第27話 すれ違い
ハイドは地面に倒れ込み、身体を大きく痙攣させていた。
――スタッ
土の地面をローファーで踏む音がする。魔王城でいてもたってもいられなかったメイドは、ハイドの側で地面に膝をついた。
メイドはハイドになにかあったとき、すぐに対応するためにも四六時中ハイドを監視しているクセがあった。こういう場合もメイドの想定にはあり、すぐに救命行為に入る手はずもあった。しかし、状況はよくない。
強力な呪いの込められた魔剣の処理には慎重になっていた。
はやく剣を抜かなければ、あまりの痛みに気が狂う可能性もある。しかし、ひとたび抜けば、自分もただではすまない。
シルフィアは、自分の身よりもハイドを優先した。自分の命よりも、ハイドが大事だった。
「ごめんね、ごめんね。痛いね、待ってね。助けるよ」
ハイドの様子をみて涙を流し、ハイドの腹に深々と刺さっている気味の悪いナイフを掴み、引き抜こうとした。
――バチバチッ、ジュオオオオ
指先が触れるだけで弾かれるような痛みがあり、シルフィアは苦悶の表情を浮かべた。それでも気丈にナイフの柄を右手で掴むと、どす黒い炎があふれ出てくる。炎は意思を持ち、シルフィアの腕にからみつき、身体へとのぼろうとしていた。
「……く、あっ」
シルフィアはナイフを離してしまう。
二秒も触ると、シルフィアの右腕は焼けただれ変色していた。右手の指先はドス黒くなり、まだ炎がくすぶっていた。
「第六圏の炎? ううん、ディーテに似てるかも。……消えろ」
シルフィアは背から漆黒の翼を生やした。途端に、右手でくすぶる生物のような炎は消え、ハイドのうめき声が収まる。
「……許せない」
目のふちに涙を溜めたまま、黒い翼の天使はハイドの頬に触れると、口付けを交わした。
「……シルフィアか」
「大丈夫だよ、だいじょうぶ。いま、呪いをね、すこしずつ弱めてる。もうすこし、もうすこし、待ってね」
「すまん。しくじった」
「……ううん。やり直そう。なんどでも」
天使はハイドの頭をやさしく地面に横たわらせると、もう一度ナイフを抜くために屈んだ。右手の感覚を失ってはいるが、まだ握れることをたしかめて天使は健気にも、もう一度、魔剣が定めたルールに逆らう。
ハイドの出血が多くなり、じわりじわりと命がこぼれていた。
天使はハイドのとなりにかしずくと、右手を〝不死殺し〟の魔剣へと伸ばした。
自らの痛みをいとわない献身が成せる行為だった。
シルフィアの痛々しい手が〝不死殺し〟へとふれる。その瞬間だった。
――スパッ
「……えっ?」
なにかの音がした。それでも、なにも起こらなかった。
シルフィアは、なにもできなかった。
〝不死殺し〟の魔剣を掴もうとする。それが、できない。
まるで、手首から先が別の生き物になってしまったかのように、言うことを聞かなかった。
――トスッ
ぽとり。
首から落ちるツバキの花のよう。
シルフィアの手首からさきが、落ちた。
「どけ。ハイドから離れろッ」
ひと払いの結界を破り、突入してきたのは〝剣の勇者〟アマネ。
路地の先で剣を抜刀しながら、目を血走らせて駆けてくる。
瞬く間にシルフィアとの距離を詰めると、袈裟切り、逆の袈裟切りと素早く二連の斬撃を放った。
シルフィアは地面を蹴り、翼を大きく広げて後退しハイドから離された。
アマネは視界の端でハイドを見て、歯をきしませるほど強く噛みしめた。唇を一文字に結び、シルフィアに対し刀を向ける。
斬れぬ物はないとされる至上の名刀〝斬鉄剣〟が翼を染めた天使に向けられた。
片手を失った天使は右手を捨てたものとし、邪魔にならないよう腰の後ろに回し、左手を前に突き出した。
互いの目には敵意が浮かんでいる。
「どいてッ」
「どくか、たわけッ。ハイドを教会へ連れていき助けるのだ。だれにも邪魔はさせん」
