第10話 暗殺者とヴァンパイア

 ハイドは魔王城内で安息の地と食料を求めていた。

 行き着く先は、消去法で決めた安全そうな人物の元。

 魔王は寝ている。なんの役にも立たない。

 ルイは昼寝をしている。起こすのは悪い。

 シルフィアは、城内の修復作業中。ローエンの壊した城の後片づけをしている。

 ニンファは自室にいる。しかし、険悪な関係のため足は向かない。

 最後に残った地は、コルトの元だった。

 紫色の髪を肩口で整える、見た目は幼い少女のよう。しかし、一番落ち着きがあり、まわりをよく見ている人物だった。

 コルトが昼間いるであろうレセプションルームをノックする。


「開いておるぞ」


「失礼する」


「お主か。適当にしてよい。堅苦しいのは好まぬからな」


 暗い部屋だった。灯りが少なく、窓もない。そのせいか、鼻につく独特な臭いが充満している。

 コルトのいるテーブル周りには、本や資料が几帳面に置いてある。対照的に、広い黒板には乱雑な文字が殴りかかれていた。

 木製のラックには、様々な材料を入れた瓶が保管されており、部屋の中央では、まさにいま大きな鉄釜のなかで材料を合わせている。


「錬金術か」


「くふふっ、ひさしぶりに聞いたの。いいや、錬金術ではないよ。ただわれは、世界の仕組みを知りたい探求者よ。人間はそんな存在をなんと呼ぶのかのう」


「賢人あるいは、科学者だろうか」


「科学者か。ふむ、なじみは無い。しかし、良い言葉だ」


 コルトは白い上着の長袖をふる。取り扱う物質が素肌につかないための服装だった。


「すまぬが、いまは少々手が離せん。なにか用事があるなら、聞くだけ聞いてやろう」


「腹が減って死にそうなんだ。おまけに毒を食った。ふしぎだな。なぜかコルトの顔をみると安心する」


 コルトは幼い顔に、イヤがる表情を浮かべた。


「むかし、それを言って本当に目の前で死んだ男がいての。われのトラウマを思い出したわ。がんばって生きてくれ」


「それは悪かった。パンや芋、あるいは砂糖を持ってないか」


「砂糖がある。ほれ、そこの本が積まれている机のうえの木箱のなかよ。小人族のつくる上質な果糖での。飲みものに入れると、味わい深いのだ」


 コルトは暗い室内で絶えず動きながら、明るく話を続けていた。


「そうそう、ハチミツもあるぞ。小人族からのいただきものでの、疲れた頭にしみわたる優しい甘さよ。自分へのご褒美に、ちょびっとずつ楽しんでおる。後ろの棚の下から二段目、一番右の小瓶よ」


「そうか、すまない」


「すこしぐらいなら、やってもよいぞ。くふふっ、目の前で死なれてはかなわぬのでな」


 ハイドはたっぷりと水の入った水差しのなかに、コルトが大事にしていた砂糖とハチミツをすべて入れると、一気に飲み干した。目ざとく岩塩を見つけ、手持ちのナイフで削り、口のなかに放り入れる。

 生命が維持活動に必要な栄養素を、手っ取り早く補給した。

 水の味は、涙が出るほど美味しかった。

 考えてみれば、一週間単位でまともな食事もせず、激しい戦闘や運動をこなしてきた身体だった。ハイドは、生きながらに餓死する寸前のコンディションを、強靱なメンタルだけで支えていた。


