第16話 アサシンVSハイド
ローエンとアマネを、ギルド酒場から連れ出すことに成功したルイ。
グランガルドの中央広場を横断し、南門の近くへ行く。住居や宿屋の多い区画だった。そこにある一軒の古びた宿屋に、ルイたちは訪れた。
木造りの三階建ての宿屋は、屋根の塗装も日焼けし、壁も木の板をかぶせた跡がみえる。駆け出しの冒険者ぐらいしか泊まらないような宿だった。
ルイはカウンターで台帳に名前を書く程度の手続きをし、銅貨を数枚払う。無口な宿屋の男は、錆びた棒鍵をひとつ受付台のうえに置くと、奥へと引っ込んだ。
鍵を受け取ったルイは、階段を探して三階の部屋を目指す。
「一体、なにがあるというのだ」
アマネはうさんくさいものを見る目で、ローエンとルイを見る。
「……いいんだ。いまは付いていこう」
「意味がわからん」
ギシギシと踏むたびに音のなる階段を上り三階へあがると、みっつ目の部屋の扉にカギを差し込み、ルイが扉を開けた。
「どーぞ?」
ルイが扉を開放し、ローエンとアマネを招き入れた。
「こりゃあ、ひでえな」
「……一晩も過ごせる気がしない」
埃まみれで、掃除も行き届いていない部屋だった。
「うええ……窓あけて、扉もあけておこっか」
「こほっ。……うむ。そうして欲しい」
アマネは両開きの窓を開け、身を乗り出しながら新鮮な空気を吸った。窓を開けても裏通りに面しており、鼻につく匂いはしたが、室内よりもマシだと思っていた。
「うっへ、毛布がボロボロだ。かあーっ、雨漏りまでしてねえか? いままで見たなかで、一番ひでえや」
「それで? いったい、用件はなんなのだ。私とローエンに、なにを持ちかける」
「そだね。ちょっと、大きい声で言えないお話をしたいの」
ルイは、ローエンとアマネに向かって手を縦にふった。
「こっち、こっち」と、部屋の奥にあるベッド近くに腰掛けるように促す。
ローエンは、ゆっくりと近づき膝をついた。
アマネはため息をひとつすると、ローエンの横に両膝をつく。
ふたりを集めたルイは、口の横に両手をつけてナイショの話をする。
「おふたりさんね、あのね」
ルイはいたずらをするように、明るい声で言った。
「後ろにいるひと、だーれだ」
アマネとローエンは同時に振りかえる。
「はあ?」
ローエンは、すっとんきょうな声を出す。
「……なんだと?」
そこには誰もいない。
――ズザッ
しかし、何者かが後ずさる足音が、たしかに聞こえた。
アマネは即座に臨戦態勢をとる。見えない敵に追跡されていたと気づき、応戦しようとしていた。
――目に見えない敵は、見つけられたことに驚いている
蛇のような影が、窓の外から飛び込んでくる。影はまとわりつき、空中で静止した。
窓の外から飛び込んできた男は、即座に見えない敵に組みつき締め上げていた。両足で胴体と左腕を取り、両腕で右腕と首を絞める。
村人の姿をしたハイドは、見えない敵を捕まえていた。
「ほほーっ」
ルイは、ハイドの卓越した近接格闘技術と五感に驚いていた。
「な、なんだっ」
アマネは抜刀しかけた刀の振りどころを無くし、ただ驚いている。
「……ったく、バカがよ」
ローエンは唇を強く噛み、にじんだ景色を喜んでいた。
「っぐ、がああああ」
見えない存在は、声をあげる。太い男の声だった。
ハイドは見えない男に組み付きながら、存在を明らかにしようとする。
左手で男の顔と頭を乱暴にさわった。髪を引きちぎり、爪で耳を傷つけ、頭のうえをガリガリと引っかく。引き抜いた髪が空中で目に見えるようになったことから、目に見えないのは男と装備品程度だと判断した。
見えない男はもがいた。地面に倒れ込み、ハイドの身体を床にたたきつけ、力任せに手足を動かす。ハイドは敵の左腕の拘束を解いてしまった。
左腕が自由になった追跡者は、ハイドの腕を力任せに外そうとする。圧迫していた腕をほどいた。
――ガンッ
見えない敵の頭を、ハイドの左フックが撃ちぬく。
ほこりにまみれた部屋は、相手の位置を捉えやすい。ハイドは床のほこりと空中に舞う塵の動きで、相手の動きを完全に把握していた。
倒れた相手にハイドは膝を入れ、胸を掌底で撃ち下ろす。
「っぐ」
うめき声をあげたのはハイドだった。左の前腕が切られている。五センチほどのぱっくりと割れたピンク色の傷が走り、じわじわと赤い血液が染み出していた。ハイドは傷を押さえもせず、傷の周囲を刺激する。血液がしたたるように溢れてくると、ハイドは敵に向かって血液を扇状に飛ばした。途中で血液が消えた箇所に、半月蹴りをくらわす。
「げほっ、かはっ」
ハイドは、見えない相手が土下座の姿で地面に倒れ込んでいるのは、蹴った足の感覚でわかっていた。
追撃を加えようとしたときだった。
――パリンッ
ガラスの割れる音がした。なにかの液体が床に広がると、一気に燃え始め火の壁ができる。ハイドを近づけまいとする敵の仕業だった。
