻ったハイドは、ようやくゴーストリングを外し、透明化を解いた。
そこで言う言葉に、ハイド自身も驚いた。しかし、これ以上ないほどにしっくりきた。
「ただいま」
魔王城のエントランスで、ハイドを待っていたふたりがすぐに返事をする。狼の獣人と天使のメイドは揃って口にする。
「おかえりっ、おにーさん」
「おかえりなさいませ、マスター」
それぞれの戦いを終えた三人は、ようやく顔を合わせる。
「おにーさん、なでなでしてーっ」
「……抱きしめてほしいな」
ハイドは「疲れた」と喉まで出かけていた言葉を飲み込むと、ふたりを抱きしめて撫でまわした。
この瞬間のために、なんどでも生死の狭間を超えられそうだった。
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