ふたりの目的は『ハイドを助ける』ことで共有しているにも関わらず、立場の違いにより、最善の手を妨げていた。
シルフィアは「運が悪い」と苛立ちを一蹴する。隙を見てハイドに触れ魔王城に帰還することを第一としていた。
アマネは待つだけでよかった。ローエンとキキョウが近くに来ているので、どちらかが到着すればハイドを担ぎ教会へ走ることができる。それまで、この強敵を足止めすればいいと思っていた。対峙しただけで恐怖が沸き上がるほどの存在を、アマネは〝蛇の魔王〟しか知らなかった。魔王クラスの敵を前に、易々と勝てると考えるほど自惚れてはいない。しかし、敵わないと判断する自分の心身共の未熟さには腹立たしさしか浮かばなかった。
シルフィアが仕掛ける。
胸の前で左手の指を開き、腕を引く。
――ガタガタガタッ
付近にある物が動きはじめた。宿の窓が外れて飛びだし、路地に転がっていた木箱が浮き、空いたビールの樽がアマネに向かって飛んでいく。
アマネは一歩も動かずに、自らの間合いに入ってきたものをすべて切り捨てた。
小さな円を何重にも重ね、一太刀で窓と樽を斬り落とし、飛来するものをすべて切り落とす。
アマネはその間にシルフィアの姿を見失っていた。目の端で捉えていた敵が、急にいなくなった。
――ドンッ
「ごめんあそばせ」
シルフィアは上空からアマネを後ろ蹴りで蹴り飛ばす。メイド服のスカートの裾がふわりと広がった。
アマネは蹴り飛ばされ、体を横向きに回転させながら、強引に地面を蹴りとばす。刀を下段で構えたままシルフィアへと突進する。あまりに切り返しのはやさに、シルフィアは守勢に回った。目の前に分厚い氷の壁をつくる。氷壁は厚さが三十センチで、高さも二メートル近くあった。シルフィアはこれを目隠しに使う。素早くハイドに近寄り屈みこむと、左手をハイドに伸ばし、触れようとした。
――ザンッ
氷の壁が十字の切れ込みが入り、正面から蹴り倒す姿で接近してくるアマネ。突き伸ばされた腕は、格好の的だった。
――スヒンッ
シルフィアの左腕が斬られる。
両手を失った天使に、アマネは刃を続ける。
「終わりだ」
剣聖の刃が振り下ろされる。アマネは近接戦闘において、シルフィアを圧倒していた。
青い瞳は最後まで、ハイドを見続けていた。一筋の涙を目から溢れさせると、ゆっくりとハイドに身体を傾ける。最後は、ハイドと共に。そう願いながら。
アマネの刃が、天使の首を狙って振り降ろされる。
――ガキンッ
鋼同士が撃ち合う音がした。
「キサマ、なにをしている」
「こっちが聞きてえよ、アマネエッ」
最後の一撃に割り込んできたのは、ローエンだった。紅の剣が、青い刃を止めていた。
「行けっ、天使。ハイドを頼む。魔王に言っておけ。死なせたら、今度こそオレが殺しに行くぞってな」
「……うんっ」
シルフィアは寄り添う男と共に、この場から一瞬でいなくなる。
「キサマアアアアアア!!」
残ったローエンはアマネの怒りを一身に受けた。
「オレはそっちのほうが勝率が高いと踏んだんだよ。どう見ても助けようとしてる天使を、なに斬ってやがんだ」
「私にはハイドを突き刺したように見えたがなッ。あの尋常ではない状態のハイドを見て、よくもまあ敵に渡してくれたな」
剣を交差させながら、ローエンはアマネと押し合い続ける。ふたりの力は拮抗していた。
「なにをなさってるんですか!?」
本気で剣を向け合うふたりを止めたのは、キキョウだった。
「ふんっ。二度とお前の面を見たくはない」
アマネはしぶしぶ刀を納めると、なにも言わずにその場を立ち去った。キキョウは急いで後を追う。
ローエンはひとり残り、血のにじんで黒くなった地面を見つめる。
「頼む。死ぬなよ、相棒」
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