ハイドは飛び込むことをためらった。宿にいるほかの住人の非難を優先すべきか、火を消す方法は無いかと思考してしまう。
すぐに、ひとつの答えに行き着いた。
迷うことなく、ハイドは炎の壁に飛び込んだ。
ハイドに合わせるように動いたのは、ローエンだ。
「散れ」
〝炎の勇者〟が命じると、炎は燃えあがるのをやめた。
ローエン・マグナスは炎を従えることに関しては天才的であり、〝炎帝〟の名で通っている男だった。
「……は? っぐああ」
まぬけな声が響く。ハイドの鋭い蹴りが見えない男を打ちぬいた。
「あ~~っ」
ルイが、つい口にしていた。
ハイドも、すぐに気がつく。
窓枠によろめいたらしい男は、窓を揺らした。するとすぐに、床を蹴る足音がする。
「飛び降りたか」
アマネが鋭い眼光のまま、言葉を漏らす。
ハイドが窓から身を乗り出すと、真下では鈍い音が響く。見えない男は地面を転がったようで、砂煙があがっている。ハイドは、敵の逃げる方向だけは見定めようとしていた。
「どっちにいった?」
アマネが、ハイドの側から声をかける。
ひらめいたハイドは、アマネのスカートのなかに手を突っ込んだ。
「にゃ、わああああああーーーーーーーーーーーっっ」
ハイドの手にはクナイが握られる。アマネが太ももに隠し持っていることを、ハイドは知っていた。
ハイドはローエンにアイコンタクトをした。
「おうっ」
ローエンの返事を聞く前に、ハイドは窓の外に跳んだ。右腕を大きく振りかぶり、回転しながら空中へと飛び出すと、勢いのままにクナイを投擲する。
――ザシュッ
稀代のアサシンは、クナイの投擲も当然のように当ててみせる。
片足を窓際に残す形で飛び出したハイド。その足を、ローエンが掴む。
「どっせいっ」
「いだっ」
力任せに引き上げられたハイドは、窓枠に頭をぶつけて帰ってきた。
「……おまえな」
相棒に避難の目を向けるハイドだった。
「いやあ、わりっ」
両手を突き出し腰を折るローエンに、ハイドは鼻で笑い許した。
ハイドの耳にだけ、従者である天使の声が響いていた。
『ターゲット、対象地域を離脱。転移したよ。転移先は、牛魔のダンジョン最下層』
ハイドはクセか、左耳に手をあてながら天使につぶやいた。
「了解」
ハイドの声は、どこにいようが天使に届くし、天使の声はどこにいてもハイドに届けられる。ふたりが結んだ契約による絆であった。
床に座ったままのハイドに、ローエンは手を差し伸べる。ハイドは手を取り、立ち上がった。
「すまん。逃がした」
「いいや、ありがとよ。狙われてたのも、わかんなかったぜ」
「お前じゃない」
ハイドは村人の姿のままであったことに気づくと、確認を入れる。
「アマネ、俺のことがわかるか?」
「もちろんだとも。あやうく、敵の前で名前を呼びかけたよ。変装の意味を台無しにするところだった。おかえり、ハイド」
「もどったわけじゃない。たまたま買い出しにきて、お前らを見つけただけだ。ついでに、何者かに付け狙われているアマネもな」
「……私だったのか」
アマネは紫色の瞳を大きく見開いた。驚いた目が優しく細められる。
「また、だれかを守るために怪我を重ねるのだな。まったく、お前というやつは、しょうがない男だ」
アマネはハイドの左腕を取ると、傷口を見る。
取り出した小瓶のなかの薬品を傷にかけたあと、たっぷりと軟膏をぬり、清潔な包帯を巻いた。怪我の絶えないアマネは、傷の対処法をよく知っていた。
「ほら。応急処置ぐらい、私でもできるんだぞ」
「見違えたな」
「ばかものっ」
「ありがとう」
ハイドはアマネに礼を言うと、もうひとり礼を言う相手と目が合った。
「ルイにも手伝ってもらった。助かった」
「えへへ。ルイ、上手に出来た?」
「ルイに頼んでよかった」
「いやったーっ」
村娘姿のルイは、ハイドの腕に抱きつき、すり寄る。その姿を見て、ローエンは目に炎を浮かべて鼻の穴を膨らませた。
「ふぉおおお、おっま、魔王城でなにをやってんだ!? ルイちゃんとは、どういう関係なんだよ、おい」
「それは私も気になるところだ。経緯を考えるに、その子も魔王の配下なのだろう?」
ハイドが、めんどうだと思って口を閉ざしていたとき、ルイが口を開いた。
「……えっとね。お嫁さん、だよ?」
ハイドは自分の言った言葉が、自分に返ってきたのだと知った。
『ルイ、もし俺との関係を聞かれれば、妻ですとでも答えておけ。そっちのほうが自然だろう』
魔王城を離れるとき、たしかにそう言った。
「はああああああああああああーーーーーーっ」
「ええぇーーーーーーーーーーーーーーーーっ」
「えへへーっ」
ハイドは、この場から一刻もはやく逃げたかった。
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