「あぶない。これは、死にかけてたな。……うますぎて、涙が止まらん」


「はちみつーーーっ。われの、われのーーーっ」


 コルトも叫びながら泣いた。空になったはちみつの瓶を嘆いた。


「悪いとは思う。生きるために必要だった」


「…‥はちみちゅ」


 テキパキと動きながらも、涙目のままコルトは訴えてくる。ハイドの良心が痛んだ。


「……ひと助けと思うことにしよう。お主が元気になってくれれば、それでよい」


 ただよう少女の哀愁に、ハイドは謝罪の言葉をかける。


「なにか手伝えることはあるだろうか。食った分ぐらいは働くぞ」


「そうだのー。うむ、クスリの実験に付き合ってくれ。机のうえに、紫色の丸薬がある。ひとつ、飲んでみよ」


 ハイドはコルトのちかくで、木の小皿を転がる一粒の丸薬をつまむと、ためらいなく飲み込んだ。


――ボンッ


 急に目線の高さが変わったハイドは、自分の姿を確かめる。


「……おい」


「くふっ、ふふふふふっ。はーっははっはっ」


 コルトは狼狽するハイドを見て、愉快そうに高笑いする。


「お主の驚く姿は良いな。無表情でにらむのはやめい。怖いわ」


「俺の体が、魔物になったんだが」


「うむ。どう見てもコボルト族の男よな。しかし、コボルトになっても、愛想のない顔は変わらんの」


「余計なお世話だ。くそっ、動きにくい」


 体の重心と関節の可動域が変わり、ハイドは動き方に難を覚える。

 魔物の一種であるコボルト。ワーコボルトと呼ばれる、二足歩行の犬型の魔物となったハイドは、だらしなく口をあけ舌を伸ばした。


「はっ、はっ。口を開けてると落ち着く。体内の熱循環ヘタクソか、この体」


「くふふっ、お主それが素よなあ。こっちに来い」


 慣れない体でハイドはゆっくりコルトの元へと向かう。すこし小さくなった魔物の体では、コルトとの身長差が縮まっていた。


「ほれ」


「ん?」


 ハイドは開いたコルトの手のひらにのっている物を、長い鼻先で嗅いだ。


「ヘックシッ、クシッ、なんだこれっ、ックシ」


 ハイドはアレルギー反応のように、クシャミが止まらなくなり、涙まででてきた。


「はーっはははっ、くふふふっ。コボルトのきらいな木の実をすりつぶしたものよ」


「なんてものを嗅がせるんだ」


「ふーむ。食べれるかと思ってのう。ダメだったの。すまぬ」


 コルトは赤い舌を見せ、かわいく謝罪してくる。


「許しがたいな」


「おやおや、許し合わぬとこの先に進めぬぞ? もとの体に戻れなくてもよいのかのう?」


 ハイドは立ち止まり、毛を逆立てる。


――こいつッ


 視線のさきには、したり顔のコルトがいた。


「許してください。お願いします」


 ハイドは人間の体に戻るためなら、プライドなどなかった。


「うーむ。どうしようかのう?」


「覚えていろよ、クソガキ」


「くふふっ。忘れてしまったのう。どうやったら、もとに戻れるんじゃったか。うーむ?」


「コルトさま、お願いします。思い出してください」


「んーっ、そうだそうだ。作業に集中せねばいかん」


「……性悪め」


「おっと? なにか言ったかの?」


「まさか」


 コボルトは舌を出してハッハッと荒く息をはく。


「そうだ、思い出した」


「どうすればいい!?」


「ちょうど助手が欲しくてのう。暇なときに実験につきあってくれる、人間の男などおらぬかなあ」


 わざとらしく言うコルトに、わざとらしくハイドが応える。


「先生、ここにいます。ですが、ひとつだけ問題があるのです」


「うむ。聞こう」


「人間に戻れないのです」


「ふむ。それは大変だ。では、コボルトや、お主は人間にもどったならば、われに協力するかの?」


「もちろんです、先生」


「では、人間に戻りなさい」


――ボンッ


 コルトが唱えると、魔法が解ける。

 ハイドはコボルトの体でいる閉塞感から解き放たれ、自分の体のありがたさを噛みしめていた。


「くふふっ、舌がでておるぞ」


「……ただのクセだ。いまのは、どうやって戻したんだ?」


「先生が抜けておるぞ、助手よ」


「先生、教えてください」


「うむ。いまのはのう」


 コルトは作業の区切りをつけると、花が咲いたような笑顔で言う。あどけなく、無邪気な乙女だった。


「くふふっ、ただの時間経過よ」


 放っておいても、人間の体に戻れたとコルトは言った。


「騙しやがったな」


「ひと聞きの悪い。カードをどう使うかは、われの手腕よ。ほれ、助手よ。鍋をゆっくりとかき回せ」


 コルトの細い小さな手から、大きな木のヘラが渡される。ハイドは受け取ると、ゆっくりと丁寧に鍋をかき回した。


「お主がわれを手伝うのならば、われも協力してやろう。魔王殺しにな」


 コルトは座る。ハイドを見つめる、黄金の瞳。子供の顔で大人の顔つきをしていた。


「知っていたのか」


「なんとなく、かの。これでも魔王の仲間なのだぞ。〝夜の〟がしたいことは、わかるつもりでいる。お主には、われも期待しておる。魔王を追い詰めた人間は、おぬしがはじめてよ」


「たった一度、奇襲がうまくいっただけだ」


「夜の魔王の首を取る機会は、人間にはたった一度もなかった。だからこそ、お主には可能性を感じておる」


「人生最大のラッキーを買いかぶるな。いまはただの捕虜だ」


「いいや、もう仲間だの。われがお主を好いてしもうた」


「……勝手にしろ」


 ハイドは鍋の底がこげないように様子をみながら、愛想無く言っていた。


「くふふっ、気に入った。マジックアイテムが必要になれば、声をかけよ。透明になれるクスリでも、遠見の鏡でも、魔法のスクロールでも用意してやろう。もちろん、代償はもらうがの」


 コルトは暗い室内でも輝く、金色の瞳で見つめる。

 指を一本口に入れると、口のなかを見せるように唇を引っ張っていた。

 あまりに鋭い歯が見える。それは、歯ではなく牙であった。


「ヴァンパイア。われの種族よ。おかげで血に飢えておっての。あとは、わかるだろう?」


 小さな舌が唇をなめる。男を魅了する、妖艶な仕草だった。


「そんなものでいいなら、いくらでも差し出そう」


「ふえっ? よいのかの」


「血だろう。月に一度、コップ一杯程度でいいのなら、なんの問題もない」


「血を吸われることに、怖くはないのか?」


「クソガキに噛みつかれてもな、大人は笑って許すんだよ」


 精いっぱい歯をむき出しにして、ハイドはコルトに噛みついていた。


「くふふっ、小僧め。吸い尽くしてやる」


「やれやれ。魔王城には俺のことを食料としか見ないやつが多すぎる」


「くふふっ。〝夜の〟には、先手を打たれてしもうたか。叶わぬのう」


 コルトは座っている椅子のうえで足をパタパタと動かし、喜んでいた。


「いますぐ血は必要か?」


「いいや、大丈夫。われは血を一滴でも飲めばしばらく生きれる。今日のお主のように、ふらふらになったら、こちらから頼むことにしよう。そうだ。おいしい血をつくるために、しっかり食べよ。おいしく食べられる努力を求めるぞ」


 コルトが小さな胸をはって、なまいきに言うとハイドはコルトの頭を撫でるように小突く。


「なあっ!? 無礼ものっ。助手のくせに、なまいきなっ」


「先生、すみません。ちいさすぎて、見えなかった」


「こやつめっ、お主にヴァンパイアの恐ろしさを教えてやらねばいかんようだ」


「鍋をかき混ぜるのに邪魔なんで、おとなしく座っててください先生」


「助手なんてクビだーーっ」


 研究室に、コルトの笑い声が響いていた。

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